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23 欲しいものは何ですか

 家で缶ビールを開けていた美貴のスマホが可愛らしい着メロを奏でる。最近お気に入りのアニメの導入歌だ。

 液晶ディスプレイを見ると『美♡幸』と表示されている。

 キンキンに冷えたビールをぐいと飲み込んで上機嫌になった美貴は、風呂上がりの実にはしたない格好のままスマホを持ち上げた。

「もしもしぃ? お姉ちゃんでぇす。どした?」

『お、お姉ちゃん、あの、あのね? あの、私どうしよう』

「何? なにかトラブル?」

 美幸の声は、戸惑ってはいるものの何かを怖がっているようなものではない。むしろ少し浮かれたような、喜んでいるかのような声色だ。

 美幸の姉を24年も続けていると、妹の声色一つで、深刻なトラブルで困り果てたときの『どうしよう』と、目の前に並べられた美味しそうなケーキを選ぶときの『どうしよう』くらい、電話越しでも簡単に聞き分けられる。

 今日の美幸の『どうしよう』は、明らかに後者だ。

「トラブルじゃないな? よし、皆まで言うな。当ててやろう」

『えっ? お姉ちゃん?』

「男か」

 電話の向こうで美幸が息を呑む音が聞こえる。

『な、えっ、えっ?』

「森林さんだろ」

『え、お姉ちゃん怖い』

「デートに誘われた」

『な、なんで? えっ? 盗聴器?』

「誘われたけど着ていく服がない」

『なに? え? どこ? お姉ちゃんどっかカメラ仕掛けてる? ビデオ通話になってないよね?』

「ふっふっふ……可愛い妹の事なんざお姉ちゃんにはまるっとお見通しよ」

 実は美貴の下には、双子の亜美真美から事前情報がもたらされていた。

『ウチのお兄ちゃんが、おねーさんをデートに誘うかもしんないっす。きっちり告るって言ってましたんで、援護体制整えます!』

 という、実に有益な情報が今日の朝早くに美貴のスマホに届けられていたのだ。当人達が知らない間に、周囲の協力体制は異様に強固なものになっている。おまけに現在は幸一の母、杏南まで加わり包囲網はほぼ完全なものになっている。

「で? いつ?」

『あ、あの……再来週の、土曜日……』

「よし。フリーな土日が1回あるね。美幸、今日から予定は?」

『何にもない』

「うん、知ってた。じゃあだ、明日服買いに行くよ。私も明日定時ダッシュするから有楽町駅に17時待ち合わせ。良い?」

『えっ? あ、明日? 明日行くの?』

「美幸、良い? お姉ちゃんは心配なの。美幸の初デートでしょ? 森林さんといい感じになりたいんでしょ? 出来ることなら彼氏彼女の関係っていうかオトナの関係になりたいんでしょ? どうなの?」

『え、えぁ……それは、その…………うん……なりたい』

 何故か美貴が拳を握りしめて大きくガッツポーズ。『ッッしゃ!』という変な声は、かろうじてスマホを口から外していたおかげで美幸にはよく聞こえなかったようだ。

『お姉ちゃん? 今の何の音?』

「ん? なにか聞こえた?」

『……いや、えっと……じゃあ明日、5時だね? 私何か持ってった方が良い?』

「大丈夫、何もいらない。あ、出来ればアクセサリー……持ってないよね。うん、知ってる。じゃあ覚悟だけしておいで」

『な、何? 何の覚悟? えっ? お姉ちゃん怖い』

「大丈夫大丈夫、怖くない。任せなって、悪いようにはしないから。じゃあ明日5時にね」

『……う、うん……』

 ぷつ、と丁寧に通話終了ボタンを押して、美幸は若干だが後悔を感じ始めていた。

 相談する相手を間違えたかもしれない。だが美幸には姉の美貴以外の相談相手などいない。要るとしたら少し離れた場所に住む母の早苗か祖母の幸子くらいだが、さすがに母親や祖母相手に恋愛相談が出来るほどの度胸は美幸にはない。

