おじいちゃんとお雑煮
久々の絵里ちゃん視点。そして正月ネタです(※もふもふ出てこないよ、ごめん
年末年始といえばなんだろうか。
年越しそばにおせち料理。二年参りとか初詣。紅白歌合戦に箱根駅伝。忘年会と新年会、あとは歳末セールとか大掃除、年賀状、お年玉?……まあ、庶民の世界は狭いながら思いつくものはいっぱいある。人によってイベント盛りだくさんだったりその逆だったり、ワクワクするものだったり気が重いものだったり。
我が家の年末年始は至って普通だ。大掃除をしたあとセール中のスーパーで食料諸々を買い込む。大晦日は蕎麦を啜りながらテレビを適当に見て、カウントダウンちょい手前になったところで親父と二人、近所の神社に二年参り。集まっていた近所の人達――田舎なので大抵顔見知り――と挨拶したあと、帰りついでに裏山の反対裾に在るお堂に寄って、そこにお供え。家に帰った後はひと寝入りして、起きたら寝ぼけ眼で届いた二人分の年賀状を分けてメールと一緒に確認したあと、親戚がちらほらと挨拶の電話を寄越すのでそれに対応して、そして――
あたしにとって年末年始ってのは色々やることが多くも、それなりに楽しい。物心つく頃には父子家庭だったので大変なことは他の家庭より多いかもしれないけど、もう慣れた。年の瀬の急患により親父がいないときとか、寂しいときはとことん寂しくなる環境でも、そういうものだと受け入れてしまえば楽になる。今の時代はテレビとかスマフォとか、一人でも暇を潰せる便利なものが溢れているし。そういうわけで、(反発してた時期もあったけど)あたしは割と平気だ。様子を見に来てくれる人もいたし、実際なんとかなってた。
ただ。
……年の明け、元旦当日にあるイベントがある。それだけは、何べん繰り返しても慣れない。普段は遠いところに住んでいる親戚が、我が家にやってくるのだ。
別にそのこと自体は悪いことじゃない、滅多に逢えないのだから逆に歓迎すべきだ。でも、あたし個人の本音としては少々気が重い。来客が、というより「その人」が苦手だから。
「その人」の名は泉川嘉臣。外国に本社のある大手企業の重役で、現在はアメリカ合衆国NY在住の男性である。
毎年毎年、「その人」は遠い国から日本の年明けに合わせ、プライベートジェットを飛ばして来訪する。……重要職に就いていて業務が詰まっていて、且つ別の家庭を持っているというのに。
それらすべてより優先させるのが、このひととき、らしい。
◆◆◆
「さ、……!」
玄関の扉を開けて出迎えれば、「その人」は何かを言いかけた口のまま、目を見開いて沈黙した。ふわあ、と白い呼気。
高そうな三つ揃えスーツを着こなした初老の男性である。すらりと背が高く、寒いってのに帽子とコート(これまた高そうだ)を行儀良く手にとってこちらを見下ろしている。見下ろすというより凝視、すなわちガン見状態。
(来たよ)
うわあと言いたくなるのを堪え、なんとか笑顔を作って応対する。
「ご無沙汰してます」
「……、……、ああ」
初老の男性は言葉に詰まりながら、短くそう返してくる。ガン見状態は継続のまま。毎度のことながら、見かけは品の良い紳士で素の会話も社交的なはずなのに、あたしと喋るときはどうしてこうなるんだろう。女子高生を初老男性がガン見って、立場と視線の色が違えばなんともアブない。セクハラだ。こういうのが外国の礼儀なんだろうか、と邪推したくなる。
もやもやするものを押し隠し、続けて笑顔を作る。
「あけましておめでとうございます」
「……ああ、おめでとう」
「どうぞ」
「……」
ぎこちない挨拶、気まずげな沈黙。ドア開けっ放しは寒い。入るよう促しても、なぜか固まったように動かない。勿論、ガン見状態で。
本当、なんなんだこの人。
「嘉臣さん、ご無沙汰です。あけましておめでとうございます」
「っ、ああ秀郎くん、久しいね。あけましておめでとう」
あたしの背後から親父が(エプロン姿のまま)声をかけると、途端に彼はあたしから目をそらした。まるで救いを求めるように義息にその視線を移し、ほっとしたような口調で滑らかに会話する。
「今、大丈夫かな?」
「勿論です。どうぞ、あがってください。少しお時間いただきますが、お雑煮も出来ますので」
「ありがたい。日本に来てから料理が毎回楽しみなんだ」
「飲みますか」
「いや、このあと支部に顔見せに行かなければならないから、非常に残念だが遠慮しておく」
これまた毎度のことながら、あたしを無視するかのように横をすり抜けて初老の紳士は玄関に入り、親父に上着と帽子を渡した。ふわり、漂う高級な香り。
