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虚像の断末魔、静かなる宣戦布告

ジャッカルのアジトを駆け抜け、地上へと這い出した瞬間、肌を刺すような異様な熱気と、それに相反する凍り付いたような沈黙がリヒトたちを襲った。

視界に飛び込んできたのは、普段の活気ある中立国では考えられない光景だった。

居住区の民たちは一様に土気色の顔で震え、何かに怯える小動物のように肩を寄せ合っている。誰一人として声を上げる者はなく、ただ絶望に満ちた視線が一箇所に注がれていた。

リヒトは「やはりただ事ではない」と、自身の意識レベルを戦闘直前の段階まで引き上げ、ルシウスの背を追った。


ほどなくして、目的の場所――民衆の拠り所である【自由の虚像】へとたどり着いた。

だが、そこに刻まれていたのは、救いようのない地獄の断片だった。

石像の周囲には、見るも無残な姿で磔にされた十ほどの骸が並んでいた。

そのどれもが、生身の人間に対する所業とは思えぬほど徹底的に損壊されている。四肢を貫く無骨な鉄杭、抉り取られた眼窩、そして魔法の直撃を受けたのか、腹部には拳大の虚ろな穴が焼き付いていた。

高さ十メートル。見上げなければ視界に入らぬその場所へ、あえて晒すように固定された死のオブジェ。それは、この地に住む者すべてに対する、声なき脅迫に他ならなかった。


リヒト「……こ、れは……」

喉の奥で、乾いた音が鳴った。隣に立つメーガスの顔からも血の気が失せていく。

メーガス「……酷いわね。人の……人の皮を被った怪物の仕業……」


二人の視線は、一つの骸で止まった。

変わり果てた姿ではあったが、見間違えるはずもない。ジャッカルが表の顔として営む居酒屋に、毎晩のように顔を出していた常連客の一人だ。「昨日は飲みすぎた」と笑っていたあの男が、今はただの肉塊として石像に釘付けにされている。

リヒト「……誰の仕業だ」

リヒトの声は、低く、押し殺した殺意を孕んで震えていた。拳を握りしめるその指先からは、微かに魔力が漏れ出している。

ルシウス「目下、全力で調査中だ。リュドたち隠密部隊を最優先で動かしている。……じきに、答えは出るだろう」

ルシウスの冷静な口調の裏にも、隠しきれない激情が滲んでいた。

静まり返った広場で、風に揺れる骸の鎖の音だけが、不気味に、そして虚しく響き渡っていた。

リヒトは、指先から溢れ出しそうになる濃密な魔力を無理やり抑え込み、軋むような音を立てて踵を返した。背後に残された凄惨な光景を二度と視界に入れないよう、その瞳には凍てつくような決然とした光が宿っている。


ルシウス「……下ろさなくていいのかい?」

後を追いながら、ルシウスが沈痛な面持ちで問いかける。友人として、そして同じ「ジャッカル」の仲間として、放置することへの抵抗感がその声には混じっていた。

リヒト「ああ。死者の弔いは、彼らを愛した者たちの手で行われるべきだ。……俺たちの仕事は、そこにはない」

リヒトは歩みを止めず、ただ前だけを見据えて呟いた。その声は極めて静かだったが、地を這うような怒りの質量が、周囲の空気を物理的に震わせる。

リヒト「俺たちがなすべきは……この惨状を招いた者たちに、相応の報いを与えること。それだけだ」


頭のどこかで、リヒトはこの「手法」に既視感を覚えていた。これほどまでに無慈悲で、かつ見る者の精神を効率的に削り取る演出。大陸全土を俯瞰しても、これほどの悪趣味を平然と実行し、かつ隠密裏に完遂できる組織は極めて限られている。

リヒトの思考が、ある一点の「答え」に辿り着こうとした、その時だった。


スッ……。


陽炎が揺らめくように、リヒトの影から一人の男が音もなく染み出してきた。

ジャッカルの諜報、偵察、そして暗殺を一手に担う隠密隊の長――リュドである。

身長は百六十センチほどと、男性としては小柄。だが、その全身からは一切の無駄が削ぎ落とされ、研ぎ澄まされた刃のような緊張感が漂っている。

紺色の機能美を追求した装束は、夜の闇にも、昼の雑踏にも溶け込めるよう徹底して誂えられたものだ。顔の半分を隠した布の隙間から覗く鋭い眼光は、既に真実に触れた者の色をしていた。

リュド「……リヒト。今回の件、調べがついた。……間違いなく、帝国の仕業だ」

リュドの報告は短く、断定的だった。その一言が伝わると同時に、リヒトの周囲の空気が、まるで発火する寸前のような殺気に包まれた。


リヒト「やはりか。……詳しい話はアジトで聞く」

リヒトのその一言に、リュドは「了解だ」と短く応じ、溶けるように再び影の中へと消えた。その鮮やかな引き際に、場にはただ、やり場のない怒りと重苦しい沈黙だけが取り残される。

