17 後を引く罪悪感
亜美と真美はほぼ全く同じ顔を見合わせて、全く同じタイミングで小首を傾げた。
向かい側には美貴と美幸が座っており、美幸は心の底から申し訳なさそうな顔で、泣き腫らした涙を拭いながら俯いていた。
「やー、全然わかんないっす」
口を開いたのは亜美である。
実は亜美と真美は見た目こそ全く同じだが、利き手が逆である、ミラーツインというタイプだ。
亜美が右利き、真美は左利きだ。そのため、横に並んで座るときには必ず亜美が右側、真美が左側に座る。こうすればお互いの利き手がぶつかることもなく、食事中にも半身で向かい合う事が出来る。
「あの、すんませんおねーさん、もっかい説明してもらって良っすか? 私も全っ然わかんないっす」
ぐすぐすと鼻をすすっている美幸に変わり、美貴が少し呆れたような顔で説明を始めた。
テーブルの上には真鍮製のケースに収められたペンと、美幸がいつも使っている日記帳が並べて置いてある。
「あのね、この子……会社が告発されてみんなが混乱してるのは、自分がこういうコト書いたからだって、そう言って落ち込んでるの」
美貴が日記帳の最後のページ、余白になっている箇所を開いて指さした先には、二重線で消された『みんな不幸になれ』の文字がある。
祖父伝来の、『書いた願いが叶うペン』で書かれた呪いの言葉。それが会社を大混乱に陥れているのではないか、というのが美幸の主張だ。
「で、このペンなんだけどね」
続いて美貴はペンケースを開き、緩衝材代わりの支えを取り外し、折りたたまれた紙片を開く。
『書いた願いが叶うペン。ただし文字にならぬ言葉の願いだけが叶う』
亜美と真美はそれぞれ、短い文が記された紙片をまじまじと見てから、再度日記帳の走り書きに視線を戻す。
双子らしく、全く同じタイミングで身体を起こして再び顔を見合わせる。
同時に小首を傾げてから、再びしょげかえっている美幸に顔を向けた。
「やっぱ全然わかんないっすよ、おねーさん」
「どう考えてもおねーさんが自分を責める必要、なくないっすか?」
「そうよね? やっぱりそう思うわよねぇ?」
双子に同調するように、美貴も身体を乗り出して泣きべそを書く美幸の手を握る。
「だ、だって、だって私が、私がこんな事書いちゃったから、だから」
「や、それ違うと思うんすよね」
真美が腕組みをして、いかにも納得いかないと言わんばかりの表情を見せる。不思議と亜美も全く同じ表情になるのが不思議なところだ。
「まずっすよ? 普通書いた願いが叶うペンなんてないっすよ」
「で、でも、普段座れない電車で座れて」
「偶然っすね」
美幸の懺悔にも似た言葉を、亜美がばっさりと切り捨てる。
「私らも電車で学校行ってますけど、普段座れないのにたまたま座れる日ってあるっすよ?」
「そ、それにあの、お姉ちゃんの企画が通ったり」
「それだって、大姉さんの企画が良かっただけじゃないっすか」
「え? 大姉さんって私?」
美貴が少し驚きながらも、まんざらでもない表情で双子に笑いかける。
「ま、確かにね。リサーチもガッツリやったし、自信のある企画だったから」
「え、えっと、それに、お弁当だって森林さんが美味しいって」
「や、それ普通におねーさんの料理が美味しかっただけじゃないっすか?」
「そうそう、お兄ちゃん超絶テンション上げてましたよ? 今日唐揚げ入ってて超絶美味しかったって」
「卵焼きもウチのママが作るのと同じで甘くて美味しいって」
「おにぎりは昆布の佃煮が一番好きって言ってたっけ。毎日弁当作ってくれてるけど、お礼何渡せばいいかって私らに相談してくるんすよ」
「そう言えばお兄ちゃん、ちゃんとお礼しました?」
「してないっぽいっすね? あとでお兄ちゃんシメときます」
亜美と真美のマシンガントークはこの日も平常運転だ。
「それに、会社の告発にしたってそうっすよ、何年か前から証拠集めしてたんすから、おねーさんのこのメモ書き、関係なくないっすか?」
「そうそう、ガッツリ告発されるようなことする会社なのと、あと忘れてるかもしんないすけど、おねーさん被害者っすよ?」
「セクハラ、モラハラ、パワハラの3点セット全部だったんすよね? それに横領に? 脱税に? 粉飾決算に? 残業代未払? 私らバイトしかしたこと無いっすけど、控えめに言ってクッソブラック企業じゃないっすか」
双子の言葉にしきりに頷きながら、美貴は『そうだよ?』『ほら、言ったじゃん』『そうなんだって』と相変わらずぐすぐすとべそをかく妹の背中をさすりながら優しく囁いていた。
「あの、結論言っちゃいますけど、ねーさんはビタ一文悪いとこないっす」
「むしろこれで罪悪感覚えるのがワケわかんないくらいっすよ?」
「これで会社が告発されたのおねーさんのせいだ、っていうヤツいたら、多分そいつこの会社の社長じゃないっすか?」
「それ以外いないよね?」
「「ねー」」
亜美と真美は同時にそう締めくくり、すっかり湯気が出なくなったコーヒーカップを持ち上げ、くい、と一口飲み込む。
美貴は相変わらず妹の背中をさすっていた。
土曜日の朝、美幸は取り乱した様子で美貴に電話をかけていた。
『どうしよう、全部私のせいだ、私、とんでもないことしちゃった、私があのペンであんな事書いたから』
と取り乱した美幸の耳には姉の言葉もろくに入らなかった。
『じゃあ、第三者の意見を聞こう』
