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借り物の剣は不要 ―ジャッカルの矜持と孤高の牙―

場所は変わり、数分前の闘技場。


リヒト「――ギーク、闘技場でジャックとともにリュド、ノウスと合流しろ。そのまま、その場にいる剣聖の動きを封じろ」

頭の中に響いたリヒトの声は、結界が割れた際の衝撃波よりも鋭くギークの脳を叩いた。

待っていた。

この合図を。

これまでの「武闘会」という名の茶番は終わりだ。

ギーク「へっ! 了解だ! ここからはもう、出し惜しみなしの『本当の本気』でいいんだよな!?」

不敵に笑い、ギークは控室の椅子を蹴り飛ばして通路へと飛び出した。帝都の空を覆っていた光の膜が砕け、光の破片となって降り注ぐ様を、崩れた天井の隙間から一瞥する。

ギーク(あいつらが帝国に侵入さえしちまえば、こんな大会はもう用済みだ。はええとこジャックと合流して、あの剣聖どもを無力化しねぇとな……!)

獲物を求めて加速するギーク。

その視線の先、貴賓室の巨大な扉が視界に入った瞬間だった。


ドゴォォォォンッ!!!


扉が内側から爆ぜ、一筋の白銀の閃光が飛び出してきた。帝国の王子、ルーグ。

結界を破られた怒りか、あるいはリヒトの存在を察知した高揚か。その全身から放たれる魔力圧は、廊下の石壁をミシミシと軋ませるほどに膨れ上がっていた。

ギーク「なっ……!? てめっ……!?」

激突までコンマ数秒。

ギークは走りながらも本能的に魔成槍『ドラグーン』を具現化し、ルーグの眉間へ向けて突き出す。

だが、ルーグはその切っ先を「視て」すらいなかった。

ルーグは最小限の身のこなしで槍をかわすと、ギークを一瞥し、その脚に凄まじい魔力を漲らせる。

ルーグ「私の優先事項はお前ではない。……生きていれば、後で相手にしてやらんこともないが。今は、この不快な『虫』を潰す方が先だ。」

冷徹な宣告。

ルーグはギークの反撃を待たず、爆発的な踏み込みで闘技場の屋根を物理的にぶち抜いた。


ドォォォォォォォォンッ!!!


瓦礫と砂塵を撒き散らしながら、ルーグの気配が天高く、北の魔石塔の方角へと消え去る。ギークは吐き捨てられた「虫」という言葉に青筋を立てながらも、その跳躍がどこを目指しているのかを瞬時に悟った。

ギーク「――リヒト!! やべぇ!! そっちに……ッ!!」

リヒトへ向けて叫ぶように思念を飛ばすが、直後に激しい干渉が走り、接続が強制的に断たれた。接触したのだ。

ギーク「ちっ……。まあいい。リヒトがルーグを相手にするってんなら、滅多なことにはならねえ。足止めとしては、互いに最適の相手だろうよ。」

ギークは一瞬だけ天井の穴を見上げ、即座に意識を切り替えた。

自分には自分の獲物がある。

ここにはまだ、剣聖が残っているのだ。

ギーク「待たせたな、ジャック……暴れる準備はできてんだろうな!?」

槍の石突で床を叩き、ギークはジャックの待つ控室へと、雷光のごとき速度で再び走り出した。


治療室の白い壁に、窓から差し込む夕刻の赤い陽光が長く伸びていた。

その静寂の中で、ジャックは自身の内側から響く肉体の悲鳴を、強靭な精神力で押さえつけながら立ち上がった。


ジャック(……想像以上に斗真さんが強くて、この様だ。この後の作戦展開に、少なからず支障をきたしちゃったね。悪いことしちゃったな……)


自嘲気味に呟くが、その瞳に後悔の色はない。

あの一之瀬斗真という「本物」を相手に、ジャックは持てる力の九割を吐き出させられた。

魔力の解放、肉体の極限強化、そしてあの黒き雷を纏った一撃。その反動は、全身の細胞を内側から焼き切らんとするほどの負荷となって彼を蝕んでいる。

だが、ジャックが「メーガスなら何とかしてくれる」と信じる理由は、単なる甘えではない。

彼女の司る治療魔法は、帝国の誇る医療師団のような「傷を塞ぐ」といった次元にはない。肉体の損傷、蓄積した疲労、さらには枯渇した魔力の根源すらも再構成し、復元させる。理の外側に位置する、真の意味での「聖域」の魔法なのだ。

ジャック(……作戦行動中はメーガスさんに無茶は言えない。今は、僕にできることをやるだけだ)

