↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
22/23

22 誠実なる者たちの集い

 王英基が創立したベンチャー企業、株式会社シンセリティは、社員数が50名という中小零細企業に分類される小規模な会社である。

 森林幸一と小学校1年生から高校卒業までずっと同じクラスに所属しており、大学も学部こそ違えど同じ学校という非常に長い付き合いだ。

 株式会社シンセリティでは、AIを使用したデータ分析サービスを提供しており、優秀な技術者を必要としていた。

 加えて、この2年間で新たな社員が10名以上増えたということもあり、管理部門強化が喫緊の課題となっている。王にとって人材確保と、採用した人材をどうやって会社に留めるかというのは、目下のところ最も重要な課題のひとつだ。

 英基は日本生まれ日本育ち、日本の大学を卒業して、東証一部上場で日本人なら9割程度はその名前を聞いたことがある、というような超一流企業に就職した。

 技術者として採用された会社で、英基は絶望した。

 人間が人間として扱われないことを『当たり前』と受け入れなければ居場所が保てない。

 真面目な者が損をして、誠実なものが馬鹿を見て、不誠実でも要領さえ良ければ出世する。そんな企業風土は、我慢強いはずの英基にわずか3年で退職と独立を決断させるのに十分なものだった。

『真面目に仕事に取り組む者が損をしない、誠実さが誠実に評価される、善良な人がきちんと働ける会社を作る』

 それが、25才の王英基が一生の課題として決断したことである。

 台湾人の父を持つ英基が、国内の台湾人コミュニティで当時九州大学に留学していた黄日華と知り合ったのは、会社を作り上げた直後のことだ。

 九州大学の経済学部卒業を間近に備えた黄日華、リーファは歳の近い英基と挨拶を交わし、会社を立ち上げたばかりであることと、英基が作り上げたい会社の姿を聞かされたその日の内に、共に理想の会社を作り上げようと若き社長の手を取った。

 英基をCEOとして、そしてリーファを最高販売責任者、最高戦略責任者両方の意味を持つCSOとして、たった2人で作り上げたのが株式会社シンセリティ。『誠実』を意味する言葉を冠した会社である。

 企業理念は『誠実なる者たちの集い』であり、社訓は至極単純なものがオフィスに掲げられている。

『善き人であれ』

 達筆な英基が自ら筆をとって書いた額を見上げていると、カジュアルな服にリュックサックという姿の若い男が、笑顔でひょいと手を挙げてきた。

「お先失礼します、社長」

「あぁ、お疲れ様」

 就業時間からわずか30分、オフィスの中はほぼ無人になっていた。

 おそらくは日本国内で働くサラリーマンが『こうだったら働きやすいのにな』と思う環境が、シンセリティではほぼ理想的な形で実現されている。

 きちんと成果を出す、ということが当然のように要求されるが、信賞必罰が徹底されており、ゴマすりや『要領よく立ち回れば成果を出さなくても良い』といった悪しき日本の企業習慣からは切り離されている。

 マネージャーや部長と言った管理職に就くものには、マネジメント能力に加えて高いモラルが実務能力よりも要求される。プレイヤーとして優秀なだけでは、マネジメントに長けているだけでは、シンセリティでは決して管理職にはなれないのだ。

 英基が考える『企業というものはこうあるべきだ』という姿を、日本の法のもとで実現できる範囲で最大限に実現したと言える。

 もちろん、凡庸な経営者であれば、そのような会社を作ったところですぐに破産してしまうだろう。だが、シンセリティで働く者にとって幸いなことに、社長の英基と副社長のリーファは、実に非凡な経営者であった。

 博覧強記にして人当たりも非常によく、さらに5ヶ国語を自在に操る抜群のコミュニケーション能力、さらに先見の明としか言えない卓越したビジネスのセンスとスキルで、カリスマ社長とまで評価されるようになっている。

「英基(インジー)、你還沒下班嗎(まだ帰らないの)?」

 そんな英基の右腕として販売戦略の立案や実行をになっているのが、副社長であり王の妻であるリーファだ。

「我快下班了(もう終わるよ)。|今晚在哪裡吃晚餐《今日の晩御飯はどこで食べる》?」

「現在還早(まだ早いじゃない),|我回家後再煮飯《帰ってから私がつくるわよ》」

 少し嬉しそうな表情のリーファは、英基のすぐ正面の席に腰掛ける。

「いかんいかん、ダメばい。日本におるとやったら日本語で喋らんばね」

 中国語から突然博多弁になったリーファは、日本語で最も話しやすいのが九州大学在学中にマスターした博多弁という、ちょっと変わったクセをもつ人物だ。

「早よ帰らんば、晩ご飯の遅うなるよ?」

 標準語の、絶妙にイントネーションに乏しい発音が難しいというのがリーファの談であり、ある程度の抑揚がある九州の方言はリーファにとって発音しやすいものである。

 そのため、ビジネスの場で標準語を喋る必要があるときには、ちょっと日本語慣れしていない外国人、という喋り方になってしまう。

「そうだね、じゃあ行こうか」

 ふぅ、と深呼吸をしてから英基はノートPCを閉じ、ジャケットを手にとって立ち上がる。

「で? 今日は何食べる?」

「何(なん)の良かかしらねぇ……確か挽き肉の残っとったけん、ハンバーグでも良かしボロネーゼば作っても良かし、挽き肉カレーでも良かし……」

「挽き肉カレー、良いね。キーマカレー的なやつか」

「そうそう、じゃ今日はカレーば作ろうか。また洗い物は任せるけんね」

「はいはい」

 オフィスの施錠を済ませて、まだ大勢のビジネスマンが行き交う街を駅へ向かって並んで歩く。

 会社を立ち上げて8年、結婚してからは5年。英基は32歳、リーファは30歳だ。二人とも年に1度は台湾への里帰りをしており、毎年旧正月の時期に会社は臨時で1週間ほどの休み期間を設ける事になっている。

