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邪魔者への宣告 ―神速の刺突と牙の再会―

闘技場の中央、血の匂いと砂塵が舞う地。

そこから宗一郎が仰ぎ見た光景は、帝国が築き上げてきた「偽りの安寧」が音を立てて崩壊していく、地獄の絵図そのものだった。

頭上では、かつて空を黄金色に染めていた絶対結界が光の礫となって降り注いでいる。

その光景は美しくもあり、同時に帝国の終わりを告げる残酷な合図でもあった。


観客「おしまいだあああ!!!」

観客「どけ! 俺が先に逃げるんだ!! 突き飛ばすんじゃねえ!」

観客「どこに逃げろってんだよ! 出口が塞がってるぞ!!」

観客「こういう時の軍だろうが!! 早くなんとかしろ、この無能どもが!!」


パニックは伝染し、かつて「最強」を謳歌していた民たちは、今や家畜のように我先にと逃げ惑っている。その醜悪な叫びは、救いを求める声から、やがて守護者への呪詛へと変わっていった。


観客「おい宗一郎! お前も元剣聖ならなんとかしやがれ! そのための給料だろうが!」

観客「ドルネ様! ルーグ様! 私たちを守ってください! お願いだ!!」


民たちの罵倒と悲鳴を受け流しながら、宗一郎は渇いた喉で独りごちた。

宗一郎「……まるで、悪夢よな」

腕の中には混濁とした意識と戦う剣聖の姿がある。

守るべき民から罵られ、守るべき主君からは捨て石にされる。その皮肉な構図に、宗一郎は自嘲の笑みを漏らすことさえできなかった。

その時だった。


ドォォォォォォォォンッ!!!


貴賓室の方向から、空気を震わせるほどの轟音が響き渡り、闘技場の天井が内側から爆ぜた。


観客「きゃあああああああ!!」

観客「次はなんなんだ!? 何が起きたんだ!?」

観客「うわあああ! 天井が落ちてくるぞ!!」


降り注ぐ石材の雨と、それに拍車をかける観客の絶叫。

しかし、宗一郎の鋭敏な感覚は、その破壊の渦中から飛び出した「一条の光」を正確に捉えていた。

宗一郎(あの魔力……ルーグか……!)

凄まじい質量を伴った魔力が、一直線に北の魔石塔へと向かって空を翔けていく。

ルーグがここを捨てた。

それはつまり、この場所よりも優先すべき「敵」が、あの塔に現れたことを意味している。

宗一郎(……リヒト、御主なのか?)

かつて剣を交えた男の気配を確信し、宗一郎は手元に突き刺さった魔成刀の柄を強く握り直した。

混迷を極める地獄の真っ只中。

牙を剥くのはジャッカルだけではない。

一人の剣士としての矜持が、宗一郎の身体に熱を灯し始めていた。


ようやく意識を取り戻したドルネは、宗一郎の腕からふらつきながらも抜け出し、自身の足で立ち上がった。

しかし、その目に飛び込んできたのは、空が砕け、民が罵声を上げながら逃げ惑う、理解を超えた惨状だった。

ドルネ「うっ……」

ドルネはこめかみを押さえ、ひどい眩暈を振り払うように頭を振った。記憶の糸がぷっつりと途切れている。

ドルネ「宗一郎……。色々、聞きたいことがあるわ……」

宗一郎「そうであろうな」

ドルネ「なぜ……ここ数十分の私の記憶がないの。私は、確かにあなたを始末しようとしていたはずよ」

宗一郎「御主は、ルーグ殿に操られていたのだ。」

宗一郎は感情を排し、事実だけを淡々と告げた。

ドルネは一瞬、屈辱に頬を震わせたが、即座に冷徹な騎士の顔に戻る。

ドルネ「……やっぱり。それで、ルーグ様に操られていたのなら、なぜ反逆者の貴方がまだ息をしているのかしら? 私の剣なら、一瞬で貴方を細切れにしていたはずよ」

宗一郎「さてな。ルーグ殿の気まぐれか……あるいは某の悪運が、天賦となって某を助けたのであろう」

ドルネ「意味がわからないわ。……まあ、それはいい。それより、この状況は何? なぜ帝国の『絶対』が破れているのよ。説明なさい」

宗一郎「某にも、それはわからぬ」

宗一郎は嘘偽りなく答えた。

結界が消えた理由は、リヒトが放った「牙」によるものだという確信はあるが、その具体的な手段までは計り知れない。だが、今の絶望的な状況下で取るべき優先順位は、彼の中では明確だった。

宗一郎「今、某たちは民の混迷を収めることが最善の行動であろう。幸い、侵略者の相手はルーグ殿が自ら行っている。北の魔石塔が主戦場となろうな。……行くぞ、ドルネ」

宗一郎は、踏み潰されそうになっている子供や、押し寄せる群衆に背を向け、ドルネへ行動方針を共有した。

しかし、背後から返ってきたのは、氷点下まで凍りついたような冷酷な声だった。

ドルネ「……民など、放っておけばいいわ」

宗一郎の足が止まる。

振り返ると、ドルネは自身の手元を見つめ、奪われた魔力を取り戻そうと神経を研ぎ澄ませていた。

宗一郎「……何と言った?」

ドルネ「聞こえなかった? 捨て置けと言ったのよ。帝国にとっての民なんて、代わりのいくらでもいる消耗品に過ぎないわ。それよりも私の屈辱……。私を駒として使い潰そうとしたルーグ様への落とし前。そっちの方が、この烏合の衆の命よりよっぽど重いわ」

