枯渇せし深淵より引き摺り出す双神話
ギーク(マジでやべぇ……。ヴァルキュリアの力だけじゃ、あのクソアマを出し抜くには足りねぇ……!)
乱雑に闘技場を破壊し尽くしながらも、その実、極めて正確に包囲網を狭めてくるドルネの不可視の猛攻。
あと数回もすれば、その棘は逃げ回るギークの肉体を完全に捉えて撃ち抜くだろう。
他でもないギーク自身が、その「終わりの瞬間」を誰よりも冷酷に理解していた。
自身の魔力が、体力が、そして極限まで加速させていた思考までもが、確実に鈍り衰え始めているのが感覚で分かってきている。
だが――絶望の底に沈みかけたギークの脳内には、死線と引き換えに手繰り寄せた、ある一つの「賭け(仮説)」が浮かんでいた。
それを試すための時間は、もう一分たりとも残されていない。
ギーク(『それ』をやるにもまずは……アイツの能力の仕様を、もう一回だけこの目で確認しねぇと話にならねぇ……!)
最悪の状況で結論を弾き出したギークの双眸は、未だ獰猛な光を失っておらず、微塵も死んではいなかった。
ドルネ(まだ何かやるつもりね。無駄なことを。まぁ、死にゆく前の最後の足掻きかしら? 哀れだから、少しだけ付き合ってあげてもいいわよ)
絶対的な余裕の態度を崩さぬまま、ギークの纏う雰囲気の微細な変化を感じ取ったドルネは、傲慢に口角を上げながら、再度ギークの動きにその視線を注視し始める。
何かが特段変わったような感覚はまだない。だが、明らかに何か「大技」を仕掛けるつもりで、その内奥の魔力を不気味に練り直しているのだけは、支配領域の魔力を通してはっきりと感じられた。
そして、彼女の予想通り、ギークは三度、銀槍を構えてドルネに対して真っ直ぐに突進を繰り出してきた。
ドルネ「あなた、本当にバカなの??」
言葉と同時に、意識せずとも高められた魔力が、ほぼ半自動的な反射でドルネの身体を「空間の歪み」へと引き込み、転移で動かす。
一瞬にしてドルネはギークの突撃軌道から完全に距離を取り、その背後へと回り込んで細剣を構え、即座に必殺の反撃を繰り出そうとした。
しかし、その見えない薔薇の棘は、ギークの肉体を掠めることすらなく虚空を切り裂き、背後の闘技場をただ激しく爆砕するのみに終わった。
ギーク「黙れやクソアマ!! てめぇがそんなに強ぇってんなら、俺の次の技も正面から綺麗に受け切って見せろよォ!!?」
ドルネ「はぁっ!? 散々無様に逃げ回ってるその口が、よくもそんな大口を叩けたものね!!!」
普段は冷徹な剣聖を気取ってはいるものの、根本的に戦闘中の「煽り」に対する耐性が極めて低いドルネは、ギークの挑発に安易な怒りを燃やし、その誘いに真っ向から乗っかった。
ギーク(……ビンゴだ。ざっと、制限は四つってとこか……!)
限界まで研ぎ澄まされた野生の直感と、ヴァルキュリアがもたらす極限の知覚。それらをフル回転させ、命がけでドルネの動きを観察し続けたギークの脳内で、バラバラだったピースが完璧な一つの絵へと繋がっていた。
ギーク(まずは、転移と攻撃は同時には行えねぇ。あのアマ、回避(転移)してる真っ最中には一度も攻撃を仕掛けてこなかった。そして攻撃時、奴はその場から一歩も動けねぇ。……だがその代わり、転移と攻撃のエリアは奴の深紅の魔力が影響しているこの範囲内すべてだ。そして最後の極めつけ――転移を連続して発動するには、コンマ数秒の『ラグ』が確実に存在する……!)
神域の如き無敵の空間支配。
その裏に隠された絶対のルール(制約)を、ギークは完全に暴き立てていた。
この見立てをさらに確実なものとするべく、ギークは思考を巡らせる間もあえて無謀に攻撃を仕掛け、ドルネの反応を精緻にトレースしていた。
死角から飛んでくる不可視の攻撃を紙一重で回避し、転移の瞬間の魔力の揺らぎをその目に焼き付けることで、自らの仮説を一つずつ、確固たる「立証」へと変えていったのだ。
そして、敵の術理をすべて解体し終えた瞬間、ギークの双眸に狂おしいほどの確信の火が灯る。
ギーク「よっしゃあ!!! ――準備が整ったぜぇええ!!!」
突如として、割れんばかりの猛々しい咆哮が闘技場全体に響き渡った。それは、防戦一方だった獣が、狩人の喉元を噛み千切る準備を終えたという宣戦布告。
ドルネ「……何か企んでいるようだけど、無駄よ。その攻撃があなたの最後。それを受け切って、その上であなたを細切れにすれば、正真正銘、私の勝ちね」
ドルネの美しい顔には、未だ絶対的な強者の余裕が張り付いていた。
彼女の能力の制約である「攻撃時の硬直」と「連続転移のラグ」――ギークがさっき放った安い煽りに乗ってしまったがゆえに、ドルネは今、自らその場に足をとどめ、正面からギークを迎え撃つ迎撃の体勢をとってしまっている。
ギーク「そういう大口はなぁ……俺の攻撃を綺麗に受け切ってから言ってみろやクソアマぁ!!」
ドンッ!!!
