21 賑やかな森林
森林家は、完全に女性主体の家庭である。
父親は3年ほど前に病気で他界しており、母と幸一、そして一卵性双生児の亜美と真美の4人家族だ。
「てかさお兄ちゃん、未だにおねーさんとちゃんと付き合ってないの、マジありえないんだけど」
リビングでスマホをいじっている兄、幸一を睨みつけたのは双子の姉、亜美だ。
「何だ何だおい、いきなり何の話だ」
「いや何の話だじゃなくてさ。今日大姉さんとハナシしたの」
「誰だ大姉さんって。っていうかねーさんって」
「大草美幸さんに決まってんじゃん! っていうかさ? 告白くらいしたの? ひょっとしてフラれた?」
「……お前さっきから何の話だよ」
「お兄ちゃんとおねーさんが未だにちゃんと付き合ってないのがあり得ないってハナシ」
「相変わらずいきなりだな」
豆乳を豪快に飲みながら兄をジト目で睨みつける亜美の後ろから、同じく豆乳を注いだグラスを持った真美が歩み寄ってくる。
「で、お兄ちゃん告白は? した?」
「いや、ちょい待てお前ら」
「まさか? 毎日のようにお弁当作ってもらっておいて? 唐揚げとか竜田揚げまで作ってもらっておいて? それでロクにお礼もせずに? おまけに今の『付き合うか付き合わないかの微妙な関係が楽しいんだよ』ばかりにド中途半端な関係のままで? 女心を弄んで?」
「いやいやいや人聞き悪い表現やめろ。……いや、お前なんで竜田揚げの話とか知ってる?」
「大姉さんに聞いた」
「だから大姉さんって誰だ」
「は? 美幸ねーさんのお姉さんに決まってんじゃん?」
まるで当たり前の事を語っているかのように吐き捨てて、真美は亜美の隣に腰掛け、豆乳を豪快にあおる。
「いつの間に仲良くなってんだお前ら」
「えー? 超いい人じゃん大姉さん。おねーさんの事超絶大事にしてるしさ? 信頼できるお姉様って感じで」
「そうそう。でさぁ? お兄ちゃんいつになったらおねーさんと付き合うの? あんな真面目で優しいおねーさんの事、匂わせるだけ匂わせておいて結局ポイ、とか絶対許さないから」
「てかさ、もう早よ付き合えってマジで思う」
「「ねー」」
双子姉妹は、美貴と話すときだけではなく、普段からテンポの早い会話を延々続けて、さらに要所要所で完璧なハモリを見せる。
ただでさえ口で勝てない妹ふたりに加え、この日は妹たちと同じくらい口の回転が滑らかな母まで参戦してきた。
「何? 幸一あんた彼女出来たの?」
「ねー聞いてママ。お兄ちゃんさ、めっちゃ真面目で優しくて、内気でおとなしいおねーさんに毎日のように弁当作ってもらうような仲になってんのに、付き合ってないって。あり得なくない?」
「ちょっと待て亜美、お前――」
「そうそう! おまけにさ? 唐揚げ超美味かったとか言ってんのに、ろくにお弁当のお礼もしてないの。どう? どう思う? ねぇ」
「幸一、ちょっと座んなさい」
「座ってるだろ……」
今は亡き幸一の父も、今の幸一のように女性陣3人に口では一度も勝てた試しがない。その父に似た幸一が、非常に口の回転数が早い女性3人に言い返せるはずもなかった。
「あんたねぇ、クッソ真面目な性格してんのにダメよ? 女の子に対して誠実じゃないのは」
母の杏南は元ヤンという事もあってか、一時期は口より先に手が出るタイプであったが、さすがに子どもたちが12才になってからは手を出すことは一切ない。だが、元ヤンの習慣なのか非常に遠慮のない物言いは若い頃から変わらない。
「まぁお兄ちゃん、真面目すぎて前の彼女にフラれたってのは知ってるけどさ」
「でも真面目なおねーさんにはやっぱ真面目に答えなきゃじゃない?」
「いや、ちょっと待て。母さんも待って」
「ほう、待とうじゃないの、聞こうじゃないの。ハイじゃあ亜美真美、お口チャック」
まるで幼い子供に対する言い方のようだが、亜美も真美も素直に口を閉じる。
「じゃ幸一。その、何て名前? どこで知り合ったの?」
「……なんで母さんにンなこと言わないといけないんだよ」
「良いから。たまにゃ幸一の恋バナだって聞きたいわよ。ねぇ? 亜美真美?」
「「聞きたい」」
またキレイにハモった返事で、同時に大きく頷いた。
はぁ、と諦めたようなため息を吐いて、テーブルに置いていたホットコーヒーを飲んでスマホをポケットにしまう。
「大草美幸さん。こないだ辞めた会社の同僚だよ」
「へぇ、亜美真美のハナシだと真面目な子みたいね? で? 優しくて? 気弱で? 内気で? 責任感強くて? 自己評価低めで? んで弁当作るのが上手、と」
「おい亜美真美、お前ら――」
思わず妹を睨みつけるが、二人ともに同時に左右それぞれに視線をずらす。
「良いから良いから。その美幸ちゃんだったっけ? その子とは仲良くしてんでしょ? 今も連絡してんの? 会ってる?」
「ま、まぁ……今日も会ったよ」
「は? ちょ待ってお兄ちゃん? 今日っていつ? どこで?」
思わず真美が身を乗り出す。
亜美と真美が美貴と作戦会議をしたのが今日の昼のことだ。まさかそんな中に本人同士が会っていたとは知らなかったのだ。
「だからなんでお前に――」
「まぁまぁ幸一。今日もその子と会ってたんだね? 2人で?」
「2人だよ」
「つまりは、その子とはプライベートで、2人っきりで会うくらいには仲が良いってワケだ。ここまでオッケー?」
