伝説の落日 ―立たされたままの終焉―
ギーク「やってやらぁ!てめぇがみたがってたもん!見してやる!だが…見てから後悔すんじゃねえぞ??」
不敵な笑みを浮かべ、ギークはローグを激しく煽る。
直後、彼は胸の前で両の掌を力強く合わせ、体内の全魔力を一点へと叩き込んだ。
掌の隙間から漏れ出す魔力は、視界を焼くほどに鋭く、淡い光を伴って膨れ上がっていく。
そして、ギークが合わせた手をゆっくりと交差させ、一気に胸の前で大きく腕を広げた。
その瞬間、爆発的な光の飛沫と共に、一本の長大な槍が空間を裂いて具象化された。
リヒトが扱う「錬成」に似たその現象。だが、ギークのそれはリヒトのような無から有を構築する緻密な魔力操作によるものではない。
膨大な魔力と器用さを併せ持たない彼に、ゼロからの生成は不可能だ。
代わりにギークが辿り着いたのは、一度魂に馴染ませた武具を、時空を超えて手元に引き寄せる「召喚」に近い独自の術式。
ギーク「待たせたな、じじい」
実体を持ってその場に現れた愛槍を、吸い付くような手応えで掴み取り、低く構える。
その刹那、闘技場を支配する空気が一変した。
これまで大会で見せてきた、体術主体の不完全な戦士としての姿はもうどこにもない。
槍を手にしたギークから放たれる圧は、野獣が牙を剥き出しにしたかのように強大で猛々しい。その圧倒的な覇気には、数多の修羅場を潜り抜けてきた老獪なローグでさえ、武震いにも似た戦慄を覚えるほどであった。
ローグ「かかかっ!ようやくだなぁっ!!」
歓喜にも似た叫びと共に、それまで静観していたローグが弾かれたように動いた。
老体とは思えぬ爆発的な踏み込みでギークの懐へと肉薄し、その剛拳を叩き込む。
だが、ギークの反応はそれ以上に鋭かった。
翻る槍の柄。
飛来する拳を流麗な動作でいなし、受け流した勢いのまま、手元で槍を半回転。
その鋭い石突きが、カウンターとなってローグの脇腹を抉るように叩きつけられた。
ローグ「ぬっ!?」
この日初めて、ローグの顔に苦悶が走る。
先ほどまでのギークの打撃など、彼にとってはそよ風に等しかった。
だが、槍という「得物」を介したその一撃は、破壊力が凝縮され、打撃を受けた際の数倍にも匹敵する重衝撃となってローグの臓腑を揺さぶったのだ。
ギーク「ちゃんと捌かねえと死んじまうぞ!!」
不敵な煽りと同時に、視認不可能な速度で神速の突きが放たれる。
ローグは間一髪で首を捻り初撃をかわすが、ギークの連撃は止まらない。
突きに意識を向けた次の瞬間、ローグの腹部を鈍い衝撃が貫いた。
槍の連撃に思考を奪われ、完全に意識の外に置かれていたギークの蹴りが、正確無比にローグの急所を捉えていたのだ。
ローグ「ぐっ……」
たまらず後方へと跳び、衝撃を逃しながら着地して体勢を立て直そうとする。
しかし、戦闘狂の気配を纏うギークは一瞬の猶予すら与えるつもりはなかった。
ギーク「おせぇなあっ!」
ローグ「んなっ!?」
顔を上げたローグの目が、驚愕に見開かれる。
その視線の先には、空を切り裂き、咆哮を上げて飛来する一本の槍。
ギークの手から全力で投擲された槍の穂先が、すでに回避不能な距離まで迫っていたのである。
ローグ(加速っ!!)
死の予感に、ローグの全魔力が火花を散らす。
自身の思考を極限まで加速させ、強制的に身体能力を解放。スローモーションへと変わった視界の中で、槍が空気を震わせながら一寸ずつ、しかし確実に自らの心臓へと迫り来るのが見えた。
ローグはその加速した意識を肉体に叩き込み、老いた体を捩じ切らんばかりの勢いで回避運動へと繋げる。
死の境界線を槍が通り抜けた瞬間、全ての時間軸が元に戻った。
背後で槍が空気を引き裂く轟音が響き、通常の時間感覚へと戻ったローグは、冷や汗が背中を伝うのを感じる。
ローグ(槍一つでここまで変わるか! 面白い!)