言葉と同時に、ギークの体内で限界を超えて練り上げられた桁違いの魔力が爆発し、周囲の空間そのものを激しく震わせた。
闘技場の床に、壁に、宙に、至る所に散っていた白い砂塵が、ジジジ……と高頻度で細かく振動を始める。
それはまるで、ギークという規格外の存在を中心にして、局地的な大地震が起きているかのようであった。
相対するドルネは、地鳴りのように押し寄せるその魔力を肌で直接感じながらも、最高戦力としてのプライドを胸に、細剣【ヴェル・ロザリア】の正眼の構えを微塵も解くことなく、真っ直ぐにギークを見据え続けていた。
ドルネ(とてつもない魔力……。間違いなく、次の攻撃にすべてを賭けてくる。だけど、どんなに強力な攻撃だろうと、私のこの深紅の空間(檻)の中ではすべて無意味だというのにね……。哀れな羽虫が)
ドルネの冷ややかな思考とは裏腹に、闘技場を満たす空気は急速に重度を増していく。
肌をチリチリと刺すような圧倒的な魔圧は、闘技場全体を力任せに揺らすほどの物理的な質量を伴い、ギークの巨大な身体全体を、禍々しくも気高いオーラとなって包み込んでいた。
ギーク(今の俺の体にゃ、これっぽっちもリターンなんざねぇ……リスクしか残ってねぇ。……だが、あのクソアマを今、この場で確実にブチのめすには、これしかねぇんだよ……!)
退路を断つ覚悟をその双眸に決め、ギークは自身の内奥に残された僅かな魔力を、これまでにない密度で広げた左腕へと爆発的に集中させていく。
そして、その強靭な左腕を、空間ごと抉り取るようにして身体の前で水平に薙ぎ払った。
ブゥゥゥウン!!!!
大気を激しく引き裂く、重低音の風切り音が闘技場に鳴り響く。その凄まじい風圧によって、周囲に漂っていた濃密な砂塵が、ギークを中心として綺麗な真円の形を描きながら一気に外側へと吹き広がっていった。
ギーク「――【二重槍・ドラグーン】ッ!!」
漆黒の魔力の奔流がその左手に収束し、激しい火花を散らしながら、一度は霧散させたはずのあの凶悪な黒槍【ドラグーン】をその現世へと力任せに引きずり戻した。
右手に銀色に輝く戦神の槍【ヴァルキュリア】
左手には破壊の暴威を宿した黒槍【ドラグーン】
属性の異なる二本の神話を両手に携え、闘技場の中心に堂々と傲然と構えるその姿は――さながら、畏るべき「龍」が人の姿を成して戦場に舞い降りたかのようであった。
だがしかし、神々しくも禍々しいこの『二重槍』の姿は、ギークにとってとてつもなく過酷な負荷を強いるものであり、常時運用するにはあまりに命を削りすぎる諸刃の剣、極大のリスクそのものであった。
本来、ひとつの高位の武器を具現化させるだけでも、およそ常軌を逸した膨大な魔力を消費する。
世に言う『魔力錬成』
リヒトの持つ絶対の剣もまたこの最高峰の技術によって生み出されているのだが、ギークのそれはリヒトの仕様とは若干異なり、本質は【空間召喚】の領域に属している。
別空間に存在する槍の本体を、自身の魔力を媒介にしてこの現世へと呼び寄せる術式であるため、一度召喚を終えてしまえば、戦闘中に魔力を常時垂れ流して維持する必要はない。そのため、作り出してしまえばそこからの維持消費自体はそこまで大きくはないのだ。
だが、そもそも『槍』という巨大な質量と神格を持つ構造物を別空間から引きずり出すには、根源的な魔力の最大総量が常人を遥かに凌駕していなければ成立すらしない。並の魔導師であれば、一本を錬成した時点で魔力を使い果たし、その場で戦闘不能に陥るほどの凄絶な消耗を伴うのだ。
それを、ギークはこの死線において「同時に二本」、気力だけでやってのけたのである。
さらに恐るべきは、ギークの固有能力の本質だ。
彼の能力は、ただ槍を振り回すだけではない。召喚した槍に刻まれた『真名の持ち主』の能力を、自身の魔力を直接的な代償として肉体にトレースし、使使する点にある。
ともすれば、戦闘開始からドラグーンとヴァルキュリアの限界能力を完全に行使し続け、ただでさえ魔力の底が見えかけていた今この瞬間において、二本目となるドラグーンを強制召喚し、なおかつその龍の能力を重ねてトレースするなどという行為は――干からびて枯渇した井戸の底から、血を吐きながらさらに水を汲み続けようとするような、人間の領域を完全に逸脱した命がけの離れ業に他ならなかった。
