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静かなる王手 ―最難関の塔、陥落す―

リヒト「ふぅ…さすがに兵士の数が多い…」

冷え切った塔内の空気に、リヒトの吐息が白く混ざり、消えた。

北の魔石塔――帝都を覆う巨大な結界を維持する、その中枢たる巨大な魔石。

それを破壊することこそが、今回の作戦の要だ。結界が消え去れば、待機しているジャッカルの総勢が怒涛の勢いで帝国へとなだれ込む。

その道筋を作るため、リヒトは最も警備が厚いとされるこの北の塔を、文字通り正面から踏み潰し続けてきた。

すでに塔の八割は、物言わぬ骸の山へと変貌しただろうか。

道を阻む兵士を幾百と斬り伏せてきたが、もはや数えることさえ無意味なほどにその数は膨大だった。

かつてノウスを救出するために潜入した際とは、守護の熱量が、そして殺気が、比べ物にならないほどに苛烈であった。

リヒト「だが…ここまで登ってしまえばあとは魔石の部屋を守護する警備ぐらいか…」

独り言をこぼしながら、リヒトは一段ずつ着実に階段を蹴り、塔の最上部へと歩を進める。

幾多の戦場を駆け抜け、死線を越え続けてきたその足取りには、疲労の影すら見当たらない。返り血を浴びてなお、その佇まいは不気味なほどに静謐だった。


そして、ついに塔の最上部へと辿り着く。

警備「止まれ!ここより先には行かせぬ!」

警備「貴様!よくもここまで!!」

警備「ここまでだ!!」

魔石の部屋へと繋がる円形の広場、そしてその先の廊下には、数十人の警備兵が完全武装で待ち構えていた。彼らの瞳に宿るのは、死を覚悟した決死の狂気。

リヒト「はあ…雑魚はどれだけ集まっても意味がない…」

心底呆れたように、重いため息を一つ。

次の瞬間、リヒトの両手に握られた魔成剣が静かに持ち上げられた。

その姿からは、周囲の温度を氷点下まで引き下げるような、異質な圧が放たれる。対峙する兵士たちの本能が、目の前の存在を「人」ではなく、抗いようのない「死神」であると理解し、震え始めていた。


警備兵長「いけ!!!」

警備兵「うぉぉぉ!!!」


喉を潰さんばかりの怒号とともに、数十人の兵士が一斉にリヒトへと牙を剥いた。

狭い廊下や広場に金属音が響き渡り、四方八方から鋭い刺突と斬撃がリヒトを包囲する。

リヒト「お前らは…大人しく消えろ…」

冷徹な宣告とともに、リヒトの身体が霞んだ。

突撃してきた先陣の攻撃を、わずか数センチの差でかわし、流れるような動作で受け流す。

無駄な動きは一切ない。すれ違いざまに振るわれた魔成剣が、鎧の隙間を的確に捉え、音もなく兵士を斬り伏せていく。

リヒトは歩みを止めない。

一歩、また一歩と魔石の部屋へ向かって着実に踏み出すごとに、その背後には物言わぬ屍の山が築かれていく。あまりにも滑らかで、あまりにも澱みのない死の舞踏。目の前の命が失われていく光景が、まるで最初から決まっていた必然であるかのような錯覚さえ抱かせるほどだった。

しかし、その静かな行軍に綻びが生じ始める。

警備兵「舐めるなよ!」

鋭い咆哮とともに放たれた一撃が、リヒトの頬をかすめた。

帝国の屋台骨たる結界を守護する、その最奥に配された精鋭たち。奥へ進むにつれ、彼らの質は明らかに向上していた。死を恐れぬ執念でリヒトの速度に食らいつき、その斬撃を見切り、あろうことか反撃に転じる者までが現れ始めたのだ。

