16 騒動の後は
美幸の職場からほど近い場所にあるカフェは、いつも18時頃は近隣のOL達で賑わっている。
この日も大勢の女性客でほぼ満員の状態になっており、誰もフロアの隅っこにあるテーブル席に腰掛けているビジネスマンと地味なOL、それに壮年の男と大柄な男に注意を向けるものなどいなかった。
「じゃ、じゃああの、内部告発って……社長が?」
「まぁ、そういう事になりますかねぇ。社長一人じゃなくて、正しくは連名になるのかなぁ」
呑気に、ちょっとのんびりした話し方で喋る壮年の男は、美味しそうにチョコバナナパフェを食べている。『いやぁ、普段食べられないからねぇ。カミさんは一緒に来てくれないし、娘は嫌がるし。大草くんのお蔭だねぇ』とニコニコしながら、実は大好物だというプリン・ア・ラ・モードをさっき平らげたばかりなのに、である。
「その、連名の中には吉田さんも?」
「あぁ」
大柄な男は、愛想というものを人生のどこかで燃えるゴミにでもだしてきたのか、というほど表情が変わらず、返事も極端に短い。
まるで植木鉢のようなサイズの巨大な器に注がれたコーラフロートを、凄まじい吸引力で飲んでいるところは体格相当だ。
「じゃ、じゃあ……森林さんも、連名で?」
「そうだね。まぁ発起人が中谷さん、で、俺と吉田さんが連名。それに、後から追認というか、「自分も告発する」って名前を連ねたのが菱橋社長。あ、会長はもう怒り狂ってたよ。資料室の棚とかひっくり返してさ。いやぁ、途中顔真っ青になってへたり込んだから救急車よんだけど、80過ぎのジジイには見えなかったなぁ。令和の年寄って元気っすよね」
「だねぇ。あの元気のよさは見習いたいもんだねぇ」
幸一と中谷の会話に、吉田は苦笑して頷いた。
「最終的に告発に協力したのはもう一人、企画部の大谷さんかな。あの人も日頃からパワハラ受けてたから、我慢の限界だったみたい。企画部の横領の証拠とか、大谷さんが集めてくれたんだよ」
「……そ、そんなに、色んな人が……」
「そうだねぇ。ただ、大草くんはちょっと巻き込めなくてね。一生懸命、真面目に頑張ってるのを知ってたし、何より大草くんは――」
「腹芸、出来ないだろ」
吉田がそう短く言うと、コーラフロートに浮かぶバニラアイスを丸ごと口に入れる。
確かに、もしも美幸が『普段通り仕事をしているふりをして、不正の証拠を集めろ』等と言われたら、どちらもマトモにできなくなることは明らかだ。美幸はそこまで器用ではない。器用か不器用かで言えば、100人に問えば128人は『不器用だ』と答えるような不器用さである。
「黙ってて申し訳ない、本当にすまなかったねぇ……ただね、ある意味大草くんのお蔭で幾つも決定的な証拠を集められたんですよ」
「えっ? あ、わ、私、ですか?」
「囮のような感じになってしまって、本当に申し訳ないと思ってます。ただ、企画部の坂巻くんからのモラハラも、鈴木課長からのパワハラも、しっかり両方の顔や音声も録画出来てました。弁護士の先生に警察に出したら、ちゃんと有効な証拠として採用出来そうだとのことです」
「え、えっと、あの、それ以前に社長も告発って……普通こういうの、社長は告発『される』側じゃないですか?」
「普通ならそうですねぇ。ただ、菱橋システムズの場合はちょっと事情が変わるんです」
中谷はチョコバナナパフェを美味しそうに食べながら、時折ホットコーヒーを口に運びつつ話を続けた。
中谷と幸一が社長室へ証拠の動画などを渡した日、最後に幸一が社長に渡したのは粉飾決算と横領の証拠となる帳簿データであった。
社長もその存在を知らされていない裏帳簿のようなもので、中には贈賄と思しきものまで記録されていた。
それらの帳簿は、資料室の奥の段ボールでひっそりと保管されていたファイルにまぎれていたもので、幸一が美幸と共に探した書類の中に紛れ込んでいたものである。
前社長、つまり現会長である菱橋浩司が販売と会計処理における実権を握っており、息子である社長菱橋由一はほぼ経営に関する決定権を持っていない状態だ。
中谷が社長室をさる直前、『色々お考えになったほうが』と告げた直後のことだ。
『ま、待って下さい中谷さん! こ、このままだと、このデータは、どうなりますか』
中谷はゆっくりと振り返り、いつもの昼行灯ではない、危機管理統括室長であった頃の引き締まった表情と、怜悧な目を上司である由一に向けた。
『同じデータは、僕も吉田くんも、それに森林くんも持っています。お二人共SNSにも強いですからねぇ。それに森林くんは不正を許さない正義感も持っています。覚えてませんか? 3年前に彼がリリース直前のプロジェクトにストップを掛けた事件。特定の状況下で致命的な誤作動が起きるという指摘をしたのに、開発部の丹波部長が怒鳴りつけて森林くんを開発部から追い出した件』
当時すでに吉田は資料室に左遷されており、教え子であった森林は大型プロジェクトの品質管理のため、テスト実施を担当していた。
その際、テストケースとして想定された条件に漏れがあり、よりによってその漏れた条件下でデータの一部に欠損が生じる、という致命的なバグが確認された。
