第一章 壁の向こう側
# 第一章 壁の向こう側
ノアは、学校で「聞き流す」ということを覚えていた。
まったく話を聞かないわけではない。ただ、教師に注意されない程度には耳を傾ける。それだけで十分だった。
「エルラシは、自らの正当な領土を守っているにすぎない。」
教師は教壇の前に立ち、何年も変わらない口調でそう言った。
「我々の払う犠牲は、すべて必要なものだ。」
教室中の生徒たちが一斉にうなずく。
まるで、生まれたときからそう信じるよう教えられてきたかのように。
ノアもうなずいた。
うなずかないことを、彼はもうやめていた。
去年、一度だけ質問したことがある。
「どうしてパレスが先に攻撃したと分かるんですか?」
その瞬間、教師はノアを教室の前へ立たせた。
十分間。
クラス全員の視線を浴びながら。
教師は冷たく言い放った。
「戦争の時代に疑問を抱く余裕などない。」
教室は笑いに包まれた。
笑わなかったのは、ノアだけだった。
それ以来、彼は黙ってうなずくようになった。
昔は友達も多かった。
だが年月が過ぎるにつれ、皆少しずつ変わっていった。
学校で繰り返される教育。
「敵」を憎むことが正義だと教えられる毎日。
その空気に馴染めなかったノアは、いつしか一人で過ごすことを選ぶようになっていた。
昼休みは誰とも話さず、漫画を読みながら静かに昼食を取る。
それが彼の日常だった。
授業が終わると、ノアは誰にも挨拶をせず校舎を後にした。
街並みの向こうには、一枚の巨大な壁がそびえ立っている。
灰色で、果てしなく続く壁。
まるで世界に刻まれた、決して癒えることのない傷跡だった。
その向こう側には――パレスがある。
家へ帰っても、今日という日が良くなることはなかった。
母親は食卓に座っていた。
背筋を伸ばし、両手をきれいに重ねて。
まるで、その姿勢を毎日練習しているかのように。
「遅かったわね。」
「授業が長引いたんだ。」
「言い訳をしても意味はないわ。」
それだけだった。
今日はどうだったのか。
学校で何があったのか。
そんなことを聞かれることはない。
ノアは黙って食事を口に運んだ。
一度でいい。
試験や成績ではなく、自分自身のことを聞いてほしかった。
食事を終えると、彼は外へ出た。
ここからなら、壁の石一つ一つまで見えそうだった。
ノアはゆっくりと空を見上げる。
遠い。
広い。
そして、届かない。
気づけば、右手が自然と伸びていた。
雲へ向かってではない。
太陽へ向かってでもない。
もっと遠く――
自由へ。




