私欲の歩行 ―剣聖の看板を捨てた泥塗りの怪物―
ギーク「――【龍鱗纏装】!!」
ドクン、とギークの心臓が不気味に脈動した刹那、彼の腕に、脚に、背中に、剥き出しの身体の至る所に、極大の魔力を伴った禍々しくも圧倒的な硬度を誇る「龍の鱗」が次々と顕現し、強靭な肉体を覆い尽くしていく。
これこそが、ドルネの不可視の斬撃を正面から無傷で耐え切っていたドラグーンの絶対防御。だが、ギークの神域の技は、これだけで終わるはずがなかった。
ギーク「――【戦神の加護】!!」
その名が冷酷に宣告されると同時、ギークの周囲二、三メートルに、目も眩むような神聖な光を放つ真円の聖域が展開された。
キィィィィィンッ!!!!
心地よくも絶対的な金属音が闘技場に響き渡る。
その光の円の内側において、それまで空間を埋め尽くしていたドルネの深紅の魔力干渉効果は完全に「中和・霧散」させられ、書き換えられていく。
そこは、ドルネの支配が一切及ばない、完全なる戦神の聖域。不可視の薔薇の棘すらも侵入した瞬間に消滅する、何者も侵すことができない絶対無比の不可侵空間であった。
舞い上がっていた砂塵が完全に晴れ、その戦神の聖域を肉眼と魔力感知の双方でハッキリと認識した瞬間。
ドルネは、自身の最強の奥の手である「アンブラッセ・ロザリア」を発動して以降、初めて背筋が完全に凍りつくような本当の【戦慄】を覚えていた。
ドルネ(私の、完全なる魔力支配を……力尽くで内側から書き換えた……!? そんなこと、それって……そんなのって、あり得ないわ……っ!!)
彼女の狼狽は、無理もないことであった。
自身が絶対の自信を持ち、万能ともいえるはずの空間支配。それを、限定的とはいえ物理的に上書きし、消滅させるなどという芸当――それはまさしく、戦闘技術の粋を超えた【神の領域】に他ならないのだから。
ギーク「わかったか……? てめぇの攻撃は、もう俺には届かねえ。そんな離れたとこで縮こまってねぇで、正面から打ち込んできたらどうだ、あぁん?」
ニヤリと凶悪に口角を釣り上げ、最後の肉弾戦を促すように挑発するギーク。
その傲慢な言葉を受け止めながら、ドルネはこめかみに青筋を激しく立てつつも、剣聖としての冷徹な思考を急速に巡らせていた。
ドルネ(確かに……こうなった以上、遠距離から見えない棘を放つだけの攻撃はもう意味がないわね。あの不気味な聖域を突破し、肉薄して、私のこの細剣で直接切り刻むしか奴を倒す手立てはない……。となると、この広大な闘技場全体に広く展開させていた私の魔力支配空間も、もはや魔力の無駄遣いでしかないということね)
流石は帝国の最高戦力たる剣聖。
己の絶対の優位が崩れたと悟るや否や、戦術を切り替えるまでの判断は僅か数秒。
彼女は即座に無駄な空間維持をやめ、闘技場を覆っていた深紅の魔力を完全に霧散させ、すべて自身の中へと急速に還元し、凝縮させていく。
ドルネ「いいわよ……。私が遠距離からしか攻撃できない雑魚だと思われるのも心外だもの。お望み通り、お前のその安い言葉に乗ってあげるわ」
コツ、コツ、と瓦礫の転がる床をゆっくりと踏み締めながら、ギークとの距離を詰めていくドルネ。
ギーク「へへっ……いいじゃねえか、そうこなくっちゃなぁ……!」
その間、ギークは仕掛けるでもなく、ただ静かに、自身の展開する聖域にドルネが自ら侵入してくるのを、獰猛な獣の目でじっと待っていた。
ドルネ(あの聖域の内側に入ったら……おそらく私の魔力による身体強化すら意味をなさなくなる。となれば、奴の聖域の影響範囲『外』から極限まで加速し、その慣性と速度を維持したまま一気に懐へ飛び込んで仕留める方が良さそうね)
一歩一歩、確実に距離を詰めながら、ギークが展開する【戦神の加護】の正確な特性を見抜き、最後の勝負の算段を立てていくドルネ。
彼女は歩みを進めながら、自身の両脚へと、そして愛剣【ヴェル・ロザリア】の細い刃へと、回収した全魔力を限界を超えて込め始める。
すべては、その瞬間が来たならば魔力を一気に爆発させ、ヴァルキュリアの知覚すら置き去りにする、反応不可能な「真の刹那の突き」を放つために。
ドルネ(神だろうが龍だろうが、もう関係ないわ……。確実に……私の次の一撃、この『神速』をもってすべてを終わらせる!!)
