不在
翌日の午後、俺は中央線に揺られていた。
俺たちの寮から、宛先の住所まではおおよそ1時間半ほど。行こうと思えば行ける距離だ。そこで、実際に現地を見に行くことになったのだ。
果たして俺一人で何かが見抜けるだろうか。
そう考えると急に不安が込み上げた。
昨夜、天野先輩はこう話してくれた。
これ以上、ネット上で情報を探るのは難しい。だとすると、残るヒントは現地に赴くしかない、と。
それにフリマアプリは多くの場合、匿名配送を使う。出品者が揃いも揃って普通郵便なのは、何か理由があるはずだ。
俺は最初そこまでする価値があるとは思えなかったのだが、先輩の、
「購入者に10万も無駄払いさせといて、そのままで済むと思っとるんか?」
という一言で一気に気持ちが変わった。
本当は先輩も行きたかったそうだが、バイトがあるらしく、残念そうにしていた。
先輩は小学生相手に家庭教師をしているのだが、夏期講習のフォローで明日はどうしても休めないのだと話していた。
あの先輩が小学生相手にどうやって勉強を教えているのか。想像すると、なんだか少し笑えた。
そうこうしていると、電車は八王子駅に到着した。そこから横浜線に乗り換えて、数駅。
俺は改札を出ると、スマホで地図を確認しながら目的地に向かった。時刻は午後二時過ぎ。確か太陽が真上に来てから二時間後が一番暑いんだっけ、などと思い出しながら、だらだらと流れる汗を拭う。
呑気な蝉の声が、暑さのせいでやけに耳に響く。確認が終わったら絶対にコンビニでアイスを買うぞ。俺はそう強く決意して、歩みを進めた。
20分ほど歩くと目的の建物に着いた。
ごく普通の木造アパートだ。広さ的に単身者メインだろうが、一階の隅の部屋の前には三輪車が置いてある。
まずは建物の周りを一周し、それから外階段を上がって二階の廊下を通り抜けた。宛名に書かれた203号室の前で、歩調を緩める。表札はない。すりガラス越しの室内は暗く、中から物音もしない。誰も住んでいないのだろうか。あるいは、留守なのかもしれない。
その後、天野先輩の指示通り、一階の入口横に並んだ郵便受けを確認する。全室分がまとめて設置された、昔ながらの集合ポストだった。ロックなどは付いておらず、それぞれに部屋番号だけが書かれている。
203号室のポストを見ると、チラシまみれの204号室とは違い、何も刺さっていない。もしポストが使われているなら郵便物が溜まったりしていないはずだ、と先輩は話していた。
改めてもう一度各部屋の前を通り抜ける。確かに、住人の気配がない部屋のポストは、取り出された形跡がない。だとすると、203号室は誰か住んでいるのだろうか。
「ママー、早くー!!」
ガチャリとドアが開く音がして、小さい男の子と、その母親らしき女性が部屋から出てきた。
女性はTシャツに半パンというラフな格好で、足元はクロックスだ。子供のテンションとは裏腹に昼過ぎだというのに目がまだ眠そうで、出掛けるのを億劫がっているようだ。
「あの、何か……?」
ポスト前に棒立ちしている俺を不審に思ったようで、女性が声を掛けてきた。
「あ、いや、えと、その……」
もし住人から声を掛けられたらなんて答えるべきか。天野先輩から教えられていた。
「大学の友達が、その、全然学校に来てなくて。心配で見に来たんです」
事前に住所から調べた物件情報によると、このアパートは基本的に単身者向けで、下宿利用が多いらしい。
女性は警戒心を緩めた様子だった。
「このアパート大学生多いもんね。どの部屋?」
「た、確か203号室だった……ような?」
女性が2階を見上げる。しばらく染め直していないのか、毛先は明るいが生え際の黒さが目立った。
「あー、あの部屋か。出入りしてるの見たことないよ。男の子だよね?彼女の部屋にでも入り浸ってるんじゃないの?そういう年頃でしょ」
「そ、そうなんスかね?」
それなのにポストは綺麗だった。
どういうことだ?
気になってポストを振り返ると、女性は俺の視線に気付いたのか、こう続けた。
「でも夜中にタバコ吸いに出ると、時々郵便物だけは確認してるの見かけるよ」
「げ、元気そうでした?」
どんな顔ですか、とも聞けないので、無理やり質問してみる。
「いっつもフード被っててよく見えないんだよね。挨拶しても無視だし」
「そうですか……」
先に道路に出ていた男の子が戻ってきて、女性の手を引っ張る。
「ねー、ママー!公園ー!!!」
「はいはい、行くってば」
そのまま子供に手を引かれながら、渋々歩き始める。
「お友達に、挨拶されたら返事ぐらいしろって言っときなね」
そういうと、指先だけで弱く手を振り、行ってしまった。
俺は一人その場にぼんやりと立ち、シャワシャワという蝉の声に包まれた。
◇
「つまり、部屋は使われてへんのに、ポストだけ使われとる可能性が高い、ちゅーことやんな?」
その日の夜。
先輩の部屋で今日の出来事を伝えた。
ちゃぶ台の上には珍しくハーゲンダッツが二つ。家庭教師をしている家の人からチケットをもらったらしく、早速引き換えてきたのだ。
久しぶりのハーゲンダッツは甘く滑らかで、日中の疲れが吹き飛ぶようだ。
「ただ、話を聞いた女性がどこまで当てになるかわかんないですけど……」
「そうやねぇ……」
天野先輩が、残り少なくなったカップの内側を名残惜しそうに見つめた。
「ホンマに大学生が住んでて、留守がちなだけかもしれんな。ほんならポストに10万円突っ込んでおけば解決や。目的なんぞ、知らんでええ」
「だからお金はほとんど残ってなくて」
「あほ。そんなん日雇いに登録するなり薬の治験やるなり、なんとでもせい」
「そんなぁ……」
「だが、それじゃ解決せえへん可能性もある」
アイスを食べ終えた先輩は立ち上がると、カップを洗って分別して、捨てた。変なところで几帳面な人だ。
「解決しないって?」
「なんかヤバい目的でポストが使われとる、とか」
「……」
俺は半グレに囲まれてボコボコにされている自分を想像した。
いやだ。まだ死にたくない……
「だけど、もしポストが悪い奴らに使われとるとしたら、きっとまた同じようなもんが届くはずや」
先輩はスマホを開くと、フリマアプリを確認している。
「落ち葉が最後に売れたのは三日前、か……。よし。へーちゃん、明日もっかいそのアパート行くで」
「へ?」
「ボクもその美人のママさん、会いたくなったわ」
俺は美人なんて一言も言ってないのだが……




