14 予期せぬ訪問者
幸一が幸せそうな顔で『大きめの唐揚げ5つに申し訳程度のサラダ、それにおにぎり3つ』という男子ホイホイとも言える弁当を食べている最中のことだった。
突然資料室のドアの向こう側が騒がしくなった。特に経理課や総務課を要する管理部に会長室からは、怒声のような声まで響いてくる。
「あー、とうとう来たかな」
唐揚げの最後の一つを頬張りながら、幸一は奇妙な言葉を口にする。
自分の分を食べ終えて、不安そうにおろおろし始めた美幸を宥めるように、優しい笑顔で『大丈夫大丈夫』と繰り返してから伸びをするように立ち上がる。
「あ、あの、あのっ、森林さん、何かあったんですか?」
「ん? うん、あったあった。ほら、大草さんがこないだセクハラされたり、モラハラされたり、パワハラされたりしたでしょ? それだけじゃなくて、この会社色々あってさ。中谷さんと吉田さんと俺とで色々証拠集めてたんだ。んで」
「…………あ、あの、まさか……」
にっ、と歯を見せるいたずら小僧のような笑みを浮かべた幸一は、全く悪びれる様子もなく顔を美幸に近づけて、ぼそ、と小声で囁いた。
「タレ込んじゃった」
「えっ、あ、えっ? えっ? あ、あの、それって」
「まぁそれ以外にもさ、ヒドかったよ。粉飾決算に横領に脱税、個人情報保護法違反、おまけに迷惑防止条例違反に窃盗、器物損壊とまぁ笑っちゃうくらい証拠があってさ。あ、しばらく俺もここで吉田さんと色々やってたんだけど、あれ社長の指示もあって色々証拠集めしてたんだ」
美幸の顔から血の気が引いた。
勤め先が違法行為に手を染めていて、それを内部告発したというのだ。
動揺する間もなく、資料室のドアが勢いよく開かれる。
「どうぞどうぞ、こちらが資料室です。会計資料に議事録、あと開発関連資料も保管しています。それから、彼女が被害者です」
中谷の案内で、今まで見たことがないスーツ姿の者が数人入り込んでくる。
「失礼します。労働基準監督局と」
「国税庁と」
「警察です。それから」
3人の男が次々に名乗り、最後にスーツ姿に度の強いメガネを掛けた女性が歩み寄り、名刺を持って美幸に歩み寄り目線の高さを合わせるように床に膝をついてきた。
「弁護士の高田と申します。はじめまして」
「え、えっ? えっ? あ、あの、えっ?」
「わたくし、菱橋システムズ株式会社におけるパワハラ、セクハラ、モラハラ被害者の方の相談窓口を務めさせて頂くことになりました。資料室の大草美幸さん、でいらっしゃいますね?」
「え、えぇ、あの、あのっ、ごめんなさい、すみません、私何もしてません、何も知りません、わ、わたわたわた私捕まっちゃうんですか? えっ? け、けい、警察、警察って、その、ああああの、わた、私本当に何も知らないんです……」
涙目になってブルブルと震えだした美幸を落ち着けようとしたのか、弁護士の高田はできるだけ優しく笑みを見せた。
「大丈夫です、大草さんは、被害者の側です。こちら、私の名刺です。今後、被害を受けられた方にお話を伺う事があるかと思いますが、基本的に被害を訴え出られた方を原告として、被害救済のための訴訟を起こすことになるかと思います。中谷さんより、大草さんも日常的に被害を受けておられたと伺いましたが」
「え……あ、あの、ああああの、あの、私……わたし、なにも悪いことしてません……ごめんなさい、ゆるしてください……」
警察に弁護士、それに訴訟というキーワードでパニックを起こしたのだろうか、美幸は子供のように泣き出してしまった。
「あの、すんません。大草さん、セクハラもモラハラもパワハラも受けてたんですけど、すごく内気で気弱な人なんですよ。ちょっと時間もらえたりしませんか?」
「そ、そうでしたか。すみません、失礼しました。大草さんも申し訳ありません、そんな追い詰めるような意図はなかったのですが……本件に関して、大草さんご自身が会社の不正に関与していない限り、何か罪に問われたり追求されるといった事はありませんので、ご安心下さい」
女性弁護士から名刺を受け取ったものの、まだ茫然自失の状態の美幸はきょろきょろと周囲を見回す。
国税庁に労働基準監督局と名乗った男たちは、資料室の棚に保管された段ボールを次々に運び出している。
「大草くん、大丈夫。心配しないでいいからねぇ? とりあえず今日はもう仕事にならないだろうし、4階の部署から順次帰宅してるから、大草くんは帰宅の準備をしておいてもらえるかな?」
「え、あ、あの、あのっ、中谷部長、私その、本当に何もしてません、何も知らないしわからないんです」
「うんうん、不安だねぇ。でも大丈夫、大草くんは何も心配しないで良いから。とりあえず、事態が落ち着き次第僕からまた連絡しますから、それまでちょっとお休みしてていいからねぇ。まぁ、出来れば連絡が取れるように携帯電話は持っておいて貰えると助かるかな」
全く納得も理解も出来ていない様子ながら、幸一から空の弁当箱を受け取ると、荷物をまとめてトートバッグを肩にかけ、『本当に良いのかな』という顔でオフィスビルを後にした。
家に帰ってからもしばらく呆然としていた美幸は、自宅マンションの前を通る救急車のサイレンの音で唐突に我に返った。
時計を見ると15時少し過ぎ。何時頃に家にたどり着いたのかも思い出せないほどに混乱している。
