詰みの網の張り替え ―軍師グァイス、退路への先回り―
ザシュシュシュシュッ!!!
ノウス「――これ以上の時間は無い。急ぐぞ!」
一瞬、誰の、あるいはどの死体の「影」から現れたのかは完全に不明。姿をくらましていたノウスが、激戦の最中に再度その姿を現した。
彼は両手の銀色の短刀を陽炎のように揺らめかせると、四人の前方を塞いでいた帝国兵の喉元を瞬時に正確に斬り伏せ、一瞬にしてその生命活動を無力化してみせた。
武闘会組の圧倒的な暴力と神速の暗殺術。
グァイスが「合流阻止」のために敷いたはずの、数に物を言わせた強固な包囲網の最前線が、彼らイレギュラーたちの常軌を逸した突破力の前に、文字通りボロ雑巾のように内側から食い破られようとしていた。
グァイス(ちっ……我が本陣の強固な包囲網を、これほどの速度で食い破るか。……現状の戦力では、あのイレギュラーどもを完全には止められないな)
凄絶な速度で内側から磨り潰されていく帝国兵の群れを見つめながら、軍師グァイスの胸中に、この日初めて「焦り」に似た不快な感覚がじわりと浮かび上がる。
伝令「グァイス様! ご報告いたします! 近隣の村、および地下の隠し通路を進んでいる我が軍の増援部隊が、間もなく到着するとのことです!」
グァイス「ふん……。下がれ」
飛び込んできた伝令からの報告に対し、グァイスは全く興味を惹かれる様子もなく、冷淡に手首を振って下がるよう伝える。
彼の怜悧な頭脳は、今目の前で起きているこの奇妙な状況をどうにかして論理的に処理すべく、凄絶な速度で思考の歯車を回していた。
だが、どうしてもパズルのピースが噛み合わないのだ。
グァイス(ジャッカルの正門前の全兵力が急激に減ったのは、あえて背を向けて『引いた』からだ。それはいい。だが、地下から現れたあの強力な連中と、魔弓の男がこうして合流を果たそうとしている。地下の機構が壊され、こちらの魔力ジャミングも完全に解除された。……ならば、普通であれば奴らはここから一気に戦力を集結させ、手薄になった王城を力尽くで突破しにかかるのが『戦術の定石』のはず。現に奴らはそのために合流しようと動いているのだから。――だとすればなぜ、奴らの本隊は王城を攻めるどころか、真っ先に兵を完全に引かせたのだ……?)
グァイスの疑問は、軍師として極めてもっともであった。
地下からの想定外の増援。
そして、ジャッカルにとって最大の足枷であった王城周辺の魔力抑制装置の完全なる崩壊。
これだけの必勝の手札がこの土壇場で揃ったのだ、ここから一気に王城へと全力の攻勢をかければ、戦力的に王城を落とし切ることは十分に可能なはずなのだ。
だが、目の前の敵はそれを選択しなかった。
合流という最大の戦力が形を成すより前に、あらかじめ自軍の兵力をすべて王城前から綺麗に撤退させたのである。
攻め落とせるだけの牙を手に入れながら、なぜ、戦うことなく背を向けて逃げるような真似をするのか。
それらのあまりにも辻褄の合わない不可解な行動。その矛盾の裏に隠された、真の意図。
グァイス(……ッ!!)
突如として、グァイスの脳裏に稲妻が走るが如く、一つの仮説が導き出された。
彼はその仮説を100%の現実に落とし込んで確認するため、付近に控える伝令を鋭い声で呼びつける。
グァイス「おい。――王都中央広場、闘技場、およびその他すべての戦域の、現在の戦況を仔細に報告しろ。今すぐだ」
伝令「はっ! 只今の定時連絡によれば、広場においてはロック様が敵と交戦中。依然として優勢であることに変わりはない模様です! 闘技場ではドルネ様が敵の幹部と思しき大物を完全に沈め、現在こちらへ向けて移動中との報告! 一席ルーグ様においては現在の詳細こそ不明ですが、帝都の北側から広場にかけての上空全域にて、敵の首魁と激しい交戦を繰り広げている最中とのことです!」
各地の戦況を手短に、しかし要点を突いて報告した伝令。
そのすべての情報を脳内で統合した瞬間、軍師グァイスの推論は、もはや疑いようのない「絶対の確信」へと変わった。
グァイス「なるほど……。そういう魂胆か。クハ、クハハハハ!!!」
すべてを理解したグァイスは、にやりと残酷に口角を吊り上げ、満足げにポツリと呟く。
その不気味な笑みを間近で見ていた伝令は、あまりの恐ろしさにわずかに背筋を凍らせた。
ジャッカルの狙いは、最初からもう王城にはない。
闘技場でのギークの敗北、そして各地の戦況の限界を悟った奴らは、この土壇場で『作戦そのものを完全に破棄した』のだ。
奴らは今、この王城前から、広場にいる仲間たちを回収し、帝都から一斉に『逃げ出す』ために動いているのだ。
グァイス「地下の増援、および現在こちらに向かっている近隣領地からの増援すべてに緊急通達。――王城前への増援地点の指示を『完全に取り消す』。奴らが今から全速力で逃げ込むであろう増援地点を変更し、至急そちらへ全軍向かえ!! 奴らの思い通りになど、この私が絶対にさせてやるものか……!」
