深淵の翼 ―陸爪、人外の領域へ―
ガン! ギン! ガン! ギン!
夕闇の迫る北塔跡地。
激しい火花を散らしながら、リヒトの振るう【魔成剣】とルーグの【聖剣カリバーン】が正面から激突し合う。
数合、十数合と打ち合ったかと思えば、瞬きする間に場所を変え、さらに凄まじい衝撃を撒き散らしながら打ち合う。
互いの実力は、帝国の歴史においても類を見ないほど高い水準で拮抗しており、決定打となり得る大技を繰り出す隙すら見出せない、極限の膠着状態にあった。
ルーグ「ハハッ! リヒト! 貴様の力は、この程度ではないのだろう!?」
剣を交えながら、ルーグは狂気にも似た愉悦を瞳に宿し、嘲るように問いかける。
それはもはや、帝国を守護する「剣聖」としての顔ではない。己が全力をぶつけ、命を削り合うその瞬間にのみ至高の悦びを感じる、飢えた武人の貌であった。
リヒト「黙れ。とっととくたばれ!」
リヒトは毒づきながら魔成剣を力任せに振るい、ルーグを弾き飛ばして一旦の距離を取る。
着地し、何気なく手元の魔成剣に目を落としたリヒトは、微かに眉を寄せた。
驚くべき魔力の密度で練り上げられたその刀身は、本来、鋼の剣と数千回打ち合ったとしても刃こぼれ一つ起こさぬ強度を誇る。
だが、いまリヒトの手元にあるそれは、至る所に細かな、しかし確かな刃こぼれを生じていたのだ。
純粋な力、そして剣聖の技量――ルーグの一振りが、魔力の結晶であるはずの剣を物理的に削り取っていたのである。
リヒトは無機質に魔成剣を霧散させて消失させ、再び魔力を練り上げる。
リヒト(……長引いても仕方ない。一気に蹴散らす!)
ルーグの実力、その太刀筋はある程度見切った。
ならば、と彼が錬成したのは、かつて地下迷宮で見せた「本気」の象徴――【漆黒の中剣】。
その刀身は、沈みゆく夕日が生む闇を吸い込んだかのような、底知れぬ漆黒に染まっていた。
その威容を見たルーグもまた、カリバーンを正眼に構え直し、黄金の闘気をより一層濃く引き出す。
ルーグ「仕切り直し……というわけだ。さあ、その黒き牙、どこまで届くかな!」
――刹那。
またしても二人の姿が、戦場から完全に消失した。
キィィィィンッ!!!!!!
鼓膜を突き破らんばかりの、甲高い衝突音。
直後、二人の交差した中心点から円状の衝撃波が吹き荒れ、周囲の瓦礫を塵に帰した。
およそ人と人が剣でぶつかり合ったものとは思えぬ、天災に等しい破壊。
黒き魔剣と白銀の聖剣。
互いの「格」を賭けた真の死闘が、ここから加速していく。
ルーグ(速度が段違いに上がってる……!?)
ルーグの驚愕は正当なものだった。
地を蹴り、肉薄するリヒトの踏み込みは、もはや視覚が捉えられる限界を超えている。
物理法則を嘲笑うかのようなその加速は、瞬きする間に数百メートルの距離を詰める転移魔法のそれに近い錯覚さえ覚えさせた。
音もなく目前に現れ、漆黒の刃を一閃させたかと思えば、次の瞬間には背後に立ち、幾条もの剣筋を叩き込んでくる。
ルーグ(動きが読めない……。まさしく闇に生きる暗殺者の剣だ)
その全方位からの神速の猛攻に対し、一切の直撃を許さず対応しきってみせるルーグもまた、紛れもない化け物であった。しかし、防戦に回るルーグの内心には、焦燥よりもむしろ、強者と相まみえた悦びがふつふつと湧き上がっていた。
ルーグ(このまま押されっぱなしというのも、私の剣聖としての格が廃れてしまうね……。彼相手なら、出し惜しみなど無意味、そして何より失礼というものだ)
次の瞬間、ルーグの身体を清冽な、淡い白色の光が包み込んだ。
帝国が誇る聖剣【カリバーン】の真なる力の解放。
彼の周囲には物理的な質量を伴うほどの魔力の圧が渦巻き、大気を震わせる。
ルーグ「はあっ!!!」
ルーグがカリバーンを数度、鋭く一閃させる。その剣身から放たれたのは、空間そのものを切り裂くような不可視の斬刃。
真っ直ぐな軌道でリヒトに迫るが、リヒトは最小限の動きでそれを受け流した。
ドゴォォォォォォンッ!!!!!
リヒトの背後に着弾したその衝撃は、帝都の堅牢な民家を一撃で粉砕し、轟音と共に巨大な爪痕を刻みつけた。
ルーグ「まあ、防がれて当たり前だよね!」
その声が耳に届いた時には、ルーグはすでにリヒトの懐へと肉薄していた。
ガガガガガガガガ!!!!!
