第三十五話 基準の再定義と、置き去りにされた実力者たち
巨大なクレーターの底で、私は荒い息を吐きながら倒れているアルフレッドを見下ろした。
私の右手は、これまでの「トントン」の余韻でかすかに熱を持っている。
(……一万倍。ついに出力をそこまで上げられた。これまでの『レオン基準(事務職)』の時は、たった一倍……つまり一億分の一ですら、周囲が消し飛ぶのを恐れてビクビクしていたのに)
私は自分の手のひらをグーパーと動かし、能面のまま深い感動に浸っていた。
一万倍。それは私にとって、ようやく「手応え」を感じられる領域。それを正面から受け止め、一分間も耐えきったアルフレッドは、まさに人類の奇跡、あるいは最高品質のサンドバッグと言える。
「……アルフレッド。感謝する。あなたのおかげで、私のデバフ調整は新たなステージへ進めた。これからは、あなたを『健康的な成人の基準』として、私の生活を再構築することにするよ」
私が淡々と告げると、アルフレッドは虚空を見つめたまま、力なく笑った。
「……はは……基準、か。一国の王族として、世界最強として生きてきた私が……ようやく『成人の基準』合格、か……。ユイ、貴様の世界には……どんな化け物が住んでいるんだ……?」
「……化け物なんていない。みんな、あなたのように『ちゃんと運動』をしている人たちばかりだ(※前世の記憶と願望による激しい偏見)」
私がそう言い切ると、崖の上から様子を見ていたカイルたちが、ようやく腰を抜かしながら降りてきた。
その中には、アルフレッドの部下である『黄昏の旅団』の面々や、なぜか一緒についてきていたレオンとエリスも混ざっている。
「ユ、ユイちゃん……。今、一万倍って言った? さっきまでの『しっ、しっ』の一万倍の力を、王子に叩き込んだの……?」
カイルが震える声で尋ねる。
私は当然のように頷いた。
「ああ。これまでのレオンやエリスは、いわば『もやしっ子』だったんだ。少し風が吹けば折れてしまうような、危うい存在。だから私はずっと、彼らを壊さないように極限まで力を殺していた」
それを聞いたレオンとエリスが、石像のように固まった。
国内三位と、それに準ずる実力者。この国の誇り。それが今、目の前で「もやしっ子」と断定されたのだ。
「……もやし。俺、Sランクなのに、もやし……」
レオンがクレーターの壁に頭を打ち付け始めた。
「……風が吹けば折れる……。私、あんなに地獄の特訓をしたのに、ユイ様から見れば歩く要介護者だったのね……」
エリスもまた、縦ロールを力なく垂らして地面に膝をついた。
「……気にするな。君たちは君たちなりに、事務職としてよくやっている。だが、これからはアルフレッドという『完成形』がいる。私の基準が安定すれば、君たちへの『優しさ(手加減)』もより精密になるはずだ。喜んでいいぞ」
「……喜べるかぁぁぁ!!」
カイルの叫びが、地形の変わった山脈に虚しく響いた。
セシルだけは、「ああ、さすがユイ様……。もやしにさえ慈悲をかけるなんて、まさに大地の母……」と、独自の方向に信仰心を深めていたが。
私は、ようやく手に入れた「一万倍の負荷に耐える標準人類」というデータに満足し、アルフレッドに手を差し伸べた。
今度は、彼の骨が粉砕されないことを確信した、心からの握手をするために。
(……よし。次は、一万倍の力で握手だ。……あ、でも念のため、九千倍くらいに下げておこうかな。彼、もう息も絶え絶えだし)
私の「普通」への探求は、ようやく一人だけ、その背中を捉えることができたようだった。




