再誕の灯火 ―泥を啜りて理想を紡げ―
ロック「がはははは!!!」
大地を揺るがす剛毅な笑い声。
拳聖ロックが踏み込むたびに、広場の石畳は爆ぜ、真空を切り裂く拳が凄まじい風圧となって周囲のジャッカル兵をもなぎ倒す。その圧倒的な「暴力」の奔流のただ中に、飛鳥はいた。
玄武との魔力同調を果たしたとはいえ、今の彼女に許されているのはその真価のわずか三割。
重厚な魔力の盾をまとう【玄武】の力を引き出しきれているとは到底言い難い。
それでも、彼女がロックの理不尽な猛攻を死一重で受け流し続けているのは、決して幸運などではない。
義洞の家で幼少期から骨の髄まで叩き込まれた、至高の剣技と体捌き。
その積み重ねだけが、今の彼女を死の淵で繋ぎ止めていた。
飛鳥「――緋扇閃!!!」
飛鳥の瞳が鋭く光り、紅い軌跡を描く神速の太刀が放たれた。吸い込まれるような軌道、一点の迷いもない踏み込み。刃は確実にロックの胴を両断するかに思われた。
しかし。
ロック「ぬぅん!!!」
ロックは回避すら選ばない。代わりに、対象部位を恐るべき密度の魔力で「金剛」のごとく硬化させた。
キィィィン!!!!!
金属同士が激突したような甲高い衝撃音が広場に轟く。
飛鳥「くっ……硬い……!!」
手応えは、巨大な岩山を斬ろうとしたかのよう。刀を弾かれた衝撃で、飛鳥の腕には痺れが走り、指先の感覚が遠のく。
だが、彼女は止まらない。ここで一瞬でも硬直すれば、待っているのはロックの追撃による確実な死だ。飛鳥は奥歯が砕けるほどに噛み締め、根性だけで体勢を維持すると、強引に次の挙動へと意識を叩き込んだ。
飛鳥「……空蝉!!」
刹那、ロックの重戦車のような拳が飛鳥の心臓を貫かんと迫る。
だが、その拳が触れる直前、飛鳥の身体は陽炎のように揺らぎ、紙一重の転身でその威力を空へと逃がした。風圧に装束をなびかせながら、彼女は重力に従うように静かに、かつ素早く後方へ着地。
飛鳥とロックの間に、数メートルの距離が生まれる。
飛鳥(……っ、はぁ、はぁ……。なんて怪物なの。まともにやり合ってちゃ、あと数分も持たない……!)
荒い呼吸を整えながら、飛鳥は再び【玄武】を正眼に構える。刀身から伝わる玄武の鼓動は激しく、彼女の焦りを象徴するように火花を散らしていた。
ロック「ふむん。なかなか良い動きだなぁ! だが、あと十年……いや二十年は鍛錬せんとワシには届かんだろうな!」
自身の攻撃を精緻な刀技でいなし、距離を空けた飛鳥に対し、ロックは純粋な賛辞を送りつつも、残酷なまでの「実力差」を突きつけた。
それは決して飛鳥を侮っているわけではない。拳聖として数多の修羅場を潜り抜けてきた彼が、飛鳥の才を認めたからこそ出た本心の言葉。
だが、極限の戦場においてその言葉は、飛鳥の精神を鋭く削り取る刃となった。
飛鳥(くっ……そんなこと、私が一番わかってる……! 兄上のように、もっと自由に刀を使いこなせれば……!)
ロックの言葉を正面から受け止めた飛鳥の胸中に、焦燥の火が広がる。
戦いが長引き、ロックをこの広場で暴れさせればさせるほど、周囲のジャッカル兵は摩耗し、一人、また一人と倒れていく。
本来、現場の指揮を執るべき飛鳥がロックへの対応にかかりきりになっている現状、追撃してくる帝国軍への有効な指示は出せず、戦況は目に見えて帝国側へと傾いていた。
そんな絶望的な状況下で、彼女の意識に一つの「声」が響く。
リュド(……リヒト様、飛鳥様、ルシウス様。闘技場はギーク様の奮戦により指示通りの展開となっております。ジャック様、および零遺衆は現在自由に動ける状態です。状況に応じて独自の判断で動きたく存じますが、お許し願えますでしょうか)
闘技場を守護するリュドからの魔法思念。
飛鳥はそれを「天啓」と感じ、すぐさま救援を要請しようと意識を割いた。しかし、非情な現実がそれを許さない。
――ドォォォォンッ!!!