自身の気力だけで魔力循環を繋ぎ止め、身体を動かす。そんな極限状態の中、控室の重厚な扉が蹴り開けられた。


ギーク「よう。思ったよりは動けそうだな」

砂塵と火薬の匂いを纏ったギークが、不敵な笑みを浮かべて入ってくる。

ジャック「ははは。……全力での戦闘は、メーガスさんの魔法を受けてからじゃないと無理ですけどね」

ギーク「そうか。なら、なるべく戦うな。……無理をして死なれたら、後味が悪りぃ」

ジャック「わかりました。……善処します」

二人の間で交わされる短い言葉。

それは、幾多の死線を潜り抜けてきたジャッカルの幹部同士だからこそ通じる、最短距離の信頼だった。

そのやり取りが終わるのを待っていたかのように、ギークの背後に落ちた影が、まるで生き物のように不気味にうごめいた。


シュッ……!!


揺れる影の中から、二つの鋭い気配が弾けるように飛び出してきた。

リュド「――遅くなった」

ノウス「零遺衆、待機しております。合図を」

隠密のスペシャリスト、リュドとノウス。

帝都の影に潜んでいたはずの彼らが、結界崩壊と同時に「陽」の場へと姿を現した。

ギーク「おう。集まったか」

隠密の二人を確認し、ギークは低く応じる。結界が消えた今、闘技場を包む狂騒は治療室の分厚い壁越しにも伝わってきていた。

リュド「リヒトの指示では、この闘技場にいる剣聖を抑えろとのことだが……」

リュドが現状を整理するように口を開く。その視線は鋭く、すでに「狩り」の準備は整っている。

ジャック「剣聖をって……この闘技場には、今、ルーグ以外の剣聖が全員いるよ?」

ジャックが首を傾げながら現実的な問いを投げた。二席の宗一郎、三席のドルネ、そして隠れていた拳聖ロック。帝国の最高戦力が一箇所に固まっているという事実は、あまりにも重い。

