支配の怪物 ―焦土と化した帝都の喉元―
帝国全土の安寧を司る場所であった王城【サウスガルド城】。
その心臓部である軍議の間は、数分前までの静寂が嘘のように、怒号と軍靴の音が入り乱れる喧騒の渦へと変わっていた。
大将の座る最奥の豪華な椅子には、帝国の頂点、アーサー・ファー・オーガストが深く腰掛けている。
その眼前に広げられた巨大な帝都地図の上には、刻一刻と変化する戦況を示す駒が、ひっきりなしに飛び込んでくる伝令の手によって乱雑に並べ替えられていた。
伝令「報告! 北塔が大破! 首謀者と思われる者と、ルーグ様が交戦に入られました!」
北塔での衝突を告げる悲鳴に近い報告。
アーサーは眉一つ動かさず、ただ静かに地図の一点を見つめる。だが、息をつく暇もなく別の伝令が部屋へ転がり込んできた。
伝令「報告! 帝都中央、闘技場付近の広場に敵とおぼしき軍団が突如として出現! 現在、王城に向けて進軍を開始した模様!」
帝国将「馬鹿なことを言うな! 軍団が関所を通ったという報告などどこにもないぞ! 貴様、その報告は誠なのか!? 目を疑ったのではないか!」
最前線の将が、信じがたいといった様子で伝令に詰め寄る。
無理もない。数千規模の軍勢が移動するには、街道を通り、関所を物理的に破らねばならないのがこの世界の常識だ。それが一切の予兆もなく、帝都の「喉元」に直接現れたなど、戦術の教科書を根底から覆す事態であった。
伝令「は、間違いありません……! 広場が、一瞬にして黒い装束の集団で埋め尽くされたのです!」
将の威圧に震え上がりながらも、伝令は必死に現状を訴える。その混乱を断ち切るように、低く、重厚な声が室内に響いた。
アーサー「……結界が割れているのだ。外部との空間が繋がった以上、転移魔法の類か何かを使ったのだろう。驚くには値せん」
アーサーは冷静だった。
結界という防壁が消えた以上、あり得ないことが起きる可能性を即座に受け入れたのだ。彼は椅子に深く背を預けたまま、伝令に淡々と問いかける。
アーサー「それで、数はどの程度だ。我が帝都を蹂躙しようという不届き者の総数は」
伝令「はっ! 王城に対して侵攻している敵軍団の数は……目測でおよそ四千。」
将たちの間に戦慄が走る。
四千。それは単なるテロリストの規模ではない。
明確に一国を、あるいは王城を陥落させるために組織された「軍」の数字だった。
アーサー(四千か……。結界を破り、これほどの軍勢を一度に跳ばす。…このような理外…ジャッカルとみて間違いなかろう。)
アーサーの瞳に、冷徹な王としての光が宿る。
王城の目の前まで迫るジャッカルの牙。
帝国の絶対的な支配が、今、最大の試練を迎えようとしている。
帝国の軍議の間を支配していたのは、混乱という名の荒波だった。しかし、その波を真っ向から受け止め、凪に変えてしまう男が、王アーサーの傍らにはいた。
アーサーの思考は至って冷静であった。
王として、この事態を「起こり得ること」として既に腹に落としている。あるいは、この惨劇すらも帝国のさらなる覇道のための糧にすぎないと考えているかのようであった。
アーサー「グァイス。この盤面、どう見る」
アーサーが視線を向けたのは、その真横に影のように控えていた文官らしき男だった。
グァイス・オーレン。
古より帝国を支える名門の出であり、アーサーが最も信頼を置く軍師。あの冷徹な王子ルーグに軍略の基礎から応用までを叩き込み、今の地位に押し上げたのは他でもないこの男の才覚であると言われている。
武の才は皆無だが、知謀において彼の上を行く者は帝国広しといえども存在しない。
それが王城内におけるグァイスへの絶対的な評であった。
そのグァイスが、眼鏡の奥の細い目をさらに細め、ゆっくりと口角を吊り上げた。
グァイス「……想定内、と言ったところでしょうか」
将たちの間に、先ほど以上のどよめきが走った。結界が砕かれ、数千の軍勢が喉元に突きつけられているこの状況を、あろうことか「想定内」と吐き捨てたのだ。
アーサー「ほう。では、すべてお前に任せよう」
アーサーのその一言は、事実上の全軍指揮権の委譲を意味していた。