それは、ドルネがこれまでの人生で培ってきた、文字通り最高速にして最強の絶対の一刺。
ギークもまた、押し寄せる尋常ならざる殺気から彼女の意図を正確に察知したのか、右手の銀槍、左手の黒槍の二本を深く交差させて身構え、世界が静止するその瞬間を静かに待っていた。
限界突破の戦神の二重槍と、究極の領域へと達した剣聖の神速。
闘技場が、二人の怪物のラストターンの熱量に完全に息を呑んでいた。
ドルネ(身体能力……強化。筋力……強化。俊敏性……極大強化……!)
心音の昂ぶりと共に、ドルネは自身に施せる限りのあらゆる自己強化魔法を、残された魔力のすべてを絞り出して重ねがけしていく。
全身の筋肉が爆発的なエネルギーを内抱して軋み、神経は世界の時間を引き延ばすほどに加速していく。
ギークとの距離は、わずか五メートル。
常人からすれば肉薄しているも同然、その気になれば一瞬でゼロにできる距離。
だが、その程度の一瞬では、今の規格外のギークに対して虚を突くことはおろか、太刀打ちすることさえ叶わない。
それを誰よりも理解しているが故に、ドルネは妥協を一切捨て、自身の持てる「絶対的な最高速」、そして人生のすべてを賭した「最高の刺突技」を完璧に放つための溜め(セットアップ)に、その魂のすべてを注ぎ込んでいた。
ギークもまた、彼女の凄まじい覚悟をその肌で理解したがために、動くことなくそれを正面から見守っていた。
――否、実際は「止めることなく見守っていた」のではない。
今のギークは、その場から一歩たりとも動くことができないほどに、肉体も精神も限界を超えて消耗し尽くしていたのだ。
高位の槍の同時二重召喚。
さらには【龍鱗纏装】と【戦神の加護】という、神域の能力の同時解放および同時発動。
干からびた井戸から血を絞り出すような真似をしたのだ。今、その場に崩れ落ちず、堂々と仁王立ちしていること自体が、神がかった気力が起こした奇跡に他ならなかった。
ギーク(動けねぇ……。足の感覚はとうに消えてやがる。だが……気力で踏ん張って、次のあの最後の一撃さえ凌ぎ切れば……間違いなく、俺の勝ちだ)
その冷徹な勝利の方程式(思考)だけが、ギークの巨大な身体を強引にその場へと留め置いていた。
お互いのすべてが極限へと達し――ついに、その瞬間が訪れる。
ドルネ「待たせたわね……。これで、完全に潰えなさい……。正真正銘、私の持てる最高速、そして、最後の技よ」
ドルネは愛剣【ヴェル・ロザリア】の切っ先を真後ろへと向け、驚異的な柔軟性で身体を極限まで捻りながら水平に構えた。
限界まで綺麗に伸ばされたその右腕は、まるで一本の鋭利な細剣そのものが彼女の身体から生え、伸びているかのよう。
直後、ドルネの身体全体を、網膜を焼くほどの眩い「紅の光」が包み込む。
メリメリメリ……ッ!!
彼女の軸足となる細い足元の石床に、凄まじい質量を伴った巨大な亀裂が走り、爆発的な踏み込みのために蓄えられた狂気的な脚力を物語っていた。
ドルネ「いくわよ……――【紅薔薇の閃影】!!!」
ドゴォンッ!!!!
闘技場そのものを消し飛ばさんばかりの爆音と共に、ドルネの姿が完全にこの世の視覚から消失した。
それは光すら置き去りにする、文字通りの『閃影』。
聖域の外側から極限まで加速し、慣性の法則すら捩じ伏せた剣聖の絶対の一刺が、ギークの心臓を目がけて一直線に突き出された。
一条の紅光。
そして――。
劇的な静寂の中、あまりにも鮮烈な紅の薔薇の花弁が、闘技場の中心で美しく舞い上がった。
ドルネがギークの【戦神の加護】の聖域へと足を踏み入れた、まさにその刹那。
彼女の五体を限界まで強化し、包み込んでいた深紅の魔力が、世界の理に拒絶されるようにして一瞬で霧散したのである。
速度を維持したまま突入したものの、全てのバフを剥ぎ取られたその光景は、あまりにも美しく幻想的で、ギークの思考を一瞬だけ奪い去るほどであった。
しかし、ヴァルキュリアによる戦神の超知覚、そしてドラグーンによる龍の限界能力を同時解放しているギークは、極限まで引き伸ばされた一瞬の思考時間(スローモーションの世界)において、すぐさま現状を把握する。
魔力を剥ぎ取られたとはいえ、聖域の外側から最高速で放たれたドルネの刺突は――その引き伸ばされた狂気的な時間を持ってしてもなお、絶望的に速かった。
避けるための判断時間は、現実の瞬き一瞬にも満たない、無いに等しい領域。
ギーク(馬鹿みてぇに……速えぇええええええ!!!???)