リヒト「面倒だな…」

思わず、偽らざる本音が口をついた。

ここへ至るまでの道中、すでに想定を越える数の兵を斬り、それ相応の体力を削られてきた。その上での、この最奥部における死に物狂いの抵抗。

警備の分厚さは事前に把握していたし、実際にここまで手間取ったのも事実だ。

だが、目的地の扉を目前にしてなお、これほどまでの練度と気迫を持った兵が残っていることはリヒトの想定をわずかに上回っていた。


さらに状況は悪化する。


背後の螺旋階段から、重々しい足音と甲高い鎧の擦れる音が響き渡った。

帝国兵「南の塔より警備の増援に駆けつけた! 加勢するぞ、この侵入者を一歩も通すな!」

現れたのは、南の塔を守護していたはずの武装兵たち。その数、数十人規模。

前方、魔石の部屋を守る精鋭が残り三十。そして背後を塞ぐ増援がおよそ五十。

リヒトは完全に、塔の最上階という閉鎖空間で挟み撃ちの形となった。

リヒト(南からの増援……? 想定より……いや、早すぎる……)

リヒトの計算では、南の塔からの加勢はもっと後になるはずだった。

東と西はリュドやノウスら零遺衆が確実に封鎖している。物理的な距離を考えても、これほど迅速に駆けつけられるはずがない。

想定外の早さに微かな焦燥がよぎるが、リヒトの瞳は即座に冷徹な光を取り戻す。

リヒト(ちっ……仕方ない。来たのであれば、ただ撃滅するだけだ)

リヒトは低く息を吐き、気合を入れ直す。

両手の魔成剣に注ぎ込まれる魔力が増大し、刃が震えるような鳴動を始めた。

一部解放されたその力は、周囲の空気を歪ませるほどの熱量を帯びていく。

リヒト「悪いが、こっから先は時間をかける気はない」

静かな、しかし確実な終焉の宣告。

次の瞬間、リヒトの姿は塔の窓から差し込む陽光に溶け込むように、陽炎のごとくその場から掻き消えた。


警備兵「ぐあっ!」

警備兵「ごっ……!」

警備兵「なっ……!」

密集していた兵士たちの中心で、断末魔が次々と上がる。

目視できたと思えば、次の瞬間には別の場所で火花が散り、誰かが崩れ落ちている。

反応速度に優れた精鋭兵たちが反射的に剣を振るうも、リヒトの影を捉えることすら叶わない。空を切った剣筋の隙間に、冷徹な一撃が突き刺さる。

致命傷を避けたとしても、重い打撃によって意識を強制的に断たれ、地に伏した瞬間にはその心臓を正確に貫かれていた。

力を解放したリヒトは、もはや「個」を相手にする戦士ではなく、広範囲を蹂躙する災害そのもの。

鉄壁を誇った精鋭の集団も、気勢を上げて到着したばかりの増援も、リヒトの歩みを止めるどころか、その姿に触れることさえできずに瓦解していくのであった。


ガァン!!!!!


甲高い金属音と共に、リヒトの振るった魔成剣が虚空で火花を散らし、強引に静止させられた。

???「はい。そこまでぇ。」

リヒト「…!?」

予期せぬ制止、そして正体不明の抵抗感。

咄嗟の出来事に思考が追いつかぬまま、リヒトは反射的に自身の周囲に群がる残兵を瞬時に斬り伏せ、安全な間合い――安置を作り出す。

視界に映る周囲の兵士たちは皆、戸惑いと恐怖に顔を歪めており、今の不可解な防御を行えるような実力者は一人もいない。

だが、広場の奥。

重厚な魔石の部屋の扉がゆっくりと開き、そこから一人の男が場違いなほど軽やかな足取りで姿を現した。


アムネジア「私はアムネジア・ルゥラー。帝国の機械技師団の団長という肩書きだよ」


身長は170センチ前後。身体のラインは細く、軍人らしい骨太さも、魔導士らしい禍々しい魔力も感じられない。街中に紛れれば数秒で見失うような、目立つ特徴のない普通の男だ。

だが、リヒトの冷徹な一撃を止めたのは、紛れもなくこの男だった。

リヒト「…そうか。消えろ!」

名乗りを聞き終える間も惜しみ、リヒトは即座に次の一手へ転じる。

正体が何者であれ、魔石への道を阻む者は屠るのみ。陽炎のごとき踏み込みでアムネジアとの距離を詰め、一息にその首を撥ねるべく刃を振るう。

しかし、その絶対的な死の刃がアムネジアの肌に届くことはなかった。

アムネジアに到達するわずか二メートル手前。

リヒトの肉体は、まるで時間が凍結したかのように、不自然な姿勢のまま硬直していた。

アムネジア「少しは、話を聞いてくれないだろうか。私は君に対して害意を持ってない。話次第ではそちらについてもいいとさえ考えてるんだよ?」

リヒト(どういう原理で止められた…!?)

