15 姉妹で宅飲み
「あのさ、美幸」
「……う、うん……」
かん、と酎ハイの缶をテーブルに置いて、おつまみにと買ってきたポテトチップスを口に運んでから、美貴はじろりと目の前で申し訳なさそうに俯いている妹に目を向ける。
「私別に怒ってるわけじゃないの。そこは誤解しないで」
「うん、ゴメン……」
「言ったじゃん、何かあったら連絡しなって。そのたびに『何もない』って返事してて、それでも何かあるのは分かってるって。ねぇ?」
「……うん……」
「言いたくなさそうだったから聞かなかったけどさぁ? もぉー……どちゃクソあるじゃん……何? よその部署の部長のセクハラに? 他のOLからのイジメに? モラハラ? それに濡れ衣着せられそうになって? 恫喝までされて? 犯罪じゃんそれ」
「……ごめんなさい……」
「だーから、なんで美幸が謝るの。ったくもう……あんた何も悪くないじゃない」
少しばかりアルコールが入っているせいか美貴は少しばかり早口になってきている。
「辞めちゃえ辞めちゃえ、そんなクソみたいな会社。ンなことしてっから国税とか労基がカチ込んで来んのよ」
「で、でも、私ここ辞めたら行くとこないよ……」
「何言ってんの。日本に会社がどんだけあると思ってんのよ。いざとなりゃ私のコネ……ってあんまないか。まぁ、最終手段にはなるけど、お祖母ちゃん経由でお祖父ちゃんのツテを頼るってのもあるしさ?」
「でも……私、ここの会社辞めるくらいなら、よそでも通用しないぞって、前の部署の上司に言われて……」
「そんなもんウソに決まってるじゃん」
あっさりと言い切って、ポテトチップスをまとめて何枚かばりばりと咀嚼して酎ハイで流し込む。
「いい? 考えてもみなよ。その上司がもしその会社しか知らないとしたら、『よそで通用しない』なんて分かるわけないでしょ? ンでもしその上司がよその会社から来たとするじゃん? 別の会社で通用してるって本人が証明してるじゃないの。そんなのねぇ、美幸みたいに気弱でおとなしい人を都合よく使うためのウソよウソ。信じちゃダメ。ほんっとにもう、美幸ってお人好しっていうか、悪い男に騙されそうで心配だなぁ」
「ごめん……」
ふぅ、と大きくため息をついて、美貴は俯く美幸の頭を少しばかり乱暴にわしゃわしゃと撫でる。
「だから謝んないの! もう! ま、しばらくゆっくりするのもいいと思うよ? 今回のだってさ、もし職を失うにしても完璧に会社都合じゃん? そうしたら失業給付金だってすぐ出るし、万一でなくても私が何とかしてあげるから。まぁちょっと休みなよ」
「で、でも……お姉ちゃんだって仕事して大変なのに、申し訳ないよ……」
「何言ってんの、私を誰だと思ってんの? 美幸の姉よ? お姉ちゃんよ? 妹はね、こういうときは姉を頼るモンなの! ちょっとくらい姉らしいことさせなさいよ」
再び美幸の長い髪をわしゃわしゃ撫でて、さらに頬をもみくちゃにしたり耳を引っ張ったりと、まるで子供がちょっかいをかけているようだ。
「お、お姉ちゃん、痛い」
「あぁゴメンゴメン。まぁ、最近美幸も疲れてたみたいだしさ? ちょっと温泉でも行ってリフレッシュしておいでよ。まぁ上司からスマホ持っとけって言われたなら、スマホ持ってりゃそれで良いじゃん。ね? だからそう、死にそうな顔しなさんな」
「……うん……」
「とりあえずさ、弁護士さんには一回連絡すること。セクハラ、モラハラ、パワハラの被害にあったって。ちゃんと主張するとこは主張しないと、ホントに良いように扱われて報われないで終わっちゃうから。私の可愛い大事な妹がそんな目に遭うなんて、私が許せない」
「う、うん……あの、弁護士さんには、明日連絡入れてみる」
「うん。そうしなさい。是非、っていうか絶対よ? 良い? 弁護士と医者は味方につけておいて損はないからね?」
「わかった。でも、その、証拠とかなくって……」
「美幸、あんた確か日記つけてるでしょ? そこにセクハラされたとか書いてない?」
「一応書いてるけど……でもそれくらいじゃ」
「証拠になる。その日記、弁護士さんに見せてやればちゃんと判断してくれるから。大丈夫、弁護士も医者も、守秘義務っていうのがあるから、何を見せても人に話したりとかそういうことは絶対ないから」
「お姉ちゃん、なんでそんな詳しいの?」
「ん? 一応ね、あとから揉めるのヤだったし離婚協議のときに弁護士に入ってもらったのよ。そん時に色々教えてもらった。あとお祖父ちゃんが亡くなった後の遺産の時なんかもね?」
美貴は、自他ともに認める『デキる女』だ。いわゆる捌ける人物であり、ここぞというときこそその真価を発揮するタイプとすら言える。
そんなサバけた女が相手では、小中学生の頃に影で『トロ子』と陰口されていたくらいにトロい美幸では、到底太刀打ちなど出来るものではない。
「……凄いなぁ……何食べたらお姉ちゃんみたいになれるの」
「何言ってんの、同じお母さんのご飯食べて育ったじゃん」
あははは、と明るく笑う美貴と自らを比べて、美幸は何度惨めな思いをしたかわからない。
だが、二十歳位になってからは素直に姉のことを尊敬の眼差しで見ることができるようになった。今もそうだ。僻みとも思える自分の考えを、軽く笑い飛ばしてくれる器の大きさが羨ましくもあり、同時に誇らしくもある。