グァイス「御意。では、僭越ながら皆様方、この私がこの場の指揮を執らせていただきます。まずは状況の整理から始めましょうか」
アーサーに一任されたグァイスは、恭しく、だがどこか獲物をいたぶるような嗜虐的な優雅さをもって一礼した。彼は細く白い指先で、机上の駒を滑らかに動かし始める。
グァイス「敵の狙いは明白です。王城、そして陛下。これだけの軍勢を転移させるには膨大な魔力が必要なはず。そう何度も使える魔法ではあるまい。つまり、敵は『短期決戦』を望んでいる。逆を言えば、時間を稼げば稼ぐほど、こちらが有利になる。……ですが、ただ守るだけでは能がありませんね?」
グァイスの指が、王城前の広場に置かれた「敵」の駒を、帝国の「守備隊」の駒で包囲するように動かす。
グァイス「まずは、王城第一門の守備隊をあえて引き下げます。敵をこの広場の中心まで誘い込んでしまいましょう。袋の鼠にするのは、そこからです」
混乱していた将たちが、グァイスの理路整然とした語り口に、次第に毒気に当てられたように静まり返っていく。帝国の真の「毒」が、今その牙を剥き始めていた。
転送の光が収束し、最初に飛鳥の視界を塗り潰したのは、阿鼻叫喚の図であった。
帝都の街路を埋め尽くすのは、逃げ惑う民の群れ。我先にと自宅へ逃げ込み、あるいは開かぬ関所へ、届かぬ王城へと縋りつく。
もはや帝都のどこにも安住の地など存在しないというのに、自身の保全のみを願うその醜い姿が、無秩序に広がっていた。
飛鳥はその光景を、仮面を被ったかのような横目で見送りながら、迷いなく王城へ向けて踏み出す。
背後には、地を這うような足音を立てて四千のジャッカル兵が続いた。
飛鳥(まずは私がここから王城を目指す。これだけの行軍なら、嫌でも敵の目を引くことができる……はず……)
一歩、また一歩と王城への距離を詰めていく。進軍を開始して数分、ようやく帝都に駐留する兵士たちが、道を塞ぐようにして飛鳥の前に立ちふさがった。
しかし、その数はわずか十数名。
四千を率いる飛鳥にとって、それは路傍の石に等しい。
帝国兵「……退け」
声が届くより早く、飛鳥の身体は加速していた。
走り抜けざま、腰の刀を数度閃かせる。
――瞬、閃、断。
肉眼では捉えることすら不可能な神速の太刀筋。兵士たちが武器を構える間もなく、数名の帝国兵が喉を、胸を切り裂かれ、物言わぬ骸となって地面に沈んだ。
主の初撃に呼応するように、後続のジャッカル兵たちが数名がかりで残りの帝国兵を瞬時に始末していく。
何事もなかったかのように、飛鳥たちは進軍を再開した。
だが、その進軍の足取りとは裏腹に、飛鳥の胸中は激しく波立っていた。
飛鳥(……初めて、命を絶った。……気持ちのいいものではないわね)
義洞の家を飛び出し、ジャッカルの一員として歩み始めてから、これが彼女にとっての「初めての実戦」であった。
人を斬る。その行為そのものに、生理的な嫌悪や、手が震えるような恐怖を抱く暇すらなかった。
それどころか、躊躇いなく刃を振り抜き、命を奪うという行為に滑らかに踏み込めてしまった自分自身に対して、彼女は言葉にできない驚きを隠せなかった。
飛鳥(……私は、壊れているのかしら。それとも、これが「覚悟」ということなの?)
刀の柄を握る手のひらに、わずかな温もりが残っているような錯覚を覚える。
しかし、止まることは許されない。
王城が、そしてルシウスの描いた作戦が、彼女の足を前へと突き動かしていた。
数度の小競り合い。
しかし、そのどれもが飛鳥の足を止めるには至らない、あまりに「薄い」抵抗だった。
死線を駆け抜ける飛鳥の肌を、言いようのない寒気が撫でる。
飛鳥(……ルシウス。聞こえるかしら)
ルシウス(なにかな……? 少し……立て込んでてね!)
脳内に響くルシウスの声には、いつもの余裕の裏に、嵐の海を渡るような緊張感が混じっていた。
飛鳥(ごめんなさい……中央広場付近、敵の数が少なすぎる。迎撃というより、ただの『配置』にしか見えないわ。まるで、道を譲っているような……)
ルシウス(……それなら予定通り、王城の方に進軍してくれて構わない!)
飛鳥(わかったわ。……そっちは大丈夫なの?)
ルシウス(まあ……大丈夫、とは言えないかな……!)