火花を散らす連続した打撃音。
リヒトは受け身を取りながらルーグの刃を受け、あるいは柳のように躱して、致命的な一撃を凌ぎ続ける。
合間を縫って毒蛇のような鋭い反撃を加えるが、ルーグの流麗な剣筋にあえなくいなされ、決定打には至らない。
リヒト(……チッ、めんどくさい……!)
リヒトの眉間に、深い苛立ちが刻まれる。
聖剣の加護を受け、攻防のすべてが一段階引き上げられたルーグ。
どれほど速度を上げ、どれほど死角を突こうとも、鉄壁の守りを崩せない現状。
闇を纏う魔成剣と、光を背負う聖剣。
互いの本気が火花となって夜の帝都を照らし出し、二人の死闘は限界を超えた加速を見せようとしている。
漆黒の奔流と白銀の閃光
互いに視認不可能な領域へと達した二人の移動軌跡は、もはや光の筋となって夜の帝都を縦横無尽に駆け巡っている。
二人が空中で激突し、剣戟を交わすたびに、その余波だけで民家は砂の城のように脆く崩れ去り、周囲にいた逃げ遅れた民たちの悲鳴さえも、衝撃波の轟音にかき消されていく。
リヒト(……チッ。このまま続けていては、無辜の民への被害が広がる一方だ……!)
リヒトの胸中に、かすかな焦燥がよぎる。闇に生きる暗殺者でありながら、その根底にあるのは弱き者を理不尽に踏みにじることへの嫌悪。だが、目の前の男――帝国最強の守護者であるはずのルーグは、眼下の惨状など歯牙にもかけぬ様子で、狂おしいほどの熱量を帯びて肉薄してくる。
ガンッ!!!!
再び二つの力が正面から衝突し、近隣の民家が爆風を浴びたかのように半壊した。
リヒト「貴様……! 自分の国を、この街を守る気は欠片も無いのか……っ!」
リヒトは歯を食いしばり、剣を押し込みながら叫ぶ。守るべきものをその手で破壊し続ける男の矛盾が、彼には耐え難かった。
ルーグ「何を言う? 大事に決まっているさ。この帝国のすべてを、私は愛しているとも」
リヒト「なら、ここでお前が全力を振るうのは……筋が違うんじゃないのか!?」
リヒトは語気を強め、全身の魔力を中剣に叩き込んでルーグを力任せに押し返す。
ルーグはそれを受け流すように優雅に後方へ跳躍し、崩落した屋根の上に音もなく着地した。
ルーグ「そうだね。私と君がこのまま全力を出し続ければ、この美しい帝都はやがて更地になってしまうだろう」
淡い光を放つカリバーンをゆっくりと振り上げ、ルーグは慈愛に満ちた、それでいて底知れない冷酷さを湛えた声で言葉を続ける。
ルーグ「――だが、それがどうした?」
リヒト「何……!?」
ルーグ「帝国の永遠なる繁栄のため、私は君たちという『害悪』を消すためにここに呼び寄せた。ならば、その崇高な目的達成のためにこの街の一部が消えようとも、民が血を流そうとも、私は一向に構わないよ。礎とは、常に尊い犠牲の上に成り立つものなのだから!」
その瞳に宿るのは、国を守るための正義ではなく、国という概念を維持するための狂信。
リヒトは背筋に冷たいものが走るのを感じた。
目の前の男は、守るべきものを守るために、それを破壊することに一片の迷いも抱いていない。
リヒト「……狂ってるな」
リヒトは漆黒の中剣を握り直した。
もはや、言葉を交わす余地などない。この男を止められるのは、この身に纏う「闇」による、絶対的な引導のみであった。
ルーグ「ふっ……!」
短い、氷のような冷笑。それと同時に、ルーグの踏み込みが爆ぜた。振り下ろされた聖剣カリバーンが、空気を断ち切る鋭い音を立ててリヒトの頭上へと迫る。
ルーグ「どのような綺麗事を並べようと、最後に正しいのは『力』を持つ者だ……。闇に生き、戦いの中に身を置く君になら、その理が理解できるはずだろう?」
剣を振るいながら、ルーグは静かに問いかける。
その言葉に、リヒトは否定しきれない自分を感じていた。力がなければ、仲間も、理想も、守りたい未来すらも守れない。
それは、彼が過酷な裏の世界で嫌というほど学んできた真実だった。
リヒト「……ああ、そうだ。だがな! その守るための力で、守るべきものを傷つけてどうするのかと言ってるんだッ!」
葛藤を振り切るように、リヒトは漆黒の中剣で聖剣を強引に弾き飛ばす。生じた一瞬の隙を見逃さず、魔力によって重質量化した渾身の蹴りをルーグの腹部へと叩き込んだ。
ルーグ「ぐっ……!」
流石の剣聖も、その衝撃を完全には殺しきれない。ルーグの身体が大きく後方へと吹き飛ぶが、彼は空中で器用に身を翻し、瓦礫の上に音もなく降り立った。
ルーグ「……どこまでいっても、私と君では平行線のようだな」
リヒト「そのようだ」
ルーグ「なら、分かりやすくていい。どちらかが命を落とさない限り、この戦いは終わらない。理屈ではなく、存在そのものを消し合うしかないというわけだ」
リヒト「ああ。俺が、お前を殺して終わりだ」
ルーグ「そうなるといいね」
ルーグが不敵に微笑んだ瞬間、リヒトの視界から彼の姿が「消失」した。
リヒト「――!?」
直後、背中に鮮烈な熱が走り、続けて身体の芯まで響く衝撃が襲いかかる。
背後からの強烈な蹴り。防備を固める間もなく、リヒトは砲弾のような勢いで民家の壁を突き破り、奥の部屋まで吹き飛ばされた。
リヒト(……!? 馬鹿な、捉えきれなかっただと……!?)