「お、オッケー……」
「じゃ次。幸一はその子と付き合いたいと思ってんの? いわゆる彼氏彼女の関係になりたいと?」
「そ、そういうのは、相手の事も考えないと」
「今聞いてんのは幸一の事。あんたはどうなのよ。自分の考えを相手のせいにすんじゃない」
杏南は腕組みをして、ふんぞり返るようにして息子を見下ろした。
元ヤン杏南は、筋を通さない男、約束を守らない男、つまり『不誠実な男』が大嫌いである。
どれくらい嫌いかを端的に表すと『夏に寝ようとしてウトウトしてきたときに耳元を通る蚊』や『大事に育ているプランターの花につくカイガラムシ』だの『辛いの苦手だから抜いてくれと言ったのに山盛りのコチュジャンをスープに混ぜて出してくるラーメン屋』だのと、実に独特な表現でコキおろしている。
そんな彼女が息子の幸一に繰り返し言って聞かせたのは『誠実な男であれ。誠実でないヤツは私がボコす』という、この上なくどストレートな言葉だ。
その言葉が決してウソではないことを示すかのように、杏南は息子を見下ろしながらボキボキと指の骨を鳴らしている。
「思ってるよ……思ってるに決まってんだろ。あんな真面目でさ、報われなくても頑張り続ける健気な子、付き合いたいって思うの当たり前だろ。あぁ思ってるさ、付き合いたいって。でも大草さんは真面目だから、こっちもちゃんと将来のこととか考えた上でじゃないとダメだって思っ——」
びし、という鋭い音。
「いってぇ!」
母杏南の強烈なデコピンが息子の額を弾く。
睨みつけるような目つきで幸一を見下ろす杏南は、さも呆れ返っていると言わんばかりの長いため息を吐いて、すぐ側にいる双子の娘に何らかのハンドサインを送る。
亜美と真美は同時に頷いて兄の両腕を抑え込む。
「な、お前ら何、ちょっ、放せ」
「歯ぁ食いしばれ」
再びびしっという鋭い音。マニキュアでコーティングされた硬い爪を使ったデコピンが、再び幸一の額に炸裂する。
「デコピンに歯は関係ないだろ!?」
「黙れ。……ったく、男が何をグジグジグジグジと。さっさと告ってこい。ダメならダメで当たって砕けてこい」
「大丈夫ママ、どう見ても両片思いだから」
「そうそう。おねーさんも軽く押しただけですぐ落ちるから」
「っていうかおねーさん絶対待ってると思う」
亜美と真美は、全く同じ声質で幸一の左右からステレオ音声で素晴らしい連携の解説を挟んできた。
「おねーさんのお姉さん、大姉さん情報だと、もうおねーさんはオチてると思う」
「大姉さんも『早よ付き合え』状態でさ」
「私たちも正直見てて焦れったいの」
「私、お兄ちゃんの結婚相手は真面目じゃないとムリだと思うけど、おねーさんなら完璧だと思う」
「そうそう、ていうかおねーさん以外、私は認めない」
「「ね」」
最後に再びシンクロを見せると、杏南は満足げに頷いた。
「よし幸一。電話しな」
「は? 誰に?」
「お前の彼女に決まってんだろ! 次のデートの約束! それで次でキメて来い! ってか告って付き合うまで帰って来るな」
「い、いやちょい待てって! 意味がわからん!」
「意味わかんねぇのはこっちだバカ息子! 私はバカだけどな、自分の息子を、真面目な女を弄ぶようなクソ男に育てた覚えはないんだよ! 惚れた相手なら手前ぇから告って来い!」
実に豪快な母の物言いに、2人の娘は完璧なシンクロで『『そうだそうだー』』と同調する。
「彼女にして、それからウチに連れて来な。幸一が好きなモンとか教えなきゃだろ」
「早くねぇか? それに大草さん真面目なんだから、母さん見たら怯えるだろうが」
「こういうのは早いほうが良いんだよ。それに私を嘗めんな、息子が彼女連れて来るときくらい髪も黒くするし真面目にする」
普段茶髪に染めている杏南は、普段カー用品店で勤務している。国家資格を持つ自動車整備士だ。
普段の仕事着はツナギで、商売道具はスパナやドライバーという技術者である。幸一の技術者としての基本姿勢は、母から受け継いだものであるとも言える。
給料は決して高くはないものの、夫の遺産や趣味でやっている整備動画配信での副収入で、娘二人を大学にやるくらいの財力は持っていた。
工業高校に通っていた頃は金髪に染めピアスを開けるなど、何かとやりたい放題であったが、実は根は真面目である。
ただ、その真面目さが勉学方面に向かなかっただけで、人間的には非常に誠実なタイプに分類される。
「幸一の彼女ってなりゃ嫁候補だろ。嫁をイジメる姑にだけはならないから心配すんな。だから安心して、当たって砕けてこい。母親として骨くらいは拾ってやるよ」
「普通の母親のセリフじゃねぇよ……」
げんなりとうなだれた幸一の両腕を押さえつけたままの亜美と真美は、兄に見えないアングルでニヤけ顔を見合わせる。
「さぁお兄ちゃん、覚悟決めな?」
「おねーさんといい加減くっつきなよ」
「でないと私たちも大姉さんも、胃に穴あくよ?」
「何なら私たちも手伝うし?」
「よし、亜美真美、あんた達も邪魔しない程度にガッツリやんな」
「「はぁいママ」」
若々しい母杏南に双子の姉妹亜美と真美、3人の女たちは不敵な笑みを浮かべる。
幸一はげんなりとうなだれ、心の底からのため息を繰り返すこととなった。




