Part 2
パレスでは、朝の空気が潮の香りと濡れた木の匂いを運んでいた。
イサは夜明けから働いていた。
港から倉庫まで木箱を運び、それを三往復。
肩は焼けるように痛み、腕には力が残っていなかった。
監督は決して気前のいい人間ではない。
それでも、給金だけは必ず約束どおりに払ってくれる。
イサは歩きながら硬貨を数え、それを誰にも盗まれないよう上着の内ポケットの奥へしまい込んだ。
父が亡くなってから――それが彼の日常になった。
人生は一夜にして変わったわけではない。
まるで一本ずつ柱を抜かれていく家のように、少しずつ、少しずつ。
気づいた頃には、もう以前の姿ではなくなっていた。
家の扉を開けると、母はすぐに顔を上げた。
「おかえり。」
疲れた声だった。
それでも、その響きには確かな温もりがあった。
イサは今日の稼ぎを静かに机へ置く。
「大した額じゃない。でも……ないよりはましだよ。」
母は硬貨を見つめ、それからイサへ視線を移した。
何も言わず、肩についた埃を手の甲でそっと払う。
その何気ない仕草が、胸の奥にじんわりと染みた。
「何でも一人で背負おうとしなくていいのよ。」
「……俺がやるしかないから。」
そう答えながら、イサは目を逸らして腰を下ろした。
向かいでは妹がにこっと笑い、自分のパンを半分ちぎって差し出してくる。
イサは首を横に振った。
けれど妹は引っ込めようとはせず、そのまま彼の前へそっと置いた。
裕福ではない。
食べ物だって十分ではない。
それでも、この家には家族がいた。
――それだけで十分だと、イサは思っていた。
食事を終えたあと、彼は外へ出る。
自然と視線は巨大な壁へ向かった。
世界を真っ二つに切り裂くような壁。
誰にも覆されることのない判決のように、そこへ立ちはだかっている。
その向こう側にはエルラシがある。
敵。
そう教えられてきた国。
本当にそうなのか。
イサには分からなかった。
分かっていることは一つだけ。
こんな暮らしを、一生続けるつもりはない。
自分のためではない。
母のため。
妹のため。
いつか必ず、この場所から連れ出してみせる。
イサは空を見上げた。
高く。
どこまでも自由な空。
ゆっくりと右手を伸ばす。
あと少しで届きそうなのに。
決して届かない何かへ向かって。
その瞬間――
世界が爆発した。
轟音が空気を切り裂く。
壁を挟んだ別々の場所で、ノアとイサは同時に顔を上げた。
二度目の爆発。
三度目の爆発。
大地が激しく揺れる。
悲鳴が響き渡り、石壁が砕け、土煙が空高く舞い上がった。
何が起きたのか理解する間もなく、
二人の足元から地面が崩れ落ちる。
そして――
二人は、闇の中へ落ちていった。




