13 報告は大事です
「さぁ、隠し事は無しだ。洗いざらい吐け」
実に物騒なセリフとは裏腹に、もう『ニチャア』としか擬音をつけようのない笑顔を美幸に近づけたのは、姉の美貴だ。
日曜日の昼少し過ぎ、渋谷で待ち合わせをした仲の良い姉妹は、日当たりの良いレストランで向かい合って、安くて美味いと美貴の同僚が絶賛していたランチを済ませたばかりだ。
「ひぇ……お、お姉ちゃん怖い……」
「で? どうだったの? ん? お弁当作ってあげたんでしょ? 全部食べてくれた? 何が美味しかったって? 次は? 美幸の料理美味しいもんねぇ? 男は胃袋掴んじゃえばこっちのモンよ? どうだった? ん? ほら吐け、白状して楽になっちまえよ?」
「ちょ、待って待って」
目の前のランチプレートの皿が空になったと同時に、美貴の『尋問』が始まった。
ニチャア顔の美貴の前に食後のコーヒーが運ばれてくる。美幸は差し出されたコーヒーに砂糖とミルクを入れて、小さなスプーンでくるくるとかき混ぜる。
「まずは状況整理しよっか。とりあえずお弁当作戦は成功、と」
「あ、う、うん……」
「全部食べてくれた?」
「うん……森林さん、美味しいって……全部食べてくれた」
美幸は本当に嬉しそうに、少し頬を赤らめてうっとりと微笑む。このまま放っておいたら、よだれでも垂らしそうなほど嬉しそうだ。
「ほうほう、んで? 次はありそう? 何かリクエストあった?」
「あの……うん、次はっていうか……毎日食べたいって……」
「ストップ、待て、ちょっと待て、落ち着け。一旦落ち着くよ? はいコーヒー置いて、深呼吸して」
「え? あ、うん」
美幸は素直にコーヒーカップをテーブルにおいて、本当に深呼吸をする。まったく同じタイミングで、美貴も大きく胸をそらして深呼吸。
「あの、お姉ちゃん……?」
「そっかぁ、ついに美幸も結婚かぁ」
「お姉ちゃんっ!?」
想像もしていなかった言葉に、思わず美幸の声が大きくなる。
慌てて周囲の客にすみません、すみませんと小さく頭を下げるが、両隣にいる客は先程から美貴と美幸の会話に耳をそばだてているのか、妙にニヤニヤしながら会釈を返した。
「だってそうじゃん? 毎日弁当食べたいとか、これもう付き合う通り越してプロポーズみたいなモンじゃない?」
「いや、あ、あのね? あの、えっと、森林さんとはまだそういうのじゃなくって」
「まだ、ってことはぁ? いずれそうなりたいっていう願望はあるんでしょ?」
「は、はうぅ……」
昔から、美幸は美貴に勝ったことがない。
姉妹ケンカは当たり前に何度かある。だが、美幸よりも頭の回転も早く、フィジカルでも元バレーボール部で今も体を動かすのが好き、という美貴は、常に余裕を持って美幸の先回りが出来る。
子供の頃から『姉に敵わない妹』で、ケンカのときにはいつも姉のほうが『もういいよ』と折れてくれる、そんな関係だ。
だが、今日の姉は折れなかった。
「美幸、良い? 真面目な話だよ? 美幸ってさ、今まで男友達もいない、当然彼氏が出来たこともないでしょ。それが今回、いきなりお弁当イベントがあった。これはね、最大で最初で最後のチャンスかもしれないの。ここでちゃんと行動を起こせるか、それとも今までと同じように手を引っ込めちゃうのか、その選択は美幸の人生に大きな影響がある」
「そ、そうかなぁ……」
困り果てた顔で、相変わらずコーヒーをくるくるとかき混ぜる。
「ねぇ美幸、ちょっと私の目ぇ見て。今すっごく、すっっっごく大事な、真面目な話してる」
「うん……」
おずおずと美幸が視線を上げると、真正面の姉と視線がぶつかる。テーブルの上、手が伸びてきて美貴の手が美幸の手をきゅっと優しく握ってきた。
「私はね、美幸は幸せになんなきゃダメだと思う。大人しくて、引っ込み思案で、内気で、人と接するのが苦手で、臆病で、怖がりで、優しくて、真面目で、いっつも我慢ばっかする美幸だからこそ、幸せになんなきゃダメなの」
