精神現象学
巨大なゲートを抜けると、ソウマたちの宇宙船は静かな星間空間へ躍り出た。
目指すのは、救難信号の発信源。
識別コード――
ORIGIN
二百年前に消息を絶った最初の被験者。
その存在は、歴史上すでに「死亡」と結論づけられていた。
しかし、信号は今も発信され続けている。
艦橋。
アリスが星図を投影する。
「信号源まで、およそ四時間。」
レイは腕を組んだ。
「二百年間も電源が持つ宇宙船なんてあるのか?」
第一科学士アークは静かに答える。
「通常なら不可能だ。」
「だが、あれが《方舟》なら話は別だ。」
「方舟?」
ソウマが振り返る。
「正式名称。」
「銀河文明が最初に建造した恒星間移民船だ。」
「全長約一千五百キロ。」
「乗員十万人。」
リディアが補足する。
「完成したのは二百年前。」
「しかし処女航海の日に消息を絶った。」
「つまり。」
ゼロが低く呟く。
「俺たちは幽霊船へ向かっている。」
静かな沈黙が流れる。
四時間後。
漆黒の宇宙に、一つの巨大な影が現れた。
誰も言葉を失う。
それは船というより、一つの都市だった。
朽ちた外壁。
割れた窓。
回転を止めた居住リング。
それでも中心部だけは白く発光している。
「生命反応は?」
ソウマが尋ねる。
アリスは端末を見つめたまま固まった。
「……一人。」
「十万人いたはずだ。」
「現在、生存反応は一つだけ。」
レイが息をのむ。
「二百年間、一人で?」
アステリアは慎重にドックへ接舷した。
ハッチが開く。
冷たい空気が流れ込む。
船内は静まり返っていた。
家具も、食器も、本も、そのまま残っている。
まるで昨日まで人が暮らしていたかのようだった。
しかし、人だけがいない。
床には、無数の靴が並んでいた。
左右きちんと揃えられたまま。
数え切れないほど。
アリスが小さく呟く。
「避難した……?」
アークは首を振る。
「違う。」
「これは、帰るつもりだった者の靴だ。」
ソウマは通路の壁に触れた。
まだ温かい。
二百年前の船なのに。
その時。
館内放送が突然流れ始める。
ノイズ混じりの女性の声だった。
「乗員の皆様へ。」
「間もなく、目的地へ到着します。」
レイが青ざめる。
「録音じゃない。」
「今、放送された。」
艦内の時計を見る。
午後二時十三分十一秒。
一秒後。
午後二時十三分十二秒。
船全体が小さく揺れた。
「動いた!」
ゼロが叫ぶ。
二百年間停止していたはずの《アーク・オリジン》が、自力で航行を再開したのである。
「誰かが操縦している。」
ソウマは走り出した。
全員が艦橋を目指す。
重厚な扉を開く。
そこには、一人の青年が操縦席に座っていた。
年齢は二十歳ほど。
白い制服。
短い黒髪。
穏やかな横顔。
彼は静かに振り返る。
そして初対面のはずのソウマに、微笑みかけた。
「遅かったね。」
「ずっと待っていた。」
ソウマは息をのむ。
「……あなたが、オリジン?」
青年はゆっくり立ち上がった。
「そう呼ばれていた時代もある。」
「今の名前は。」
彼は窓の外の銀河を見つめながら告げる。
「ユウ。」
「最後の生存者であり。」
「この宇宙で、最初の人類だ。」
その言葉に、十二大科学士でさえ動揺を隠せなかった。
「最初の人類」という意味。
それは、人類の歴史そのものが、これまで信じられてきたものとは違うことを示していた。
ソウマは直感する。
ハートブレイカー事件は終わったのではない。
あれは、もっと巨大な真実へ導くための「序章」にすぎなかったのだ。