グァイスは伝令に向けて新たな迎撃指示を激甚な勢いで飛ばさせると、再度、目の前で強行突破を図っているルシウスたちへと冷酷な視線を戻す。
帝国の軍師は、まだ倒れない。
ジャッカルが必死に手繰り寄せようとしている退路の先、その命綱を、今度は逆に圧倒的な物量で包囲し、退路ごとへし折るための「詰みの網」を、彼はこの一瞬で張り替えてみせたのだ。
グァイス「ここの兵士ももうよかろう。全て引かせろ。奴らをこれ以上追う必要はない、城内から地下通路を通り、先ほどの変更地点にて増援部隊と合流させておけ」
伝令「はっ、直ちに!」
グァイスは、傍目にはあまりにも大胆不敵、あるいは狂気の沙汰とも思える「王城の守備を完全に捨てる」という極策に打って出た。各地の戦況のピースを揃え、ジャッカル側にこれ以上王城を攻め落とす意思が毛頭ないと確信したからこそ下せる、冷徹極まる大局判断であった。
グァイスの下した指示が前線へ伝わると、先刻まで狂犬のように猛っていた帝国兵たちは即座に反転。
ガルナたちが進むための道をあざ笑うかのように大きく開け、波が引くように城の内側、および地下通路へと一斉に引いていった。
ルシウス「……。一体、何が起きているんだい?」
目の前で起きたあまりにも奇妙で不自然な光景に、ルシウスは眉をひそめ、強い違和感を覚える。
あれほど苛烈を極めていたガルナたちへの包囲攻勢がぴたりとやみ、あろうことか帝国軍のほうが自ら進んで撤退していったのだ。
何はともあれ、そのおかげでガルナたち闘技場組の四人と、ノウス率いる零遺衆六人との完全な合流が、傷一つ増やすことなく果たせた訳ではあるのだが――。
ガルナ「おい、あんたがこの戦いの大将か?」
合流するや否や、肩で息をしながら愛槍を担いだガルナが開口一番に確認する。
ルシウス「僕はジャッカルのルシウス。この戦場の将ではあるけれど、組織の大将ではないよ」
ガルナ「そうか。ジャッカル……ってことは、あのギーク・フォン・アルケミストの仲間なのか?」
ルシウス「あぁ。彼とは苦楽を共にした仲間だ。それが、何かどうかしたのかな?」
ガルナ「……。ちっ。まぁ、今話すようなことじゃねえな」
ルシウス「……?」
ガルナ「まあいいさ。そこの不気味な隠密が、お前と合流すればこの地獄みたいな帝国の王都から脱出できるっていうから大人しく付いてきてやった。しばらくは同行してやるよ。必要なら、俺らの力も好きに使いやがれ」
ルシウス「それは本当に助かるよ。頼りにさせてもらう。――なら、周辺の増援が迫る前に、僕たちも早めにここを撤退しようか」
ガルナとの端的なやりとりを終え、ルシウスは完全に無人となった王城に背を向け、広場へと歩き出そうとして――不意に、ぴたりと足を止めた。
ミル「……? どうしたんですか、ルシウスさん」
ルシウス「いや。……少し、やり忘れたことがあってね」
そう静かに告げると、ルシウスは誰もいない静寂の王城へと再び向き直り、その漆黒の魔弓をゆったりと構え直した。
シャウ「えっ……? ちょっと待ってよ、もう敵なんてどこにもいないけど?」
ガルナ「おいおい、ここにきて血迷ったか?」
引き上げの瞬間に見せたルシウスの奇妙な挙動に、シャウとガルナが揃って怪訝そうな疑問の声を投げかける。
しかし、ルシウスは彼らの言葉に気を留める風もなく、静かに片膝を地につけて深く重心を落とすと、周囲の広大な空間から魔力を引き絞るように、弓に一本の白銀の矢を番えた。
大気から底知れぬ魔力を直接吸収し、矢の先端へと文字通り「凝縮」させていく。
本来、空気中から集まる自然界の魔力は微細なものだ。だが、その集める「絶対量」の規模を変えれば、話は完全に別次元となる。
元来、この世界において魔法を放つアプローチには二つの方法が存在していた。
自身の体内にある魔力プールを練り上げ、そのまま体外へ放つ【完全放出型】。
そして、自身の体外に漂う自然界の魔力を吸収・同調し、それを媒介にして練り上げ放つ【依存放出型】。
ルシウスは生まれつき体内の最大魔力量が極めて少ないため、自ずと後者の【依存放出型】に特化した戦い方を余儀なくされてきた。
しかし、体外からの魔力吸収は、コンマ数ミリの狂いも許されない過酷かつ精密な制御を必要とするため、一般的には大規模な高位魔法の放出は不可能とされている。
どれほどの手練れであっても、せいぜい放てて中級程度の魔法止まりというのが、この世界の魔法理論における常識なのである。
だが――今、ルシウスの弓、そして彼の五体が文字通り貪り食うように吸収している大気中の魔力量は、世界の常識が定めた限界値を、明らかに、そして圧倒的に超越していた。
不気味なほどに王城前広場の空気が希薄になり、大気が悲鳴を上げてルシウスの元へと収束していく。
ガルナ(なんつー魔力量だ……。これ、本当に体外からかき集めただけの魔力かよ!?)