 となると、もはや相談相手は一択、美貴しかいないのだ。

 ふぅ、とため息を吐いてからシャワーで濡れた髪をドライヤーで乾かしてから、いつもの日課として日記を書き始める。

 愛用のペリカンの万年筆で今日の出来事を短く書き記す。

『生まれて初めてデートに誘われた。何を着て何をすれば良いんだろう。つまらない女だと思われたらどうしよう。誘ってくれたということは、もっと仲良くなれると思っていいのかもしれない』

 と、美貴や亜美真美が見たらあまりの焦れったさに地団駄を踏みそうなことを書いて一度ペンを置く。

 しばらくじっと日記帳をペラペラとめくり、ここ数ヶ月の出来事を見返す。

 所々に、やたらと『木』の字ばかりの名前が登場する。ここ1ヶ月は毎日最低5回は『木』の字を書いていた。

 森林、という木の字だけで構成された名前を指でなぞり、日記帳を収めている引き出しの奥に手を入れると、真鍮製のケースを取り出した。

「……お祖父ちゃん、これくらいなら良いよね……?」

 ドイツ製のやや古い万年筆のキャップを外し、ペン先に少しだけインクをつけると、日記帳にさらさらと短く書き足した。

『森林さんともっと仲良くなりたい』

 丁寧にペン先のインクをティッシュで拭き取ってキャップを締めてから、何故か美幸はくすっと小さく笑い声を漏らす。

「そっか、ただの思いこみだっけ。文字にならない言葉、じゃないもんね」

 そう一人呟いてから日記帳とペンケースを片付けて、そっと引き出しを閉じる。

 しばらく机に向かって文庫本を読んでいると、スマホが可愛い通知音を鳴らした。メッセージの受信を知らせる音だ。

 まだ慣れないスマホに四苦八苦して、ようやくメッセージアプリを起動すると、未読メッセージが1件プレビュー表示されている。

『再来週の土曜は車で迎えに行きます。スポーツとかは無いけど、お互い気楽な格好で行きましょう。乗り物酔いとか大丈夫ですか?』

 幸一からのメッセージだった。

 一気に美幸の表情が明るくなり、実にたどたどしい手つきで少しずつ文字を入力していく。

『ありがとうございます、たのしみにしてます。のりものよいだいじょうぶです』

 漢字変換を忘れて送信したのにも気付かず、美幸はうっとりと惚けたような表情でスマホをぎゅっと胸に抱えて、実に十分ほどはだらしない笑みを浮かべていた。

 メッセージを送った相手がそんな状態になっているとも知らず、幸一は自室のノートPCのキーボードを軽やかに操る。

 ブラウザの検索キーワードに『関東 ドライブデート おすすめ 高評価 レビュー』とまぁまぁな数のキーワードが並べられている。

 外付けの液晶モニターにはグーグルマップで地図を表示しており、画面はさいたまや群馬、山梨に長野といった範囲を映し出していた。

「さぁて……どうするかな」

「幸一」

 突然部屋のドアが開く。

「母さん、ノックぐらいしろって何回言えば」

「まぁまぁ。で? どうすんの? ドライブデート?」

「いや、息子のデートに口出しすんのってどうよ?」

「気になるじゃん。息子に嫁が出来るかどうかの大事な局面なんだからさ」

 まったく悪びれる様子もなく、杏南は思い切り歯を見せる笑みを浮かべ、両手を腰に当てた。

「土曜日だろ。まさか日帰りとかしないよな?」

「日帰りに決まってんだろ。それから亜美真美、気付いてんぞ。盗み聞きすんな」

「「盗み聞きじゃないでーす、盗聴でーす」」

 母同様、1ミリグラムも罪悪感など抱いていない笑顔で亜美と真美がドアのスキマから顔をのぞかせていた。

「……ったく……出かける」