全身の毛細血管が千切れんばかりの激痛。
それでも、ギークの腕から、二本の槍から放たれる圧倒的なまでの「圧」は、限界を迎えた闘技場の空間をさらに歪ませていく。
ドルネ「ふふふふ。今更槍が増えたから何?それでこの聖薔薇の抱擁を打ち破れるとでも言いたいのかしら?」
二本の槍が放つ圧を前にしてもドルネの様子が変わることはなかった。
彼女は正確に見抜いていた。
ギーク自身が持つ魔力がほぼ枯渇していることを。
そして、その中で発動させた二重槍は死に直結するリスクが大きい技であることを。
ともすれば、その次に放たれるであろう技を、攻撃の応酬を凌ぎさえしてしまえばドルネ自身の勝ちは確定する。
そこまで読めているからこそギークがやってみせた神技に毛ほども興味がわかなかったのである。
ギーク「てめぇは強い。認めてやるよ。その技も、俺が相手じゃなきゃ、間違いなく攻略不可能な最強技ってところか? ――だがな、残念だったな。俺が相手である以上、この世に攻略不可能な技なんてねぇんだよ」
左手の黒槍【ドラグーン】の禍々しい切っ先をドルネへと真っ直ぐに向けながら、ギークは血に濡れた顔に獰猛極まる不敵な笑顔を浮かべ、傲然と言い放つ。
ドルネ「ちっ……。そういう減らず口は、勝ってから言うものよ。あなた、自分がもう立っているのも限界なことにすら気付いていないのかしら?」
ドルネが冷酷に言い終わるのと、細剣【ヴェル・ロザリア】を冷徹に振り抜くのは、完全に同時のタイミングであった。
ドルネの制約――『攻撃時はその場から動けない』。
しかし彼女は今、ギークの挑発に乗って正面から受け止めるために自ら足を止めている。
動く必要などない。
この空間すべてが彼女の檻なのだから。
ズパアアアーーーン!!!!
耳を劈くような激しい空間の破裂音。
視認不可能な聖薔薇の棘が、一切の慈悲なくギークの巨体に向かって炸裂し、その場に凄まじい砂塵を巻き起こした。
どう見ても直撃。
ヴァルキュリアによる限界の反応速度をもってしても回避する間もなく、必殺の不可視の一撃が完全にヒットしたようにしか見えなかった。
だが、しかし――。
ブォン!!!
猛烈に巻き上がった白い砂塵を、まるで鬱陶しい羽虫でも払うかのように、一振りの「銀色の軌跡」が力任せに一文字に薙ぎ払った。
割れた砂埃の向こうから、何事もなかったかのように悠然と、ギークがその姿を再び現す。
ドルネ「……なっ!? 嘘、でしょ……!?」
ドルネの美しい瞳が、今度こそ底知れぬ驚愕に大きく見開かれた。
見間違いではない。
魔力感知の網も、確かにギークの肉体に自身の攻撃が「命中した」手応えを捉えていた。
血飛沫を上げて肉が裂け、骨が砕け散っていなければおかしいはずなのだ。
理解が追いつかない恐怖と焦燥感に突き動かされるように、ドルネは狂ったように何度も細剣を振るい、不可視の斬撃を連射した。
一度ではなく、二度、三度――。
ズパァアン!! ズパァアアン!!! ズパァアアン!!!!
その度に闘技場の大気を、残された大地を、容赦なく割くような凄まじい破裂音が連続して炸裂する。
だが、何度、いかなる角度から不可視の狂刃を叩き込もうとも、ギークはその場に仁王立ちしたまま、全ての攻撃を力尽くで凌ぎ切ってみせていた。
ドルネ「一体……何をしたの……っ!?」
信じられない、あってはならない悪夢を見ていると言わんばかりの様子で、ドルネは細剣【ヴェル・ロザリア】を構えたまま、引き攣った声でギークに問いかける。
ギーク「こちとら文字通り命削って二本も引っ張り出してんだ。てめぇのその小綺麗な攻撃くらいよォ、正面から平然と受け切れなきゃ、わざわざ死にかけに甘んじてる甲斐もねぇってもんだろうがよ、あぁん!?」
ドルネ「意味がわからないわ……! 私の攻撃は確かにあなたを捉えているはずなのに……っ!」
ギーク「理解できねぇなら、その足りねぇ頭に直接叩き込んで見せてやんよ」
未だ理解が追いつかず動揺を隠せないドルネに対し、ギークは自身の身体の前で、銀と黒の二本の槍を十字に交差させるようにして深く構え、残された全ての魔力を極限まで練り上げる。
そして、世界の法則すら書き換える、神の如き二重の秘奥が同時に発動された。




