二人の公子
南大陸の最北端、中央大陸との交易によって栄えるアプカ公国には二人の公子があった。
フェンネロッタ卿の娘を娶った兄トルネ。
シクラメント卿の妻が乳母を務める弟ヴァガッテ。
公子はどちらも甲乙つけがたい能力を持ち、同じほどの領地と配下の兵を持ち、そしてこの上もなく仲が悪かった。彼らは双子だ。公王スカフェンは争い合う二人の息子たちに心を痛め、いまだ後継者を指名できずにいる。
フュルストも人の親として、その心痛は察するに余りある。いつか息子たちが大人になって相争うようになったら、と考えたら夜も眠れぬ気持ちである。
彼は外套の裾を翻し、ステッキを持ち帽子をかぶった正装姿でアプカ公国の都ナグレアを歩いていた。市場の視察兼、この前買収した企業に顔を出しにいくためだった。
港町の市場は活気づいている。白い幌布を屋根にした露天が立ち並び、ナグレアの治安部隊の紋章をつけた革鎧姿の兵士が巡回している。あちこちから呼び込みの声がかかり、子供たちが走り回る。老若男女ともに布で頭を覆う文化圏で、彼の姿は明らかに浮いていた。
そんなことを意に介することもなく、彼はあちこちの店先を覗いては楽しげに品物を手に取り、値切り、買い求めた黄色い果実にかぶりつく。
ほどなくして市場の終着点に着いた。元からあまり大きくない市場だったのだ。港から一直線に王宮へ向かう大通りを露天が埋め、途中で途切れる。途切れたのは広場があるからである。フュルストは王宮前広場と呼ばれる円形のそこの中央に立った。噴水もなければ彫刻もない。アプカ公国は、まだ発展途上の国である。
彼は広場に面した大きな店のうちのひとつにふらりと立ち入った。用心棒の大男たちがぬらりと進路を塞ごうとしたが、それより早く転げ出てきた支配人がぺこぺこと頭を下げる。
「これは、オーナー。あ、いえフュルスト卿。いらっしゃるとは思いもよりませんで」
「うん。近くまで寄ったものだからね。現場を見せてもらってもいいかな?」
「そりゃあもう」
たぷんとした頬に先を跳ね上げた髭を蓄えた支配人は、赤ん坊のような手を握り合わせ商売用の笑顔を浮かべた。
「お供させていただきます」
「悪いね」
都合の悪い箇所は見ないでくれ、ということだ。別にいい。誤魔化しや着服があればいずれ帳簿からばれるだろうし、下級の使用人たちが互いにいじめを繰り返していようと、それはフュルストの気にするところではない。彼が見たいのは、商売品の保管状況だった。
港から北に向かって伸びた市場と直角に、西へ向かう大路地。その通りに倉庫はあった。
高い天井、大まかに二階に分かれた空間にぎっしりと麻袋が積み上げられている。裏に止まった六頭立ての巨大な荷馬車に人夫たちが絶え間なく出入りし、麻袋を肩に背負っては積み込んでいく。
うずたかく積まれた麻袋は次々と目の前から消え、そして通りから現れて補充された。これが彼の目的である――その中身は塩だった。
冷蔵魔法など一生お目にかかれない庶民にとって、塩は食料保存の生命線である。また同じ理由でアプカ公国のもっとも大きな輸出品である魚の加工に不可欠であり、同時に年間を通じて軍隊に買い上げられる必需品であった。
アプカの人々は魚を取り、干し魚に加工して売りさばく。また塩を作る。海水を汲み上げ、塩田に撒いて水分を蒸発させた砂を煮る方法だ。
魚と塩の二つの柱がアプカ公国の国家独占事業である。リュイスと同じく塩税は巨大な財源として大貴族の独占化にあった。
「うん、しっかり保管されているようだね」
「ははあ、それはもう、それはもう。アプカ人にとって文字通り生命線ですからな、塩は」
「もし湿気てでもいたらもう一回手放そうかと思ったよ、ははは」
「は、なはは……」
都人向けに塩を小売りする部門の責任者でもある支配人は、やみくもに髭を撫でた。フュルストの真意を測りかね警戒する様子だった。
土埃と男たちの汗の臭い、降り注ぐ陽光、蒸し暑くどこか陰惨な気配のする倉庫の中をフュルストは闊歩する。まるで舞踏会のさなかにいるように、彼は優雅だった。付き従う支配人はさながら観賞用の珍しい子犬である。「動きがのろい人もいないし、責任者たちの鞭の音もしない。みんなよく食べているようだね」
「あっ、それは当然です、旦那様。食べさせねば人夫たちは誰も働きゃしませんよ」
「何もかもあなたの気配りがよいおかげだよ。どうもありがとう」
フュルストが片目をつぶって金貨を差し出すと、支配人の顔が輝く。長い不況にあえぐアプカにおいて、やはりものいうのはこれだった。
彼らは立ち止まり、フュルストは懐かしげにぐるりと倉庫を見渡す。
「私もかつて、こんな港町でこんな仕事をしていたものだ」
「そんなまさか。……ご冗談でしょう?」
「冗談でこんなことをいうものか。実家を追い出されてしまってね。食うに困って南大陸にたどり着いたのだ」