真剣な命のやり取り。
その緊張感こそが、老剣聖の枯れ果てていた魂に薪をくべ、烈火の如き熱を呼び起こす。もはやそこに、老いへの懸念など微塵もない。
ローグ「良いな! ワシも本気でいくとしよう」
ギーク「けっ! かなりギリギリなんじゃねえのかあ? 無理すんな、早死にすんぞ? じじい!」
一度手放した槍を手元に呼び戻し、ギークは不敵な笑みで挑発を返す。
獲物という「自身の半身」を取り戻した今、ギークの脳内には勝利の道筋が明確に描かれていた。この槍がある限り、負けるビジョンなど微塵も浮かばない。
ローグ「かかかっ! 相変わらずだなっ! だがっ……!」
ギーク(くる……!)
一気に密着した殺気。
身構えたギークの視界から、ローグの姿が掻き消えた。
ギーク「ぐっ……!」
初撃は肩。
認識を上回る踏み込みから放たれた一撃が、ギークの肉を叩く。痺れるような重衝撃が全身を駆け巡るが、ギークは即座に重心を落として耐え、返しの追撃を槍の腹で完璧に受け止めた。
ギーク(まじかよ! さっきより断然はええ!)
目の前に展開されるのは、もはや「武術」という枠を超えた暴力的なまでの速度。
幾度となく飛来する拳、そして鋼のような脚。
その威力、速度は、これまで数え切れないほど打ち合ってきたどの瞬間よりも素早く、そして重い。
ギーク自身、槍を得たことで本来の鋭い感覚と本来の戦闘スタイルを完全に取り戻している。だが、覚醒したローグの能力向上は、そのギークの「本来の強さ」をさらに上回らんとする勢いだった。
一進一退。
火花を散らす槍の柄と拳の激突。
そのあまりに高次元な攻防は、もはや闘技場を囲む観衆が追える速度を超えていた。ただ、激突のたびに大気が震え、衝撃波がスタンドを揺らす。
その光景は、誰の目から見ても「異質」そのものであった。
ギーク(このままやっててもキリがねぇ……仕掛けるか!)
互角のまま高まる熱量。
だが、このままの削り合いでは時間がかかりすぎると判断したギークが、勝負を終わらせるべく動いた。
思い切り槍を薙ぎ払い、その圧倒的なリーチと回転力でローグを強制的に引き剥がす。
着地と同時に槍を垂直に構え直し、全魔力を穂先へと練り上げた。
ギーク「じじい! てめえも飽きて来てんだろ! 今からの攻撃! 受けれるなら受けてみろや!」
ローグ「面白い!! どんなもんでも仕掛けてみろ、若造!」
ギーク「いくぜ!!」
その咆哮と同時に、ギークが爆発的な踏み込みで宙へと跳躍した。
重力に加速を乗せ、ローグを目掛けて槍を構えたまま急降下する。激突の瞬間、闘技場の石床が悲鳴を上げ、巨大な亀裂が走った。当然、ローグはその初撃を軽やかな身のこなしで回避している。
しかし、ギークの狙いは単発の強襲ではなかった。
着地の反動をそのまま次の跳躍へと繋げ、二度、三度と同じ行為を繰り返す。
一度、二度……何度目かの跳躍が繰り返された時、ローグは確かな違和感を、そして脅威を感じ取った。
ローグ(先ほどより速度が上がっておる……いや、加速しておるのか!)
