現象学の理念
「十四人目……。」
ソウマは映像に映る空席を見つめていた。
そこには誰もいない。
それなのに、全員がそこへ向かって話している。
まるで、本当に誰かが座っているように。
アークが苦しそうに額を押さえた。
「思い出せない……。」
「顔が浮かばない。」
リディアも震える声で続ける。
「声は聞こえるのに、姿を想像しようとすると記憶が切れる。」
ハートブレイカーは静かに目を閉じた。
「そういう設計だった。」
「設計?」
「Xは、自分自身を誰にも記憶できない存在へ書き換えた。」
ソウマは息をのむ。
「量子認識遮断……。」
「いや。」
ハートブレイカーは首を振った。
「もっと根本的な技術だ。」
「人は、観測したものしか記憶できない。」
「だからXは、自分を"観測できない存在"にした。」
ゼロが初めて興味を示した。
「自分自身を情報から削除したのか。」
「そうだ。」
「映像には映らない。」
「写真にも残らない。」
「記憶にも定着しない。」
「だが、一つだけ例外がある。」
ハートブレイカーはソウマを見た。
「お前だ。」
司令室の全員がソウマへ視線を向ける。
「なぜ俺なんだ。」
「被験体Sは、人ではない。」
「正確には、人間の脳を模倣した観測装置だからだ。」
ソウマの胸に痛みが走る。
今まで断片的に見えていた記憶が、一つにつながり始める。
白い研究室。
ガラス越しに立つ十三人の科学士。
そして、そのさらに奥。
誰も見ていなかった場所に、一人の青年が立っていた。
青年は笑っていた。
白衣ではない。
黒いコートを羽織り、右手には古びた懐中時計を持っている。
「やっと思い出したか。」
青年はソウマだけに微笑みかけた。
ソウマは思わず口にした。
「X……。」
その瞬間。
基地中の照明が消えた。
人工知能の警告音が鳴り響く。
「観測者を確認。」
「隔離プロトコル失敗。」
「歴史改変を検知。」
ハートブレイカーが顔色を変える。
「遅かったか……。」
暗闇の中で足音が響く。
一歩。
また一歩。
姿は見えない。
しかし、全員が足音だけは聞いていた。
やがて、空いていた第十三席の椅子がひとりでに引かれる。
誰も触れていない。
それでも椅子はゆっくりと動き、何者かが腰掛けた気配だけが伝わる。
「諸君。」
あの穏やかな声だった。
二百年前の記録と同じ声。
「ずいぶん長い推理だった。」
レイは銃を構える。
「姿を見せろ!」
「見えているさ。」
声は笑う。
「ただ、君たちの脳が私を"人"として認識できないだけだ。」
ソウマだけが、一点を見つめていた。
空席のはずの椅子。
そこには、ぼんやりと青年の輪郭が見えている。
「あなたがXなのか。」
「そう。」
青年は静かに答えた。
「そして、この事件で唯一、誰も疑わなかった人物だ。」
ソウマはゆっくり尋ねる。
「あなたが、全員を操っていたのか。」
Xは首を横に振った。
「違う。」
「私は一度も命令していない。」
「では、なぜ事件は起きた。」
Xは懐中時計を開く。
針は午後二時十三分十秒で止まっていた。
すべての犠牲者が命を落とした時刻。
「私は一つの問いを残しただけだ。」
「『心とは何か。』」
「その答えを求めて、科学者たちは互いを疑い、互いを利用し、互いに罪を重ねた。」
司令室に沈黙が流れる。
「つまり……。」
ソウマは低く言った。
「この事件の黒幕は、一人の殺人犯じゃない。」
Xは静かにうなずく。
「そうだ。」
「ハートブレイカー事件の真犯人は──」
「答えを求めすぎた知性そのものだ。」
その瞬間、ソウマは違和感を覚えた。
Xの懐中時計。
止まっていたはずの秒針が、わずかに一目盛りだけ動いたのである。
それは、この事件がまだ終わっていないことを告げる、静かな合図だった。




