虚空に浮遊する絶対包囲網
チンッ……ビュンビュンビュンビュン!!!
鼓膜を鋭く穿つ、心地よい金属の反響音。
直後、凄まじい風切り音と共に、ルーグの肉体のすぐ真横を「何か」が超速で、いくつも飛び抜けていった。
それは、先ほどの攻防を終えた場所から、あるいは瓦礫の中から、リヒトの掲げた右腕の引力に吸い寄せられるようにして飛来した――【戦場に散った漆黒の魔成剣たち】
飛来した凶刃は、リヒトの元へと到達した瞬間、まるで主を護る忠実な騎士の如く規則正しく不気味に整列し、再びリヒトの背後に怪しく浮遊してピタリと静止した。
リヒトの背後に蘇ったのは、一度は戦場に手放したはずの、陸爪の『すべての残数』
その禍々しい漆黒の翼がリヒトの背に揃った瞬間、更地の決闘場の空気は、先ほどとは比べ物にならないほど冷たく、重く沈み込んでいった。
リヒト「次はさっきとは比べ物にならないぞ」
そう静かに告げると同時、リヒトは自身の背後に浮遊する六本の魔成剣すべてを、一斉にルーグに向けて撃ち飛ばした。
ルーグ(どこから来る……!? この飛来する剣そのものからの転移か……!)
先ほど喰らった、投擲剣からのノータイム転移攻撃の鮮烈なイメージが脳裏を駆け巡る。
ルーグは一席としての最大級の警戒を以て、超速で迫り来る六本の凶刃すべてに意識の網を広げた。
等間隔に、そして全くの等速で一直線に飛来するその剣の軌道を認識すること自体は、今のルーグの超知覚からすれば容易なはずであった。
だが――その漆黒の爪は、一般的な物体運動の原理すら超越していた。
飛来する六本の剣すべてが、ルーグの肉体に到達するわずか一メートル手前で、まるで意志を持つ生き物のようにそれぞれが突如として自律し、意思なき物理法則を無視した独自の不規則な軌道で激しく動き始めたのだ。
ルーグ「――なっ!? 何だ、この動きは……っ!?」
これほど高位の魔成剣を六本同時に、これほど複雑に自律駆動させるなど、常軌を逸した魔力操作によるものなのか。
それとも【陸爪】自体が秘める未知の能力の一つなのか。
その術理を図りかねたルーグは、驚愕に黄金の瞳を大きく見開いた。
そして――極限の死線において、本人さえも気づかぬほどの僅かな空白、時間にしてコンマ数秒、リヒト本体への「意識の割り当て」が完璧に逸らされた。
リヒト「どこを見てる?」
ルーグ「――がっ、ふぅっ!?」
背筋が凍るような昏い声が、すぐ目の前で響いた。
転移ではない。リヒトはあえて能力を使わず、自身の純粋な身体能力のみの爆発的な踏み込みで死角から一気に距離を詰めていたのだ。
意識が逸れた一瞬の隙に懐へ潜り込んだリヒトは、手にする凶刃ではなく、その強靭な「拳」による容赦のない破壊の打撃を、ルーグの肉体へと数発同時に叩き込んだ。
ドゴッ! バキィッ! ドガァンッ!!
肉がひしゃげ、骨が悲鳴を上げる凄絶な衝撃。
想像を絶する威力の連続打撃がルーグの脳を激しく揺さぶり、一撃ごとに視界が白く染まって意識を失いかける。
しかし、これほどの打撃をまともに喰らいながらも、完全に意識を飛ばされることなく、強引にその踏みとどまるあたりが一席の怪物たる所以であった。
だが、リヒトの猛攻はそこで途切れはしない。
リヒトは容赦のない追撃として、ルーグの胴体に強烈な「止めの蹴り」を見舞った。
ドズゥゥゥンッ!!!と腹部を抉るような凄まじい衝撃を伴い、ルーグの身体は木の葉のように遥か後方へと吹き飛ばされる。
ルーグは吹き飛びながらも、その人外の反射速度で即座に体勢を立て直すべく、空中で受け身の動作を取ろうとした。しかし――。
ルーグ(――ッ!? ……!?)