魔力による拘束か、あるいは未知の不可視の障壁か。

必死に意識を巡らせるリヒトを余所に、アムネジアが事も無げに指をパチンと鳴らす。

その乾いた音を合図に、リヒトを縛り付けていた不可解な硬直は霧散するように解除された。

リヒト「なにをした…?」

わずかに声を低め、リヒトは全身の神経を研ぎ澄ませる。

先ほどの感覚は魔力による物理的な拘束ではない。自分の意志と肉体の繋がりが、一瞬だけ他人の手に渡ったかのような、吐き気を催す違和感だった。

アムネジア「なんてことはない。君の運動命令を司る神経を一時的にコントロールしただけだよ」

アムネジアは、まるで昨日の献立を話すかのような気楽さで言ってのける。

リヒト「言っている意味がわからないな」

アムネジア「簡単な原理なんだけど、説明するには少し時間がかかる。それよりも、建設的な話をしないかな? ああ、周りにいる兵士はすべて殺してくれて構わないよ。彼らじゃ、君の足止めにもならないからね」

あまりにも無慈悲な切り捨て。

味方の命を「不要なノイズ」程度にしか考えていない男の言葉に、リヒトは躊躇うことなく応じた。

リヒト「そうか…。」


リヒトの影が閃く。

アムネジアとの対話を邪魔する不確定要素を排除すべく、残っていた警備兵と南からの増援を、文字通り「処理」していく。断末魔が塔内に響き、最後の一人が地に伏すまで、アムネジアは眉一つ動かさず、ただ観劇でもしているかのような穏やかな表情で見守っていた。

帝国側の要職にありながら、自軍の瓦解をこれほど冷徹に傍観する男。

その底知れなさに警戒を強めながら、リヒトは再び男に向き直る。

リヒト「なぜ…俺を止めない…?」

アムネジア「君はさ…隕石が落下して来たらどうする?」

リヒト「は?」

あまりに場違いで、あまりに突拍子もない質問。

一進一退の攻防が続く戦場の中心で、哲学的な問いを投げかけられたリヒトは、拍子抜けすると同時に、この男の異常性を再確認した。

アムネジア「いつもと変わらない日常。そこに回避不可能な隕石の落下。それを、君ならどうするって聞いてるんだ」

リヒト「そうだな…。可能な限り破壊するだろう」

アムネジア「ははは! それは常人の考えじゃない。君が強いからこそできる思考、そして芸当だよ。普通はね、ただ空を見上げて震えることしかできないんだ」


乾いた笑い声を響かせ、アムネジアは一歩、また一歩とリヒトの方へ歩み寄る。

アムネジア「僕みたいな力のない常人はね、受け入れるしかないんだ。避けようのない災害がふりかかったら受け入れるしかない。けどね……」

そこまで語ったところで、アムネジアの纏う空気が鋭利なものへと変貌した。

穏やかだった男の顔に、生存本能に忠実な「捕食者」あるいは「観察者」の冷酷な色が混ざり始める。

アムネジア「受け入れた上で生き延びる方法もある。台風や竜巻、地震や落雷、そういった災害でさえ受け入れて転用して力とする、あるいは順応するからこそ、僕たち人間は生きながらえて来ている。そうは思わないかな?」


リヒト「なるほど…一理ある」

リヒトの言葉は短いが、その眼光はアムネジアの言葉の真意を暴こうと、より鋭さを増していた。敵を倒すための武力ではなく、生き残るための「適応」。目の前の男が語っているのは、単なる命乞いではなく、この絶望的な状況を自らの利へと変えようとする、歪んだ合理主義だ。

