戦略的撤退(リトリート) ―希望を繋ぐ門跡への突撃―
王城前の門、それは文字通りの「死門」と化していた。
ルシウスがどれほど鮮やかに旗を振り、兵を導こうとも、帝国の精鋭たちが作り出す鋼の壁は一寸の揺らぎも見せない。
王城を守護する帝国軍の強さは、個々の武勇以上にその「冷徹な組織力」にあった。
一人が倒れれば即座に次が埋め、盾の隙間からは寸分狂わぬタイミングで槍が突き出される。それはまるで、巨大で精密な一つの歯車仕掛けの処刑機械が、ゆっくりとジャッカルの兵を磨り潰していくかのようであった。
対するジャッカルの兵士たちは、もはや「技術」ではなく「怨念」だけで立っていた。
折れた剣を握り直し、深手を負いながらも帝国の盾に食らいつく。しかし、どれほど気炎を吐こうとも、実戦経験に裏打ちされた帝国の「型」は、彼らの命を効率的に、そして淡々と刈り取っていく。
ルシウス(……ああ、これは策が成り立たない。兵の士気で埋められるのは、あくまで誤差の範囲内だ。これほど圧倒的な『質の差』を前にしては…。)
ルシウスは自身の細い指でこめかみを叩き、冷や汗を拭う。
彼の知略は、常に「勝てる要素」を組み合わせて形にするもの。しかし今の盤面には、勝利に繋がる駒が一つも残されていなかった。
メーガスは魔法を封じられ、自身は指揮に追われ、兵は摩耗し続けている。
ルシウス(……限界だね。これ以上の停滞は、死と同義。メーガスだけでも逃がすべきか……いや、今の彼女はそんな提案、聞き入れないだろう。……困ったな、本当に。何か、この盤面をひっくり返せるような『乱暴な一手』を……!)
ルシウスの視線の先では、メーガスが魔力を封じられた状況下で、それでもなお、兵士たちを鼓舞し、最前線を支えていた。
彼女の背中は誇り高い。
だが、その背中がいつ鋼の波に飲み込まれてもおかしくない。
王城の冷たい石壁に、ジャッカル兵たちの叫びが虚しく響く。
ルシウスが渇望する、この絶望的な均衡を強引に破壊する「暴力的な介入」。
それが訪れない限り、この場所はジャッカルという組織の、そして彼らの夢の墓場となる。
しかし、現実はそうはうまく運ばない。
どれだけ時が経とうと、どれだけ思考を重ねようと、盤面を覆す妙策など浮かんではこないし、待ち望んだ暴力的な介入もなかった。
それはすなわち、冷徹な現実としてのタイムリミットを意味していた。
ルシウス(……この減り続ける戦力のみでなんとか後退する。もしくは、いつ来るかもわからない増援を信じてひたすら耐え抜く。いよいよ、この二択に迫られてる……ということかな)
ルシウスの思考は極めて正しかった。
爆発的な戦力の増加など、戦場という名の数理においてどう考えてもあり得はしない。
グァイスから共有された各方面の厳しい戦況を考えれば、他所に余剰戦力など残されていないことなど火を見るより明らかだった。
ともすれば、ここで兵を擦り潰しながら耐え抜くか、あるいは屈辱を呑んで自力で後退するのか、そのどちらかしかないのだ。
ルシウス(ここまで戦力を減らされたのは本当に想定外……いや、僕の失策だね。なら、ここで皆を煽動して、さらなる死地に追い込まねばならないのも――僕の役目、だね)
ついてきている兵士たちを、自らの言葉でさらなる地獄へ追いやる覚悟。その重圧を華奢な背中に背負い、ルシウスは全軍に新たな指示を下すべく、深く、大きく息を吸い込んだ。
悲壮な決意を孕んだ号令が、彼の唇から下ろされようとした、その刹那。
脳裏に、一本の鋭い魔法思念が直接滑り込んできた。
ノウス(遅くなり申し訳ありません。零遺衆、ノウス含めて六名、増援として来ました。戦局を大きく変える一助となれば!)
――零遺衆の二番手、ノウス。
ジャッカルが誇る隠密の一角が、死門と化した王城前門へとついに合流した。
ルシウス(零遺衆!? どうしてここに……!?)
想定外の援軍に、ルシウスの冷静な知性が一瞬だけ揺らぐ。闘技場の守備に就いていたはずの彼らが、なぜこのタイミングで、この最も絶望的な場所に現れたのか。
ノウス(話せば長くなりますが、今はその時ではないかと。……軍師殿、我々に出来ることはありますか?)
ノウスの声は、死地にあっても凪のように静かであった。その冷徹なまでの落ち着きが、崩壊しかけていたルシウスの思考を瞬時に立て直させる。
ルシウス(……そうだね。この思念も含めて、色々聞きたいことは山積みだけど、ひとまずこの魔法使用不可エリアからメーガス様を出すことが先決だ。破壊された門より外側まで出れば、彼女の魔法が復活する。そこまでの血路を――強引に開くことは出来るかい?)
ノウス(……ふむ。帝国兵の相手であれば、容易いことかと。……聞いていたな。全員、門跡周辺の帝国兵を掃除だ)
零遺衆(御意)
その短い思念が途絶えた数秒後。
ルシウスたちが血反吐を吐きながら目指していた「門跡」の周辺に、劇的な異変が起き始める。
それまで尽きることなく溢れ出し、ジャッカルの兵を磨り潰していた帝国兵の流入が、目に見えて減り始めたのだ。
ルシウス(本当に……本当にいいタイミングで来てくれた……!)
ルシウスの肌が感じ取ったその変化は、現場で戦うジャッカル兵たちの瞳にも届いていた。
「もう終わりだ」と項垂れかけていた彼らの目に、ふたたび、どろりとした焦燥ではない「希望」の光が宿り始める。
ルシウスはその勝機を、戦場に訪れたわずかな風穴を、決して見逃さなかった。
ルシウス「全隊! 門跡まで後退! 一人でも多く生き延びろ!! 門を抜ければ、僕たちが死力を尽くして守り抜く!」
喉を裂かんばかりのルシウスの号令。
それは、敗北への逃走ではなく、反撃のための戦略的後退。
その意味を理解した兵士たちの咆哮が、王城の壁を震わせた。
ジャッカル兵「うおおおおお!!!!」
ジャッカル兵「引くぞ! 門まで辿り着けば、俺たちの勝ちだ!! いくぞおおおおお!!!!」
絶望の鉄壁に押し潰されていたジャッカルの軍勢が、ノウスたちの切り開いた「一筋の道」に向かって、最後にして最大の突撃を開始した。