ミル(すごい……、空気が、大気が全部あの方に吸い込まれていくみたい……)
シャウ(あはは、これは……ちょっとシャレにならないレベルでやばいね、うん!)
ソウエン(……ジャッカル。あの組織には、普通の人間は一人も存在しないのか……!?)
ルシウスがその異次元の超絶技巧で制御する、常識を遥かに超越した魔力の奔流。
闘技場組の四人は、それぞれが驚愕、戦慄、あるいは畏怖といった異なる感情を抱きながら、その圧倒的な背中をただ見つめることしかできなかった。
だが、そんな彼らの視線やざわめきさえも一切視界に入れることなく、ルシウスは至高の集中力のなかで、さらに冷徹に魔力を矢へと込め、凝縮させていく。
ルシウス「【遠視】、【弾道強化】、【弾速強化】、【速度強化】。……標的、座標、完全固定――」
ギリギリギリギリ……ミチミチ……っ!
強固な魔弓の弦が、これ以上の負荷には耐えかねると言わんばかりの限界に近い悲鳴を鳴り響かせる。
それでもなお、ルシウスは自身の保有する弓手としての全スキルを惜しみなく注ぎ込み、一筋の光の矢へと何重もの強化補正を狂気的に重ねがけしていった。
大気中の魔力を吸い尽くし、純白から次第に禍々しいまでの黄金色の輝きへと変貌していく一矢。
ルシウスは、眼前にそびえ立つ帝国の絶対的な象徴を見据え、静かに、しかし確かな誇りを込めて言葉を紡ぐ。
ルシウス「帝国軍、そして軍師グァイス……認めよう。盤面は完全に整えられていた。今回は、僕たちの『負け』だ……。だが、僕たちジャッカルの牙は、確実にお前たちの喉元にまで迫ってみせた。その証拠が、この一矢だ。――受けてみろ!!!」
放つまさにその直前、ルシウスは自身の中に残された微量な体内魔力のすべてを、ダメ押しのトリガーとして矢の芯へと注ぎ込み、極限の強化を重ねがけした。
その時が、来た。
ルシウス「――【一矢絶命】!!!」
バヒュウン!!!!!!!
解き放たれた。
ルシウスの手元から放たれたその絶技の一矢は、音速をゆうに超え、空間の障壁すらも文字通り消滅させるほどの狂気的な速度と破壊の光を纏い、帝国のシンボルたる『サウスガルド城』の巨大な天守目掛けて、夜闇を切り裂きながら一直線に飛んで行った。
間に存在する大気を文字通り引き裂きながら、放たれた一矢は王城の天守へと真っ直ぐに突き進んだ。
――はずだった。
ルシウス「なっ……!?」
ルシウスの金色の瞳が、驚愕に見開かれる。
狙い違わず天守を捉えたはずの光の矢が、城の直前で吸い込まれるようにして止められたのである。
天守の最上階。
その空間に、一人の男が佇んでいた。
アーサー「――【空間断絶王域】」
男は聖剣を胸の前で、まるで神に祈りを捧げるかのような厳かな仕草で構え、静謐な声で神域の技を詠唱した。
途端、王城の天守を優雅に包み込もうとする黄金の光の奔流が、重なり合う盾のような幾何学模様の障壁となって空間を支配する。
ルシウスが命を削って放った【一矢絶命】が、その「盾」に着弾した。
ドォォォォォォオオォォオオオオオオオオオオオオオオッ!!!!!!
