内側からの決壊、城門を血飛沫で染める異国のバグ
リヒトとの念話を終えたルシウスは、即座に「生き残るための撤退戦」へと思考を完全に切り替えた。
ふと自身の背後へと視線を巡らせれば、返り血と泥にまみれ、傷つきながらも次の命令をじっと待っているジャッカルの兵たちが並んでいる。
正確な報告で二千人いたはずの兵士たちは、帝国の厚い守備の前に、今や千五百ほどにまでその数を減らしていた。
これ以上の損失は、組織の崩壊を意味する。
ルシウス(――ノウス。作戦を破棄させるためにも、どうにかして地下の彼らにこの状況を伝えなければならないけれど……。王城周辺の念話が妨害され、遮られている以上、直接声を届けるのは極めて難しいね……)
先刻、城門前において目覚ましい戦果を上げ、戦況を強引にこじ開けた『零遺衆』。
彼らは今、この王城正門前にはいない。
城の奥深くに広がる、こちらにとって致命的な「魔法無効化エリア」を解除するため、危険を顧みず王城地下の研究室へと潜っている最中だからだ。
物理的に隔絶された地下深くにいるノウスたちに対し連絡を通す手段が皆無なのだ。
しかし、彼らを暗闇へと送り出してから、地上側の時間にしてすでに二時間ほどが経過している。
戦況の進展を考えれば、そろそろ成功にしろ失敗にしろ、何かしらの合図や報告が地上側にもたらされてもいい頃合いではあるはずだった。
だが、そればかりに思考を割けない、圧倒的な現実の危機がルシウスの目の前を塞いでいる。
王城正門の向こう側――帝国軍が誇る冷徹なる頭脳、軍師グァイスが指揮を執る直属の防衛軍が、今にもこちらを圧殺せんばかりの凄まじい剣幕で待機しているのだ。
ここでこちらから下手に動けば、あるいは不用意な隙を晒せば、圧倒的な戦力差によってさらに多くのジャッカル兵の命が理不尽に刈り取られることになる。
「全員で生きて撤退する」とリヒトが英断を下した以上、これ以上の犠牲者を出すことは、ジャッカルの信条として絶対に許されない。
その組織の命運を背負う重圧があるゆえに、ルシウスは一歩たりとも踏み外せない極限の慎重な判断を迫られていた。
ルシウス(……妙だね。帝国軍はこちらの出方を完全に『待って』いる。攻め込んでくる気配がない。いや……それだけじゃないな。地下でノウスたちが、僕の想像以上にうまくやってくれているのだろうか? 正面の帝国兵の、後陣の密度が先ほどより明らかに薄くなっているように見える)
それは、気のせいなどではなかった。
最前線にそびえ立つ帝国兵の壁は相変わらず強固に見えるが、ルシウスの鋭い洞察眼と魔力感知は、その奥深くに控えているはずの控兵たちの総量が、急激に減少していることを捉えていた。
幸いにも、ルシウスが今いる位置は、まだ王城の魔法無効化エリアの完全な影響下にはない。魔力を練り、周囲の空間に触手の如く這わせることで、ある程度の敵の総量を読み解くことができた。もっとも、メーガスのように正確に「何千何百人」とまでは把握できない。
それでも、帝国軍の後陣の守備が目に見えて薄くなっているのは、確実。
それはすなわち、地下での零遺衆による潜入工作が想定以上の大騒ぎを引き起こし、軍師グァイスが地下の防衛に、地上の兵士たちを急遽回さざるを得なくなったことの裏返しであった。
ルシウス「伝令。各軍団長に伝えてほしいことがあるんだけど、いいかな」
前線の緊張感が漂うなか、ルシウスは近くに待機させていたジャッカルの伝令兵を静かに呼び出す。
伝令「はっ。いかようにも、ルシウス様」
ルシウス「非常に悔しいけれど、これ以上の戦いは無益だ。僕らは『撤退』する。全軍、可及的速やかに広場のメーガスがいる位置まで後退させて。……ただし、この王城前には僕だけが残る。地下の零遺衆が戻ったら、僕もすぐに彼らと合流して広場へ向かう。それ以外の全兵力は、今すぐ即座に撤退を開始して」
伝令「――! 承知いたしました!!」
一瞬だけ目を見開いたものの、伝令兵はルシウスの指令を厳粛に聞き届け、各軍団長へと撤退の指示を伝えて回るために、漆黒の夜闇へと全力で走り去っていった。
そして、数分と経たぬうちにその冷徹な指令は形をなし、正門前に布陣していたジャッカルの兵士たちは、驚くほど一糸乱れぬ統制で王城前から静かに撤退を開始したのだ。
だがしかし――その撤退の様子を確実に正面から見ているであろう、王城の帝国軍・軍師グァイスの軍勢は、ジャッカルが背を向けて引き始めてもなお、一歩たりとも追撃のために動くことはなかった。
ルシウス(……やはり、僕たちが引く分には、あえて追ってこないか。となると、いよいよ城の中で『何か』が起きていると見て、間違いなさそうだね。ノウスたち零遺衆だけではない……僕のあずかり知らぬ何かが、確実にこの中で起きている……)
ここにきてルシウスは、帝国の城の中で想定外の事態が起きているという、決定的な確信を得たのである。
そうでなければ、あの怜悧なグァイスが、絶好の好機であるジャッカルの撤退を追撃しない理由に説明がつかない。後陣の膨大な兵力が、外の敵を無視して城の奥深くへと消えていった理由にも、絶対に説明がつかないからだ。
ルシウス(となれば、ノウスたちがしくじることはないだろう。だが、周囲の領地からの増援を考えれば、僕たちに残された時間的猶予はもう無い……。ノウス、早く戻ってくれ……!)