「絵里、お餅頼むな」
「……うん」
親父の言葉にぼんやりと頷き、こちらに目もくれない後ろ姿を見つめる。
「天候が荒れてましたね。大丈夫でしたか」
「ああ。本格的な寒波も大晦日前に過ぎてくれた。ただ、この辺りは晴れているけれど米国と同じくらい寒いな。……」
靴を脱いできちんと揃えたあと来客スリッパを履き、親しげに会話を続けながら客間に向かっている。どうでもいいけど英国風のジェントルマンとエプロン姿の熊男ってちぐはぐ極まりないな。
「……」
取り残されたあたしはドアを閉めて、玄関に置かれた革靴を見つめる。親父が履くものとは違うサイズの外国製のそれ。横をすり抜けられたときに香った、この家には置いていない香水か何か。年に一度、我が家にやってくる「その人」の証し。
(やっぱ、ニガテ)
苦手な理由の一つは、先ほどの態度だ。ご覧の通り、あたしが話しかけても愛想笑いを向けても、あの人はそれっぽい態度を返してくれない。不自然に言葉に詰まるし、たまに無視するし、セクハラすれすれのガン見をしたかと思えばああいう視線のそらし方をする。
(わけわからん)
あれが、死んだ母さんの親父。つまりあたしの祖父なのだ。
(南山のおじいちゃんの方がずっと好きだな)
いつも機嫌良さそうに笑っている父方の祖父を思い起こし、正月に逢うならそっちの方がいいなあと考える。違う県にて叔父さん一家と一緒に暮らしている大工の棟梁なおじいちゃん。つい一昨年新しい孫(あたしにとっての三人目のイトコだ)が生まれたし最近足腰を傷めてしまったので頻繁には逢えなくなったが、あたしにとってはそっちの祖父の方が親しみやすい存在だ。
なのにどうしてだか、毎年正月に顔を合わせるのは、あまり好きでない母方の祖父。
「……まあ、別に悪くないけどさ」
何が悪くないって、単純にお年玉をくれる存在だから。フツウの十代って金づる……じゃない、そういう相手には愛想良くするよね?
(それに、親父も嬉しそうだし)
二十年以上前に離婚した妻とのあいだの娘、その夫であった男。普通に考えてもうとっくに縁遠くなったはずの義息と未だに仲がいいのは奇跡だし、律儀だと思う。歳は勿論、職場も住んでる国さえ違うのに。
律儀と言えば、孫に当たるあたしに対しても形式上は律儀で、遠く離れたところに住みながら色々なものを贈ってくれるし、実際高校の入学祝いにはたいそうなものを頂いた。お年玉くれるし(←強調)悪い人じゃない、多分。
(そういうことだから)
開き直りつつ、手の甲で鼻を触った。まだふんわりと玄関内に残る品の良い香り。あの人個人は苦手だが、この匂いは別に嫌いじゃない。見かけの雰囲気も渋さと甘さ両方あるロマンスグレーっていうの?外国の俳優さんみたい。客観的に見てかっこいい人なのだ、素だったらあたしだってキャーキャー言ってたかもしんない。
でも、態度はあんな感じ。まったくもってちぐはぐだ。
らしくもなく溜息だって出ちゃう。
(――もういいや。アレコレ考えてもムダだもん)
今回の年始も気が重いイベント続行中。そういうことにしとこう。
◆◆◆
『――ねえお父さん。よしおみさんは、お父さんにあいに来てるの?』
『違うよ。嘉臣さんは、絵里に逢いに来ているんだ。おじいちゃんだからね』
『ウソ。だってよしおみさん、えりのことムシするよ。えりのこと、き、きらいなんだ』
『そんなことはないよ。それに「嘉臣さん」じゃなく「おじいちゃん」。絵里がおじいちゃんって呼んであげれば、きっと喜んでくれる』
『イヤ!』
『どうして』
『だって、あんなの、おじいちゃんじゃないもん!』
『ッ絵里、なんてことを言うんだ……!』
◆◆◆
来客用ハンガーに掛けられた高級コートと帽子、先ほど家の前から離れていった外車。それが示すのは世界の違いだ。異国の庶民とは縁遠い場所にいるだろう人が、わざわざプライベートジェットなんぞを飛ばして片田舎の看護師宅に赴く理由。
前に、親父に訊いたことがあった。親父は答えた。でも、あたしは信じなかった。
(違う。あの人が見てるのは、あたしじゃない)
血縁なりの直感というか、わかってしまうのだ。あたしをガン見するその表情は、何やら意識ここに在らずというか、「あたし」個人を見てない。誰かに重ねている。
『さ、……!』
あの言いかけた声が続けただろう言葉を、あたしはしってる。わかってる。あの人は『さえこ』って言おうとしてたんだ。
紗絵子。つまり、死んだ母さんの名前。
(つまりは、亡き娘の代わりってやつ?)
