首ひとつ分の誠意
「この海賊が……!」
という呻き声が、フェンネロッタ卿が発した最期の言葉だった。
フュルストは無感動なまなざしで彼の敵の首が落ちるのを見守った。南大陸北端、アゴネス岬からはとりわけ天気がいい日の昼日中に限り、リュイス王国のある中央大陸が見えることがある。――家族の衣服の裾だけでも見えないだろうか、彼はそんな無茶苦茶なことを思ったのに自嘲した。あるわけがないことだった。
今、フュルストは一人である。妻ルクレツィアも娘も息子もいない。部下もいなければ護衛の傭兵もいない。正真正銘、ただ一人である。
丸腰、と言い換えてもいいかもしれなかった。そういう状況だった。
歩み寄ってくる大きな陰があった。フュルストはそちらへ向けて恭しく頭を下げる。
「これはシクラメント卿。公王様におかれましてはこれにて我が忠誠を認めていただけるといいのですが」
シクラメントはこけた頬と顎髭のせいで奇妙に面長に見える男だった。暑い日差しの中でも地位を示すため複数の上着を重ね着しているせいで、今にも倒れそうに見える。といってもそれはフュルストの心配するところではないのだが。
「やりすぎであるぞ」
「……心外でございますな。忠誠心を示せとおっしゃいましたのはシクラメント卿、つい先ほどの貴方様ではありませんか」
「といって、これほどのことをせよとは申しておらぬ」
ふうう、とシクラメントは深いため息をついた。額に浮かんだ汗を金糸の刺繍入りの袖で拭う。あれではしみになってしまうだろうに、もったいないことをする。
「見よ、この惨状を。すべて貴公の引き起こしたことであるぞ。なんとむごい」
「と、おっしゃいましても……」
フュルストとしては、困惑するしかないのだった。
「我が商会の誠意をお見せするに、もはやこれしかありえませんでしたゆえ。我らはこれまでにあまたの貢ぎ物をお捧げいたしました。条件のよい商取引をご用意いたしました。どれもこれもがお気に召さないとありますれば、もはや打つべき手はこれしか。公王様の怨敵、憎きリュイス人の盗賊団を壊滅させるより他、我らを信頼してくださりませんでしたから」死屍累々、の処刑台の前でいけしゃあしゃあと言ってフュルストはゆるりと最敬礼する。
「これにて公王様のお気持ちが変わってくださいますことを、このフュルスト、心より願っておりまする」
潮風が吹いた。海の生臭さでも搔き消せないほどの血匂にまみれ、色さえ赤く染まっているのではないかと思うほど重たい風だった。普段、水揚げされた魚がどでんと横たわる港には、生々しい首なし死体がずらりと並んでいる。
いずれもフュルストが手配した首切り人たちが、賃仕事として行った処刑の結果である。本来であれば公王直属の役人であるはずの処刑人が金で雇われてくれるほど、クォルカ公国の財政は衰えていた。落ちくぼんだ目に堂々たる体躯をした処刑人の一人が、曲刀の血糊を払いながら通りすがる。途中、彼はぺこりとフュルストに頭を下げた。かわいそうに、彼らには長い間給料が支払われていないのだ。だから誇りを捨ててでも、いっときの雇い主にすぎないフュルストに親切にするしかなくなる。
職務に対する誇り、代々公王のため刃を振るってきたという自負。フュルストはすべてを金で一時的に買い取った。恨みが生まれ、同時に感謝も生まれたことだろう。彼は金の持つ力をこの上なく信奉している。
「さて、シクラメント卿。それではかねてよりのご懸念でありました、フェンネロッタ卿による公国への反逆の疑いはこれにて絶えました。いかなフェンネロッタ卿とて、さすがに首を落とされて尚蘇ってくることはできますまい」
フュルストはうっそりとした笑みを浮かべた。細面に銀色の髪、青い目をした優男が浮かべるには、あまりに冷たく見る者に奇妙な怖気をもたらす笑みだった。――得体が知れない、何か別の法則に則って生きる生き物のような。
シクラメントは汚いものを見る目で目の前の商人を眺めたが、やがて諦めたように踵を返した。
「後日、後日である。必ず席を設けるゆえ、大人しく待っておれ」
「心得ましてございます」
フュルストは胸に手を当て、優雅に一礼する。
「必ずやお約束を守っていただけますこと、信じております」
アレクシアの父親、フュルスト卿の外伝です。
そんなに長くないです。6/26完結。
よろしくお願いいたします。




