魔槍解放 ―足止めの解釈と剣聖の矜持―
ガァン! ギィン!!!
円形に拓かれた闘技場。
その中心で、一筋の銀光と紅い軌跡が幾度となく激突し、散る火花が石畳を焦がす。
帝都が混乱の渦中にあるというのに、逃げ遅れた観客の一部は、この死闘のあまりの美しさと苛烈さに足を止め、いつの間にか「武闘会の続き」を見守るかのように固唾を呑んで見入っていた。
ドルネが鋭く踏み込み、目にも留まらぬ速さで細剣を数度振るったかと思えば、ギークはその長大な槍【ドラグーン】を羽毛のように軽く操り、最小限の動きで全弾を弾き飛ばす。
その直後、流れるような動作で放たれる槍の石突による一撃を、ドルネが紙一重でかわす。
武の極致同士による高度なやり取りが、ここ数分間で無限とも思える回数繰り返されていた。
だが、火花を散らす刃の向こう側で、二人の胸中には共通の「苛立ち」が渦巻いていた。
ドルネ(ちっ……この槍使い。私の速度に合わせているわね。誘いにも乗らないし、底が見えない……。なんてやりにくい相手かしら!)
ドルネは自身の神速が、ギークの「待ち」の姿勢によっていなし続けられていることに焦りを感じていた。対するギークもまた、鼻を鳴らす。
ギーク(足止めっつったって、いつまでやりゃあいいんだ? つか……足止めってことは、要はこの闘技場からコイツを動かさなきゃいいんだろ?)
ギークに下された命令は、剣聖ドルネの足止め。
だが、彼の中である「解釈」が形を結び始める。生かしたまま留めておく必要などない。相手の意識を飛ばし、物言わぬ骸に変えても、それは立派な「足止め」だ。
ギーク(なら……とっととぶちのめして、他の奴らのところへ助太刀に行く方が建設的じゃねえか?)
そう結論を出した瞬間、ギークの纏う空気が一変した。
これまで様子見のために抑えていた魔力を、ドラグーンへ一気に流し込む。
槍身が熱を帯び、凶暴な脈動を始めた。
ドルネ(――来る……ッ!!)
剣聖としての本能が最大級の警鐘を鳴らす。ドルネが反射的に細剣を盾にするように構えたその刹那、咆哮を上げるような重圧と共に槍が突き出された。
ドルネ「くっ……!?」
先ほどまでとは比べ物にならない「重さ」と「力」。受け流したはずの衝撃だけで、ドルネの腕に痺れが走る。
ビュン! ビュンビュンッ!!
風を切る音が、もはや音速に近い。
頬の横を掠める穂先の速度は、先ほどまでの数倍。人間の筋力による限界を魔力の暴力で強引に突破した、魔槍使いの真髄。
幸いにして直撃こそ免れているものの、かすめた風圧だけでドルネの肌に細い亀裂が走り、鮮血が舞う。
ドルネ(……この男、最初から本気じゃなかったっていうの!?)
ドルネの瞳に、初めて「死」の予感が過る。
遊びは終わった。
圧倒的な破壊の意志を孕んだギークの槍が、いよいよ剣聖の領域を蹂躙し始めようとしていた。
だが、対するドルネもまた、帝国の頂に君臨する「剣聖」の一角。
そのプライドは、ギークの放つ威圧感程度で屈するほど脆いものではなかった。
ドルネ「あんたが本気なら、私も本気になればいいだけ……。いいわ、望み通りにしてあげる」
――ビシッ!!!
ドルネが言い終わるよりも早く、彼女が立っていた大理石の床に蜘蛛の巣状の亀裂が走った。
爆発的な踏み込み。
視覚が情報を処理する前に、ドルネはギークの懐へと潜り込んでいた。細剣を振るうのではなく、敢えて空いた左拳を、渾身の力でギークの鳩尾へと叩き込む。
ギーク「……っ!?」
とても細身の女性とは思えぬほどの剛力。
肺の空気を強制的に絞り出されたギークの巨躯が、物理法則を無視したかのように宙へと浮き上がる。
だが、ドルネの追撃はそこからが本番だった。
ドルネ「貫け……ッ!」
宙に浮き、自由を奪われたギークの身体に対し、神速の突きが間髪入れずに叩き込まれる。その一撃一撃は、細剣の鋭さを魔力によって極限まで圧縮した高密度の弾丸。掠めれば肉を抉り、当たれば風穴を空ける死の礫だ。
ギークはドラグーンを介した魔力身体強化を最大出力で回し、そのすべてに紙一重で対応する。しかし、空中で重心を欠いた状態での迎撃はあまりに不安定であり、強引な防御によって自身のバランスをさらに崩していく。
その一瞬の隙を、戦いの天才であるドルネが見逃すはずもなかった。
ダンッ!!!