ドルネの瞳には、民を救う騎士の光など微塵もなかった。

そこにあるのは、蹂躙された自尊心を埋めるための、どす黒い渇望だけだった。

宗一郎「御主……本気で申しておるのか」

信じがたいものを見るような、低く沈んだ声が宗一郎の喉から漏れる。

ドルネ「……何? 私が間違っているとでも言いたいの?」

ドルネは冷ややかに、突き放すような視線を宗一郎へ向けた。

宗一郎「剣聖とは……弱きを守るための力を有しておるがゆえの称号。その弱きを真っ先に切り捨てるその信念、某には到底理解できぬ……」

宗一郎の言葉には、帝国への忠誠心とはまた別の、武人としての根源的な怒りが籠っていた。しかし、ドルネは鼻で笑う。

ドルネ「貴方のその高潔な理想は素晴らしいと思うわ。でも、それを私に押し付けないでくれるかしら? 私は私が定義する『剣聖』であるだけ。民を守りたいというなら好きになさい、止めはしないから」

宗一郎「くっ……」

二人の間に横たわる、底なしの溝。

もはや言葉を尽くして埋められるようなものではない。時間は絶望的に足りず、この混乱の中でこれ以上言い争うのは無意味であると、宗一郎は己の感情を殺して理解した。

宗一郎はその場から、重い身体を引きずるようにして去っていった。逃げ惑う民の群れの中へ、一人の「守護者」として。

闘技場の中心、返り血と砂塵に塗れた地には、ドルネただ一人が残された。


ドルネ(……民など、どうでもいい。私は剣聖……。私自身と帝国という理さえ守られれば、それで十分よ)

彼女は冷徹に、次に打つべき「盤面」を思案する。

宗一郎の情報によれば、北の魔石塔に現れた敵はルーグ自らが対処に当たっている。ならば、そこへ向かう必要はない。私怨でルーグの背を刺したい衝動はあるが、帝国の利――ひいては自分自身の地位を考えれば、今はその時ではない。

ドルネ(結界を落とした目的は何……? 外部からの魔法攻撃や砲撃が飛んできていないことを考えれば……)

帝国の絶対結界は、天空からのあらゆる物理・魔法攻撃を拒絶し、さらに思念伝達などの魔力干渉すら遮断する。その「壁」が消滅したにもかかわらず、街を焼き払うような広域殲滅魔法が放たれた様子はない。

ドルネ(……転移魔法か! 敵が今日、この混乱のタイミングで狙う場所は、一つしかないわ。――王城! 陛下が危ない……!)

ドルネは優秀であった。

歪んだ矜持を持っていたとしても、その分析能力は帝国の剣聖に相応しい鋭さを持っていた。彼女は即座に敵の真の狙いを看破し、自身がなすべきことを理解したのである。

ドルネ「ふん……。蛮族の考えそうなことね。勝手に踊らせてあげると思った?」

ドルネは細剣の柄に手をかけ、王城を目指して跳躍しようとした――その直前。

彼女の背後に、不気味で重厚な、それでいて「慣れ親しんだ」戦場の殺気が立ち昇った。


ドルネ「ちっ……。なんでこういつも、私には邪魔が入るのかしらね……?」


心底忌々しいといった表情で、ドルネは隠しきれない不機嫌を全開にしながら、背後の殺気へと身体を向き直した。

ギーク「けっ……! てめぇがどのタイミングで何してんのかは知らねぇよ。こっちはその尊大な面の下にある『首』に用があんだからなぁ!」

殺気の正体は、槍を肩に担いだギークを筆頭とするジャッカルの面々。

王城への急行を阻まれたドルネの瞳に、苛烈な殺意が宿る。

ドルネ「……邪魔なのよ。消えなさい!!」

「抜き放つ」という予備動作すら視認させない。

ドルネは神速の踏み込みとともに、刺突に特化した細剣をギークの喉元へ突き出した。

ギーク「うぉっ……!? いきなりかよ!?」

咄嗟に槍の腹で受けるも、想定外のタイミングと規格外の刺突威力に、ギークの身体が浮き上がる。彼は入場ゲートの後方へと凄まじい勢いで押し出され、地面を削りながら吹き飛ばされた。

しかし、ギークもただでは転ばない。

空中で器用に身を翻して着地すると、その勢いを殺さず、弾丸のような鋭さで槍を突き放す。


ギーク「オラァッ!!」


風を切り裂く重厚な一撃。

ドルネはそれを細剣の表面で滑らせるようにして器用に受け流し、両者は再び闘技場の中心部へと戻りながら、静かな、だが一瞬の瞬きが死に直結するような鋭い攻防を繰り広げ始めた。

その様子を少し離れた位置から冷静に観察していたリュドが、仮面の奥で視線を巡らせる。

リュド「……他の剣聖らしい影が見当たらないな。宗一郎も、ギークと対峙したという拳聖も姿を消したか。これは、こちらにとって好機と取るべきだろう」

ジャック「そうだね。なんで拳聖のじいさんがいないのかは分からないけど……ひとまず、あの剣聖の相手はギークさんに任せて、僕たちは他の部隊と合流することにしよう」

ジャックは肩で息をしながらも、戦況の全体図を把握しようと努める。

自分たちがここで一人の剣聖に足止めされるのは、ルシウスの作戦上でも本意ではない。

ノウス「ならば、まずは戦局を正確に見極める必要があると思います。ルシウス様に一度連絡を入れて指示を仰ぐのが最善かと」

ノウスの言葉通り、結界が解けた今、魔法思念は遮られることなく通るはずだ。

彼らはギークとドルネの激突を背に、ジャッカルの「脳」へと繋がる回路を開こうとしていた。

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