不落のファウガスト、若き獅子の毒牙
大陸において最大の占有領土を誇り、他を圧倒する強大な軍事力を有する覇権国家、サウスガルド帝国。
大陸の南側、そのほとんどを版図に収めるこの巨大国家は、隣接する中立国イースリア、およびウェスタリアと常に小規模な紛争を繰り返しながらも、その国力で近隣諸国を威圧し続けていた。
南側領土の中央に位置する首都【ファウガスト】は、帝国の繁栄と権威を象徴する不落の要塞都市である。その中心に聳え立つ王城【サウスガルド城】は、雲を突き抜けるような尖塔を持ち、地上から仰ぎ見る民たちに「この国が滅ぶことなどあり得ない」という盲信に近い安寧を与えていた。
城内には、皇帝の盾となる近衛師団をはじめ、魔導と剣技を併せ持つ魔導騎士団、天空を支配する対空戦闘師団、そして叡智の果てに破壊を紡ぐ魔術師団など、数多の精鋭部隊が常駐している。彼らは帝国の平和を維持する守護者であると同時に、領土拡大を至上命題とする冷徹な侵略の刃でもあった。
特筆すべきは、首都ファウガスト全域を覆い尽くす、巨大な守護結界だ。
都市の四隅に聳え立つ、天を指す巨人の如き四基の魔石塔。これらを起点として展開される結界は、物理・魔法の両面において絶対的な防護能力を誇り、いかなる外敵の蹂躙も許さぬ盤石の防壁として機能していた。
その壮麗な王城の最奥、高い天井から差し込む光が重厚な静寂を照らす「謁見の間」。
幾多の英雄や将軍たちが頭を垂れるその先、一段高い場所に鎮座する玉座に、現国王アーサー・ファー・オーガストはいた。
彼は物憂げな面持ちで頬杖をつき、眼下に集った臣下たちを冷ややかに睥睨している。その瞳には、一国を統べる王としての威厳と共に、退屈と苛立ちが混じり合った複雑な影が宿っていた。
彼が発する一言は帝国の法であり、彼の一瞥は敵国の滅亡を意味する。
静まり返った謁見の間に、アーサーの重苦しい溜息だけが低く響き渡った。
静寂が支配する謁見の間。居並ぶ重臣たちがアーサーの威圧感に気圧される中、迷いのない足取りで一人、玉座の前へと進み出る者がいた。
精悍な顔立ちは若々しくも、その瞳には戦場を潜り抜けてきた者特有の冷徹な光が宿っている。身長は百七十センチほどと、戦士としては決して大柄ではない。しかし、汚れなき純白の装衣を纏い、腰に伝説の聖剣の対剣【カリバーン】を佩いたその姿は、周囲の誰よりも巨大な存在感を放っていた。
ルーグ・ファー・オーガスト
アーサーの息子にして、帝国の正統なる王位継承権第一位。そして、並み居る強者を圧倒的な力にてねじ伏せ剣聖第一席の座に君臨する、帝国の武の結晶。
彼は軍事における全権代理者の地位にあり、王の直命を待たずして軍を動かすことさえ許された、帝国最強の矛であった。
ルーグ「恐れながらアーサー王。この度、サウスガルド城下の闘技場におきまして、大規模な『武闘会』を執り行う運びとなりました」
ルーグは玉座の前で片膝を突き、流れるような所作で最敬礼を捧げた。その声は静かであったが、高い天井に反響し、謁見の間の隅々にまで明瞭に響き渡る。
それを聞いたアーサーの物憂げな瞳に、一筋の興味の光が宿った。
アーサー「ほう……。続けよ」
ルーグ「はっ。近年、我が国の領土拡大は鈍化の傾向にあります。この大陸において最大の版図を誇ってはいるものの、いまだ全ての地を平定し、帝国が望む完全なる秩序を打ち立てるまでには至っておりません」
ルーグは言葉を区切り、微かに首を振って残念そうな表情を浮かべた。アーサーは口を挟まず、ただ射抜くような視線を息子に注ぎ、先を促す。
ルーグ「我ら帝国には、私を含めた剣聖をはじめ、世界に冠絶する軍事力がございます。ですが……それほどの力を持ちながら、なぜ全土統一が果たせぬのか。なぜ、近年の進軍が足踏みを強いられているのか。その答えは、たった一つでございます」
