開封
「うーん、ママさん出てこんなぁ」
「まだ午前中だし、寝てるんじゃないですかね?……ていうか目的違いますよね?」
「まぁまぁ。へーちゃん、固いこと言わんといて」
翌日の午前中、俺たちは再び例のアパートに向かった。
夜中に郵便物を確認していることがあるという女性の言葉を信じて、午前中なら鉢合わせしないだろうと踏んだのだ。
だが、そもそも今日、しかもこの住所に届くとは限らないのではないか。
そう思って、先輩に確認したのだが、
「その通り。せやから賭けや」
と言われたので、大人しく着いていくことにした。
さすがにアパートの前で張っているわけにはいかないので、少し離れた自販機の横で郵便配達を待つ。
時々場所を変えながら、いかにも位置情報ゲームなどしているフリをして自然さを装う。
と言っても、この辺でレイドバトルはしてないので、見る人が見たらバレてしまうのだが……
「天野先輩、ほんとに届きますかね」
「発送元は埼玉、発送まで一〜二日。普通郵便なら、そろそろ着いてもおかしない頃や」
朝の十時を回り、気温はすでに高い。
俺はこんなところで何をやってるんだろう。
「お!」
「来ましたか?」
「いや、おじいちゃんやった。犬の散歩しとる。かいらしなぁ」
黒の柴犬が老人に連れられて歩いている。
くるんと丸まった尻尾は、確かに可愛らしい。
だが、待ってるのは別のものだ。
「先輩、何しに来たんですか」
「いやぁ、黒柴のマロ眉がたまらんて」
「しっかり見張って下さいよ」
と、その時だった。
ぶぶぶぶぶぶ……
間抜けな音を立ててスクーターが近づいてくるのがわかった。
「この音は……」
郵便配達の赤いスクーターが、俺たちの後ろから現れて追い抜いて行った。
そのままアパート前に停まると、郵便物を持って中に入っていく。
「来ましたね」
「いや、まだや。あの中に目当てのもんが入ってるかはまだわからん」
はやる気持ちを抑えて、スクーターが走り去るのを待つ。
「行きますか?」
「まだや。あと三分」
「三分待つと何かあるんですか?」
「ない。ないけど、ママさん出てくるかもしれんやん」
「……」
俺は先輩を置いて先に向かうことにした。
「ちょ、待ちいや。置いてかんで」
後ろから情けない声をあげて先輩もついてくる。
集合ポストは、遠目には昨日とほとんど変わらないように見えた。チラシまみれの204号室。その隣の203号室。だが、昨日は空だったはずの口に、薄い茶封筒が一通、差し込まれていた。
「……」
俺と先輩は顔を見合わせた。
「届いてますね」
「ああ、届いとる」
「どうします?」
「どうもこうもない」
先輩はそう言うなりポストに近づくと、ひょいと茶封筒を抜いてトートバッグにしまうと、そのまま元来た道に向かって歩き始めた。
今度は俺が追いかける番だ。
慌てて追いつくと、小声で話しかける。
「ちょっと、先輩!それはまずいんじゃないですか?」
「なんでや」
「窃盗は犯罪ですよ」
「窃盗やない。ちょっと拝借するだけや」
「どう見ても盗んでますよね?」
「ちょっと郵便物が遠回りするだけやろ。最終的にポストに戻ればトントンやで」
何がトントンなのかさっぱりわからないが、こう言い出したらもう何を言っても無駄だ。
俺は諦めて先輩の後に続く。
駅前に戻ると、先輩はそのまま寂れたカラオケボックスに入った。
「こんな時にカラオケ?ふざけてるんですか?」
部屋に入ると、俺は先輩を詰めた。
「いいや。ボクは大真面目や」
「どこが?」
「封筒開けるところは流石に人に見られる訳にはいかんやろ。喫茶店もアウトや。アパートに向かう途中でいい場所探しとったけど、個室になれる場所がここしかないねん」
なるほど。あちこち見回しながら歩いていたのはそう言うことだったのか。
勝手にふざけてると決めつけて申し訳ない気持ちになる。
「まぁ、時間があったら一曲くらい歌ってもええで」
「歌いませんよ!」
俺たちは固い合皮の椅子に腰掛けた。
ドリンクが届いたのを見計らい、持ち出した封筒をカバンから取り出す。
封筒は、よく見かける普通の茶封筒だった。宛先の住所は、俺が書いたものと同じだった。宛名には「山本」とある。偽名だろうか。
差出人の記載はなかった。
「うーん、なんもわからんなぁ」
封筒を振ってみる。カサカサと、中のものが揺れた。
「厚みもありませんよね。中身は紙でしょうか」
「やっぱ、開けてみんとわからんか」
そう言うと、先輩はカバンからいきなり千枚通しを取り出した。
「なんでそんなもの持って来てるんですか?ていうか、無理ですよ。綺麗になんて開きません。やって失敗したことあるからわかります」
「それはアレやろ、閉じたとこ開けたやろ」
「……?」
先輩は千枚通しの先を、茶封筒の下側、つまり発送者が糊付けした方ではなく、元々封筒として閉じられていた側に、そっと差し込んだ。
そのままくるくると回しながら、慎重に糊を剥がしていく。程なくして封筒の下側が綺麗に開いた。
「人が閉じた方は開けるの無理やで。こういう時は反対側を開けるんや。常識やろ?」
「……そんな常識、知りません」
ここまで来たら、後には引けない。
俺は先輩が茶封筒の中身を取り出すのを、じっと見守った。
出てきたのは、三つ折りにされた紙の束だった。開いてみると、白紙二枚に挟まれるようにして、一枚だけ文字が印刷された紙が入っていた。
まず、見たこともない名前と住所。そしてその下に、そこの住人の情報らしきものが箇条書きされている。
・氏名:原田正雄
・生年月日:19××年6月19日
・住所:埼玉県S市○○町3丁目4番
・世帯:高齢単身世帯
・親族支援の有無:隣県に娘夫婦有り
・生活実態:16時以降在宅
・地域との接点:薄い
・特記事項:90%
・5,000,000
「なんや、これ」
「原田さんって方の個人情報ですよね」
「……」
天野先輩は紙を凝視したまま、黙り込んでしまった。
全体的に言葉にならない薄気味悪さがあるが、特に最後の数字は、印刷された文字特有の無機質さを際立たせていた。
カラオケの冷房が効きすぎているのか、俺は寒さに身慄いした。
しばらくして、先輩は手付かずだったアイスコーヒーを一気に飲み干した。
「ここでじっとしててもしゃあないな。とりあえず封筒戻しにいくか」
天野先輩は印刷された紙をスマホで写真に撮ると、元の通りにたたみ、封筒に戻した。
持参した糊で封をすると、茶封筒は元通りになったように見えた。
カラオケを出てからも、俺たちは終始無言だった。
アパートに戻り、封筒をポストに戻すと、寮に戻るために電車に乗る。
見てはいけないものを見てしまった。
俺は10万円欲しさに、何か恐ろしいことに巻き込まれつつあるのかもしれない。
そう思うと、何かを話す気にはなれなかった。