ロックが、一切の予備動作なく踏み込んできたのである。
飛鳥「……ッ!?」
咄嗟に刀を構えて防御の姿勢を取るが、一瞬とはいえ思念に応答しようと意識を逸らした隙は、拳聖の前では致命的な「空隙」となった。
万全とは言い難い不十分な受け。玄武の魔力防壁すら強引に突き破るようなロックの剛拳は、容易く飛鳥の身体を宙へと跳ね飛ばした。
飛鳥「が……はっ……!!」
防ぎきれなかった衝撃が内臓を揺らし、視界が激しく回転する。飛鳥の身体は紙屑のように後方へと吹き飛び、広場に面した帝国民家の壁を粉砕しながら、その奥へと叩きつけられた。
噴き上がる土煙と、崩れ落ちる建物の轟音。
土煙の向こう側、静まり返った瓦礫の山を見つめ、ロックは拳を静かに下ろした。
ロック「戦いの最中に意識を外へ向けるとは……。やはり、まだ若いかのう」
視界が白く霞み、意識が激しく明滅する。
民家の奥深くまで叩きつけられた飛鳥を包むのは、冷たい土埃の匂いと、全身を苛む焼けるような激痛だった。
吹き飛ばされた際の衝撃は、彼女がこれまでの人生で経験した何よりも重く、絶望的だった。
飛鳥(痛い……苦しい……。これが……戦い。これが本当の……戦場なのね……)
朦朧とする意識の底で、飛鳥は自身の「覚悟の甘さ」に激しい嫌悪を抱いていた。
義洞の家を離れ、ジャッカルという人外の集う場所に拾われた。そこで自身に眠る玄武の力を知り、周りにいる「本物の怪物」たちに感化され、自分もまたその域に足を踏み入れたのだと――無意識のうちに思い込んでしまっていたのだ。
しかし、現実はあまりに非情だった。
リヒトやメーガス、ギークといった面々が最初から人外だったわけではない。
自分の知らないところで、血を吐くような修練を積み、正気ではいられないほどの地獄を潜り抜け、その果てに今の境地へ辿り着いたのだ。
そんな壮絶な積み重ねのない自分が、玄武と少し心を通わせた程度で、帝国の頂と渡り合えるほど世界は甘くなかった。
飛鳥(そう……よね……。私なんかが、いくらここで背伸びをしても……拳聖になんて、届くわけがない……)
溢れ出してきたのは、自らの無力さへの怒りと悔しさだった。
瓦礫に埋もれ、動けぬまま横たわる飛鳥の頬を、一筋の涙が熱く伝う。
その間も、戦場は一秒の停滞も許さない。
壁を隔てた向こう側からは、信頼して付いてきてくれた兵士たちの断末魔、鋼がぶつかり合う鈍い音、戦域を焦がす爆発音が絶え間なく響いてくる。
戦況は残酷なまでに刻一刻と動き続けているというのに、指揮官であるはずの飛鳥だけが、暗い部屋の隅で止まったままだった。
彼女の手から零れ落ちた「玄武」の刀身が、主の絶望に共鳴するように、弱々しく、しかし消え入りそうな光を放ちながら静かに横たわっていた。
飛鳥「もう……このまま……」
暗い淵へ吸い込まれるように、意識が遠のいていく。
砕かれた心は戦う理由を見失い、ただ静かに、この地獄のような喧騒が止むのを待とうとしていた。重い瞼を閉じ、すべてを投げ出そうとしたその瞬間――。
『……ただ一つ、命令がある。強くなれ。……それ以外、俺は何も求めない』
義洞の屋敷を後にし、夕闇の道を二人で歩いていた際のリヒトの、あの低く、それでいて揺るぎない声が脳裏を鮮烈に貫いた。
その言葉が呼び水となり、ジャッカルで過ごした日々が、濁流のように飛鳥の意識を駆け巡る。
居場所を与えてくれた仲間。
力の暴走に呑まれそうになった時、命懸けで繋ぎ止めてくれた仲間。
共に汗を流し、未熟な剣に付き合ってくれた仲間。
飛鳥(ああ……私は……本当に馬鹿だ……。私には……仲間がいる。私はもう…一人じゃなかったんだ……!)
消えかかっていた種火に、猛烈な風が吹き込まれた。
折れたはずの心に、ふたたび、より一層強く、熱い火が灯る。
弱かった自分とは、あの日に決別したのだ。
義洞の家を出る時、自分の過去も、これまでの名もすべて捨てた。
それは、ジャッカルという場所で「新しい自分」に、誰かを守れる「強い自分」に生まれ変わるため。
飛鳥(勝てなくてもいい……。せめて、この戦いの決着がつくその瞬間までは……私は、戦い抜いてみせる……!)
震える手で、瓦礫に埋もれた【玄武】を再び握り締める。
その不屈の決意に応えるように、薄橙の刀身がこれまでの青黒い魔力とは異なる、夜明けのような薄い橙の光を放ち始めた。
少女は全身の痛みを精神力でねじ伏せ、泥を啜るようにして立ち上がる。
積み重なった瓦礫を力強く押し退け、光を纏った彼女は、ふたたび凄惨な戦場へとその一歩を踏み出した。