視界の端、吹き飛ぶ自分の身体と完全に『並走する形』で、一本の漆黒の魔成剣がぴったりと空間に張り付いて移動していた。
それは、先ほど自律駆動してルーグの周囲を狂わせた六本のうちの一本。
ルーグ(――まずい、これは……ッ!!!)
気づいた時には、すでに死神の【転移】は完了していた。
ルーグが空中で受け身を取り、地面へと接地するまでの、ほんの僅かな、しかし決定的な「抵抗不能の空白」――その無防備な瞬間を、リヒトの黒い靴底が完璧に捉えていた。
ルーグ「ぐっ……――、あ、がはっ……っ!!!」
ドッゴォォォォンッ!!!!
北魔石塔跡地の大気を完全に破裂させるほどの凄まじい威力。
リヒトの容赦のない強烈な蹴り上げが、無防備なルーグの腹部へと完璧に突き刺さる。
その衝撃で、剣聖一席の身体は、完全に制御を失った哀れな人形のように、夕闇の彼方、空中数メートルへと無様に高く投げ出された。
ルーグ(非常にまずいね……。私の身体が宙に浮き、完全に制御を失ったこの状態からでは、万全な受けは不可能だ。……となれば、一瞬の容赦もない彼のことだ、間髪入れずに即座に致命的な追撃を仕掛けてくるだろうね……)
骨の軋むような凄絶な肉体的ダメージをその身に刻まれながらなお、ルーグの思考の糸は途絶えることすらなく、次の一手を高速で模索していた。
しかし、死神たるリヒトは、そんな贅沢な思考の時間など一秒たりとも与えてはくれない。
なおも無防備に空中に浮遊するルーグを逃がさぬよう、その四方八方の死角から、残る六本全ての漆黒の魔成剣が凄まじい風切り音を伴って一斉に飛来する。
ルーグ(この神出鬼没な剣の包囲網をどうにか切り抜けないと、次なる二段階目が時間経過で解放されるより先に、私のこの肉体が物理的に限界を迎える。――ならば、ここで私が取るべき行動は、一つだけだ!!)
空中へと高く投げ飛ばされ、重力の軛に囚われながらなお、剣聖一席ルーグの身体能力はやはり常軌を逸していた。
先ほどまでリヒトの容赦のない拳撃と蹴りで徹底的に痛めつけられていたはずの肉体。
そのダメージを脳内で完全に「無視」するかのように、彼は一瞬にして全身の強靭な筋肉を硬直させ――直後、一気に弛緩させた。
グンッ……!
その一瞬の肉体操作、そして極限まで強化された身体能力の成せる技か。ルーグは空中という足場のない空間でありながら、物理法則を嘲笑うかのように、あり得ないほど滑らかにその姿勢変更を完璧に完了させてみせた。
その、一筋縄ではいかないルーグの挙動を肉眼で捉えたリヒトは――あえて、突撃しかけていた攻撃の手を僅かに緩め、間合いを取った。
リヒト「さすがだ、伊達に剣聖ではないな……。だが、こちらはすでに万全の態勢だぞ?」
リヒトの言葉通り、彼の放った【陸爪】の魔成剣はすべて、ルーグの身体を取り囲むようにして虚空に整然と浮遊しており、いつでも、どの角度からでも、ノータイムで空間跳躍の必殺の一撃を仕掛けられる極限の包囲網を完成させていた。
そしてリヒト自身は、浮遊する陸爪の一本の平らな腹の上に片足で器用に立ち、まるで重力を失って宙に浮いているかのように、傲然とその場に存在していた。
ルーグ「はははっ! そう来なくては、私としても全力で叩きのめしがいがないというものさ。――これまで、我が帝国の版図拡大を、影から悉く潰してくれた不届きな組織の長が、とんでもない弱者なんてことだったらね。私が首を跳ねたところで、後世に輝かしい武功として語り継げはしないだろう?」
対するルーグもまた、自身の足元に展開した『簡易魔法の足場』により、夕闇のただ中に堂々と立っていた。
リヒトの冷酷な宣告に対して、彼はあくまで剣聖一席としての気高い態度と、勝者の絶対的な余裕の笑みを微塵も崩すことなく、その黄金の双眸で死神を見据え返したのである。
破壊された北魔石塔跡地の上空。
漆黒の爪の翼を広げた死神と、白銀の聖剣を携えた絶対の剣聖が、星のない夜天を舞台に、再激突へ向けて再び対峙していた。
その最中。
リヒトは上空へと陣取ったことにより、地上の障害物に遮られることなく自身の魔力感知が帝都全域へと広範囲に及ぶようになり――そして、ある「異常」を明確に感じ取っていた。
帝都内で別行動を取っている仲間たちの内、ギークと飛鳥の二名の魔力反応が、尋常ではないレベルで弱まり、底を突きかけているのだ。
リヒト(飛鳥はまだしも、あの打たれ強さだけなら誰よりも化け物じみているギークが、これほどまでに追い込まれるとは……。どんな予測不能の事態が起きている……!?)
