19 持つべきものは友
幸一と待ち合わせをしたのはどこにでもありそうなカフェだった。
意識しなければ気付かずに通り過ぎてしまいそうなくらいに地味な店構えで、店の中の内装はレトロな雰囲気で統一されており、店のBGMも有線放送などではなくなんとアナログのレコードがかけられている。
店主と思しき痩せた初老の男はほとんど喋ることもなくカウンターの奥で静かにコーヒーを淹れている。
「会社の近くにこんなところがあったなんて、全然気付かなかったです」
美幸と幸一が務めていた菱橋システムズの最寄り駅、普段使っていた出口の反対側にある小さな喫茶店『柊』のテーブル席で、幸一と美幸は対面ではなく横並びに腰掛けてコーヒーを飲んでいた。
相変わらずブラックを飲めず砂糖とミルクをたっぷり入れたコーヒーを口に運んでは、ときどき『あち』と呟き、そのたびに幸一はまるで小さな子供を見守る親のような優しい目で美幸を見下ろしていた。
「亜美と真美も猫舌だったんだ」
「そうなんですか? うちは私もお姉ちゃんも熱いの食べられなくって、冷ますのに時間かかっちゃうんです」
「舌を口の奥に少し引っ込めるようにすると、少しだけマシになるよ。妹はふたりともそれで猫舌克服したって言ってたな」
「へぇ……あ、ホントだ……森林さんって、こういう知識どこで仕入れるんです?」
「いやぁ、どこだろうね」
あはは、と軽く笑ってごましていると、入口ドアに着けられた鈴が高く澄んだ音を立てる。
「あぁきたきた。ヒデ、こっち。リーファさんも」
「えっ? あっ」
幸一がひょいと片手を挙げると、店に入ってきたばかりの若い男女が嬉しそうな表情で歩み寄ってくる。
美幸は律儀に立ち上がり、ぺこ、と頭を下げる。
ヒデ、と呼ばれた男は長髪をポニーテールのように束ねてメガネをかけた長身の男で、その隣には同性であるはずの美幸が見惚れてしまうほどの美女が寄り添っている。
思わず『うわぁ』と声を上げてしまうようなグラマラスな体型を隠そうともしない、ボディラインがくっきりと出るが露出を抑えたモデルのような出で立ちである。
「リーファさんも久しぶり」
「ハイ、お久し振りデス、コーイチサン」
少々癖のあるイントネーションから、リーファと呼ばれた美女が日本人でないことは、美幸にも容易に想像できた。
「ヒデ、この子が連絡してた大草さん。会社の資料室っていう部署で、過去の資料データ管理を担当してたんだ。アナログのデータ管理と検索が凄いんだ」
「あ、あの、あのっ、お、大草、大草美幸と申しますっ」
立ったまま深々と頭を下げる。
菱橋システムズでは、『偉い人』は相手が立ち上がろうが頭を下げようが、尊大にふんぞり返ったままの姿勢を崩すことはなかった。
が、目の前のポニーテールの男と美女は同時に、静かに立ち上がって、美幸に向かって丁寧に頭を下げる。
「はじめまして、王英基と申します。……と言っても日本生まれ日本育ちで、名前も日本語読みで『おう・ひでき』で通ってます。日本人の母と、台湾人の父のハーフです」
「えっ、た、台湾の方……?」
「まぁ半分はそうですね」
にこ、と優しそうな笑みを浮かべた髪の長い男は、いかにも柔和で人がよさそうだ。
「国籍は日本です。台湾には父の里帰りで何度か行ったことがあります。幸一とは幼馴染なんですよ」
「……幼馴染、なんですか」
「はい。歳も同じだし、小中高とずっと同じクラスでした」
「腐れ縁だよな」
「だな」
幸一の軽口に、少し苦笑気味の笑顔を浮かべ王も短く答える。
「それと、こっちは妻の黄日華、彼女は台湾生まれで台湾育ち、生粋の台湾人で、大学生のときに日本に留学して、そのまま日本で暮らしてるんです」
「あ、あの、はじめまして……にいはお……?」
「你好、|我很高興見到你《お会いできて嬉しいです》」