力説し、ルーグは顔を上げた。王である父の視線を正面から受け止め、その言葉の芯に力を込める。
アーサー「申してみよ」
アーサーの声が、腹の底から響く地鳴りのように謁見の間を震わせた。王の放つ重圧が、物理的な圧力となってルーグに降りかかる。
ルーグ「――『ジャッカル』です」
その単語が放たれた瞬間、水を打ったようだった謁見の間が、にわかに騒然となった。臣下たちの間に、動揺と困惑の混じったざわめきが波紋のように広がっていく。
その名は、軍事や内政に携わる重臣たちが、日々の報告書の中で忌々しく目にしながらも、決して王の前で口にすることのできなかった言葉だった。
なぜなら、アーサーは帝国の軍事力に絶対の自信を持ち、他国を寄せ付けぬ最強の国家であると信じて疑っていなかったからだ。その絶対無比の自負に、「阻む者がいる」という一石を投じたのである。
重臣たちが顔を見合わせ、ルーグの不敬を案じる中、ルーグだけは真っ直ぐに、父である王の反応を見据えていた。
謁見の間の空気が凍りついた。アーサーの眉がぴくりと吊り上がり、その彫刻のような貌にあからさまな不快の色が滲む。
アーサー「ほう……貴様。我が帝国が、あのような鼠共より劣ると……そう断じるのか?」
低く抑えられた声。だが、そこには明確な「殺意」に似た怒りが宿っていた。玉座の間を支配する威圧感が増し、並み居る重臣たちは呼吸することさえ忘れ、石像のように硬直する。しかし、その暴風のようなプレッシャーを正面から受けながらも、ルーグの背筋は微塵も揺るがない。
ルーグ「滅相もございません。私は帝国の軍力が劣っているとは微塵も感じておりません」
アーサー「ならば、今の言葉の真意を申せ。余を愚弄するつもりか?」
ルーグ「我が帝国の武は、本来であれば大陸全土を平らげて然るべきもの。ですが、現実として他国への侵攻は停滞し、煮え湯を飲まされている。その敗北の影には、常に『ジャッカル』の干渉がございます。奴らが現れた戦場において、我が軍が撤退を余儀なくされているのは、否定しようのない事実……。さらには、この一年で複数の軍事拠点が壊滅させられました。ここにお集まりの方々の中にも、奴らの牙をその身に受けた者がおられましょう?」
ルーグの鋭い視線が、並み居る将軍や大臣たちをゆっくりと射抜いていく。
視線を向けられた者たちは、一様にバツが悪そうに顔を伏せ、あるいは震える手で自身の装束を握りしめた。ここ数年、野心的に広げた戦域で「謎の少数精鋭」に部隊を壊滅させられ、命からがら逃げ帰った指揮官は一人や二人ではない。王の不興を買うことを恐れ、隠蔽し続けてきた敗北の記憶を突きつけられ、謁見の間は重苦しい沈黙に包まれた。
その静寂を切り裂くように、ルーグはさらに言葉を重ねる。
ルーグ「ゆえに提案いたします。最大の大敵であるジャッカルを合法的に屠り、同時に我が帝国の威信を再定義する。その舞台こそが、この『武闘会』なのです」
アーサー「ふん……。武闘会ごとき遊戯で、あの神出鬼没の輩を仕留められるとでも思うのか?」
ルーグ「ええ。この大会は単なる国内行事ではありません。大陸全土にその開催を布告し、世界中の腕自慢をこの首都ファウガストへと集めます。当然、奴らが潜伏している中立国にも、逃れようのない『招待状』を叩きつけます」
アーサー「ふむ。だが、警戒心の強い奴らが、のこのこと罠に嵌まりに来るとは思えんがな」
ルーグ「左様でございます。単なる賞金や名誉だけでは、奴らを動かすには足りない。……ですから、優勝者には特別な『特権』を与えます。この私――【剣聖第一席、ルーグ・ファー・オーガスト】と一戦交える権利を餌としてぶら下げるのです」
アーサー「…………ほう」
アーサーの瞳に、先ほどまでの不機嫌さを塗りつぶすような、邪悪なまでの愉悦が宿った。