常識を超えた衝撃波が、サウスガルド城の屋根を震わせる。
一瞬の静寂ののち、凄絶な爆発と閃光が帝都の夜空を昼間のように塗り潰した。
あまりの威力と衝撃に、正門前にいるルシウスたちの元まで猛烈な余波が押し寄せ、地盤が悲鳴を上げて軽微な地震すら巻き起こした。
やがて、狂ったような光の乱舞が収まり、舞い上がっていた砂塵が静かに地面へと帰っていく。
王城の天守を再び視認した一行は、その光景を前にして、言葉を失った。
ルシウス「ここで……出てくるか……ッ!!」
王城には、傷一つついていなかった。
先ほどの衝撃の余波すら感じさせないほど、城の外壁は美しく、砂塵一つ纏っていない。
そして天守には、障壁を優雅に解除し、眼下の者たちを虫けらでも見るかのように睥睨する、絶対的な「存在」が立っていた。
帝国の頂点。
現国王――アーサー・ファー・オーガスト。
ガルナ(……おいおい、嘘だろ。あの一撃を、ただ立ち尽くしたまま人間が防げるのかよ……!?)
シャウ(あれが……帝国の頂点。噂には聞いてたけど、肌が焼けるようなこの威圧感……やばいね、笑えないよ……)
一目見ただけで、言葉など不要だった。
彼がただそこに居るという事実だけで、空間の支配権が帝国の絶対者へと移る。
その畏怖は、ガルナたちのような歴戦の猛者たちの心にすら深く刻み込まれた。
そして――ルシウスの胸中には、さらに激しい業火が燃え上がっていた。
ルシウス(……アーサーッ!! お前だけは……! お前だけは、どれほどの代償を払おうとも……!! 必ず、殺すッ!!!!!!)
それは、普段の冷静な軍師、盤面を読み解くルシウスからは、断じて想像できないほどの、泥水をすするような執念と激情。
彼の体内を支配していたのは、勝利や戦略ではない。ただ一つの、冷たくも熱い「殺意」だけだった。
ルシウス「ちっ……あれが出てきたなら、これ以上は無理だね。……退こう」
ほんの数瞬前までその身を焦がしていた狂おしいほどの殺意を、信じがたい速度で強引に胸の奥底へと抑え込み、ルシウスは完全に「感情」を殺した鉄の表情に戻って王城に背を向け、地を蹴り走り出した。
今は私怨に狂っている場合ではない。
最優先すべきは、この異常な帝都から一刻も早くジャッカルの仲間たちを連れて生きて脱出すること。
そのためにも、メーガスや負傷した飛鳥たちが待つ中央広場への合流を急がねばならない。
ルシウスのその超人的な割り切りと、一瞬だけ垣間見せた「底知れぬ闇」の深さに、背中を追うガルナたちもまた息を呑んでいた。
ガルナ(……おいおい、さっきのあの身がすくむような殺意……。本当に今のあいつと同じやつから放たれたものかよ……)
シャウ(あはは……踏み入れたら一瞬で命がない『危険な領域』って……まさにこのことだね)
背中を追う二人の胸中を追従するように占めていたのは、ルシウスという男の本質に対する、計り知れない畏怖の念。それをおいて他にはなかった。
王城前から目指す中央広場までは、入り組んだ帝都の街並みを挟んでおよそ6キロメートルほど。
魔力抑制から解放され、身体強化を十全に回せる彼ら少人数の行軍であれば、障害がなければ十数分で到達できる距離である。
走る風の中で完全に軍師としての理性を引き戻したルシウスは、広場を維持しているメーガスに対して、最速で思考の糸を飛ばした。
ルシウス(――メーガス、聞こえるかな。)
メーガス(ルシウス。えぇ、聞こえるわよ。王城の方角から、続々とウチの兵士たちがこっちに流れてきているわ。そっちはどんな感じなのかしら?)
ルシウス(王城前は完全に撤退を完了した。これ以上の追撃はない。……ボクたちが最後尾だ。ノウスたち零遺衆に加え、少し面白い『臨時の増援』を連れて今そっちに向かっている)
メーガス(わかったわ、上出来よ。こっちに到着した兵士たちから順次、私がすべて闘技場へと一斉に大転送させているわ。あなたが合流したら、私も即座に闘技場に跳ぶわよ)
ルシウス(了解だ。……すぐに行く)
互いにプロフェッショナルであるからこそ、余計な私情を挟まない簡潔なやり取りのみで二人の念話は終了する。
だが、ルシウスの脳裏には、先ほど「軍師グァイスが兵を引かせた不自然さ」が未だに冷たい澱のように残っていた。
奴らがこのまま大人しく逃がしてくれるはずがない。
その確信に背中を煽られるようにして、広場へと急ぐルシウスたちの足は、夜闇を切り裂きながら自然とさらなる速度を上げていたのだった。