「私だって美幸が羨ましかったんだよ? 私ってがさつで雑だしさ、美幸みたいに一つのことを丁寧に続けるとか絶対無理だったもん。今も無理。だからしょっちゅう会社で怒られてる」
かしゅ、と軽い音をたて、美貴が冷蔵庫から出したばかりの缶ビールの栓を開けて、ぐいっと豪快に煽る。
「女の子らしくってさ、丁寧で、細かいとこまで気付けて、可愛らしくって……あぁ、なんで私って美幸みたいにできないんだろうって、しょっちゅう考えてた。歴代彼氏からも『お前といると男友達といるみたいで楽』とか言われてさ、最後には『女と思えない』とか言われんのよ? もう笑えてムカつきもしなかったけど」
「そ、そんなのダメだよ! お姉ちゃんキレイで優しくて、そんな男友達みたいとか言われるの、私がヤだ!」
「ほら、そういうとこ。美幸のそう思えるとこがね、すっごく羨ましかったの。私とか、自分がそう思われたところで『あーやっぱそうかぁ』くらいにしか思えなかったしさ。美幸みたいに女らしく出来れば、もうちょい上手くいったのかなって思うこと、今でもあるよ」
ポテトチップスの袋が空になったのを見てか、今度は枝豆のスナック菓子の袋を開ける。
「美幸には美幸のいいとことダメなとこがあるし、私には私のイイとことダメなとこがある。それでいいじゃん。美幸は私にならなくったって、美幸のままでいいんだよ」
「……そうかなぁ……」
「そうだよ。とりあえずさ? 会社のゴタゴタが落ち着くまでは退職とかしなくていいからね? 給料もガッツリ受け取って、退職金なんかもまるっともらってから会社を捨てる。これ、労働者の当然の権利なんだからね? これが基本方針ね。あ、でも森林さんだっけ? 彼とは連絡とっておくようにね? せっかく手作りお弁当渡せるところまで行ったんだから、逃がしちゃダメよ?」
「えっ? あ、でもあの、森林さん大変そうだし……」
「だからこそよ! 普段あんまロクなもん食べてないんでしょ? そこで会社の内部告発ともなれば確実に忙しいでしょ? そこで健康を気遣って、大好物の唐揚げを入れたお弁当を届けてくれる女の子。健康健全な男子としては意識しないワケもなく。徐々に距離を縮めて行き、疲れ果てても無理して頑張ろうとするところを優しく気遣って、『無理しないで下さい』と止めてくれる内気だけど優しくて真面目な美幸。うん、オチるわ。これはもうイケる気しかしない」
「……あ、あの、お姉ちゃん?」
「真面目で責任感が強いっていう情報はあの双子ちゃん達から入ってネタぁ割れてるからね。そこで同じく真面目で優しい美幸の手を取って、『美幸ちゃん、俺、キミのことが』『森林さんっ』……じゃないね? 森林さんって下の名前なんていうの? 知ってるでしょ? お弁当あげる仲なんだから。ひょっとしてもう名前呼び?」
「ち、違うよぅ……えっと、確か……幸一さん、だったと思うけど……」
「了解、じゃ続きね?『美幸ちゃん、俺もう戻らないと、頑張らなきゃいけないんだ』『幸一さん……私、幸一さんの事が心配なんです。帰っちゃ嫌です!』『美幸ちゃん、俺だって男なんだ、二人きりでキミみたいな女の子と一緒にいたら』『私のこと、女の子として見てくれるんですか? 嬉しい……』で、玄関の鍵も閉めて、カーテンも閉めてだ」
大げさに芝居じみたセリフを言いつつ、美貴は妙に大きな身振り手振りで何かに抱きつくような素振りを見せる。
「え? えっ? あの、お姉ちゃん、私と森林さん、どこで何してるの?」
「いーからいーから、今イイとこだから。で『私じゃ、幸一さんのこと……引き止められませんか?』『美幸ちゃん! ダメだ、服を着て! 自分を大切にしないと!』『幸一さんが安らげるなら、私……』でとりあえずブラを外してだ」
「えっ? わ、私脱いでるの!? えっ? えっ? ブラ、って、えぇっ?」
思わず美幸は胸を隠すようにして後ずさった。
「ったり前じゃない、女の武器は使い所が肝心だからね? それからもう部屋の電気を消す、シャワーも浴びる、めくるめくオトナの夜をイチャイチャ過ごすまでがワンセットだとしてだ」
「待って待って待って? ね、お姉ちゃんちょっと待って?」
「そうしたら当然朝チュンでしょ? それから『幸一さん、私、心配なんです……私に幸一さんのご飯、作らせて下さい!』『美幸ちゃん、俺はご飯より美幸ちゃんの方が』『あぁんっ、幸一さん、せめて暗くして下さい……恥ずかしい……』『美幸ちゃん!』で3回戦くらいは余裕でイケるでしょ?」
「ね、ねぇ? お姉ちゃんっ? 帰ってきて、ねぇってばぁ!」
ふぅ、となにかに満足したように大きく息を吐くと、カッと見開いた目で美幸を凝視する。
「ひぇ」
「美幸、お姉ちゃんから、オンナの先輩としてこれだけは」
突然美貴はカバンの中をごそごそと漁り、何か小さな包を取り出して美幸の手に半ば無理やり握らせる。
「コレだけは持ってなさい」
「え、何これ……って」
美幸の顔が一気に赤くなったのは、決してアルコールのせいだけではない。
手のひらの上にあったのは、『0.01』という数字が書かれた小さな小さな包み。
「オトナのオンナとしての嗜みだから。使い方、分かるよね? オトナだよね?」
「こ、これ、これって……」
姉に握らされたもの、それは紛れもなく美幸が使ったこともない、避妊具であった。