美貴の口調は穏やかで優しく、だがその表情から真剣に語りかけていることは明らかだ。
「私さ、一回失敗してるじゃない? まぁ失敗って言うかぶっちゃけただの離婚よね。そういう経験するとさ、あのときああすれば良かった、こんな風に言えば良かった。あんなことしなきゃ良かった、っていう後悔がいっぱいでてくるの。取り返しがつかなくなって初めてわかることもいっぱいある。恋愛でもそう。美幸って恋愛経験ないでしょ?」
「う、うん……ない……」
「だから今迷ってると思うのよ。このまま進むべきか、それとも手を引くべきかって。このまま本当に毎日お弁当作ってあげるべきか、それとも全部諦めて距離を置くべきか」
「ちょ、ちょっと、なんで分かるの? お姉ちゃん怖い」
「経験者だからよ。でね? 結論から言うよ? 良い? 美幸は何が何でも、このまま突っ走るべき。森林さんだっけ? あの人は間違いない。私には分かる。逃がしちゃダメ。絶対逃がすな。地の果て、海の底まで追っかけてでも捕まえて、モノにしなきゃダメよ」
「え、えっ? えっ? だからなんでそんな事分かるの?」
「経験者だからって言ってんじゃん。8人の男と付き合った経験嘗めんな。あの人は間違いなく誠実な男だと思う。もし美幸が要らないっていうなら私が貰うよ?」
「だめ!」
がた、と思わず美幸が立ち上がる。
周囲の視線が美幸に集まり、一気に顔が赤くなってしまった美幸は再度すみません、すみませんと謝りつつ腰を下ろす。
「あれぇ? おねーさんじゃないっすか」
座ろうと身をかがめた美幸が、意外な声がした方向に目を向けると、どこかで見たことのあるまったく同じ顔を持つ2人が嬉しそうな笑顔で手をブンブンと振っていた。
「え? やだ偶然! ちょっとそっち行って良っすか?」
やや小柄な一卵性双生児の姉妹。
「あ、確かヨドバシで、この子が機種変するときに居た……」
「そうですそうです! いつもウチの無愛想なお兄ちゃんがお世話になってまぁす」
当然のようにアイスコーヒーのグラスを持ち、店員に何事かを話してから美貴と美幸の隣のテーブルに移ってきた。
「あっ……あの、森林さんの、妹さん……?」
「ですですぅ! あ、ベンチの方が亜美で、私が真美です」
相変わらず見分けがまったくつかない顔立ちに、おまけにリアル双子コーデなためか、やはり座り位置を入れ替えても美貴も美幸も気付かないだろう。
顔立ちも整っており、ややギャルよりなメイクもあってか、美人双子姉妹と言ってまったく差し支えないう風貌だ。
地味という言葉が服を着てメガネを描けているような美幸とは対照的だ。
「うわー偶然! あの、お二人仲良いんすね?」
「今日お買い物っすか? あ、ウチらは特に何も買ったりしてなくって、ただフラフラしてるだけなんすけど」
あははは、と明るく笑い声を上げる双子の姉妹。
二十歳前後であろうか、物怖じしない度胸に加えて明るさも持ち合わせている。美幸からすれば『羨ましい』と思ってしまうタイプだ。
「真美ちゃんと亜美ちゃん? だったよね? ちょーっと色々教えてほしいんだけど」
美貴は手を挙げて店員を呼び、デザートを4人分注文する。しきりに遠慮する双子に『良いの良いの』『おねーさんにゴチられときなさい』『お礼の先払いだと思って』と持ち前のコミュ力で押し切る。
「お兄さん、苦手な食べ物とかある? あと『これは無限に食べる』っていう大好物とか」
双子はまったく同じ顔を見合わせて、まったく同時に美貴と美幸にまったく同じ顔を向ける。
「「あるあるぅ!」」
うわぁ、双子って本当にこういうふうに動きも言葉も重なるんだ、と呑気に実感した美幸に、実に嬉しそうな笑顔の亜美が身を乗り出してくる。
「お兄ちゃん、グリーンピース苦手っす! 焼売に乗ってるグリーンピースとか残しちゃうんすよ!」
「あとほらアレ、トムヤムクン苦手じゃなかったっけか? 酸っぱいのと辛いのはイケるけど、酸っぱ辛いのはダメって言ってたよね?」