アムネジア「だからね、君みたいな災害が降りかかるのであれば、僕としては受け入れるより他にない。もちろん、相応の抵抗はするけど」

リヒト「ほう…」

アムネジア「けどまぁ、ここまで帝国の軍人が派手にやられてる以上、僕が抵抗してもただ無駄に命を落とすだけだろう。だから、これ以上無駄な争いはしたくないんだ」

平然と、足元に広がる同胞の死体を指差しながらアムネジアは言う。そこには悲しみも怒りも一切介在していない。

リヒト「矛盾してないか? 抵抗はするが、争いたくない、と」

アムネジア「そうだね。矛盾だ。僕みたいな学者からすれば、あってはならない非論理的なことだよ。だが、生存本能というのは時として計算を狂わせるものなんだ」

アムネジアは自嘲気味に肩をすくめて見せるが、その瞳の奥は一向に笑っていない。

リヒト「なら、どうする。お前を斬り捨てることは容易いと思うが」

冷徹な最後通牒。リヒトが魔成剣をわずかに傾ければ、次の瞬間にはアムネジアの首が飛ぶ。その「容易さ」を誰よりも理解しているはずの男は、しかし余裕の笑みを消さなかった。

アムネジア「取引をしないかい?」

リヒト「内容によるだろう。言っておくが、お前の命を賭けるに値する内容でなければ意味がないぞ」

アムネジア「あまりみくびらないでくれ。君がここを強襲しているのはおおかた、帝都を覆うこの結界を止めるか、あるいは物理的に破壊するかのどちらかだろう?」

リヒト「……そうだな」

もはや隠す段階ではない。ここまで辿り着き、兵を殲滅した以上、目的は明白だ。

リヒトは短く肯定し、男の「カード」が何であるかを見極めようとする。

アムネジア「その幇助ほうじょをしよう」

リヒト「なに……?」

アムネジアの口から出た言葉は、あろうことか「帝国の裏切り」であった。

結界維持の中枢であるこの塔において、最高責任者の一人である師団長が、侵入者に対してその目的の達成を助けると申し出ている。

あまりに飛躍し、あまりに破滅的な提案。

罠か、あるいはさらなる策謀か。リヒトの胸中に、かつてないほどの濃密な警戒が渦巻く。


リヒト「…なにが目的だ?」

リヒトの声音には、一切の隙がない。

帝国の屋台骨たる師団長が、この土壇場で国家を裏切り、侵入者に手を貸す。

そこには「生き残る」という理由だけでは説明のつかない、巨大な対価や思惑が隠されているはずだ。

アムネジア「大したことではない。私はね、帝国から抜け出したいんだよ」

アムネジアは、まるで窮屈な服を脱ぎ捨てたいと言うかのような、あまりにも軽い調子で答えた。

リヒト「そのために、結界を破壊する手助けをする……と?」

アムネジア「そう。この結界は外敵を防ぐものだが、中にあるものを閉じ込める檻でもあるからね。私が自由になるためには、君たちの目的と利害が一致するんだ」

リヒト「そんな話を信じれると思うか…?」

一歩。リヒトが威圧するように距離を詰める。魔成剣の切っ先が放つ冷気が、アムネジアの首筋を撫でるが、男の表情には微かな動揺すら浮かばない。

アムネジア「疑うか……。たしかに、君からすれば私を信じるだけの根拠がないね」

リヒト「そういうことだ。なにをもって信頼しろと言う。お前の言葉一つで、仲間を死地に追いやるわけにはいかない」

アムネジア「はははは! 今のこの状況が、信頼に充分足る根拠だとばかり思っていたよ。だが、確かにそれだけでは足りないね。さて、どうしたものか」

朗らかに笑いながら、アムネジアは困ったように頭を掻く。

彼にしてみれば、この絶望的な戦力差を前にした「最も合理的な提案」のつもりであったが、リヒトの危惧もまた論理的だ。だが、アムネジアはこの冷徹な戦士が、最終的には自身の提案を呑まざるを得なくなると確信していた。