十回を超えたあたりから、攻撃の密度が劇的に変化した。
跳躍から直撃まで数秒を要していたものが、今や一秒未満のサイクルで繰り返されている。
その様は、もはや一人の戦士の攻撃ではない。頭上から絶え間なく降り注ぐ小規模な隕石の雨だ。
回避のみでは対応しきれず、ローグはいよいよ防御姿勢で受ける場面を強いられた。
しかし、その一撃は受け止めるにはあまりにも重たすぎた。
物理的な重量に魔力の指向性が加わった槍の威力は、武の頂に立つローグの姿勢を幾度となく崩していく。
そして――。
ローグ「ぬうっ……!?」
加速の極致。
回避の隙間を縫うように放たれた神速の突進が、ついにローグの肩を深く貫いた。
静まり返る闘技場に、老剣聖の絞り出すような苦悶の声が響き渡った。
その苦悶の声を聞いてなお、ギークは攻撃の手を緩めることはなかった。むしろ、好機と見て跳躍の高度を上げ、加速をさらに上乗せしていく。
二度、三度と、容赦なく降り注ぐ槍の穂先がローグの四肢を浅く、深く切り刻み、確実に絶壁へと追い込んでいった。
ローグ(明らかな劣勢……だが、これほどまでに魂が滾るというものよ!)
視界は自身の血で赤く染まり、逃げ場はない。
回避が不可能であるならばと、ローグは思考を切り替えた。全魔力を内側へと逆流させ、細胞の一つ一つに叩き込む。己の肉体強度を、文字通りの「金剛不壊」へと昇華させるために。
ローグ「拳術・剛毅!!」
刹那、ローグの体躯からミシミシと、岩盤が軋むような異音が鳴り響いた。
膨れ上がる筋肉の密度、鋼鉄を超えた硬度。魔力による分厚い積層防壁と、数十年という歳月をかけて練り上げられた究極の肉体。
その二つが完全に同調し、概念的な防御形態へと変貌を遂げる。
俊敏性を完全に切り捨てた代価として得たのは、あらゆる衝撃を跳ね返す不動の盾、そして――。
ローグ「ぬぉおおお!!!」
天から隕石の如く降り注ぐギークの槍。その一点に向け、ローグは逃げるのではなく、自らの拳を真っ向から突き出した。矛と盾が正面から激突する。
ゴオオオン!!!!!!!
拳と槍が接触したとは到底思えない、巨大な鐘を打ち鳴らしたような、重く、鈍い衝撃音が闘技場全体を震わせた。激突の余波だけで地面の亀裂がさらに広がり、観客席の最前列まで凄まじい衝撃波が吹き抜けていった。
弾かれたのは、あろうことかギークの方だった。
絶対的な威力を誇った落下速度と体重のすべてが、ローグの「剛毅」という壁に衝突し、逆流した衝撃となってギークの全身を襲う。完全にバランスを崩し、空中でなすすべなく身を躍らせるギーク。
その無防備な空白を、老剣聖が逃すはずもなかった。
ローグ「受けてみよ!!」
防御形態から一転、全身のバネを解放したローグの拳が、空中に投げ出されたギークの胴体を正面から捉える。
ドグガァッ!!!!
ギーク「がはっ……!!??」
鈍い、肉がひしゃげるような音が響く。
肋骨が数本まとめて砕け、内臓を直接握りつぶされたのではないかと思わせるほどの凄まじい衝撃。ギークの思考は一瞬にして混濁し、意識は現実の痛みを拒絶するように、深い闇の底へと突き落とされた。
抵抗を止めたギークの身体は、ただの肉塊と化して慣性のまま後方へと吹き飛ばされる。
ドゴオオオン!!!!