ルシウス「帝国……か……」

メーガス「あいつら、一体何を考えてるのかしらね。人の命を何だと思っているのよ……」

二人の漏らした嘆きを、リヒトはあえて遮るように歩き出した。

リヒト「理由など、後でいくらでも問い詰めてやる。今は、今後の方針を練るのが先だ」

その背中は、いつになく強固な決意を帯びていた。

アジトの入り口である酒場を通り抜ける際、リヒトはいつも通り、隠し通路を起動させるための古びた時計に手をかけた。カチリ、という無機質な音が響く。普段なら酔客の笑い声や怒号で溢れかえっているはずの店内は、外の惨劇を敏感に察知したかのように、不気味なほど静まり返っていた。


アジトの広間には、既に「ジャッカル」の全メンバーが集結していた。

薄暗い照明の下、それぞれが椅子や床に腰を下ろし、中心に立つリヒトの言葉を待っている。張り詰めた空気の中、リヒトは徐に口を開いた。


リヒト「……帝国に潜入する」


その突拍子もない宣言に、真っ先に噛みついたのはギークだった。

ギーク「はぁ!? 潜入だと……? 本気かよリヒト! あんな真似されて黙ってコソコソ入り込むってのか? 相手は宣戦布告してきたも同然なんだぜ。正面切ってぶちのめしに行く口実としちゃ、十分すぎるだろうが!」

ギークが椅子を蹴り飛ばさんばかりの勢いで立ち上がる。

居住区民の死、そして常連客の無残な姿――感情を爆発させるタイプである彼にとって、リヒトの「潜入」という言葉は、臆病な逃げ腰にすら聞こえたのだろう。

リヒト「……そうだな。お前の言う通りだ」

リヒトは淡々と相槌を打つが、その視線はどこか遠くを見据えたままだ。その煮え切らない態度が、火に油を注ぐ。

ギーク「テメェ……『そうだな』じゃねえよ! ふざけてんのか!? あんな目に合わされて、お前は平気なのかよ!」

激情に駆られ、リヒトの胸ぐらを掴まんと詰め寄るギーク。


一触即発の空気が流れたが、その間に割って入ったのは、いつになく真剣な表情をしたジャックだった。

ジャック「まあまあ、落ち着いてくださいギークさん。リヒトさんが何も考えずにそんなこと言うはずないでしょう?」

ジャックがギークの肩を強引に押し戻し、何とかその場に座らせる。ギークは鼻を鳴らし、納得のいかない表情で腕を組んだが、それ以上の追求は飲み込んだ。

ルシウス「……一度、状況を冷静に整理しよう」

ルシウスが静かに口を開き、広間の空気を引き締める。彼の瞳には、怒りを超えた冷静な分析官としての光が宿っていた。

ルシウスは、感情を排したような声で、その場にいないはずの男へと問いかけた。

ルシウス「まず……広場の惨状。見るに耐えないものだったけれど、あれは帝国の仕業で間違いないんだね?」

その問いに応じるように、部屋の隅の影が不自然に揺らぎ、音もなくリュドが姿を現した。

彼は壁に背を預けたまま、仮面の奥にある無機質な瞳で一同を見渡す。

リュド「ああ。あの過剰なまでに執拗な見せしめ……帝国暗部、のやり口で間違いない。現場に残された魔力の残滓、遺体を貫いていた鉄杭の鍛造技術――いずれも帝都の工廠こうしょうで製造されたものと一致している」

リュドの声には、怒りも哀しみも混じっていなかった。ただ、事実という名の冷たいつぶてを放つだけだ。だが、その淡々とした報告こそが、かえって現場の異常性と帝国の悪意を際立たせていた。


ルシウス「なるほどね。……となれば、僕たちが帝国に対して刃を向ける『大義名分』としては、これ以上ないものが出来上がったわけだ」

ルシウスは指先で顎をさすりながら、脳内の盤面を整理していく。

ルシウス「けれど、感情のままに動くわけにはいかない。現状、僕たちが帝国という巨大な国家と正面切ってやり合うには、戦力が圧倒的に足りていないね」

その言葉に、部屋を支配していた殺気が、一瞬だけ重苦しい沈黙へと変わった。

ジャッカルのメンバーは、一人ひとりが一騎当千の「化け物」だ。個人の武勇で言えば、帝国の軍団を相手にしても引けは取らないだろう。しかし、国家という巨大な機構を相手にし、その心臓部である帝都を落とすとなれば話は別だ。数万の精鋭軍、幾重にも張り巡らされた守護結界、そして――「剣聖」たちの存在。

正面衝突は、すなわち「詰み」を意味する。


ルシウス「……やはり、潜入。それが今の僕たちにとって、最も生存率が高く、かつ確実に相手の首を獲れる『唯一の解』だろうね」

ジャッカルの「脳」であるルシウスが、リヒトと同じ結論を導き出した。

その合理的な理論を前にして、先ほどまで息巻いていたギークも、それ以上言葉を重ねることはできなかった。彼は吐き捨てるように、長く、重いため息をつき、乱暴に椅子に深く腰掛けた。