アムネジア「では、こうしよう」

アムネジアは懐から、幾何学的な装飾が施された小型の鏡のような端末を取り出し、迷いなく起動させた。

アムネジア「東、西、南の塔を守護する全ての軍団長に告げる。現時刻をもってその場の守護を解除。全軍、直ちに北塔の地下入り口前広場に集結せよ。――以上だ」

それは、帝国防衛の心臓部を無防備に晒す、文字通りの暴挙。

アムネジアは一方的に命令を下すと、驚愕の表情を浮かべる間も与えず、通信機を懐へと仕舞い込んだ。

リヒト「…正気か?」

リヒトの困惑は、当然のものだった。

防衛線を自ら放棄し、全兵力を一箇所に集結させる。それは戦術的な「ミス」などというレベルではなく、国家に対する明確な反逆行為に他ならない。

アムネジア「何を言うんだ? 君が見せろと言う誠意にすぎない。なんなら北塔広場に集まる全ての兵士を私自身が殺しても構わないよ。もっとも、私にそれだけの技量があればの話だけれどね」

自嘲気味に肩をすくめて笑うアムネジア。

しかし、リヒトはそれでいてなお疑いの念を拭い去ることはできず、魔成剣を構えたまま一歩も動かずにいた。

この男の「誠意」が、自分たちを誘い込むための巨大な罠である可能性は、依然として否定できない。

アムネジア「仲間が他の塔にいるのだろう? 少し待てば状況が変わるはずだ。聞いてみるといい」

自信に満ちたその言葉を受け、リヒトは魔法思念テレパスを起動し、リュドとノウスへ意識を飛ばした。


リヒト(リュド、ノウス、聞こえるか。現在の状況を教えろ)


短く、要件だけを伝える。数秒の沈黙――。

やがて、リュドの少し困惑したような思念が返ってきた。

リュド(リヒト……何があったか知らんが、西塔の警備がいきなり塔を放棄して退いていった。今、最上階を目指して進んでいるところだ)

ノウス(リヒト様、こちら東の方も同様です。抵抗が完全に消えました)


二人からの確実な報告。

それを受け、リヒトは再びアムネジアへと視線を戻した。

リヒト「どうやらお前の命令は、本当に他の塔の警備を捨てさせたようだな」

アムネジア「言ってるだろう? 君たちの助けになると。私は嘘をつくほど、自分の命を安売りするつもりはないんだ」

リヒト(……嘘ではない。リュドやノウスたちが塔の最上部に到達し、同様に魔石を止めれば結界は解ける……)

状況は、アムネジアの言葉通りに動いていた。リヒトの脳内で、疑念と合理性が激しく火花を散らす。

アムネジア「それで、どうするのかな? あまり時間はないんじゃないのかな?」

アムネジアが顎で示す先――遥か眼下に広がる闘技場では、今まさにギークが拳聖を相手に死闘を演じている。結界が消え、ジャッカルが突入するまでの猶予は刻一刻と削り取られている。

リヒト(……一度、こいつの言うことを聞いてみるか。万が一裏切る素振りを見せるようであれば、その瞬間に斬り伏せればいい)

リヒトは魔成剣の切っ先をわずかに下げ、冷徹な瞳でアムネジアを射抜いた。


リヒト「いいだろう。それで、お前の要望はなんだ?」

リヒトは魔成剣を完全に下ろすことはせず、いつでも振り抜ける間合いを保ったまま問いかけた。

これほどの代償を払ってまでアムネジアが求める「見返り」が何なのか、それを明確にする必要がある。

アムネジア「ふふっ。帝国に対して君たちが襲撃をかける。そうなれば帝都は大きく荒れるだろうね」

アムネジアはどこか他人事のように、これから起こるであろう未曾有の混乱を予見する。

リヒト「お前はその助けをすると言っているのだぞ。自分の国を地獄に変える手伝いだ」

アムネジア「そうだね。でも、それでいい。私の目的はその混乱に乗じて帝国を抜けることにあるのだから。秩序がある内は、私の自由は制限されたままだ。檻を壊すには、相応の衝撃が必要なんだよ」