ということで、急遽幸一の妹、亜美と真美に美貴が連絡したのだった。
本当に即駆けつけた亜美と真美が語ったのが、先程までの感想である。
亜美と真美がいつの間にか美幸のことを『ねーさん』、美貴のことを『大姉さん』と呼ぶようになっていたのは、ギャル特有の対人距離の近さが成せる技なのだろう。
「あのね美幸、書いたとしてもほら、消したんでしょ? 二重線で」
「で、でも、だからかも……文字にならない言葉の願いが叶うって、一旦書いて消したから、文字にならない願いになって、それで」
「や、ねーさん、それも違うっすよ。だってほら、文字にならないっていうか、これ文字になってるじゃないっすか。読めるってことは、文字ってことっす」
「そうそう。ペンで書ける文字にならない言葉って、まず考えらんないっすよ。言葉を書く、イコール文字じゃ無いっすか。象形文字だろうと表意文字も表語文字も表音文字も、言葉を書くとしたら、それイコール文字なんすよ。二重線で消しても、書いた意味がわかるならそれは文字っすよ」
ギャルっぽい言葉遣いや雰囲気からは想像も出来ないが、亜美も真美も国立大学に通う現役の大学生である。
特に亜美は文学部国文学科、真美は文学部歴史学科にて真面目に勉学に励んでいる。
「読めるってことは、文字とみなすべきものっす。ロンゴロンゴ文字っていう、まだ解読されてないものであっても、やっぱそれは文字なんすよ。文字にならない言葉を書くって、ガチで無理ゲーっすよ?」
「そうそう、宙に浮かばずに飛ぶ、的な? そういう矛盾っぽい感じする」
「そうそう、それ。矛盾な感じ、するよね」
「「ね」」
亜美真美の二人の言葉が少しずつ美幸の心に染み込んでいく。
乱れていた呼吸も次第に落ち着いていき、詰まっていた鼻も通り始めていた。
「結論、このメモ書きは、イタズラ好きなお祖父ちゃんのイタズラっすね」
「うん、間違いない」
うんうんと頷く亜美真美に釣られるように美貴も同じリズムで頷く。
「ね? 全部偶然。だから心配しないでいいの」
ためらいながらも小さく頷いた美幸に、亜美が意味ありげな表情で身を乗り出してくる。
「おねーさん、大姉さん、ちょっとオカルトっぽいハナシになるんすけど」
そう前置きをしてからコーヒーを一口飲む。
「昔々、すっごいバカバカしい話で、AさんとBさんが喧嘩したそうなんす。で、AさんがBさんに、『割り箸がキレイに割れなくなる呪いをかけてやる』って言っちゃったらしいんすね」
「え、何それ、すっごいバカバカしい呪いな気がする」
「そうっす。大姉さんのリアクション、正解っす。普通は何言ってんだオマエ、ってなるじゃないっすか。でもBさん信じちゃったんすよ。この『割り箸がキレイに割れなくなる呪い』を。そしたら、Bさん割り箸割るたびに気にするようになっちゃったんすね。斜めに割れた、偏ってる、へんな割れ方した、おかしい、マジ呪われたって」
ごくり、と美幸が真剣な顔で身を乗り出してくる。
「で、Bさん耐えらんなくなってAさんに言ったらしいっす。呪いを解いてくれって。呪いが怖くなって、夜も眠れない。割り箸使うのが怖くて食事も喉を通らない。で、げっそり痩せちゃって、Bさんはマイ箸が手放せなくなったんっす。でもAさんはどうすることもできないんすよ。呪いなんてかけてないから」
「えっ?」
美貴は何かを悟ったような表情だが、美幸はきょとんと何が起きているのか理解できないような表情である。
「だってねーさん、割り箸って普通キレイに割れなくないっすか?」
「…………あっ、え? え、で、でも……」
「むしろ割り箸って、キレイに割れたほうが良いことある的な、そういう事無いっすか? 普通、斜めったり偏ったりして割れるのが割り箸じゃないっすか。でも、Bさんはガチで『呪われた』って思い込んじゃったんっすよ。どうやっても割り箸がきれいに割れないから。たまにキレイに割れても、微妙に違うとこがある、これはきれいに割れてない、やっぱ俺マジで呪われたんじゃね? って感じで」
美幸は、すっかり国文学を学ぶ亜美の言葉に聞き入っている。
「呪いって、あるんすよ。ただし、それは呪われた側が勝手に呪われるっていうか、『呪われた』って信じ込むこと自体が、呪いを掛けられた状態なんすね。これ、めっちゃわかりやすい言葉で言い換えると」
ごくり、と美幸が真剣な顔で身を乗り出して、亜美の言葉を恐る恐るという顔で待っている。
「ただの思いこみっすね」
「お、思い込み……」
「そうっす。ねーさんの今の状態も、ただの思いこみっすよ。そういうときはもう、パーッと遊ぶに限るっす! ねーさん、大姉さん、ボウリング行かないっすか? むしゃくしゃするときはもうボウリングでガーンってやんのが良いっすよ!」
「そうね! 行こう!」
美幸が返事をする前に、美貴が快諾した。
「そうだよ、こういうときはカラダ動かす。そうすれば心も動いてくるから! よっし、じゃあみんなコーヒーのみ終えたら行くよ、ゲーム代は私の奢りだ! ガンガン遊ぶよ!」
「やった、大姉さん男前っすね!」
「でしょ? 惚れていいわよ?」
「ヤバ、マジ惚れる」
あっはははは、と明るく笑ってから二組の姉妹はボウリング場へ向けて出発した。
この日、美幸は人生最高スコアを更新したのだが、そのスコアはなんと31という、亜美と真美が『逆に凄くね?』と顔を見合わせる驚異的な数値であった。