ぽつりと、静まり返った正門前で一人祈るようなルシウスの思い。それが、地下の暗闇へと届いたのだろうか。
――次の瞬間だった。
帝国兵「ぐあああああッッ!?」
帝国兵「止めろ! 止めろォ!! 中から押し出されてくるぞ!!」
帝国兵「おのれええええ!! どこから入ってきたぁっ!!」
ドゴォン!!と重厚な城扉の周辺から凄絶な破壊音が響き、最前線にいた帝国兵たちが、内側からの理不尽なまでの衝撃によって勢いよく四方八方へと吹き飛んだ。城の内側、まさに王城の喉元から、ルシウスが感じていた『違和感の正体』が、文字通り血飛沫と共に姿を現したのである。
ルシウス(なんだって……!? 城の中から、逆に『襲撃』が起きている……!?)
そのあまりにも予想外すぎる光景にルシウスが驚愕している間にも、事態はさらに怒涛の勢いで動き続ける。
魔法無効化の結界が内側から崩壊したためだろう。突如として、ノイズにまみれていた脳裏の念話の回線が、クリアな音を立てて繋がった。
ノウス(――ルシウス様、聞こえますか)
ルシウス(ノウス……!? 無事だったか! やったのか!?)
ノウス(はい。こちらは無事に、予定されていた任務を完全に完遂しました。地下に隠されていた魔力抑制のための大型機構を完全に破壊。これほどの規模のシステムです、帝国側が再度これを修復し、結界を展開するには、どれほど急いでもかなりの期間を要するでしょう)
城内からの悲鳴と爆音を背景にしながら、ノウスからは至って淡々と、しかしこれ以上ない完璧な「作戦成功」の報告が地上へと勝鬨のように生じてもたらされたのである。
ルシウス(よくやったね! すぐに戻ってこれるかい?)
ノウス「――容易いことです」
返事は、念話ではなく、すぐ隣の至近距離から生身の声として聞こえてきた。
『零遺衆』が独自に秘匿する独自の影転移術により、彼らは地上への帰還の命を受けると同時に、一瞬にしてルシウスの側へと戻ってきたのである。
その神速の身のこなしにルシウスは少し驚きながらも、無事に大任を果たしたノウスの肩を労うように小さく叩く。ノウスの背後には、彼に付き従う零遺衆の残り五名が、闇に溶け出すようにして控えるように静かに姿を現していた。
ルシウス「……任務完遂の直後に悪いんだけど、一つ聞きたいんだ。あの正面の門を中からぶち破るような騒ぎが何だか、君たちには分かるかい?」
ノウス「我々が当初の作戦通り、城の地下へ密かに潜入した時点において、既に城内は尋常ならざる混乱に包まれていました。帝国兵を内側から蹴散らしている者たち……彼らはおそらく、日中に開催されていたあの『武闘会』に出場していた、異国の戦士たちでしょう」
ルシウス「異国の戦士……? 確かに手練れが集まっていたけれど、彼らがどうしてこの状況で、帝国兵と命がけで争っているのかな?」
ノウス「それが……」
ノウスが淡々と語り始めた、地下で目撃した事実は、至って単純――しかし、それゆえに誰も予測できなかった規格外の「偶然」によるものであった。