にこ、と笑顔を浮かべた美女は中国語で挨拶をして手を差し伸べてくる。
突然の外国語に動転した美幸が『はわわわ』と変な声を出しながら、慌ててスカートで手を拭ってから差し伸べられた手を握る。
「リーファさん、意地悪しないでよ。日本語イケるでしょ」
「うふふ、ごめんなサイ、久シぶりに你好聞いタから、嬉しくナって。リーファって呼んデ下さい」
美女が楽しげに笑うとこんなに美しいものなのか、と見惚れてしまうほど、いたずらっぽい笑みを浮かべたリーファは美しかった。
化粧っ気もそれほどなく、どちらかと言うと美幸と同じくらい地味な服装。
あまり過度な装飾を好まない性格ということで、普段着では日本の無印やGUといったブランドを愛用しているという。それでも『着る人が着れば全然違う』と誰もが実感できるような外見である。
美幸が苦手とする、明らかにスクールカーストで最上位に位置する美女だ。美幸は常に、そういうスクールカースト上位の女子達からは、もはや存在しないクラスメイトとして扱われていた。
が、リーファは美幸の想像するような人物ではなく、大変に人懐っこい性格だ。
「すみまセん、日本語の発音難シくて、ちょっと話しずらイかもしれナイです」
「い、いえ、あの、そんな、気にしないで下さい! 日本語、難しいですよね、私もそう思います!」
うふふふ、と妖艶に笑ってリーファは『謝謝』と呟く。
王はコーヒーを追加で注文し、早速美幸の面接が始まった。
「どうぞ、そう緊張しないで下さい。気軽に、幸一の友人と話に来た、程度に考えて」
「い、いえ、あの、そ、そんなワケには」
「大草さん、真面目で緊張しやすいみたいなんだ。あんま詰めたりするなよ?」
「しないよ」
笑いながら王は少しだけ身を乗り出し、美幸に顔を向けた。
話の内容は、本当に世間話のようなものだった。
好きな食べ物や休日の過ごし方、どんなものが好きで、どんなものが苦手なのか、といった内容で仕事と直接関係なさそうな話題ばかりだ。
「好きなものは……本と文房具と、あとは編み物とか……パソコンとかスマホはまだ苦手です」
「なるほど、アナログ派ですね。そしたらこのお店は気に入ったんじゃないですか? BGMもアナログですし」
「は、はい。確かに! すごく居心地が良い喫茶店で」
「そうですか、良かった。このお店は僕と妻が良く来るお店で、お気に入りなんですよ。大草さんも気に入ってくれたみたいで良かった」
「大草サン、下の名前で呼んデも良いでスか?」
「はい、もちろん」
「じゃあ、美幸サン? コーイチさんから美幸さンはアナログの検索が得意ダって聞いたんデスけど、トランプの神経衰弱とかは得意デスか?」
「あ、はい。私、ポーカーとかは姉に絶対勝てないんですけど、神経衰弱では負けたことがないんです」
「それじゃア」
リーファはバッグからトランプを取り出して、テーブル上のコーヒーカップを少し避けてから入念にシャッフルして裏返しに並べ始めた。
「コーイチさんもインジーも一緒に、ネ?」
「そうですね、それじゃあ、リーファから」
唐突に始まった神経衰弱に驚きながら、4人はトランプの札をめくっていく。
ここから、王、リーファ、それに幸一にとって忘れられない時間が始まった。
圧倒としか言いようがないほど一方的な展開だった。
美幸は一度見た札を全て記憶しているかのように、まるで裏側が透けて見えているかのように次々とペアを当てていく。
王はペア2つ、リーファは4ペア、幸一は1ペアのみ。残りは全て美幸が当ててしまった。
驚異的な記憶力と集中力だった。
「え、えと、あの、すみません、あの、調子に乗っちゃって、ごめんなさい、あの――」
「……大草さん、ちょっとその、伺いたいんですが……ここのお店、来られたのは初めてですか?」
「え? あ、は、はい」