帝国の至宝であり、最強の象徴であるルーグと戦う機会。それはジャッカルにとって、帝国の軍事的中枢を叩く絶好の機会に見えるはずだ。
ルーグ「奴らは帝国を、我らは奴らを、互いに排除すべき宿敵と見做している。この大会は、互いが互いの主力を削り取れる絶好の機会となります。もし他に有益な駒がいれば、帝国軍に取り込み更なる軍力増強も叶いましょう。父上、これほど利害が一致する策が他にあるとお考えでしょうか?」
ルーグの不敵な問いかけに、アーサーはついに口角を吊り上げた。
アーサー「面白い。……よかろう、ルーグ。その『祭り』、余の御前で盛大に執り行うがいい」
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謁見の間での緊張感あふれる奏上を終え、ルーグは王城の最上層に位置する禁足地のひとつ【剣聖の間】へと戻っていた。
そこは歴代の剣聖たちの魂が宿るとされる静謐な空間であり、現任の剣聖たちのみが入室を許される、帝国軍事の中枢ともいえる場所だ。
ルーグは重厚な長卓に手をつき、窓外に広がる帝都の景色を眺めながら思考の海に沈んでいた。
「武闘会」の開催許可は得た。
大陸全土への布告、腕自慢の集結、そして宿敵「ジャッカル」への、挑発とも取れる招待状の送付。盤面は整いつつある。
だが、軍略家としてのルーグの直感が、拭いきれない懸念を告げていた。
「……これだけでは、まだ足りないか」
自身――剣聖第一席と刃を交える権利。
それは武を志す者、名を上げたい者にとっては、魂を売ってでも手に入れたい至高の栄誉だ。しかし、ジャッカルという組織は、名誉や虚飾で動くような甘い連中ではない。彼らは実利と信念で動く、極めて合理的で冷徹な「怪物」の集まりだ。
わざわざ敵地である帝都のど真ん中に、なんの保証もなく乗り込んでくる利点が彼らにあるだろうか。
もし彼らがこの「毒入りの餌」を鼻で笑い、静観を決め込んだならば、この武闘会の価値は半減し、帝国軍の士気にも関わる。
ルーグ「それだけは……避けなければならない。奴らを確実にこの舞台へ引きずり出すための『決定打』が必要だ」
深く重い溜息が、静まり返った部屋に落ちる。
再び深い思考の淵へと沈もうとしたその時、重厚な装飾が施された「剣聖の間」の扉が、音もなくゆっくりと開かれた。
その瞬間、部屋の空気が一変した。
停滞していた思考を強制的に乱すような、圧倒的なまでの「華」と「圧」が流れ込んでくる。
そこに立っていたのは、一目見た者の魂を奪い去るほどの美貌を持つ女性だった。
ドルネ・アシュリー
帝国剣聖第三席にして、選りすぐりの精鋭のみで構成される近衛師団を束ねる師団長。帝国の盾として王の身辺警護を一手に引き受ける彼女は、剣聖の中でも唯一の女性であり、その実力は男勝りという言葉では到底足りないほどに苛烈を極める。
腰まで届く見事な金髪を風に靡かせ、彼女が纏っているのは鉄の鎧ではなく、透き通るような蒼白の簡易ドレスだった。戦場での苛烈さを微塵も感じさせないその装いは、逆に彼女が「いついかなる時でも、その場にある得物で敵を屠れる」という絶対的な自信の裏返しでもあった。
ドルネ「あら……随分と難しい顔をしているわね、ルーグ。私たちの若き獅子が、これほど深い溜息を吐くなんて珍しいじゃない?」
鈴の音のような、それでいて芯に冷徹な響きを孕んだ声が、ルーグの鼓膜を震わせた。彼女はしなやかな足取りで室内へと歩みを進め、ルーグの反応を愉しむように薄く微笑んだ。
ルーグ「……その呼び方はよしてくれと、何度も言っているはずだが?」
心底辟易したというように、ルーグは眉間に皺を寄せ、冷ややかな視線をドルネに投げた。
王位継承者であり、軍の全権を握る彼に対して、これほど不遜な態度を取れる者は帝国内でも片手で数えるほどしかいない。
