蒼炎の審判 ―盤面ごと焼き払う魔女の深淵―
ルシウス「各隊三百ずつに分かれて展開! 互いが互いを援護できる距離を保ちつつ、防御を固めて!!」
王城の庭園に、ルシウスの切迫した、しかし芯の通った号令が響き渡る。
飛鳥が帝都中央へ転送されてからおよそ一時間。ルシウス率いる王城急襲部隊、千五百名が満を持して城内へと転送された。
当初の計画では、混乱の極みにあるはずの王城を電撃的に制圧するはずだった。
だが、目の前に広がる光景は、彼が描いた勝利のヴィジョンとは似ても似つきぬものだった。
転移直後、ルシウスたちは予定通り第一城門を難なく突破した。あまりの手応えのなさに一抹の不安を覚えつつも、彼らは王城正門へと続く広大な庭園を駆け抜ける。
しかし、その庭園の半ばに差し掛かった瞬間、悪夢は幕を開けた。
ルシウス「……っ! 伏兵か!?」
生い茂る植え込みから、建物の屋上から、そして死角となっていた回廊から、銀光りする鎧を纏った王城守備兵が津波のように溢れ出してきたのだ。
ここまでは、想定の範囲内といえなくもない。だが、真の絶望は背後から訪れた。
重厚な音を立てて、突破してきたはずの第一城門が封鎖されたのである。
さらに、城内からは常駐兵に加え、あらかじめ配置されていたであろう一個大隊規模の増援が、整然たる隊列を組んで姿を現した。
ルシウス(……こちらの転移場所も、タイミングも、すべて読まれていたというわけか)
急襲によるアドバンテージは霧散し、逆に「城内」という閉鎖空間に閉じ込められた千五百の軍勢。
戦力差はもはや火を見るよりも明らかであり、ルシウスの旗色は一気に暗雲に包まれた。
ルシウスは冷静に、だが高速で脳細胞を回転させる。
ルシウス(このまま攻め続ける……という選択肢は、もはや自滅に等しい。防御を固めてメーガスの増援を待つか、あるいは後方の門をこじ開けて飛鳥と合流し、再起を図るか。……さて、どうしたものかな)
思考に沈もうとする彼の頬を、敵の放った矢が掠める。
策を練る時間は、戦場においては一秒すら与えられない。ルシウスは自身の愛弓を構え、その細い指先で魔力を編み込んだ魔矢を番えた。
シュパッ――!
放たれた矢は、淀みのない軌道を描いて敵兵の眉間を貫き、確実な死を運ぶ。
ギークのような力任せの蹂躙も、リヒトのような天を焼く派手さもない。
だが、放たれる一矢一矢が、寸分の狂いもなく敵の急所を抉り、着実にその数を削り取っていく。
魔力量が限られているルシウスにとって、それは効率を極めた「生存」のための武。
優雅さすら感じさせるその手際は、絶望的な劣勢に立たされた軍師が見せる、最後の意地であった。
ルシウス「一歩も引くな! ここで折れれば、僕たちの描いた未来はここで終わりだ!」
その背中が、混乱する兵士たちの士気を繋ぎ止める唯一の希望となっていた。
ルシウス「プリズム・バースト!」
その叫びと共に放たれた一矢は、重苦しい空気を切り裂き、庭園の天高くへと吸い込まれていった。
ルシウスの緻密な魔力制御を受け、極限まで圧縮された魔力は空中でピタリと静止する。
彼がその細い拳を力強く握りしめた瞬間、滞留していたエネルギーが臨界点を超えて爆ぜた。
分裂し、屈折し、光の奔流となった無数の魔矢が、急降下爆撃の如く帝国軍の頭上へ降り注ぐ。
帝国兵「ぐああああっ!!!」
帝国兵「矢の雨だ! 盾を構えろ、防げっ!!」
帝国兵「くそっ……! たった一人でこれほどの物量を……!?」
狙い通り、統制の取れていたはずの帝国軍の陣形に、大きな「穴」が開く。
ルシウスはこの千載一遇の好機を逃さない。
ルシウス「今だ! 壱隊から参隊、後方の門へ急げ! 手段は問わない、爆破してでもこじ開けるんだ! この場所を放棄して一度後退する!!」
殿を務める覚悟で再び弓を引くルシウス。だが、彼の耳に、戦場の喧騒を通り越して直接響く艶やかな声があった。
メーガス(あら、思ってより追い込まれているのね? 門を爆破するなら、魔法で一撃でしょう?)
ルシウス「……メーガス!?」
その通信が届いた直後。
世界が白銀の光に包まれ、遅れて鼓膜を震わせるほどの大轟音が王城を揺らした。
ドガァァァァァァァァンッ!!!!!!