闘技場の強固な外壁を粉砕するほどの勢いで激突し、その反動で床へと顔面から無様に崩れ落ちた。土煙が舞い、静寂が訪れる。
だが、その絶望的な状況にあってもなお、彼の右拳だけは、相棒である槍の柄を折れんばかりの力でしっかりと握りしめたままだった。
ギーク(もろにくらった……骨が何本かイカれやがったな……)
肺腑を突くような激痛と共に、ギークの意識が急速に覚醒する。
自身の肉体が発する悲鳴を冷静に分析し、数本の骨折と内臓への深刻なダメージを断定。
並の戦士であれば、もはや指一本動かすことすら叶わず、敗北を受け入れる絶望的な状況。
だが、ギークという男の辞書に、その程度の理由で膝を折るという選択肢は存在しなかった。
砕けた床を這い、槍の柄を支えにして泥臭く立ち上がる。そして、あろうことかその支えすら解き、血に濡れた手で槍を力強く構え直した。
その瞳には、未だ衰えぬ闘志が宿っている。
ローグ「むぅ……確実に屠ったと思ったがな。若造にしては、恐ろしく頑強なことだ」
予想外の再起を目の当たりにし、ローグの口から偽らざる感嘆が漏れる。
ローグ「だが、先ほどのダメージ、完全にゼロというわけでもなかろう。もはや立っているのが不思議なほどよ。命を無駄にするな。負けを認めんかい」
ギーク「バカか? テメェ……。俺はまだ立ってんだ。それにぃ……!」
ブウウウン!!!!
凄まじい風切り音。
次の瞬間、ローグの耳元を槍の穂先が鋭く掠めていった。
ローグ(!?)
驚愕がローグの思考を一瞬停止させる。
この一日、神速の域での攻防を幾度となく重ね、互いの速度には慣れていたはずだった。だが、今の突きは――満身創痍であるはずの今の攻撃は、この日一番の、文字通り次元の違う速度で放たれたのだ。
ローグ(どういうことだ。あれだけの感触があったのだぞ……内臓は潰れておらずとも、骨の数本は確実にイカれておるはず。……それでいて、今までよりも速いというのか!?)
ローグの感じた速度の上昇は、決して錯覚などではなかった。
確実に、そして加速度的に、ギークの速さは跳ね上がっている。
ギーク「やっとだぜ……やっと、やっときた……」
口の端に溜まった血を吐き捨て、ギークが不敵な笑みを浮かべる。その瞳には、先ほどまでの焦燥はなく、むしろ深い確信に満ちた光が宿っていた。
ローグ「何が……きたのかな……?」
老剣聖は全身の産毛を逆立たせ、微塵の隙もない構えのまま問いかける。
ギーク「これから負けるテメェには、冥土の土産に教えといてやるよ。俺に武器、【槍】を持たせる本当の意味を……」
呟きにも等しいその言葉の残響が消えるより先に、ギークの姿はローグの視界から完全に消失した。
瞬き。たったそれだけの時間の合間に、ギークはローグの鼻先へと「現れた」。
あまりの制動のなさに、ローグは咄嗟の判断で拳を振り抜く。確実に相手の顔面を捉えるはずの、研ぎ澄まされた一撃。
しかし、その拳が実体を捉えることはなかった。
手応えはなく、ただ空を切り裂く感触だけが腕に残り、強大な慣性がローグのバランスをわずかに狂わせる。
その、刹那の隙。
バキバキッ!!
ローグ「!?」
鈍い打撃音が響き、ローグの身体に鋭い衝撃が走る。
五感で認識するよりも速く、回避不能な死角から、二発の攻撃が骨を震わせた。
身体が「攻撃を受けた」と反応した瞬間に繰り出した反射的な反撃も、虚しく空を泳ぐのみ。
観衆の目には、ローグという男が、誰もいない虚空に向かって必死に拳を振り回す哀れな老人のように映っていた。だが、当の本人は、背筋を凍らせるほどの戦慄を覚えていた。
ローグ(ここまでの速さ……もはや肉体限界を超えておる。反応による後手の反撃は無意味……! なれば、再び「剛毅」にて迎撃するが吉というものよな!)
再び、筋肉がミシミシと音を立てて硬化を始める。ローグは再び方針を転換し、不動の要塞となって、嵐のような次なる一撃を待ち構えた。
ギーク「芸がねぇなぁ!?」
その嘲笑に近い一喝が響くと同時、ローグは自らの腹部に、内臓をひっくり返されるような強烈な鈍痛を覚えた。
ローグ「ぐっ……!?」
それが槍の穂先なのか、あるいはギークの蹴りなのかすら判別できない。
剛毅を発動し、物理的な衝撃を無効化するはずの鋼の肉体。その防御を強引に貫通し、深部へと突き刺さった重い衝撃は、老剣聖の常識を根底から覆す「脅威」そのものだった。
ローグ(なんと……剛毅を纏っておってこれか! まずいのう……!)