再び地を蹴り、弾丸のような速度で宙のギークへ肉薄する。
閃く銀光。
ギーク「ちっ……! 鬱陶しいんだよ!!」
ギークは空中を蹴るようにして無理やり姿勢を変え、周囲の空気を魔力で爆ぜさせることでドルネを強引に吹き飛ばそうと試みる。
だが、ドルネの動きは蝶のように軽く、鋭い。
吹き飛ばされる直前、彼女の細剣はギークの頑丈な四肢に数箇所の浅傷を刻み込んでいた。
ギークが乱暴に魔力を放出した頃には、ドルネはすでにその場にはいなかった。彼女は軽やかに宙を舞い、何事もなかったかのように闘技場の中心へと着地する。
ドルネ「……まだ、硬いわね。でも、その自信満々の顔に少しは色が混ざってきたかしら?」
唇の端を吊り上げ、不敵に笑うドルネ。
浅傷から流れる血がギークの肌を伝う。
闘技場は、もはや「武闘会」の体裁を完全に失い、二人の怪物が互いの命を削り合う、純然たる殺し合いの場へと変貌していた。
ーーーーーーーーーー
闘技場に吹き荒れる暴力の嵐――剣聖ドルネとギークが互いの命を削り合うその余波を浴びながら、リュドの意識は極めて冷徹に戦場の全容を俯瞰していた。
リュド(……この場に我々が留まる必要はない。リヒト様は合流せよと仰られたが、この領域の武に我らが立ち入る隙はない。なれば、他の幹部の方々と合流し、戦局の綻びを繕うことこそが課せられた任務……)
リュドの思考は、長年ジャッカルの影を支えてきた自負通り、極めて合理的であった。ギークがドルネにかかりきりであるということは、同時に帝国最強の一角であるドルネもまた、この闘技場という檻に縫い留められているということだ。
この千載一遇の空白を利用しない手はない。リュドは魔力を介し、各戦線の幹部たちへ思念を飛ばす。
リュド(リヒト様、飛鳥様、ルシウス様。闘技場はギーク様の奮戦により指示通りの展開となっております。ジャック様、および零遺衆は現在自由に動ける状態です。状況に応じて独自の判断で動きたく存じますが、お許し願えますでしょうか)
リヒト(任せる)
返ってきたのは、主からの短くも絶対的な信頼。
飛鳥からの返答はなく、ルシウスに至っては思念の繋がりさえ感じられない。その異常事態が、リュドの懸念をさらに深めた。
リュド「――リヒト様の許可は下りた。ノウス、貴様はルシウス様の様子を探れ。零遺衆の半数を連れて行け。何かが起きている」
ノウス「御意」
影から現れたノウスが短く応じ、数人の零遺衆を連れて音もなくその場から掻き消える。
ジャック「……僕は、飛鳥のところに行くよ。さっきから、少し嫌な予感がするんだ」
ジャックの細い声には、拭いきれない焦燥が混じっていた。彼もまた、飛鳥の戦域から漂う「異常な圧」を感じ取ったのだろう。傷だらけの体を引きずりながらも、ジャックは即座に飛鳥の元へ向けて駆け出した。
リュド(……残るはリヒト様とこの場だが、この二箇所は現状、問題はあるまい。だがジャック様……あの傷で飛鳥様の元へ向かわれたか。……私も、そちらに向かうとしよう)
飛鳥とルシウスの沈黙、そしてジャックの直感。
それらが一つの巨大な不吉な予感となってリュドを突き動かす。
影の統率者もまた、その姿を霧のように消し、激戦の続く中央広場へと進路を取った。