「それと牛乳飲むとお腹壊すよね。ヨーグルトは大丈夫なのに」
「そうそう、だから普段豆乳飲んでるんすよ」
「お酒は好きだよね。家でも時々ビール飲んでるし」
「ビールと、あと日本酒好きって言ってたっけ? 焼酎とかウイスキーは苦手って言ってたっす」
「苦手なのってそれくらいかなぁ? 真美、あと何かある?」
「んー、嫌いなのはそれくらい? グリーンピース、酸っぱ辛いの、牛乳、あとは焼酎とウイスキーっすね」
うんうん、と同時に同じリズムで頷く。
なるほど、と呟いて美貴はスマホに何かを入力する。
「じゃ、お兄さんの大好物は?」
「「唐揚げ!」」
双子はまたもハモった。しかも即答である。
顔立ちや身体つきが同じなせいだろうか、声質も極めて似ている2人のハモりは、日頃美貴と美幸の言葉が被ったものとは精度が段違いだ。
「うちってパパがいなくって、家族はママと私たちとお兄ちゃんの4人なんすけど、ママが唐揚げ作るとき単位が『何個』じゃなくてキロなんすよキロ。お兄ちゃん一人で私たちとママの3人分よりたくさん食べるんすよ、あの人」
「そうそう、ホントお兄ちゃん唐揚げ無限に食べるよね」
「レモンかけようとしたら怒るし、意味わかんない」
「唐揚げにはレモンだよねぇ? こないだお兄ちゃん一人で何個食べたっけ?」
「軽く10はイッてた。唐揚げとご飯しか食べてなかった。マジあり得ないよね。多分ニワトリ1羽くらい食べるんじゃない?」
「絶対将来ニワトリの霊に祟られるよ」
「去年の冬とかさぁ、ケンタッキーの前通ったときさ、子供がサンタ服着たカーネルサンダース見て『サンタさんだー』って言ってたじゃん?」
「あー、覚えてる覚えてる! ちっちゃい女の子よね? ねぇおねーさん、ウチのお兄ちゃん、そんな微笑ましいとこ見て何て言ったと思います?」
「ちっちゃい子にギリ聞こえるか聞こえないかくらいの声で『騙されるな、そいつはサンタじゃない。コスプレした唐揚げ屋のオヤジだ』って言ったんすよ? もうマジ後ろから引っ叩いてやろうかと思ったよね」
「ホントお兄ちゃんああいうとこあるよね」
「「ねー」」
まるで漫才でも見せられているかのような、超絶技巧とも言える言葉のキャッチボール。
美貴と美幸の姉妹の場合は、美貴がピッチャーなら美幸がキャッチャーだが、この2人は卓球で凄まじいラリーをする達人同士と言えるだろう。
「あの、おねーさん、いきなりで申し訳ないっす。ちょっとマジメなお願いなんすけど」
「うちのお兄ちゃん、いい物件だと思うんすよ。ただ何年か前にひっどいフラれかたして、しばらく女性不信で」
「わかるんすよ、おねーさん、真面目さんっすよね? なんかオーラ出てます」
「出来ればウチのお兄ちゃんと仲良くして欲しいんすよ! お兄ちゃん、ほんと昔っからクッソ真面目で損ばっかしてて!」
「重いかもしんないっすけど、絶対損はさせないっすから!」
「お願いします! お兄ちゃんのこと、真面目に見てやって欲しいんす!」
「私らも全力で、何でも協力しますんで!」
双子姉妹、真美と亜美は切実な、真剣な顔を美幸に向ける。
2人の表情を見て満足げに頷いたのは、何故か美貴の方だ。
「皆まで言うな、私もキミ達と同じ気持ちよ。この子、大人しくて引っ込み思案で内気で臆病で目立つのが苦手で、ホント前に出るのがド下手な子なんだけど、とにかく真面目で優しくて良い子なの」
「ちょ、お姉ちゃん?」
美幸の抗議の視線など全く気にせず、美貴は双子に向かって身を乗り出した。
「こちらこそお願い! この子今っていうかずっとフリーだから! よろしくお願いします!」
何故か当人同士の意思をガン無視して『商談成立』とでも言わんばかりに3人が握手を交わす。
暫くの間、運ばれて来たデザートに見向きもせずおしゃべりな3人と、一人『どうしよう』と困り果てた顔の美幸はランチタイム終了まで延々おしゃべりを続けることになった。