数十年ぶりに抱く、本能的な焦燥感。
隠し持っているさらなる奥の手を今この場で切るべきか。その判断を一瞬迷ったローグの耳朶に、どこからともなくギークの囁きが届く。
ギーク「俺が手にした槍の名前は【ドラグーン】。龍の名を冠した槍だ……」
姿の見えぬ相手からの独白。ローグには、それが敗北への宣告のように聞こえた。
ギーク「俺はな……槍に宿された生来の名前の主の力を、この肉体に借り受けることができるんだ……」
ローグ「なっ……! まさか……!? 疑似的な【竜化】とでもいうのか……!」
ギーク「その……まさかだ……」
直後、ローグの身体は紙切れのように宙を舞い、後方へと吹き飛ばされた。
激痛は、ワンテンポ遅れてやってくる。
闘技場を数メートルにわたって吹き飛び、二度三度と床を無様に転がるほどの凄まじい殴打。防御など何の意味もなさなかった。人を超え、幻想の獣――龍が振るう暴威の一端。
ギーク「龍の力……体現だ!」
土煙の中から再び姿を現したギークの全身からは、先ほどまでとは比較にならないほど濃密で、禍々しいまでの魔力が立ち昇っていた。
ローグ(これほどの痛手……長く生きておるが、そうあるものではないな。さて……どうしたものかな。ルーグ殿……?)
床から這い上がり、土埃を払いながら、ローグは意識の奥底で繋がる主君、ルーグへと思念を飛ばした。
その問いかけに、待っていたと言わんばかりの冷ややかな声が脳内に響く。
ルーグ(君としたことが、かなり追い込まれているようだけれど。どうしたのかな?)
蔑みにも似た哀れみの色が混じった声。
だが、ローグはそれを受け流し、現状の「制約」について問い直す。
ローグ(情けない話ではあるが……これ以上は、ワシも力を制御しながら戦うわけにはいかぬ。ワシが「拳聖」であるという正体が衆目に晒されても良いのであれば、このまま全力で屠ってみせるが……いかにする?)
ルーグ(……そうだね。君が拳聖としてその武を披露するのも一興だが、今はその必要はない。この試合は捨てて、君の「敗北」という形で構わないよ。どうせ【次】があるのだからね)
ローグ(むぅ……煮え切らぬが、致し方あるまい。そうさせてもらおう)
ルーグ(ああ、うまくやってくれ。期待しているよ)
刹那のやり取り。
ローグとしての方針は、この場での「敗北」を受け入れ、真の力を帝国や衆目に晒すことなく身を引くこと、そして来るべき【次】の戦いへと備えることに決した。
ローグ「やれやれ……この手傷、簡単には癒えんぞ。高くつく貸しになったものだ」
不敵に笑う老剣聖の言葉に、ギークが槍を構え直し、鋭い眼光を向ける。
ギーク「龍の攻撃を直に喰らって生きてやがる……相当なくわせもんだな、じじい」
ローグ「かかか……若造に誉められても嬉しくはない。ワシも焼きが回ったものよ」
ギーク「なら、次はこんなのはどうだ……!!」
言葉と同時に、ギークは手にした槍を背負い、天を仰ぐようにして大きく息を吸い込んだ。肺腑に満たされた空気が凄まじい密度の魔力へと変換されていく。
ギークの周囲の大気が、目に見えて歪み、震え始めた。凝縮された魔力が不可視の圧力を生み出し、彼を中心とした数メートルが、まるで別次元の法則に支配された空間へと書き換えられていくかのようであった。
ギーク「龍の攻撃はなにも……殴るだけじゃねえよな……?」
その不吉な問いかけに、ローグの脳裏を最悪の推測がよぎる。
ローグ「まさか!?」
老剣聖は瞬時に全魔力を体表に集中させ、自身の限界を超えた「剛毅」の多重展開を試みる。
しかし、ギークの周囲に渦巻いていたはずの狂暴な魔力は、突如として霧散するように消失していた。
闘技場を支配する、耳が痛くなるほどの静寂。
すべての熱が、音さえもが、ギークの喉元一点へと収束していくための溜め。
そして――。
ギーク「ブレス・オブ・ドラグーン!!!」
静寂は、天を割るような咆哮によって打ち砕かれた。
ギークの直前に幾重もの魔法陣が瞬時に展開され、そこから理外の高出力火炎が解き放たれる。
ゴオオオオオオオオオ!!!!!