だが、その一瞬の逡巡。
仲間の安否を憂いたほんの僅かな「思考の隙」を――絶対の強者たるルーグが、見逃すはずなど万に一つもなかった。
ルーグ「――私という絶対の存在を前にして、考え事かな? 随分と余裕を見せてくれるじゃないか……ッ!!」
いつも崩さなかった不敵な笑顔を完全に引き剥がし、ルーグは初めてその端正な顔を苛立ちと殺気で狂おしく強張らせながら、一瞬にしてリヒトの目の前へと肉薄した。
そして、その白銀の聖剣を、視認不可能な速度で何度も、何度も縦横無尽に振るう。
リヒト「チッ……! お前が存外、往生際悪く粘るからな。他の戦局が少しばかり気になったまでだ。――だが、そんな心配もここで終わりだ。お前をここで確実に叩き潰せば、帝国の戦力図も、その傲慢な野心もろとも完膚なきまでに縮小するだろうな」
ルーグ「この私を倒すなどと、逆立ちしてもできもしない不可能なことは、あまり軽々しく口にするべきではないよ……!」
ガガガガガガガガガガガガガガッ!!!!!
日が沈みかけ、闇が迫りつつあるそのただ中、足場すら存在しない空中であるとは到底信じられないほどの、熾烈極まる超次元の剣の応酬が繰り広げられる。
リヒトは自身の持つ【陸爪】の六本すべてを強引に防御の盾へと回し、鉄壁の防陣を敷いた。だが、それを以てしてもなお、身体能力の全解放を遂げたルーグの、人外の限界を超えた連撃の嵐が、速度・手数ともに徐々にリヒトを上回り始めていた。
一本の聖剣が、六本の漆黒の盾を強引にこじ開け、内側へと猛然と侵入してくる。
リヒト「――くっ、チッ……! 鬱陶しい……ッ!!」
たまらず火花を散らす剣の防壁でルーグの一撃を受け止めながら、リヒトはその反動を利用して後方へと大きくステップし、距離を離そうと退く。
だが、ルーグはその動きを完全に予期していた。リヒトの後退に吸い付くように寸分のズレもなく間合いを詰め、なおも逃がさぬとばかりに、さらに苛烈な必殺の刃を容赦なく仕掛けてきた。
ルーグ「――【覇王の進撃】!」
ルーグが冷酷に小さく呟くと同時、彼の五体を一瞬にして、眩いばかりの濁流のような黄金の光が包み込み、そして掻き消えた。
それは帝国の最高戦力たる剣聖と王族のみに伝わる、魔力を全身の細胞に行き渡らせて爆発的な駆動力を生み出す最高位の身体強化魔法。
そして、次の瞬間――。
カカカカカカン!!!!!
北魔石塔跡地の上空に、鼓膜を激しく引き裂くような苛烈な金属反響音が鳴り響く。
リヒトの周囲を鉄壁の如く守るように滞空していた六本の【陸爪】すべてが、一瞬の、ただの一振りの神速の連撃によって完璧に弾き飛ばされた。
リヒトは自身を守るための漆黒の盾を、完全に、一枚残らず失っていたのだ。
リヒト(――クソッ、まだ上がるのかよ……ッ!!?)