だが、射殺さんばかりの視線を浴びてもなお、ドルネの余裕が揺らぐことはなかった。彼女はしなやかな指先で自らの金髪を弄びながら、艶然と微笑む。
ドルネ「あら、怖い。……それで? 剣聖第一席様が、その賢い頭で何をそんなにこねくり回していたのかしら?」
まるで行きずりの友人に昨日の献立でも尋ねるような、あまりに軽い口調。
ルーグもまた、彼女のこの態度が「いつものこと」であることを理解している。
怒るだけ無駄だと悟り、彼は視線を再び窓外の夜景へと戻し、独り言のように言葉を紡いだ。
ルーグ「父上には、武闘会の開催を納得させた。だが、懸念は残る。……私と戦えるという特権だけで、あの慎重な『ジャッカル』が動くという確証がない。もう一つ、奴らの喉元に突きつける決定的な『楔』が必要なのだ」
ドルネ「……ふぅん。たった一人で帝国の領土を塗り替えてきた英雄とは思えない悩みね。あなたでもそんな風に足踏みすることがあるなんて、驚きだわ」
ドルネの声には、心底どうでもいいといった響きが混じっていた。
窓の外を見つめ、思考の迷宮に沈むルーグに対し、彼女は興味なさげに視線を逸らす。
実際、ドルネからすれば考えるだけ無駄なのだ。盤上の遊戯であれ、実戦の軍略であれ、二席以下の剣聖たちが束になってかかろうとも、この「若き獅子」の思考の先を読めた例はない。彼が悩んで答えが出ないことに、自分たちが知恵を貸したところで何が変わるというのか。
だが、次の瞬間。
部屋の空気が、まるで氷点下まで一気に引き下げられたかのように凍りついた。
ルーグ「……まあ、奴らを誘き出す口実が、現時点で『ない』というのなら――」
低く、地を這うような声。
ルーグはゆっくりと振り返った。その口角は不敵に吊り上がり、瞳の奥には冷徹なまでの光が宿っている。
ルーグ「――こちらで『作れば』いいだけの話か」
その貌を見た瞬間、ドルネの背筋に鋭い悪寒が走った。
普段の理知的で清廉な彼からは想像もつかない、まるで闇夜に潜み、獲物の断末魔を待つ悪魔のような笑み。
美しき近衛師団長は、一瞬だけ言葉を失い、無意識に腰の剣の感触を確かめていた。彼が「作る」と言ったその口実が、どれほど残酷で、どれほど合理的な血の通わぬ策であるかを予感し、彼女は初めてその場に立ち尽くし言葉を失っていた。
ほんの一瞬、呼吸を忘れるほどの威圧感。
だが、彼女はすぐに唇を歪めていつもの不敵な余裕を取り戻すと、ルーグに背を向けた。長い金髪が冷たい空気の中で円を描き、出口へと歩き始める。
(……これ以上ここにいたら、ろくなことに巻き込まれないわね)
直感がそう告げている。戦場の死線より、この男の思考の渦に飲み込まれる方がよほど命が危うい。
ルーグ「ドルネ。明日で構わない。他の剣聖をこの部屋に集めてくれ」
背中に投げかけられたのは、予期していた陰謀の片棒を担ぐような命令ではなく、事務的な召集の指示だった。何かを決定的に「作り出す」ための準備。その第一歩として、ルーグは帝国の最高戦力を盤上に揃えることを決めたのだ。
ドルネ「はあ……。わかったわ。昼前くらいでいいかしら?」
足は止めず、肩越しに気だるげな返事だけを投げ返す。
ルーグ「ああ。それで構わない」
手短な、それでいて拒絶に近いほど簡潔なやり取り。扉が閉まる音と共に、ドルネは「剣聖の間」を後にした。
独り、豪華な装飾が施された廊下を歩きながら、ドルネは小さく吐息をもらす。
ドルネ(はあ……。少しぐらいは私の色気に誘われてくれてもいいものなのに。鉄の塊みたいな男。興醒めね……)
それは、およそ王位継承権第一位、帝国全軍の代理権を持つ男に対して抱く感情ではなかった。だが、彼女にとってはそれこそがルーグという男への最大級の評価でもあった。
揺れる腰元、蒼白のドレスを翻しながら、彼女は「招集」という名の大嵐を告げるため、他の「化け物」たちが待つそれぞれの居所へと向かっていった。