それはもはや「魔法」という既存の枠組みを嘲笑うかのような暴威。伝説に語られる真龍が、その逆鱗に触れた者を滅ぼすために吐き出す絶滅の光景そのものだった。
闘技場内の酸素は一瞬で食い尽くされ、石床は熱に耐えきれず赤黒く溶け落ち、放射線状に広がる破壊の閃光が視界のすべてを白く染め上げる。
その圧倒的な熱量と衝撃を前に、いかに拳聖と言えど、生身で耐え抜く術など存在するはずもなかった。ローグの身体は、なす術もなく紅蓮の奔流へと飲み込まれ、その姿は一瞬にして猛煙の向こう側へと消え去った。
熱波と白煙に支配された闘技場。
観衆の誰もが息をすることすら忘れ、ただただ決着の瞬間を求めて、晴れることのない煙の壁を凝視していた。
ローグ「……か……はっ……」
猛煙が晴れた中心部、そこには一人の老人が、未だ大地を踏み締めて立ち尽くしていた。
しかし、その姿はあまりに凄惨であった。魔力による防壁で辛うじて全焼こそ免れたものの、纏っていた装束の大半は炭化して剥がれ落ち、露出した肌には重度の熱傷と、熱による皮膚の裂傷が痛々しく刻まれている。
意識はすでに闇の向こう側。構えを維持したまま、立った状態で事切れる寸前の、深い昏睡に近い状態。
ギーク「はっ……もはや勝負はついたんじゃねえか?」
勝利を確信したギークが言葉を投げかけるが、ローグからは当然、返答はない。
静寂が訪れたその刹那、惨状を認めた実況の声が、鼓膜を震わせるほどの熱量で轟いた。
実況『勝負ありぃいいいい!!!! 勝者、ギーク!!フォン!!アルケミストぉおおおおおー!!!』
その宣言を合図に、堰を切ったような大歓声が闘技場を支配する。一人の若き英雄の誕生と、伝説を相手にした凄絶な死闘に、観客たちは総立ちとなって叫んだ。
観客『うおおおおおお!!!!』
観客『見たか今の!? 最後の魔法、バケモンだぜ!!!』
観客『あのおっさんもよくやった! すげぇ試合だったぞ!!!』
ギーク「……完全に消し飛ばしたと踏んでたんだがな……」
自身の持つ最大、最強の技【ブレス・オブ・ドラグーン】を放った。その手応えは確かにあった。並の戦士であれば灰すら残らないはずの暴威。
それを受け、なお原型を留めたまま、地に膝を突くことすら拒んで「立って」耐えきった。
ギーク(やっぱ、拳聖……。とんでもねぇバケモンだな)
心中で、敵であった老人の底知れぬ異常さを静かに認め、ギークは一度も振り返ることなく、歓喜の渦を背にその場から立ち去った。
ーーーーーーーーーー
ロックが意識を取り戻したのは、すでに医療室へと搬送された後であった。
ロック(ワシとしたことが……幾年ぶりの気絶か。油断ならぬものよな。まったく……)
自嘲気味に心の中で反省を口にしながら、重い身体を起こす。
帝国が誇る「拳聖」が運び込まれたとあって、医療室の空気は張り詰めていた。
担当する医師は通常の大会救護班ではなく、急遽呼び出された王城直属の、帝国最高峰の治癒魔導師へと差し替えられていた。
その卓越した技術によるものか、ロックの全身を苛んでいた凄惨な火傷や裂傷は、もはや見る影もなく癒えている。鏡に映るその姿は、試合前と何ら変わらぬ威厳を取り戻していた。
医師「お目覚めのようでなによりです、ロック様」
医師が安堵のため息をつきながら、恭しく一礼する。
ロック「うむ。手間をかけさせたな」