「え、ちょっとお兄ちゃん? なんで? 今から?」

「家に居たら落ち着いて考え事とか出来ねぇだろ」

「えー? おねーさんと同じ二十代女子の意見要らないの?」

「お前らの意見は参考にならん」

 真美の提案をとりあえず却下してカバンにノートPCを収め、幸一は本格的に家を出る用意を整える。

「じゃあアタシがドライブデートコース考えてやろうか」

「母さんは峠攻めたいだけだろ。ますます参考にならねぇ」

 元ヤンでクルマの運転が好きな杏南が考えるデートコースは、おそらく12時間耐久ドライブになるのが関の山だろう。

 下手をすると峠をハシゴすることになる。おとなしい美幸は間違っても連れていけない。

「お兄ちゃんさ、おねーさんとドライブでしょ? どっち方面行くの? 海? 山?」

「涼しいとこだな。だいぶ気温上がってきたし」

「じゃあ長野とか富士山とかか。個人的には長野の美ヶ原高原かなぁ。軽井沢って超混むらしいじゃん」

「あぁ、だな」

 亜美の意外なくらいに現実的な意見に、少しばかり意外そうな表情を浮かべながらも、幸一は立ち上がった姿勢から愛用の椅子に腰を下ろした。

「で? クルマでしょ? 首都高使って行くでしょ? まぁ1日コースだよね? 食事とかどうすんの? そこら辺も決めなきゃじゃない?」

「あぁ、行き先によってはだけどな」

「まず行き先だよね。それによって何時に出発して、何時頃現地に着いて、何時頃戻るのか、そっから予定組む流れだよね」

 杏南と真美も感心したように、何故か幸一の部屋のベッドやクッションに断りもなく腰を下ろす。

「あとさ、トイレ計画も大事だよ? まさか女の子の口から『トイレ行きたい』とか言わせたりしないよね?」

「うわぁ、お兄ちゃん変態……内気で弱気で大人しくて男性経験ゼロなおねーさんが、恥ずかしくてトイレって言えなくてモジモジするとこ見てニヤニヤするんだぁ……やばぁ、ド変態じゃん」

「黙れ。誰が変態だ誰が」

「まぁでも、亜美真美の言うことも確かだね。メシとトイレを甘くみるんじゃないよ? 女子トイレは混むモンだって思っとけ。男とは事情が違うんだからさ。水分補給と食事とトイレ、入と出をちゃんと気にしてやりな。あと、間違っても『トイレ行く?』とか聞くなよ? 気遣うときには、幸一が『ごめん、ちょっと俺トイレ行ってくる』って言うの。そしたら女も自然に『あ、じゃあ私も』ってなりやすいからさ」

 意外なほど実用的なアドバイスが出てくるとは思わなかったのか、幸一は驚きの表情で母を見返した。

「何よ? なにその目は」

「いや、母さんがマトモなこと言ってる……なにか変なものでも喰った?」

「……亜美真美、両腕抑えな」

「「はぁいママ」」

 がし、と同時に兄の両腕を抑える亜美と真美。

「おい、ちょっとお前ら」

 一瞬だけ驚きの表情を浮かべた兄、幸一の眼前に、母がデコピンの構えをとり、ぎりぎりと指の力をためている手が伸びる。

「ごめんなさい、キレイなお母様、とお言い」

「誰が――」

 びし、という鋭い音と同時に幸一の額に無慈悲な爪の一撃が加えられる。

「さぁ、お母さんの目を見て言いな。若くてキレイなお母様って」

「ふ、増えてねぇか?」

 再び無慈悲な爪が幸一を襲う。

 幸一が観念して『いつまでも若くて可愛くてキレイで頼りになるオシャレで情報通なお母様』と言うまで、数発のデコピンの直撃を味わった幸一の額には、しばらく絆創膏が貼られることとなった。

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