油断など微塵もしていなかった。リヒトの感覚は極限まで研ぎ澄まされ、周囲の空気の揺らぎ一つも見逃さない集中状態にあったはずだ。だが、それでも今のルーグの動きを「追う」ことさえ叶わなかった。
背中の斬創は、リヒトの超人的な魔力がもたらす自動治癒により、肉を盛り上げ塞ぎ始めている。しかし、傷の痛み以上に、ルーグが見せた「神速」への驚愕が、リヒトの心象風景を激しく揺さぶっていた。
リヒト「……っ」
リヒトは動揺を押し殺し、身体に降り積もった瓦礫を乱暴に押し除けて立ち上がる。
白煙が舞う中、静かに歩み寄るルーグの足音。
状況を把握する暇も与えられない。
空気を断つ音さえ置き去りにした斬撃が、死角から、頭上から、足元からリヒトを襲う。
長年の死地で培われた直感と、脳を介さない脊髄反射だけが、辛うじてリヒトの身体を動かし、致命傷を避けていた。
だが、幾度となく放たれる視認不可の攻撃は、防ぎきれなかった余波となってリヒトの身体に無数の浅い傷を刻みつけては、影のように消えていく。
リヒト(……チッ。一撃一撃の威力は耐えられる範囲内だ。だが、速すぎる……。これは、回避と治癒に魔力を使わせる消耗狙いか……!?)
リヒトは反撃の糸口を掴むべく、無理やり間合いを詰めて踏み込む。だが、漆黒の刃は空を切り、繰り出される攻撃はことごとく聖剣の腹で弾き飛ばされる。
目の前の男に、もはや先ほどまでの「武人の悦び」はなかった。ルーグの瞳からは人間らしい光が消え失せ、代わりに底冷えするような無機質な闇が覗いていた。
ルーグ「……カリバーンの能力は、少し特殊でね」
剣戟の火花が散る中、ルーグが静かに口を開く。
シュパッ!!!
リヒトが反応するよりも一瞬早く、左肩に新たな斬創が走る。
リヒト(……また速くなったのか!?)
気のせいではない。剣を交わすたび、時間が経つたびに、ルーグの剣速は幾何級数的に加速している。
先ほどまで視認できていたはずの軌道が、今は光の線としてすら残像を留めない。
ルーグ「君も気づいているだろう。私が本気になればなるほど、そして戦いが長引けば長引くほど、君は追い込まれていく」
リヒト「……チッ。なら、俺も力を解放すればいいだけだ!!」
ルーグの言葉に触発されるように、リヒトは体内の深淵から魔力を引きずり出し、中剣をさらに強く握り直す。
血管を焼き焦がさんばかりの魔力を練り上げ、リヒトは爆発的な踏み込みを見せた。両手に持った漆黒の魔成剣を、自身が繰り出せる極限の速度――「音」すら置き去りにする連撃として叩き込み続ける。
ガガガガガガガガガガッ!!!!!
しかし、その決死の猛攻でさえも、ルーグは最小限の動作ですべて防ぎきって見せた。
聖剣の白い輝きが、リヒトの放つ黒い斬撃を一つ残らず飲み込んでいく。
リヒト(……防がれているんじゃない。読み切られている……!?)