医師「とんでもないことです。我々は傷ついた者を治すのが仕事。それが拳聖たる貴方様であれば尚更。帝国の至宝を我が手で損なわせるわけには参りません」
ロック「……そうか」
短いやり取りを終え、ロックは改めて先ほどの死闘を脳内で反芻する。
表向きは能力を制限していた。だが、実のところは「若造を抑え込む」に十分な程度には力を解放していたのだ。
それにも関わらず、奥の手である拳術を引きずり出され、挙句に敗北を喫した。
その事実は、彼の胸の奥に消えない悔恨の火を灯していた。
ロック(やはりジャッカルのギーク……。仕留めるには、最初から全力で叩き潰さねばならんということか)
生半可な対応では届かなかった。
だが、そこは幾多の修羅場を潜り抜けた経験の賜物か。拳聖としての誇りが受け入れ難い「敗北」という屈辱を、彼は鉄の意志で表面から消し去った。
ただの静かな老人として、続く試合の魔法映像(中継)を見つめることに徹し、次なる機を虎視眈々と狙い始めたのであった。
ーーーーーーーーーー
自身の控室へと戻る道中、ギークは背後に突き刺さるような鋭い視線を感じ、苛立ちを隠さずに足を止めた。
ギーク「なんだ……見せもんじゃねぇぞ?」
薄暗い通路の影から音もなく姿を現したのは、次の対戦相手である一之瀬斗真だった。
その佇まいは、先ほどまで死闘を演じていた者とは思えないほどに静謐だ。
斗真「失礼。次の相手がどんなものか、少し興味があってね」
ギーク「はっ……。テメェか。ジャックが世話になったな」
ギークの言葉には、仲間を追い詰められたことへの隠しきれない敵意が混じる。
しかし、斗真はそれを柳に風と受け流し、穏やかな口調で応じる。
斗真「何を言う。あの少年からもらった一撃は、決して生半可なものではなかったよ」
ギーク「その割には、ピンピンしてるように見えるけどな」
斗真「ああ、帝国の医療師団は素晴らしい。感謝しているよ」
そう言うと、斗真はあえて挑発するように、その場で一点の淀みもない華麗な宙返りを見せてみせた。
着地したその足取りには、ダメージの破片すら感じられない。
斗真「あれほどの痛手だ、次の試合など到底無理だと思っていたが、ご覧の通りだ。君も早く行って手当を受けるといい。私との戦闘が控えているのだから、万全でなくては困る」
ギーク「ちっ……。気にいらねぇな」
ジャックを苦しめた相手であることはもちろんだが、何より帝国の施しを受けて傷を癒すという行為に、ギークは激しい生理的嫌悪を覚える。
だが、今の満身創痍のままでは、目の前の怪物と渡り合うことなど不可能。
それを理解しているからこそ、相手に促されるまま治療に向かわざるを得ないこの状況が、ギークの自尊心を逆撫でした。
斗真「ともあれ、事前に君を『視る』ことができてよかった。次の対戦では、互いに死力を尽くそうじゃないか」
爽やかな笑みを浮かべ、斗真が右手を差し出す。それは純粋な敬意か、あるいは勝者の余裕か。
だが、ギークはその手を見ることもなく、吐き捨てるように言い放った。
ギーク「せいぜい、死なねえように気をつけろや」
乱暴な足音を立ててその場を去るギークの背中を、斗真は追うこともなく見送る。
斗真「……つれないね。だが……まあ、なんとかなるだろう」
独りごちる斗真の口元にも、また別の、底知れない不敵な笑みが浮かんでいた。