王城第一関門――帝国の堅牢な象徴であった巨大な鉄門が、まるで紙細工のように跡形もなく消し飛んだ。
門付近に固まっていた帝国兵たちは、叫ぶ暇すらなく魔力の余波に呑み込まれ、周囲の石壁もろとも粉砕される。その破壊の衝撃は凄まじく、後退を開始していたジャッカルの兵士たちですら、数名が爆風に煽られ吹き飛ばされるほどだった。
もうもうと立ち込める煙の向こう側から、王城に相応しくないほどの強大な魔力の波動が、津波のように押し寄せてくる。
ルシウス(助かった……。だけど、味方まで巻き込みかねないこの威力……相変わらず容赦がないね)
ルシウスは冷や汗を拭い、崩落した門の先を見据えた。
帝国の軍師グァイスが描いた「袋の鼠」の檻を、ジャッカルの最高戦力の一人が、暴力的なまでの魔力で力任せにブチ破ったのである。
メーガス(巻き込まれるところに立っているのが悪いんじゃないかしら?? それに、この程度で死んじゃうならこの先、どっちみち死ぬわよ)
その冷酷なまでに合理的な思念と共に、もうもうと立ち込める煙の中からメーガスが悠然と姿を現した。
彼女が歩を進めるたび、周囲の熱気が彼女の魔力に当てられ、陽炎のように揺らめく。
彼女の背後からは、待機していた残りのジャッカル兵千五百が怒濤の勢いで王城庭園へと雪崩れ込んでいく。
封鎖されていた門が消滅し、新たな戦力が加わったことで、王城内は再び、血と鉄の匂いが混じり合う激しい混戦の様相を呈していった。
ルシウス「助かったよ」
ルシウスは弓を降ろさず、視線は常に敵の動向を追いながらも、隣に並んだメーガスへ短く礼を言った。
メーガス「ふふっ。貴方がここまで一方的にやられるのも珍しいわね」
ルシウス「そうだね。認めざるを得ないよ、敵にも相当なキレ者がいる。僕の思考を先読みされているような気がしてならないんだ」
ルシウスの言葉に、メーガスは不敵な笑みを浮かべ、指先で優雅に円を描いた。
メーガス「なら、その思考すら意味を成さないほどの『力』を見せつければいいんじゃないかしら?」
ルシウス「……君の魔法では、味方の兵士たちまで巻き込まれる。それは本当の最終手段だよ」
メーガス「冗談よ。それで、ここから何か具体的な打開策はあるの??」
ルシウスは一瞬、思考を巡らせる。
メーガスの合流により、この王城戦区の戦況は数的に五分、あるいは質的に優勢へと傾きつつある。だが、彼の胸を去来するのは、ここではない別の戦地への不安だった。
ルシウス「……ここの戦況は良くなる。けど、広場の飛鳥が心配だね。さっき広場から爆発的な魔力反応を感じた。それ以来、彼女への思念が通じないんだ」
ルシウスは、この数分間で何度も飛鳥へコンタクトを試みていた。しかし、返ってくるのは冷たい魔力のノイズだけ。ギークやリヒト、そして別動隊のジャックたちも、おそらくは交戦の真っ只中にあるのか、応答が極めて薄い。
陽動という最も過酷な役割を担わせた飛鳥の状況が見えない。それはルシウスにとって、自身の敗北よりも恐ろしい不安であった。
メーガス「……あの子なら、きっと大丈夫よ。泥を啜ってでも生き残るしぶとさを、私が教え込んだつもりだわ」
メーガスはルシウスの不安を見透かしたように、その肩にそっと手を置き、前方の敵兵へと手を翳した。
メーガス「とにかく、今は私たちが目の前のこの城を落とすことを考えないと。それが、あの子たちの負担を減らす唯一の道よ」
その声は、迷える弟を諭す姉のような、不思議な包容力と安心感に満ちていた。
ルシウスは一つ深く息を吐き、迷いを断ち切るように再び弓を強く握り直す。
ルシウス「……そうだね。僕たちが止まってはいられない。一気に決めるよ!」
軍師としての冷徹さを取り戻したルシウスと、絶大な魔力を滾らせるメーガス。
メーガス「さて、ひとまずはこの場にいる帝国兵を一人残らず消すところからスタートしないとね」
その言葉に慈悲の色はない。メーガスは両手を優雅に広げ、虚空に極彩色の幾何学模様――魔法陣を瞬時に構築していく。
通常、この世界の魔導士にとって『杖』は魔力を安定させる回路であり、『詠唱』は精神を研ぎ澄ますための絶対的な儀式だ。祈りを捧げ、魔力を練り上げ、杖を介して放出する。
それが魔法という神秘を扱う者の定石。
だが、彼女はそのすべてを嘲笑うかのように跳ね除ける。
無詠唱、かつ杖を介さない直接行使。
この手法は、発動速度を極限まで高める代償として、術者の精神と魔力に過剰な負荷をかけ、常人ならば数回で枯渇するほどの魔力を消費する。
しかし、メーガスにとってそんな制約は存在しないに等しい。
彼女が生まれ持った「深淵」とも呼ぶべき膨大な魔力量が、その致命的な短所を塗り潰し、理外の法撃を支える基盤となっていた。
メーガス「蒼炎の審判!」
紡がれた名は、各国の最高戦力として数えられる魔導士ですら、生涯で数人しか到達できぬとされる【超位魔法】。
発動と同時に、王城の美しい庭を蒼い亀裂が走り、地を這うように猛火が広がった。
直後、敵軍の足元から巨大な蒼光の火柱が天を突くように噴き上がる。
帝国兵「ぎゃああああああっ!!!」
帝国兵「火が……消えない!? 魔力が吸われて――」
この炎は通常の燃焼とは異なり、対象が持つ「魔力」そのものを燃料として燃え広がる。
抗おうと魔力を練れば練るほど、炎はその命を糧にさらに激しく、さらに残酷に燃え盛るのだ。
逃げ惑う敵の叫び声すら、音を置き去りにする蒼い光の中に呑み込まれていく。
王城の庭園は、瞬く間に無数の火柱が乱立する、この世のものとは思えぬほど凄惨で美しい「処刑場」へと変貌した。
ルシウス(……相変わらず、彼女が本気になると『軍』の意味がなくなるね)
ルシウスは、蒼い光に照らされるメーガスの横顔を見やり、冷や汗とともに笑みをこぼした。
圧倒的な個の暴力。
グァイスがどれほど精緻な策を弄そうとも、その盤面ごと焼き払うのがジャッカルの魔女のやり方であった。