昔を懐かしがる老人の笑い方で、フュルストは肩を揺らした。
「今となっては小さい袋のひとつも持てるかわからないがね!」
支配人は困ったように立ち尽くす。フュルストは小柄な彼の肩をぽんと叩くと、ステッキを揺らして立ち去った。やることは多い。時間を無駄にしてはならなかった。
――アプカ公国は、もとい南大陸の多くの国々は、長らく不況の渦の中にある。国によっては王妃の王冠を溶かして売り払うほどの貧苦にあるというのに、常に互いに攻撃を仕掛ける理由に不足しない。戦費不足の上、国債市場は未成熟であり、富豪な商人が各王家の貸金庫役を務めるのが常だった。
フュルスト商会の機はそこにある。戦費、海軍費を融資する見返りに、担保として税徴収権を要求するのだ。華美な服装への課税、金への課税、土地への課税はとより、もし塩税の徴収を任されることができれば、その利益は半永久的である。人は塩なしで生きられないのだから。
そして王家に共倒れになるほどの借金を貸し付け、しかし回収の宛てがない各地の商会を買収し統合し、南大陸に一大商圏を築き上げる。貴族の夢じゃないだろう。ルクレツィアがほしがらないだろうから、いらないけれど。
彼は口の端だけでクッと笑った。中央大陸に残してきた家族のことを思った。
すでにアプカ公国における塩の製造業者は彼のものである。この上徴税権まで手に入れば、もはやこの国は思いのままだ。
(そうなったら、たとえあの子がリュイスで敗れても逃げてくる先を用意してやれる)
という思いがあった。アレクシア。土色の髪に青い目、真っ白な肌、小柄な身体とずけずけ言う物言いで恐ろしいほど頭がよく、憎しみを糧に生きている我が娘。彼にちっとも似ていない小さな娘のことが、フュルストは愛おしかった。
本当は、そんな挑戦しなくていいと言ってやりたかった。復讐なんて、お父様が代わってあげるからね。だがそれでは本人が納得しないことはわかっていたし、豪奢な屋敷に閉じ込めて着飾らせたらスカートを引き裂いて逃亡する子だというのもわかっていた。
彼がアレクシアを好きにさせているのは、だから諦め半分、期待半分である。
もしアレクシアの陰謀が上手くいって(本当にそうなる確率なんて、限りなく低いだろうけれど!)、女王の地位を手に入れられればよし。そうでなければ一家を挙げて南大陸へ移住して、彼女を限りなく大切にしてくれる王子様でも見つけてやればいい。
フュルストとしては、後者の可能性に賭けている。だってその方が近場に住んでくれそうじゃないか?
いずれにせよフュルスト商会の経済は盤石である。商会長一家がどこへいこうと養える。ゆえに彼は、今は仕事に精を出すのだ。
「会長」
「うん」
すっと彼の横に張り付く影がある。秘書のグレゴリオ・エトゥーだった。テトラス王国出身の細身の青年で、フュルストの秘書をもう三年も努めている。これはすごいことだった。何しろフュルスト卿の働きぶりといったら家族と一緒にいないときの私生活すべてを犠牲にせんばかり、それに付き合わされる側も同様にしないと回らないほどだから。
ちなみに三年前までの秘書は帳簿整理が生き甲斐の妙齢の女性だったが、ルクレツィアが嫉妬のあまりヒステリーを起こしたため配置換えとなった。彼の顎にはそのとき妻に引っかかれた傷跡がまだ残っており、夜中の執務室に入室した者はごく希にその凹凸を撫でて脂下がる商会長の不気味な笑顔を目撃できる。
さて。
「徴税請負制度はほぼ通りそうです。が、スカフェン公王は相当な食わせ者ですよ」
「そうか。シクラメント卿は十分怖がってくれたので、ヴァガッテ公子が次代の王で内定するかと思ったんだが」
「どうだか。未だに正式な公太子を任命しないんですから、あのじいさん」
エトゥーは憎々しげに首を横に振った。彼らの横を轟音を立てて巨大な荷馬車が通り過ぎていく。忙しなく計算を言い合いながら足早に駆ける二人組、ワイワイ言い合いながらゆったり歩く集団。こうもうるさいところだと、逆に密談に向いていた。
「公王陛下は現金を欲しがっておいでだ。そして我々にも、徴税官吏をつけさせろと言っています」
「……我々の商会員が直接、アプカ公国を巡って金を集めるのではなく、アプカ公国の官吏を使う権利をくれてやるって?」
「です」
エトゥーは眼鏡を押し上げて頷いた。
「民や地主から直接徴税する権利を握られていては、徴税権の獲得は絵空事になりましょう」
フュルストは薄ら笑いをした。人々のざわめきはいよいよ大きく、香辛料の香りが風に混じって鼻をくすぐる。
「やれやれ。困ったことだね。私が直接出向くしかないようだ」
エトゥーは迎合の微笑みを浮かべる。商会長がこう言ったということは、もちろん、これからそうなるのだった。




