12 誰かのための時間
「スマホのフリック入力も、慣れると早いものだねぇ」
のんびりと、すっかり昼行灯の顔を取り戻した中谷はペットボトルのお茶を飲みながら、呑気この上ないセリフを口走る。
だが、美幸はそれどころではなかった。
必死で慣れないスマホのインターフェースで文字を入力し、姉とのLINEメッセージのやり取りを続けている。
『どした、何事?』
『どうしやうおねえちゃん、やつちゃた』
『なに? やらかした?』
『やらかしちゃたかもどうしようおねちゃおねがいたすけでうすればいいの』
思わず文字の漢字変換や句読点がごっそり抜け落ち、さらに誤入力満載の文になってしまった。
『おwちwつwけww とりあえず深呼吸して。どうした? 仕事で失敗?』
『ちがうの何はなせばいいのかわかんないどうしよう』
『男か?』
『ちがうな、そいいうのじゃなく』
『よし、とりあえず深呼吸しようかw。あと文字入力はゆっくりでいいからww』
美幸は不自然に何度か深呼吸をする。
「大草くん、文字入力するならゆっくり、落ち着いてやった方が早いですよ」
「あ、は、はい……すみません……」
再びスマホに視線を移し、慎重に文字を入力する。
『お弁当作ったの』
『いつも作ってるやつ?』
『そうなんだけど、自分のとあともうひとつ』
『やっぱ男か』
『ちがうのおとこじゃなくてそうじゃなくてそうじゃないの』
美幸は慌てると、入力するテキストの変換と句読点を忘れてしまうクセがあるようだった。
『よし把握。任せなさい。こないだのあの人でしょ、森林さんでしょ』
『ちがわなうの』
違うのか違わないのか全くわからない、新しい日本語が誕生してしまった。
『美幸がついに男に手作り弁当を作った。で、お昼に誘った。でも何を話せばいいかわからない。お願い助けて。と』
『おねがいたすけて』
『任せろ』
再びウサギのスタンプ。今度は尾頭付きの鯛を抱えて『祝着至極』という文字が付いている。
さらに甲冑姿のウサギのスタンプで『あいやしばらく』と考え込んでいるものが送られてきた。どうやらこのスタンプは美貴のお気に入りであるようだ。
『会話の基本は共通の話題。わからなければ天気と気温が無難。弁当を作ったなら好きな料理からのおすすめの店、からの家族の好物と話題を深堀りするのが吉。あとは、美幸の性格なら積極的に話をふくらませるよりも、相手について知りたいことを聞くのがオススメ』
スマホをじっと睨みつけるように、眼鏡をかけ直してじっとメッセージに見入る。
突発的な会話など苦手な苦手である美幸にとっては、この上なくありがたいアドバイスだ。
「好きな料理、オススメの店、家族の好物……なるほど……」
『あとは?』
『欲しがるではないかww 愛いやつよのうwww』
『おねがいおしえておねえちゃん』
『可愛い妹の頼みだ、この姉の秘策を伝授してやろう。美幸ならお弁当の渡し方の工夫とか多分ムリだろうから、ひとつだけ』
『はやく』
『まぁ慌てるなww 最後に必ず、何が美味しかったか、次何を入れて欲しいか聞け。必ず聞け。忘れずに聞け。それが次につながる』
天啓だ。
我慢以外の処世術など知らない美幸にとって、この手のテクニックなど教科書を買ってでも学びたかったものである。少し興奮気味にスマホを操って文字を打ち込む。
『ししようつてよんでいい?』
『だから落ち着けと言うにwww 幸運を祈る。今度の週末、日曜にでもランチ行くよ。詳しく聞かせて』
『わかた』
ぽひゅ、という可愛い音の直後、血走った目の甲冑ウサギが『ご武運を!』と座礼しているスタンプ。
考えてみれば、美貴はいつも引っ込み思案で一歩を踏み出せない美幸の背中を押してくれる存在だった。
24年間、異性の友人などただのひとりもいない人生、男のために弁当を作って持ってきたことなど、今日が生まれて初めてだ。
姉の美貴から見ても、これは美幸にとって千載一遇にして空前絶後のチャンスである。
改めて、美幸はパソコンの液晶モニターに映し出されているチャットウィンドウに目を向けた。
チャットの履歴は、幸一の『12時ダッシュで行きます!』のままだ。深呼吸を一つしてからスマホの時計に目を向けると、なんと11時45分と表示されている。
「ひえぇぇえっ?」
「大草くん? どうしたの?」
「え、あ、いえ、あの、す、すみません、なんでもないです……」
「具合が悪かったら、無理しないようにねぇ?」
「あ、はい……すみません……」
美幸の体感では、ついさっき出社ボタンをクリックしたばかりのはずだ。姉とのメッセージのやり取りで2時間半以上費やしてしまったことになる。本来なら社会人として、就業時間中に私用スマホを扱って家族とメッセージのやり取りをするなど、訓戒処分を受けてもおかしくない。
よくよく考えれば、美貴もそうであるはずだ。が、要領も人当たりも良い美貴のことだ。いつものように上手に乗り切っているのだろう。美幸にはない美貴の器用さとしなやかさと強靭さは、常に美幸にとって羨ましくて仕方のないものだ。
何度か深呼吸をしている内に、中谷と吉田は同時に立ち上がる。。
「大草くんは今日もお弁当ですかねぇ?」
「あ、は、はい。お弁当です」
「じゃあ、ちょっと出てきます」
「え」
男性陣二人は揃って部屋を出ていってしまった。つまり昼休みの時間、この部屋は美幸と幸一の二人切りになるということだ。