加速し続けるルーグの速度と、底知れぬ聖剣の真能。
ルーグ「ふん……この程度か?」
ルーグがカリバーンを無造作に、だが力強く薙ぎ払うと、その余波だけで周囲の民家の残骸や積み上がった瓦礫が木の葉のように吹き飛ばされた。砂塵が舞う中心で、彼は退屈そうにリヒトへ問いかける。
リヒト「……」
リヒトは答えず、荒い呼吸を整える。
決して手を抜いてなどいない。
可能な限りの最大威力、そして限界を超えた最大速度の攻撃を幾度となく叩き込んできた。
だが、眼前の剣聖はそれを上回る速度、そして何より、数多の戦場を潜り抜けてきたリヒトの「実戦の剣」をあざ笑うかのような、完成された至高の剣技を持っていた。
リヒトの刃は、ルーグの白銀の衣に掠り傷一つ付けることすら叶わなかったのである。
ルーグ「そんなわけはないだろう……? 伝え聞く君の逸話を聞く限り、まだ『上』があるはずだ。なぜそれを出さない?」
ルーグはカリバーンの切っ先を真っ直ぐにリヒトの喉元へ向けた。その声に嘲りはない。ただ、己が認めた強敵が全力を出さないことへの、純粋な疑問と渇望が混じっていた。
リヒト(……ここで、『陸爪』を使うことになるとはな。ルーグ、お前は想像以上だ)
リヒト自身、これが限界ではない。
だが、奥の手を晒せば、この後に続くであろう決戦において手の内を失うことになる。
極力温存しておきたかったというのが本音だが、目の前の怪物は「温存」などという贅沢が許される相手ではない。
その事実を、刻まれた無数の斬痕が嫌というほどリヒトに突きつけていた。
リヒト「そうだな……。お前を倒すには、出し惜しんでいては無理だろう。」
リヒトは両手の魔成剣を、胸の前で深くクロスさせるように構えた。
覚悟を決めたその瞬間、彼の内側に眠る深淵の門が音を立てて開かれる。
ルーグ「――っ!!」
リヒトが魔力を解放し、練り上げる。
その様子を静かに見守っていたルーグだったが、数秒と経たぬうちに、その涼やかな双眸に確かな「焦り」の色が浮かび始めた。
ルーグ(……ははっ。どこにこれだけの魔力を隠し持っていたというんだい……!?)
リヒトから溢れ出す魔力の奔流は、ルーグの想定を遥かに、絶望的なまでに超えていた。
体表から噴き出した漆黒の魔力は、物理的な質量を伴う「圧」となってリヒトの周囲の空気を激しく歪ませ、真夏のような蜃気楼を作り出している。
地面が、リヒトの存在そのものに耐えかねたようにミリミリと沈み込む。
リヒトを中心として巻き上がる砂塵は、小規模な竜巻となって周囲を飲み込み、その中心に座す「闇」を隠すベールの如く舞う。
周囲の大気さえも己の魔力の糧として強制的に吸収していくその姿は、これまでのリヒトが見せてきた戦闘が、まるで子供の戯れであったかのように感じさせるほどに隔絶された圧を放っていた。
ルーグ(……この魔力……父上に匹敵する……? いや、あるいは、それ以上か……!?)
目の前の異常な光景を凝視しながら、ルーグはカリバーンを正眼に構え直し、冷や汗と共に思考を巡らせる。
帝国の頂点、アーサー王ですら凌ぐのではないかと思わせるほどの絶大な威圧感。
ルーグの身体中の細胞が、生存本能に基づく最大限の警鐘を鳴らし、全身の毛が逆立つほどのプレッシャーが彼の精神を削り取ろうとしていた。
ルーグ(ふっ……面白い。これを抑え込めば、私は父上と並び、あるいは超えることができるということ。挑まないという選択肢など、私にはないね!)
ルーグは不敵な笑みを浮かべ、自身もまた【聖剣カリバーン】の力を極限まで解放し、身体強化を次なる禁忌の段階へと引き上げた。
身体の隅々が負荷に耐えかねて軋むような音を上げる。
それはルーグとカリバーンが引き出し得る、現時点における最高強化地点。
一度踏み込めば地を割り、剣を振るえば天をも切り裂く――まさに「剣神」の如き神気をその身に宿す。
そうでなくては、目前の怪物と化したリヒトに抗うことすら不可能だと、彼の直感は叫んでいた。
そして、永劫のようにも感じられた短き数秒の時を経て、リヒトの魔力解放と錬成が終焉を迎える。
リヒト「――陸爪」
リヒトの静かな呟きと共に、彼の背後に寄り添うようにして六本の漆黒の魔成剣が出現した。
それはさながら禍々しい黒き翼のような形状で、左右に三本ずつ展開されている。
手に二本、背中に六本。
計八本の、極致の密度を伴う魔成剣。
だが、それ以上にルーグを戦慄させたのは、リヒトの身体を薄膜のように覆い、揺らめいている魔力の層であった。
もはや人の形をした魔力の奔流。
その人外の様相を色濃くしたリヒトの姿は、帝都の闇そのものを体現しているかのようであった。