完全なる身体能力解放から、さらに重ねがけされた王族の強化魔法。その理不尽なまでの圧倒的な技巧と超速度に脳裏を驚愕で満たされつつも、リヒトの戦闘本能は次に確実に襲いかかるであろう自身への致命的な猛撃をどのように防ぎ、いなすかを秒未満の単位で思考する。
しかし、一席の狙いは、リヒトの想像のさらに外側にあった。
ルーグ「さあ、そこまで仲間の戦況が気になるのなら――直接見に行くといいさ」
リヒト「なっ……――ぐ、っっ……お、がはっ……っ!!?」
反論の言葉を紡ぐよりも先に、リヒトの全霊は意識が完全に消し飛ぶほどの凄絶な質量衝撃に襲われていた。
ルーグはリヒトを切り刻むのではなく、あえて黄金の聖剣【カリバーン】の「腹」の部分で、硬球でもひっぱたくかのようにリヒトの胴体を力任せに殴り飛ばしたのだ。
骨を粉砕しかねない強烈な一撃を受け、リヒトの身体は弾丸のような凄まじい勢いで空中を水平に吹き飛ばされていった。
リヒト(くっ……、が、はっ……! なんて、デタラメな威力だ……っ!)
衝撃で視界が激しく明滅し、内臓がせり上がるような激痛。リヒトは凄まじい風圧を受けながら、帝都の広場方面へと一直線に飛ばされていた。
ルーグはリヒトを吹き飛ばしたその慣性を利用し、別地点への「時間稼ぎ」を兼ねて、空中に恐るべき速度で追撃の追い討ちを仕掛けてきている。
飛ばされながらも、リヒトはその限界の超知覚で目の前に迫るルーグの姿を獰猛に捉え、空中での体勢の変更、そして即座の立て直しを図ろうと、痛む肉体を必死に動かす。
このまま、ただ無様に殴り飛ばされて終わる死神ではない。
リヒトは吹き飛ぶ風の中で辛うじて右腕を固定し、左手に残されていた一本の魔成剣を、追撃してくるルーグの顔面目がけて全力で投擲した。
そして、その放たれた漆黒の爪の軌道へ向け――即座に空間跳躍(転移)を発動させた。
ルーグ「――っ!? 完璧に体勢を崩したあの状態からでも、なお牙を剥き、跳んでくるというのか……!」
驚きと、そして隠しきれない称賛を交えたルーグの声。
だが、その声はすでに、至近距離に転移し、空中での必死のカウンターを繰り出したリヒトの重い一撃を、聖剣の刃でギリギリで受け止めた衝撃のなかにかき消されていた。
北魔石塔跡地の上空から、帝都の広場、そして王城前へと向かう天空の軌道上。
二人による超高速の空中追撃戦が、凄まじい衝撃波を撒き散らしながら新たな局面へと雪崩れ込んでいく。
転移からの必死の奇襲は、あえなく白銀の聖剣によって完璧に防がれた。
だが、リヒトの真の狙いはこの単発の攻撃にはなかった。彼は空中とは到底思えない超人的な身のこなしで、瞬時に生み出した両手の魔成剣を猛然と振り、間髪入れずに絶え間ない猛攻を仕掛け続けていく。
しかし――【身体能力の完全解放】に加え【覇王の進撃】を重ねがけした今のルーグからしてみれば、この程度の正面からの攻撃、全力で応戦するまでには至らない。
ルーグは「にやり」と、勝利を完全に確信した傲慢な笑みを浮かべ、リヒトの連撃を力尽くで跳ね返す。そのまま無防備な死神へ向けて、致命的な追撃を仕掛けようとした
――まさに、その瞬間
ビュン!!!
ルーグの完全な視界の外から、突如として一本の漆黒の魔成剣が飛来し、彼の首筋を鋭く狙って牙を剥いた。
ルーグ(――っ!? さっき私が遥か後方へ叩き飛ばしたはずの魔成剣……! なるほど、彼の手元からの距離は関係なく、自律駆動の命令は生きているというわけだね……!)
驚きに黄金の双眸を見開きながらも、ルーグの天才的な頭脳は冷静にその特性を分析する。
だが、死神の包囲網はそれで終わりではなかった。
その間にも、先ほど散らされたはずの他の魔成剣たちが、夜空の闇を引き裂いて次から次へと幾度となく飛来し、ルーグへ向けて波状攻撃を仕掛けてくる。
それはまるで、放たれた魔成剣の一本一本が独自の明確な意志を持ち、互いに緻密な連携を取りながら獲物を追い詰めているかのようであった。