その引き伸ばされた神々の時間の中で、ギークは戦神と龍の脅威的な身体能力を文字通り「捩じ切る」ようにして、硬直した自身の巨体をわずかに動かす。
それが彼にできた、唯一の、そして限界の抵抗。ドルネの細剣の切っ先が捉える致命の座標を、心臓からほんの数センチだけ、力尽くで「調整」するのがやっとのことであった。
ドゴオオオン!!!!
弾け飛ぶようにして、世界の時の流れが正常へと戻る。
闘技場の分厚い外壁は、この日何度目か、もはや何ヶ所目かもわからない大破を遂げた。
だが、それは今日この闘技場で起きたあらゆる大破の中で、間違いなく最も凄まじく、最も苛烈な衝撃波を帝都の空へと響かせていた。
それほどまでに、剣聖ドルネが生命を賭して放った最後の技は、極限まで洗練され、天災の如き絶大な威力を誇っていたのだ。
爆煙が激しく吹き荒れる中。
ドルネ「はあっ……はあ……っ、はあ……っ」
技の発動中、呼吸をすることさえ忘れていたドルネは、細剣【ヴェル・ロザリア】の柄頭を両手で必死に前に押し込みながら、肩を激しく上下させ、下を向いたまま貪るように呼吸を再開する。
手応えは、あった。
聖域によって魔力は消されたが、彼女の細剣は、確かに戦神の加護を突き破り、龍の鱗を強引に割り裂いて、目の前の怪物の肉体を深く、深く貫いていた。
ドルネ「さすが……に……。死んだ……かしら……?」
息も絶え絶えになりながら、己の全存在を賭した戦果を確認しようと、ドルネはゆっくりと顔を上げた。
【ヴェル・ロザリア】の鋭利な刃は、ギークの誇る【龍鱗纏装】の絶対防御を力尽くで粉砕し、その強靭な脇腹へと深く突き刺さっていた。
そのまま弾丸のごとく闘技場の壁へ激突させた衝撃も加わり、ギークの巨体からは見た目以上の凄絶な出血が引き起こされている。
どれほどの怪物であろうと、人間である以上これ以上の致命傷はない。
そう確信しながら、ドルネは刺さった細剣を自らの手元へ引き抜こうと、残された力を両腕に込めた。
――だが、その細剣は、ピクリとも抜けなかった。
ギーク「は……はっ……ははっ……!」
ドルネ「――っ、ほんと……化け物ね……!」
あまりの理不尽に、どこかで現実逃避したい思いに駆られながら、ドルネの口から戦慄混じりの言葉が漏れ出た。
彼女が握る細剣の柄頭、そこへ添えられたドルネの細い手首を、血に濡れたギークの分厚い手のひらが、万力のような力でガチリと掴んでいたのだ。
いつの間にか、彼の右手から銀槍【ヴァルキュリア】は光の粒子となって消え去っており、左手の黒槍【ドラグーン】のみが、その血だまりの中で妖しく黒炎を揺らめかせている。
掴まれた手首から伝わる、尋常ならざる殺気。
その瞬間、ドルネの脳裏に、かつて武闘会の戦いでギークが放った圧倒的な大技の記憶が鮮烈に呼び起こされた。
【ブレス・オブ・ドラグーン】
龍のブレスを人間のサイズに模倣し、一切の加減なく魔力を前方に放出させる、あの凶悪極まる一撃。
それを受け、最強の一角であった拳聖ロックが血反吐を吐いて敗北したあの光景が、走馬灯のように脳内を駆け巡る。
ドルネ(まさか、この至近距離で、あれを放つ気――!?)
今の状況は、ドルネからすれば文字通りの「命の危機」そのもの。
だが、しかし、とドルネは恐怖に支配されかける頭で、必死に冷静な思考を巡らせた。
ドルネ(いや、落ち着きなさい……! この男に、そんな大技を撃ち出すだけの魔力は、もう一滴も残ってないはずよ。この満身創痍の姿がその証拠だわ……!)