台所でスマフォを手持ち無沙汰に弄っていたら、餅が焼けた。程よく焦げ目が付いているそれを醤油で味付けした鰹出汁の中に潜らせ、ほんの少し火を通す。形が崩れない程度に柔らかくなったらお浸しと一緒にお椀に入れ、上から大根おろしと細く切った柚子皮を載せて完成。これが我が家のお雑煮だ。
お椀をお盆に載せ、客間に渋々と向かう。母親に瓜二つだというこの顔が正月限定で憎たらしくなるのは、こんな時。顔を合わせるたび、会話をするたび、あの人の反応は決まっているから。
「どうぞ。熱いので、気をつけてください」
「……、……ああ」
お椀を差し出すと、こちらを見ず、表情を固まらせたままそう返す老紳士。さっきまで親父と楽しげに会話をしてたってのに、あたしが場に現れてからこういう感じ。ぎくしゃくとした空気の中、またも出そうになった溜息を押し殺す。
(ほらね)
そういうことで、あたしは「嘉臣さん」がどうしても苦手で、いまだに「おじいちゃん」と呼べない。
・
・
・
「――美味い。やっぱり雑煮は日本で食べるものに限る」
「それ、前にも言ってましたね」
「ああ。教えてくれた材料とレシピで試してみたことはあったけど、やっぱり何かが違う。こういうのは気持ちなんだろうね」
日本庶民のおこたにきちんとした格好のジェントルマン。なんともミスマッチだが、不思議にしっくり来ているのは本人の所作が綺麗なためか毎年のイベントであるからだろうか。
「美味い。出汁が効いていて柚子の香りもあって、最高だよ。あまりこういうことに語彙が無くて悪いね」
「そんなことはありません」
格好こそ外国の上流階級っぽいが、やっぱりこの人は日本人なんだなと思う。お箸を丁寧に扱い、背筋をぴんと伸ばして上品にお雑煮を口に運んでいる。どうでもいいけど。
お年玉も貰ったことだし、あれからすぐ客間から退散しようとしたけど親父に視線でとめられた。お陰でぶすっとした心地のままストーブの前に突っ立ってる。あたしは空気だ。
「最近はトシのせいか、疲れやすくてね。でも日本食を食べると不思議に元気になる。特に、秀郎くんの作ったものを食べると」
「そこまで言っていただけると恐縮ですなぁ」
白黒の炬燵布団の上、お雑煮を仲良く啜る熊男とジェントルマン。
「本音だよ。母国にやっと帰ってきたような気持ちになって、ほっとするんだ」
にこにこと暖房で温まった顔で品良く微笑んでいるだろう老紳士に対し、親父はいかつい顔をにまにまと和ませ、こう返した。
「それは良かった。今年のお雑煮は全部絵里が作ったものですから」
かちゃかちゃん。何の音かと思ったら、卓上にお箸が転がって慌てて取り押さえた音だった。
「あ、済まない、もう一度、」
「だから、絵里が作ったんです」
お箸を押さえた手元のまま、ぎこちなく、こちらを振り向く顔。先ほどまでの完璧なマナーはどこへやら、完全に動揺している。
「本当、か」
「本当です。これ、お出汁も絵里がとったんですよ。だよな、絵里?」
「うん」
頷くと、グレーの睫毛はせわしなく瞬いた。そしていつもの言葉に詰まった素振り。
「……、……、」
ちょっと傷つく。さっきまで美味い美味い言ってたのに、今のこの反応はなんなんだ。あたしが作ったものだからってそんなに動揺する必要がどこにあるんだ。
「……」
またも謎のガン見に遭ったので、今度はこちらから視線をそらす。イヤならはっきり言えばいい。
親父の声が、促すように名を呼ぶ。
「嘉臣さん」
「……、……、」
何度か、息を吸う気配。そして。
「……、とても、おいしい。ありがとう、絵里ちゃん」
ぽっと耳たぶに熱が集まった。ストーブの設定温度高めにしすぎたかなと考えつつ、あたしはこっくり頷いた。どんな人であれ、褒められるのもお礼も普通に嬉しい。あと久しぶりに名前、呼んでくれた。
灰色の視線の主は、まだ見れない。どういう顔をしているんだろう。
「というわけで嘉臣さん、」
無言のままの彼に、親父はにまにまと追い討ちをかけた。
「食べ過ぎないでくださいね」と。
――年始の気が重いイベント。それはいつまで続くのかわからない。そんなに頻繁に交流があるわけでもないけど決して忘れることも出来ない、不思議な親戚は今年もこうやって我が家にやって来た。そして泊まることなく、半日も満たない時間ですぐに別の場所へと発った。たっぷりのお年玉と空のお椀(何杯もお代わりしたので若干苦しそうだった)、こちらの胸に何か中途半端なものを残して。
ハンパな態度、ぐじぐじとした感傷が嫌いなあたしだけど、どうしても「その人」を割り切ることが出来ない。だって「その人」は、こうやって逢いに来ては、確実に何かを残していくから。ぎこちなくも確実に、よそよそしくも何かを言いたげにこちらを見つめて、そして何も云わない。未だ好きになれないけど、でも、嫌いでもない「嘉臣さん」。
だから、ほんのちょっと悔しい思いも抱えつつ思う。
(しばらくは、娘の代わりでもいいよ。……お年玉くれるうちは)
親父の言うように「おじいちゃん」と呼べるのはいつになるのかな。
嘉臣さんがどうして絵里に対しこういう態度なのか、これからどうやって孫との関係を修繕していくのか、別の話で書こうと思っています。
「さっちゃんとぼく」並び以前載せた活動報告の小噺を読んでくださった方なら、全容をうっすら察してしまわれるかもしれませんがw