「もしメニューを見て覚えておられたらですが……このお店、ブレンドコーヒーは1杯いくらですか?」
「ブレンドコーヒーは770円……あ、あの、大丈夫です! 自分の分はちゃんと出します!」
「……カフェオレは、いくらか覚えていますか?」
「カフェオレは820円だったと思います……けど……あの……?」
「そしたラ」
リーファがメニューを手に持って、ぱっとほんの2秒ほど開いてすぐ閉じる。
「一番高いメニュー、何でシタか?」
「えっ? 煮込みハンバーグとエビフライのセットで、2570円……でしたけど、その、これも神経衰弱、ですか……?」
リーファと王は顔を見合わせる。
幸一も驚いたような表情で美幸に視線を向けていた。美幸はなぜかすみません、ごめんなさい、と縮こまってペコペコと頭を下げていた。
リーファは小声で王に話しかける。
「或許、|她擁有超強的短期記憶力《短期記憶力がズバ抜けてるんじゃないかしら》」
「很有可能。|我覺得她能瞬間記得自己看到的東西《目で見た者を瞬間的に記憶してるんだと思う》。|這真是驚人的天賦《これはとんでもない才能だ》」
「えっ? え、あ、あの、すみません、すみませんっ、どうしよう、あの、ごめんなさい、私なにかお気に触るようなことを……」
「あぁいえいえ、すみません」
泣きそうな顔になった美幸に、慌てて王とリーファが笑顔を向ける。
「すみません、あまりにすごくて、驚いてしまいました。リーファも驚いただけです。こちらこそすみませんでした」
「ごめんなサイ美幸さン、あまりにアナタの瞬間記憶がすごくテ、驚いてしまいまシタ。失礼しマシた」
「は、はぁ……」
「そうか、なるほどな、瞬間記憶……見たものを瞬間的にぱっと覚えられるから、一瞬だけ箱を開けて、その中の資料を覚えられるのか、だからあのスピードで書類をピックアップ出来たんだな」
「え? えっ? あ、あの、私その、すみません、何もしてません」
「いや、大草さん、自覚無かったかもしれないけど、大草さん実は凄いのかもしれない。なぁヒデ、彼女が真面目で誠実な人だっていうのは俺が保証する。どうかな、ヒデの会社の業務に凄い戦力になると思うけど」
「なる。確実になる」
王は幸一の言葉に、迷うこと無く即答し頷いた。
「どうかなリーファ」
すぐ隣の席で腕組みをする妻に、王が話しかける。
「良か! 採用!」
「へ」
リーファは王以上に迷いなく断言する。だが、そのイントネーションと言葉は、先程までのたどたどしいものではない。
「見てみらんね、こげん良か子ヨソにはおらっさんよ。気弱かごたるけど、真面目で気遣いも出来て、そいでこん凄か記憶力よ? こん子ば採らんでよそに獲られてみんね、大損害ばい」
リーファの美しい顔が間近に迫ってきただけでも美幸にとっては心拍数が上がるようなものだが、その口から語られているのはなんと博多弁だった。
「良か良か、採用。良かよねインジー?」
「そうですね。じゃあ大草さん、どうでしょうか? 我が社で、株式会社シンセリティで一緒に働いて頂けませんか?」
「は、はひ、え、えと、えっ? え、あの、私……その、しゅ、就職出来る、ていうことですか?」
リーファは手を伸ばし、わたわたと行き場のなさそうな美幸の手を優しく握る。
「そうよ。美幸さんのごと真面目で、優しか人こそウチ達にとって喉から手ぇの出るごと欲しか人材さ。コーイチさんももう採用の決まっとって、そいにほら、美幸さんも知っとる中谷さんに吉田さん、あと大谷さんやったっけ? 皆さんシンセリティで一緒に仕事ばしてくれるて、そげん予定になっとるとよ」
「えっ? え? 中谷部長も、吉田主任もですか? それに大谷さんって、企画部の大谷課長?」
驚きのあまりか、あんぐりと目と口を開けたまま固まった美幸に、王、リーファ、そして幸一の3人は笑みを見せて大きく頷いた。