通信が途切れる直前、ルシウスの背後で凄まじい破壊音が響いた。
嫌な予感が飛鳥の脳裏を駆け巡る。四千という大軍を率いながら、自分たちは「何も起きていない」不気味な空白地帯を歩かされているのではないか。
だが、迷いは軍を全滅させる。飛鳥は指示通り、王城へ向けて再び足を進め始めた。
「うおおおおおおおお!!!!」
その瞬間、地鳴りのような雄叫びが帝都の石畳を揺らした。王城側からではない。自分たちが通り過ぎてきた、後方の路地裏、建物、そして地下道。ありとあらゆる影から、血に飢えた獣のような軍勢が溢れ出してきたのだ。
飛鳥「なに!? 状況を教えて!」
飛鳥が声を張り上げる。隊列を乱し、血相を変えて後方から走ってきた兵士が、転がるように報告を上げた。
ジャッカル兵「後方より敵襲! 完全な奇襲です! 数はおよそ六百、ですが……装備が通常の駐留兵とは違います。帝国の近衛、あるいは精鋭部隊かと!」
飛鳥「ここで……!? 背後を突かれたというの!?」
頭の中が瞬時に沸騰する。
四千という数に胡坐をかいていたわけではないが、圧倒的な数的不利のはずの帝国側が、あえて「包囲」という選択肢を取った。十数人の囮で自分たちを誘い込み、大通りの袋小路で前後を分断する。
飛鳥(……ルシウスが言っていた。中央部隊は、あらゆる増援が結集しやすい『孤立の死地』だと。これが、その正体なのね……!)
飛鳥は瞬時に腰の刀を引き抜く。
六百の精鋭に背後をかき回されれば、四千の行軍はただの巨大な肉の塊に成り下がる。
飛鳥「全軍、後方へ向き直せ! 焦る必要はない、数はこっちが上よ! 盾を構え、迎撃体制! 私が道を切り開くから、それに続け!!」
初陣の少女は、恐怖を殺して咆哮した。
帝都のど真ん中。グァイスが仕掛けた「袋の鼠」の罠。その中心で、飛鳥の真価が問われようとしている。
帝都中央、その巨大な通りは一瞬にして「屠殺場」へと変貌した。
そして、グァイス・オーレンという男の底知れなさは、単なる伏兵の配置に留まらなかった。
後方の敵部隊に応戦し、混乱する陣形を立て直そうとしていた飛鳥の目に、信じがたい光景が飛び込んできた。
ズドォォォォォォンッ!!!!!
轟音と共に、王城へ続く大通りの左右にある民家や商店が、内部から爆発するように吹き飛んだ。
土煙と瓦礫の雨の中で、ジャッカルの兵士たちが数十人単位で紙屑のように宙を舞う。
飛鳥「今度はなに……!? 何が起きたの!?」
悲鳴に近い問いへの答えは、立ち並ぶ建物の屋上、そして崩れた二階の窓に姿を現した。
飛鳥「……魔法師団……!?」
それは、帝国の誇る魔導士部隊。
市街地という閉鎖空間において、広域破壊魔法は禁じ手のはずだった。味方の兵を巻き込み、守るべき都を破壊するその戦法は、兵法を学んだ飛鳥の常識から完全に逸脱していた。
しかし、魔導士たちは冷徹な機械のごとく杖を掲げる。放たれる火炎の奔流と、真空の刃。
それは帝都の美しい街並みを粉砕することなど、羽虫を払う程度にしか考えていないような、あまりにも傲慢な一撃だった。
飛鳥(正気じゃない……! 自分たちの街なのよ!? 被害なんて、これっぽっちも気にしていないというの……!?)
飛鳥は戦慄した。
これが、アーサー王とグァイスが支配する「帝国」の正体。
平和を守るための力ではなく、反逆者を根絶やしにするためなら、自らの領土すら焼き払うことを厭わない「支配の怪物」。
飛鳥「――っ、総員、浮き足立つな! 建物の中に逃げ込んでも狙い撃ちにされるわ! 弓や銃が使える人は魔導士を狙撃して! このままじゃ一方的に削られる……急いで!!」
ジャッカル兵「了解です!! 狙撃班、構えろォ!!」
混乱の極致にある四千の軍勢。
前方からは王城守備隊、後方からは六百の精鋭、そして左右の頭上からは降り注ぐ無慈悲な魔法。
飛鳥は自身の刀を強く握り直した。
もはや、これは綺麗な戦いではない。
泥を啜り、瓦礫を盾にしてでも生き残らねばならない「生存競争」へと引きずり込まれたのだ。
飛鳥(……負けない。ここで全滅させられたら、リヒトたちの想いも、中立国の無念も、全部この街の瓦礫に埋もれてしまう……!)
その瞳に、初めて「敵」に対する純然たる殺意が宿った。
いつも読んでいただきありがとうございます。
帝国vsジャッカル
本格的に戦いの渦中にキャラたちが巻き込まれていってます。
各方面での戦術を考えるのが本当に大変で…
時系列整えるためにキャラたちの動きも考えたり…
新しいキャラと少しだけ登場しているキャラを出したり…
小説家の人って本当にすごいんですね…笑
私も負けないように頑張っていきます!
累計ページビュー1300突破!
ユニークアクセス800人突破!
どちらもありがとうございます!
今後ともよろしくお願いします!