 社員50名の内45名は日本人で、英基とリーファ以外にも台湾出身の社員が3人在籍している。

 オフィスの近くには点心の店もあり、外食の際には良く立ち寄るのだが、ここ2年ほどリーファは料理に凝り始めていた。

「日本は食材ば買ってきて、すぐ食べられるけん良か。何ば買うても美味かし、自分で作れば好きなモノば好きなだけ食べれるけんね」

「食べすぎてくれるなよ? 元モデルの経歴が泣くぞ?」

「モデルて、地方紙の読モやかね、あげんと別に経歴にはいらんさ」

 けらけらと笑うリーファは、道ですれ違う男性が何人も振り返るほどの美女である。

 ミス九州大学のコンテストで3位に入ったこともあり、地方局の女子アナ枠も狙えるのでは、と言われていたのだが、そんなリーファの進路が『社員がまだいない、出来たばかりのベンチャー企業』に就職したというニュースは、同じゼミの仲間を大いに驚かせたものだ。

「モデルはモデルばやりたか人がやれば良か。ウチは別にモデルになりたかったワケじゃなかもん。そいより面白そうな仕事のあったけん、そっちに行っただけっちゃ」

「あはは、それでどうだった? モデルの仕事と、シンセリティの仕事を比べて」

「断然こっちの方が面白かぁ……まぁ確かに大変かけどさ? そいでもやりがいは絶対こっちの方が大きかって。楽じゃなかし難しかけど、その分上手く行ったときの達成感は断然こっち!」

「よかった」

 穏やかに笑みを浮かべる英基も、元モデルの妻と並び立って遜色ない風貌だ。

 長い髪をポニーテールのようにまとめ、メガネをかけているインテリらしい容貌と、程よく鍛えられたいわゆる『ソフトマッチョ』な体型は、ほぼすべての東アジアの女性にとって視線を奪われるレベルのものである。

 美男美女の組み合わせで、おまけに社長と副社長という誰もが羨む2人は、ごくごく当たり前に電車に乗って4駅ほど先の自宅マンションへと帰り着く。

 誰もが羨むセレブの生活、といったものとは程遠い、ごくごく普通の庶民的な生活だ。

 リーファがまだ不慣れな手つきで料理をして、英基は家の片付けや洗濯乾燥機のなかで乾燥を終えた洗濯物を畳む。

「インジー、ビール要る? 良う冷えとるよ」

「あぁ、ありがとう。貰うよ」

 素朴な食事を終えてから2人でゆっくりとビールを飲み終えても、まだ20時頃だ。英基が最初に就職した会社では、まだこれから一仕事という時刻で、何なら21時を過ぎても会議が組まれるような日もあった。

 当時の上司は、英基が休日出勤をしようが深夜残業をしようが、必ず職場にいたような人物である。いったいいつ休んでいるんだろう、と疑問に思い英基が『前いつ休んだんですか』と尋ねても、上司は『覚えてない』と当たり前のような表情で語った。

 その上司は、ある日2日休んだかと思うと、げっそりとやつれ果てた顔で出社してきたことがある。

 だが、周囲の者は誰一人として上司を気遣うでもなく、ただノートパソコンに向かって無言で仕事をしていた。

 英基が尋ねると、なんと上司は『嫁と娘が出ていった。離婚した』と言葉少なに語った。その後しばらくして上司は退職したが、噂話で聞いたところに寄ると、あまりにも家にいなかった上司は、妻から『結婚していないのと同じだ。娘の運動会にも出ない、家族との約束も護らないような人を、娘に父親と呼ばせたくない』と告げられたのだという。

 週に1度か2度家に帰る程度であった上司に、娘は『お父さんおかえりなさい』ではなく『おじさん、また来たの』と出迎えていた。が、そんな事に違和感を持つことも出来ないほど、上司は疲弊していたそうだ。

「まだ20時ちょい過ぎか」

「ねぇインジー」

「ん? どうした?」

 ビールのせいか、リーファは少し赤らんだ顔をぐい、と英基に近づける。美しい顔が上気して、いつにもまして色香に満ちた姿だ。夫でなくても、男なら誰でもが心拍数が20か30くらいは上がってしまう人がいない。

「ウチ、子供が欲しい」

 これ以上無いくらいわかりやすい言葉だった。

 リーファは今年30歳になった。日頃から『子供は最低2人、出来れば3人』と語るリーファにとって、あまり時間的に余裕がある訳では無い。

 こと、と空になったビールの缶をテーブルにおいて、美しい妻は夫にもたれかかる。

「ね? まだ夜9時にもなっとらんよ。……ね? 良かろ?」

 美しい妻の上気した顔の上目遣いに抗える男などいるはずもない。

 英基はにこ、と笑みを浮かべて、リーファの明るい栗色の髪を優しく撫でる。

「先に風呂を済ませようか。もうすぐお湯もたまる」

「んふふ、一緒に入る?」

「お、言ったな? じゃあ一緒に入るか」

 楽しげな声で笑いあったあと、美男美女の夫婦はゆっくりと立ち上がり、2人並んで浴室へと向かっていく。

 英基とリーファの、ここ数ヶ月の日常の風景だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。