幸一はそのバグの修正作業実施を強く訴えたが、当時のプロジェクトマネージャーを務めていた丹波は『そんな条件が成立する可能性は非常に低い。極めて低い可能性のために納期に影響する改修を行う必要はない』として突っぱねてしまった。
ここで引き下がらなかったのが幸一である。最終的には殴り合い寸前にまでヒートアップした末、丹波は幸一を謹慎処分にし、厄介払いをするように資料室への転属を命じた。
『あのバグも、今のところ顕在化してませんが……あれ、どうなったんでしょうねぇ? どこかのタイミング、保守なんかで修正入ってれば良いんですけど、森林くんのテスト資料も全部箱詰めして資料室に押し込めちゃってましたからねぇ。多分、森林くんの後任の担当者には引き継がれてないんじゃないですかねぇ?』
由一の耳にも入っていたトラブルだ。
が、当時の由一は営業部長であり、システム開発に関してはさほど詳しくなかった。同じく部長職であった開発責任者の丹波から『問題はない。発生リスクは極めて小さい』と報告を受けていたため、当時の社長の浩司、営業部長の由一、開発部長の丹波に管理部長の佐野ら上層部により、幸一のバグ報告は握り潰されてしまった。
幸一が現社長に手渡したUSBメモリには、この致命的なバグが放置されているという情報も盛り込まれていた。
『さて、このままこの情報を国税と労働基準監督局とクライアント、それにマスコミやSNSに流したらどうなりますかねぇ……今のままだと、社長が責任だけ負わされて終わることになりますよ? 会長は逃げおおせるでしょうねぇ、『社長が勝手にやったことで自分に責任はないが、不徳のいたすところで責任を感じている』とでも言い逃れをして、社長を引責辞任させて、ご自身はめでたく社長に返り咲き、ということになるのはほぼ間違いないでしょうねぇ』
わなわなと手を震わせた由一は、まるで懇願するような、助けを求めるような目を中谷に向ける。
「や、中谷さん、私は、私はどうすれば……危機管理の専門家だったあなたなら、中谷さんなら良い考えが……」
「そうですねぇ、私は今じゃ資料整理の専門家でしかありませんが」
この上ない皮肉を口にして、中谷は社長に歩み寄り、懐からペンとコピー用紙を差し出した。
コピー用紙には『内部告発』と大きく印字されており、菱橋システムズにおいて告発されるべきものの概要が要約され、箇条書きで記されていた。
一番下には『告発者』と記された欄があり、すでに四人の所属と職階、氏名が記されている。
資料室部長 中谷昌平
資料室主任 吉田貴大
情報システム部主任 森林幸一
企画部課長 大谷真由美
大谷は企画部の部下である坂巻達のモラハラの証拠動画を幸一に見せられ、会社の自浄作用が機能していないことを痛感し、即決で中谷に同調する道を選んでいた。
企画部における横領や器物損壊、窃盗の証拠を集めたのは、他ならぬ大谷である。
中谷はとんとん、と自身の名の上を指で叩いて指し示す。
『ここに、ご自身も名を連ねるしかないんじゃないですかねぇ? 代表取締役社長として、それが最後のケジメだと思いますよ。企業活動における危機管理の最たる役割は、損害や被害を最小限に留め、事業活動の停止を最小限に抑え、信頼の回復を迅速に行うこと。これに尽きます。ま、危機管理統括室なんて部署が10年も前に潰されたような会社ですからねぇ、僕が何を言っても、意味があるかは怪しいですが』
ペンのキャップを外して、由一にそっと差し出した中谷の目は、決して日頃の昼行灯のそれではない。企業という巨大な存在と刺し違える覚悟を決めた男の顔であった。
『被害にあった社員がいるんです。社長の役割と責任が何なのか、私から説明しなきゃわからない訳じゃないでしょう?』
由一は大きく深呼吸をして、自らの役職と氏名をしっかりとした字で、一番下に書き入れた。
その書類が、今美幸に手渡されていた。書類の一番右下、告発者の欄の最下部には、確かに『代表取締役社長 菱橋由一』と記されている。
「しゃ、社長が、本当に……?」
「ま、ちょっとくらい社長っぽいことしたとは思うけど、俺から言わせれば遅すぎるよな。いずれにせよ、内部告発者は保護されるとか言ったところで、今のお偉いさんと会長が残るようじゃ、俺はもう会社に残れないだろうなぁ」
「そ、そんな! そんな、なんで森林さんが辞めなきゃいけないんですか! それにそんな、中谷部長も吉田主任も、まさか、そんな……」
「大谷課長も、もう辞表を出したって言ってましたねぇ。まぁ僕はまだ会社にいますよ。一応は捜査に協力しないといけないですし、一応告発者の名前は伏せてもらってますからねぇ」
「一応俺も、ゴタゴタが片付いてから身の振り方考えようかなぁ……吉田さんどうするんすか?」
「俺は」
いつの間にか、植木鉢レベルの巨大な容器のコーラが空になっていることに美幸は驚いた。が、さらに次の言葉には唖然とするほど驚いてしまった。
「バイクで日本一周だな。免許とバイクはあっても時間がなかったからな。野宿しながら貧乏旅でもするか」
寡黙な男はそう言って、いつの間に注文したのか、追加で運ばれてきたパンケーキにメイプルシロップを『だばぁ』と一気に注いだ。