我に返った美幸がスマホの着信音に気付くまで少し時間が必要だった。
液晶には『美貴』という短い文字が表示されている。
「も、もしもし、美幸です……」
『あぁ良かった! 心配してたのよ! 大丈夫?』
「……え? えっ? 心配って」
『菱橋システムズって、美幸の勤め先でしょ? 国税とか警察とかが調査に入ったって、SNSで誰か呟いてたのが拡散されてるよ? 大丈夫だったの?』
「……お、おね、おねえちゃん、わたしこわい……怖いよぉ」
姉の声を聞いてようやく緊張の糸が切れたのか、美幸は電話を耳に押し当てたまま泣きべそをかきはじめた。
『美幸、今どこ?』
「あ、あの、会社、会社に行ったの、そしたらあの、知らない人、知らない人がいっぱい来て、それで、あの」
『会社に行ったのね? それで? 今はどこに居るの?』
「あの、えっと、えっと、会社で、お昼まで居て、それで、あの、部長から家に帰りなさいって、それで、さっき家に」
『家に居るのね? オッケー分かった。今から行くから。良い? 出かけたりしないの。分かった? はい私が言ったこと復唱して?』
「え、えと、えっと、あの、あの」
『美幸? 落ち着いて、深呼吸して。はい吸って』
「う、うん」
『大きく吸って、次はゆーっくり吐いて。ゆっくりよ? 焦らない。良い? ゆーっくり吐いて、吐ききったら大きく吸って。もっかいゆーっくり吐く』
美貴の指示を素直に聞いて深呼吸を繰り返し、ようやく美幸も冷静さを取り戻してきた。
『落ち着いた? 大丈夫そ?』
「う、うん……ごめん、お姉ちゃん……」
『ほらぁ、謝らない。で? 今家にいる? 誰かいっしょ?』
「ううん、今家に一人でいる」
『そっか。了解。今日、晩御飯で食べるものある?』
「えと……う、うん、一応何日か分は冷蔵庫にある……」
『わかった。じゃあ美幸、良い? 今から私がそっち行くから。とりあえず出かけないで家にいて。ね? 分かった?』
「でもお姉ちゃん、仕事は」
『ンなもんどうとでもなるから! 良い? とりあえず暖かいもの飲んで、テレビ見るなり本読むなりして、ゆっくりしてなさい。良いわね? はい返事!』
「は、はい」
いつも通り、美貴に押し切られるカタチになった美幸は通話を終わらせて、そのままの姿勢で呆然と座り込む。
何とかして状況の整理を試みるが、まだ頭の回転が戻らない。
順を追って考えを整理している内に、意外なほど早く美貴が呼び鈴を押してきた。
「美幸? 大丈夫? 落ち着いた?」
「あ、う、うん……ゴメンお姉ちゃん、仕事なのに」
「そんなの良いから! 何か飲んだ? 飲んでないでしょ? 水分とってないね?」
「……あ、飲んでない……」
「ほらぁ。はいコレ。好きでしょ? カフェオレ」
「うん、ありがと……」
美貴は手に持ったコンビニのレジ袋から、紙パックのカフェオレを取り出し、慣れた様子でコップに注いで美幸の前に差し出した。
ついでとばかりに、買い込んできたシュークリームも取り出すと『まずは甘い物食べなさい』と問答無用で食べさせにくる。
落ち着きを取り戻した美幸の手をしっかりと握ったまま、美貴は優しく笑顔を見せる。
「大変だったんでしょ。美幸の会社、何があったの?」
「あの……ゴメン、私もよくわかんないの……警察と、あと国税庁と、あと労働ナントカ局……? と、あと弁護士っていう人が来て、それで、私、あの、あの、ねぇお姉ちゃん、私なんにもしてないの、お願い信じて、あの、私ホントに何もしらなくて、それで、あの」
「分かってる。大丈夫、美幸が迷子以外で警察の世話になるような子じゃないって、私はちゃんと知ってる。落ち着いて? ほらゆっくり息して。大丈夫だから。ね? ほら私の目を見て。お姉ちゃんは、何があっても美幸の味方だから。ね?」
呼吸が早くなり始めた美幸の両手をそっと握り、真似をさせるように大きくゆっくりと息をする姿を見せる。
涙ながらに『何も知らない』『何もしてない』と訴える妹の姿は、美貴の胸を締め付けるほど痛々しい。
「多分だけどね、美幸の会社って、経営陣がなにか不正してたんじゃないかな。脱税とか粉飾決算とか、あとは残業代の未払いとか。まぁ細かいところは今調べてるんだろうけど、今の時点で美幸に出来ることは『何もしない』こと。あと、なにか聞かれても私と弁護士さんと警察以外には知らぬ存ぜぬを通しなさい。分かった? はい復唱」
「え、えっと……何もしない、あとお姉ちゃんと、弁護士の先生と、おまわりさん以外には『何も知らない』って言う……?」
「はいオッケー。そんだけ分かれば大丈夫。ちょっと安心したわ。良い? なにか聞かれても『私にはわかりません』で通すのよ? 万が一マスコミとかがなにか聞いてても、知らぬ存ぜぬで良いからね。下手なこと話すとあとあとトラブルになるから」
「う、うん………わかった、ありがとうお姉ちゃん……」
ふぅ、と安堵したようなため息をはいて、美貴は美幸の頭をぽんぽんと軽く撫でる。
「良いってことよ。今日おつまみとか甘い酎ハイとか買ってきたからさ。軽く飲もっか? 今日泊まってって良い?」
「うん、もちろん。ありがと、正直、今日一人だと不安だった……」
「だと思ってさ。コンビニで下着とかも買ってきた。久しぶりに二人で飲むよ」
いつもの、姉の快活な笑顔に安心したのか、美幸にもようやく安心したような笑顔が戻った。