ギーク「……クソが。わかった。……で、その潜入とやら、具体的にどう動くつもりだ?」


ルシウスは眉間に深い溝を刻み、机の上に広げられた帝都ファウガストの構造図を指先でなぞった。

ルシウス「……問題は山積みだね。帝国の検問は、僕らのような『招かれざる客』を炙り出すために、魔力照合から過去の経歴まで徹底的に洗う。指名手配犯同然の僕らが正面から通行証を提示するのは、自分から首を差し出すようなものだ。かといって、あの難攻不落の城塞都市を外側から強行突破しようにも、物理・魔法の両面を遮断する四基の魔石塔――あの結界が僕らを阻む。正面突破は、愚策中の愚策だよ」

知略に長けたルシウスをもってして、帝都の門はそれほどまでに重く、高い。


だが、その停滞した空気を切り裂いたのは、影の中に半身を沈めたままのリュドだった。

リュド「……近々、帝国で大規模な催しが開かれる。それを利用すれば、潜入の糸口は掴めるだろう。もっとも、泥水を啜りながら地下の下水道を数キロ這いずり回るという手段もあるが……そちらは、あまりお勧めしないな」

リヒト「……『武闘会』か」

リヒトの呟きに、リュドは無機質な頷きを返した。

リュド「その通りだ。大陸全土から腕自慢、あるいは一攫千金を狙う傭兵どもを呼び寄せる祭りだ。その期間中だけは、帝国の排他的な門も、外貨と『才能』を求めて大きく開かれる。偽装工作さえ完璧なら、紛れ込むのは容易い」


ギーク「へっ! なら話は早ぇ! その祭りに乗じて中に入り込み、帝都のど真ん中で大暴れしてやりゃいいんだな! 決まりだ、派手にぶっ壊してやろうぜ!」

武闘会のあらましを聞き、鬱憤を晴らす機会を得たギークが、血走った瞳を輝かせて拳を打ち鳴らす。しかし、その過熱した熱気を、ルシウスの冷静にな一言が氷のように冷やした。


ルシウス「……違うよ、ギーク。僕たちが標的にするのはあくまで『帝国軍』だ。あの惨劇を仕組んだ者たちへの報復であって、帝国の民に罪はない。そこを履き違えてはいけないよ」

ルシウスの射抜くような視線に、ギークは「ちっ、わかってらぁ……」と、つまらなそうに毒づいて黙り込んだ。


ルシウス「帝国と同じ土俵に立って、無関係な民を殺めるのは簡単だ。けれど、僕たちはそんな『怪物』にはならない。正々堂々、奴らが用意した舞台の裏側へ入り込み、帝国の軍事的中枢にのみ、致命的な痛打を与える」

リヒト「だが……ただ武闘会に出場して勝ち上がるだけで、軍に影響を出せるとは思えないが? 相手も馬鹿ではない。大会そのものが罠である可能性も高いはずだ」

ルシウス「その通り、リヒト。だから、僕たちは二手に分かれて動こう。……表舞台で観衆と軍の目を惹きつける『出場組』。そして、その喧騒に紛れて、王城の深部へと牙を剥く『襲撃組』の二手にね」

リヒト「なるほど……。中立国の恨みを晴らすため『武闘会優勝』という屈辱を奴らに与えつつ、同時に背後から帝国の戦力を削ぎ落とす。……悪くない。むしろ、それ以外に奴らの鼻を明かす方法はなさそうだ」

リヒトの瞳に、静かだが苛烈な闘志が宿る。


リュド「……ならば、帝国内に先行して入る人間は厳選せねばなるまいな」

影の中からリュドが、警告を含んだ低い声を紡ぎ出す。

ルシウス「それはどうしてかな? リュド。君の腕なら、身分の偽造さえ完璧にしてしまえば、全員で堂々と入れるんじゃないのかい?」

ルシウスの問いに、リュドは首を横に振った。

リュド「いくら武闘会で関門が緩むとはいえ、この場にいる特異な魔力特性を持つ者全員の身分を偽造し通すのは至難の業だ。どこかで綻びが出れば、潜入の時点で計画が瓦解する。なし崩し的に正体が露見しては、報復どころの話ではなくなるぞ」


リヒト「……四人だ」


議論を断ち切るように、リヒトがおもむろに指を四本立てた。

ルシウス「四人……? それは、どういう根拠に基づいた数字なのかな?」

リヒトの直感的な指定に対し、ルシウスは純粋な知的好奇心を込めて問い直す。

リヒト「大々的に侵入するのであれば、メーガスの転移魔法を使うのが最も効率がいい。だが、転移魔法を阻害するあの結界がある限り、直接跳ぶことは不可能だ」

ルシウス「そうだね。だからこそ、今こうして秘密裏に潜入して結界の内側へ入る方法を考えているんじゃないのかい?」


リヒト「ふっ……。邪魔なら、止めてしまえばいいだけだ」

あまりにも当然のことのように、リヒトは言い放った。

その言葉が耳に届いた瞬間、その場にいた全員の思考が真っ白に停止した。

常人であれば「それができれば苦労しない」と失笑するような難題を、彼はまるでおやつを食べる程度の気軽さで口にしたのだ。


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