ギーク「……ああ。だがな、剣聖を抑えるとなると、リュド、ノウス、お前らじゃ正直相手にならねぇ」

ギークは包み隠さず、冷徹に実力差を突きつけた。

リュド「……悔しいが、その通りだろうな」

怒るでも、卑下するでもなく、リュドは淡々と事実を受け入れた。己の領分と限界を正確に把握しているからこそ、彼は隠密の頭領として今日まで生き延びてこれたのだ。

ジャック「じゃあ……僕とギークさんで、三人を相手取らないといけないの……?」

絶望的な数式。満身創痍の少年と、癖の強い槍使い。

相手は帝国最強の騎士たち。

ノウス「私とリュド様が束になって一人を相手取るのも、現状では難しいでしょうね……」

かつての北塔での完膚なきまでの大敗――あの絶望的な実力差を思い起こし、ノウスが拳を握りしめて悔しげに呟く。


治療室に沈滞した空気が流れようとした、その時だった。

その重苦しい静寂を切り裂くように、廊下から賑やかな声が響いてきた。


???「――ですから! 兄上はもう少しご自身の身体を自愛なさってください!!」

???「いやいや、あれでもかなり加減していたし、怪我もそれなりに軽傷で済んでいるじゃないか」

???「いいえ、なりません! このような国外の大会で兄上の身に何かあろうものならば、一之瀬の剣技が途絶えかねない一大事なんですよ!?」

真剣な抗議と、それをのらりくらりとかわす男の声。

足音は治療室に近づき、やがて蹴破られたままの扉の前でぴたりと止まった。

そこに立っていた二人の男女は、室内の異常な気配――殺気立つギークや、影に潜む隠密たちの姿――を目の当たりにし、一瞬だけ言葉を失った。

治療室の入り口で、気まずい沈黙が数秒間流れる。

修羅の如き気配を纏うギークと、その視線を真っ向から受け止める斗真。

視線がぶつかり合い、火花が散る。


斗真「あ……。っと……邪魔してしまった……か?」

斗真は申し訳なさそうに頭を掻き、その場を去るべきか、踏み止まるべきか迷うような仕草を見せた。だが、その瞳は室内の不自然な「密度の濃さ」を瞬時に見抜いている。

ギーク「事態が事態だ。……場合によるだろうよ」

ギークは槍の石突を床にトントンと打ち付け、警戒を解かずに応じる。

斗真「それもそうだ。……結界があれだけ派手に弾け飛んだんだ、大会は中止だろうね。君との手合わせ、楽しみにしていたんだが」

斗真は心底残念そうに肩をすくめた。彼にとってギークは「好敵手」であり、まさか目の前の男が帝国の根幹を揺るがす潜入作戦の主導権を握る一員だとは夢にも思っていない。

斗真「それで……そこの少年は先ほど世話になったからわかるとして、後ろの二人は誰だろう。本戦のリストに出ていたようには見えないのだけれど」


斗真の視線が、影のように潜むリュドとノウスへ向けられた。その指摘は鋭く、隠密としての「気配の殺し方」を熟知している者特有の警戒心が込められている。

リュド「我々は……それぞれ、この二人の従者だ。大会には出ていない」

リュドが感情を殺した声で短く答える。

斗真「……なるほど。そういうことにしておこう」

斗真は含みのある笑みを浮かべ、それ以上追求しても無意味だと割り切ったようにギークへと話題を戻した。

斗真「君たちは、この後どうするつもりなのかな? 帝国の結界が破れ去った以上、この国は侵入者との全面戦争になるだろう。大会どころではない。となれば、帝国にこれ以上留まる意味もないから、私たちはイースリアへ戻るつもりだけれど」

帝国を絶対的な強国たらしめていた――絶対結界。

それが解除されたという事実は、大陸の勢力図を一夜にして塗り替えかねないほどの異常事態だ。

解除には並大抵の組織では不可能なほどの工作と魔力、そして内部情報の掌握が必要とされる。

他国の武人である斗真ですら、この事態を「一国家、あるいはそれに匹敵する強大な何かが動いた」と判断し、即座に国外退去を考えるほどの激震だった。

深月「兄上、お話はそれまでに。早くここを離れないと、混乱に巻き込まれます!」

深月が焦燥を顕に兄の袖を引く。

一之瀬兄妹にとっての正解は「撤退」。

だが、ギークたちにとっての正解は、これから始まる「蹂躙」である。


ギーク「俺たちは……これからまあ、やることがあるからここにとどまる」

迷いのない、地を這うような低い声。

廊下にはいまだ結界崩壊の余波による振動が響いているが、ギークの双眸は寸分の揺らぎもなく一点を見据えていた。

斗真「この状況で……か?」

斗真はわずかに目を細めた。外では悲鳴と怒号が飛び交い、帝国の誇る「絶対」が瓦解した直後だ。

逃げ出すのが道理のこの状況で、あえて火中に飛び込もうとする男。

斗真「それは……君たちにとって、命をかける価値はあるのかい?」

一之瀬の剣を背負い、次期当主としての重みをその言葉に乗せて投げかける。それは単なる好奇心ではなく、一人の武人として、目の前の男の「覚悟の重さ」を量るための問いだった。


ギーク「ああ。これだけは……どうしても俺たちがやらなきゃならねぇんだ」

ギークは真っ直ぐに斗真を見据え、言い切った。

そこにあるのは功名心でも義務感でもない。

もっと根源的で、消えることのない「執念」に近い熱量。

その真剣な眼差しと、場の空気を支配する決意を汲み取った斗真は、ふっと憑き物が落ちたような笑みをこぼした。

斗真「なるほど。よほど大事なことなんだろうね。……野暮なことを聞いた。とやかく言う気はないが、命は大事にするんだな。生きていれば、君と手合わせできる日もいつかあるだろう。またな」

爽やかに言い放ち、背を向ける。

その立ち姿には一之瀬流の当主としての矜持と、好敵手への敬意が滲んでいた。

深月もまた、兄に続く際、ジャッカルの面々に向けて深々と礼をし、静かに去っていった。

後に残された治療室には、再び冷徹な殺気と静寂が戻る。

それぞれが自身の成すべき「蹂躙」のために動き始めようとした、その時だった。


ジャック「……斗真さんに助力して貰えば、よかったんじゃ……」

ボソッと漏らしたジャックの呟き。

斗真という規格外の戦力が加われば、剣聖相手の絶望的な数式も覆るかもしれない。そんな合理的かつ切実な疑問だったが――。


ゴツッ!


ギーク「あだっ……!? 何するんですか!」

ギークが手にした槍の石突で、ジャックの頭を軽く小突いた。

ギーク「これは俺たちジャッカルと帝国の戦いだ。関係ねぇ他所よその奴を巻き込むもんじゃねぇ」

ジャック「でも……」

ギーク「それに……はたから見りゃ、俺たちは帝国に仇なす大罪人だぜ。自分から地獄に首を突っ込みたがるような、酔狂な奴はいねぇだろうよ」

ギークは鼻で笑い、治療室を出て闘技場の中心部へと歩き出す。

その背中は、誰の手も借りず、己の牙だけで帝国の喉元を食い破るという、ジャッカルとしての誇りに満ちていた。

ジャック「……なるほど。そうですね」

ジャックも短く応じ、痛む身体を気力で叩き起こした。

帝国という巨象を倒すのに、借り物の剣はいらない。自分たちの牙があれば、それで十分だった。

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