「え、あ、ど、どうしよ、どうしよう……」
戸惑っている内に、通路を駆け寄ってくる足音が近づき、資料室のドアをノックしてきた。
「お疲れ様でーす……ってあれ? 中谷部長と吉田さん……?」
「はい、あの……お昼に行っちゃいました……」
「そっか。あの、そしたら……大丈夫? 俺しかいないけど」
「は、はいっ! 大丈夫です。ああああの、あのっ……ふ、普段食べてるのからしたら少なくて、足りないかもですけど、これっ」
心境としてはもはやまな板の鯉だ。もっとも料理される側ではなく、料理を出す側ではあるのだが。
美幸が差し出した弁当箱は、成人男性向けのものとしてはかなり小さめである。そのため、弁当箱にはおかずだけを詰めて、主食にはおにぎりを作ってアルミホイルで包んで持ってきていた。
「う、うわぁ……本当に、弁当だ……」
「お、お口に合えばいいいいいんですがその、もし美味しくなかったら残してください……」
幸一が蓋を開けると、ミニトマトや茹でブロッコリーを添えたポテトサラダ、ナスのひき肉挟み焼きに軟骨入鶏つくね、そしてお弁当のお約束であるタコさんウィンナーと卵焼きもしっかり入っている。
「おにぎりは、中身は鰹節と、あと昆布の佃煮です。……あ、す、すみません、あの、どっちがどっちかわからなくなっちゃいました……」
幸一にとって、家族以外の女性が作った弁当を手渡されるなど、生まれて初めてのことだった。
「……あ、あの、森林さん? お箸これ……」
蓋を開けたままの姿勢で止まってしまった幸一に、おずおずと割り箸を差し出す美幸に気付いたのか、幸一は我に返ったように箸を受け取る。
「あの、ホントに食って良い……の?」
「はい、あの、どうぞ」
ぱん、と良い音を立てて幸一は手を合わせて、軽く頭を下げながら『頂きます』と言い、割り箸をわった。
美幸は普段通りのペースで食べるが、幸一は凄まじい勢いで弁当箱の中身を平らげていく。
思わず弁当を作った本人である美幸の箸が止まるほどの勢いで、あまり味わっていないような速度にも見えるペースだ。
「あ、あの、あの、森林さん、喉に詰まったりしませんか? 大丈夫ですか?」
ふと我に帰った幸一は、はたと手を止めて申し訳なさそうにぺこ、と頭を下げ、そこからはペースを落としてゆっくり食べ始める。
「えと……お口に合わない……ですか?」
「いやいやいやいやいや! とんでもない! 凄い美味い!」
「え」
「いやぁ、おにぎりも美味しいし、このナスのも美味いし……」
「あの、すみません、つくねは冷凍食品なんです」
「いや、それにしても……凄い、大草さん毎日こういうの作ってるの?」
「はい。料理が趣味なんです」
「そっかぁ……いやぁ、良いなぁ……毎日でも食べたい」
「えっ?」
「ん?」
タコさんウィンナーを一口で頬張った幸一がきょとんとした顔で視線を美幸に向ける。
「あ、あの、毎日……?」
美幸は顔を少し赤らめて、自身の弁当箱に視線を落とした。
ごくり、とウィンナーを飲み込んだ幸一は、まだ自分の言葉の意味と、深読みするとどういう意味に取られるかを悟っていない。
「あの、森林さんさえ良ければ、こんなお弁当でよければその、私は全然その、毎日でも……」
「え? ……あっ」
ようやく幸一は自身の『毎日食べたい』に込められる意味を理解した。
「い、いや! えっとあの、ゴメン、そういう意味じゃなくって、いや、違うというかその、本当に食べられるならすごく嬉しいんだけど! でもその、そんな負担になるようなことさせるわけには!」
「手間とか負担とかは、別に変わらないです! 1人分より2人分くらいのほうが作りやすいですし、それにその……美味しそうに食べてくれるのは、嬉しいですから……」
きちんとよく噛んで飲み込むように味わって、幸一は弁当をキレイに平らげた。それでも美幸よりもかなり早く食べ終えていた。
いつものペースでゆっくり食べ終えた美幸が、恐る恐るといった様子で幸一を見上げる。
「あの、森林さん……今日のお弁当でなにかお口に合わなかったものとか、ありますか? あとその……次もしお弁当つくるとしたら、なにか入れた方が良いものとか……?」
「え? いや、全部美味しかった……ポテサラもちょっと胡椒が効いててすごく美味かったし、卵焼きが甘いの、実家のと同じで何か嬉しかったなぁ……茄子とひき肉のも美味しかったし、おにぎりの塩加減もちょうどよかった……ホントに全部美味しかったぁ……」
嘆息、とも言えるほど満足げな深呼吸。
美幸にとっては初めて味わう満足感だ。
自分が作った料理を、家族以外の誰かが『美味しい』と言って全て食べてくれた事など、学校の家庭科を除けば生まれて初めてである。
「いや、もし食べたいのがあるとしたら……唐揚げとか?」
「唐揚げですね! わかりました! 次必ず入れてきます!」
「え? あ、いや、その……本当に良いの?」
「はい! 量はどうですか? 足りませんでしたよね?」
「いや、結構いい具合で……ま、まぁ贅沢を言えば、おにぎりがあとひとつあれば」
「わかりました、任せてください!」
テンションの上がった美幸と、生まれて初めての身内以外が作った弁当に舞い上がった幸一は、いつの間にか戻ってきていた中谷と吉田の視線に気づくことはなかった。