目の前の、息をするのもやっとの筈のギークを見て、ドルネは「ブラフだ」と判断する。
しかし、掴んだ彼女の手首を、肉が陥没するほどの力で絶対に離さないギークは――一体その肉体のどこから練り上げられたのかも分からぬ、悍ましい龍の魔力を、その喉元、口元へと急速に溜め込んでいく。
その口腔から漏れ出る蒼炎の光に、ドルネの顔から完全に血の気が引いた。
ドルネ「……正気……なの……っ!?」
ギーク「あぁ……」
ドルネ「こんな至近距離で放てば、巻き込まれてあなただって――死ぬわよ……!?」
ギーク「――さぁて、どうだろうなぁ……っ!!」
ニィッと、血に染まった牙を剥き出しにしてギークが笑う。
直後、夕闇が静かに支配しつつある無人の闘技場、その崩落した瓦礫の山から、龍の咆哮が、弱々しくはあるが、確かに放たれた。
ジュウウウウウウ……
肉の焦げる悍ましい音と、不気味な青白い煙が二人の間に立ち上る。
ドルネ「か……はっ……」
ギーク「……。」
ゼロ距離から放たれた、執念の青白い炎が完全に消え去ると同時に、まるで世界の終わりを告げるかのように陽が完全に沈んだ。
普段であれば、夜の帳が下りると同時に闘技場内を隅々まで照らすはずの魔法照明が一斉に点灯し、昼さながらの明るさが確保されるはずであった。
しかし、幾度となく繰り返された局地地震、そして規格外の怪物二人による暴虐の限りを尽くした激闘により、地下の術式構造ごと設備は完全に破壊し尽くされていた。
灯りが灯ることはなく、ただ濃密な闇だけが、静かに闘技場全体を支配していった。
ガラガラ……
静寂に包まれた闇の中で、どれほどの時が経ったのかはわからない。
だが、先ほど龍の咆哮がゼロ距離で炸裂した、まさにその中心地から、かすかに崩れた瓦礫を押し退けて動く影があった。
ドルネ「……わた……し……は。こんな……ところ……で……」
昏い闇の奥から、憎悪と執念に満ちた声を絞り出したのは――帝国の至宝、剣聖三席ドルネ・アシュリーであった。
彼女は息も絶え絶えのまま、自身の足元に物言わぬ身体となって転がっているギークを激しく睨みつける。
そして、彼の脇腹に深く突き刺さったままだった愛剣【ヴェル・ロザリア】の柄を掴むと、肉と骨を削るような鈍い音を立てて乱雑に引き抜いた。
もはや、その細剣は敵を穿つ武器ではなく、彼女の崩れ落ちそうな身体を支えるための、ただの歪んだ杖代わりであった。ドルネは剣を床に突き立て、それを支えにしながら、這いずるようにしてその場から離れようと歩き出す。
ドルネ(死ぬわけには……いかないのよ……。私は……こんな泥臭い賊に……!)
最後のブレスを真っ向から浴びた代償はあまりに大きかった。魔力を、気力を、その全存在を使い果たしたドルネは、まさしく生涯で最も惨めな満身創痍の体であった。
気高く整っていたはずの顔には無数の生々しい傷が刻まれ、美しかった自慢の長い髪はギークの放った青白い熱量によって無惨に縮れ、全身の至るところにある裂傷からは、今もドクドクと赤い血が流れ落ちて床を汚している。
それでも、彼女の足は折れなかった。
歩みを決して止めなかった。
その理由は――彼女が誇り高き『剣聖』であるから、では断じてなかった。
ドルネ(こんな、どこの馬の骨とも知れない奴らに……私がようやく手に入れた安息地を……私の血の滲むような努力で築き上げた『剣聖』という地位を……奪われてたまるものか……!)
私欲。
綺麗事の一切を削ぎ落とした、最も原始的であり、だからこそ最も人を動かすのに現実的で強固な感情。
それだけが、彼女の薄れゆく意識を強引に繋ぎ止めていた。
ドルネ自身、帝国に対する忠誠心や愛国心など、最初から毛ほども持ち合わせてはいない。
だが、裏社会から這い上がり、剣聖の地位まで自力で駆け上がってきた以上、この帝国という巨大なシステムにおいて彼女が不自由することは何一つなかった。富も、名声も、誰もが跪く権力も、すべてをその手の中に収めている。
となれば、この国以上に彼女にとって生きやすく、都合の良い楽園など世界のどこを探しても存在しないのだ。
故に彼女は、愛する祖国を守るためではなく――自身の贅沢で不可侵な『日常』を守るがために。
血の足跡を闇に残しながら、闘技場以外の戦場……今まさに、侵入者どもが血戦を繰り広げているであろう王城の深部へと、死神のような足取りで向かっていったのであった。
いつも読んでいただきありがとうございます!
ついにギークvsドルネ戦の決着!
いろんな設定を考えてたらつい楽しくなってしまって色んな要素を入れてしまいました。
この戦いの裏でもいろんな戦いが起きてるわけですがこの二人の戦いが個人的には一番好きかもしれません。
とはいえ、王城前、広場、北塔周辺上空ではまだまだいろんな戦闘が残ってます。
私の脳内ではいろんな展開がありますが、ベタな展開だけは避けたいな…なんて考えてたりするわけで、そんなことをしてるとついつい文字数が増えてしまう…。
そんな感じでこれからも書き続けますので応援よろしくお願いします!