リヒト「なるほど。お前の要望は帝国を抜けるために力を貸すこと、そしてそのための時間を俺たちが稼ぐこと。この二つと見ていいか?」

アムネジア「そうだね。それでいい。非常に話が早くて助かるよ。それじゃあ、早速結界を止めてしまおうか」

「取引成立」と、アムネジアはまるでおもちゃを手に入れた子供のように小さく呟くと、軽やかな足取りで再び魔石の部屋へと戻っていく。

その背中に、リヒトも最大限の警戒を維持したまま従い、部屋の奥へと足を踏み入れた。


リヒト「これは……」


室内に足を踏み入れた瞬間、リヒトの視界を強烈な光が焼き、濃密な魔力の圧が肌を刺した。

報告でノウスから聞いてはいたが、実物は想像を遥かに絶していた。

部屋の中央に鎮座するのは、巨大な火緋色の魔石。

その表面には、緻密を極めた大小様々な魔法陣が幾重にも刻印されており、脈動するように赤黒い光を放っている。さらに魔石の上部からは、天へと昇る連鎖魔法陣が幾何学的な模様を描きながら展開し、帝都の空を覆う結界の源となる光の筋を、轟音と共に放ち続けていた。

アムネジア「素晴らしいだろう? だが、これが動くのも今日までだ。止めてしまえばただの大きな石ころに過ぎないからね」

帝国の誇る最高機密を前にしてもなお、アムネジアの口調は冷めていた。彼は迷うことなく魔石を制御するコンソールへと歩み寄り、その細い指先を複雑な魔法式へと滑らせ始めた。

その様子を鋭い眼光で見守っていたリヒトだったが、ふとした違和感に突如口を開き、アムネジアの手を制止した。

リヒト「結界を止めるのは、そんなに簡単なのか?」

あまりに淀みのないアムネジアの手つきに、リヒトの警戒心が再び鎌首をもたげる。

帝国の誇る最高防衛システムが、これほど容易に一人の手によって無力化されるものなのか。

アムネジア「簡単だよ。このコンソールでコードを打ち替えてしまえば良い。あるいは、物理的に石を破壊する必要があるのだけれど……それはオススメしないね」

アムネジアは指先を止めず、淡々と、しかし確かな警告を込めて言った。

リヒト「なぜだ?」

アムネジア「ふふ、言葉で説明するより早い。試しにやってみると良いよ」


アムネジアに促され、リヒトは巨大な火緋色の魔石の正面に立つ。

間近で対峙するそれは、皮膚を焼き切るような強大な魔圧を放っており、立っているだけで五感が狂わされそうな錯覚を覚えた。

リヒト(なんとも強大な魔圧……だが、斬れぬものはない)

リヒトは残った魔成剣に、ありったけの魔力を流し込む。青白く発光する刃を正眼に構え、一歩大きく踏み込むと、文字通りの最大出力にて剣を振り抜いた。


ガキィィィン!!!!!

パラパラパラパラ……。


静寂の部屋に響いたのは、硬質な金属音。そして、乾いた何かが地面に崩れ落ちる虚しい音だった。

リヒト「くっ……っ……!!」

手元に走る強烈な痺れ。

見れば、リヒトが全幅の信頼を置いていた魔成剣が、切っ先から粉々に砕け散っていた。

滅多なことでは刃こぼれすらしない剣が、まるで安物のガラス細工のように、ただの一撃で崩壊したのだ。

一方の魔石には、傷一つ付いてはいない。

アムネジア「そうなるんだ。その理由は単純なんだけどねぇ」

戦慄するリヒトを横目に、アムネジアは「当然の結果だ」と言わんばかりに再びコンソールへと指を滑らせる。

物理的な破壊すら拒絶する絶対的な防御機構――それがこの魔石の正体だった。

リヒト「……結界を止めるタイミングだが、特定の瞬間にしたい。できるか?」

折れた剣の柄を握りしめ、リヒトは視線を上げた。

アムネジア「できるけど、いつが良いのさ」

リヒト「……決勝が始まったら……で頼む」

窓から見える、熱狂の渦中にある闘技場を指差し、リヒトは明確なタイミングを指示する。

アムネジア「なるほど。最高に盛り上がっているタイミングだね。いいよ、合わせよう。それが君たちの描くシナリオなら、ね」

アムネジアの承諾と共に、結界停止のプログラムが静かにセットされた。


北の魔石塔――最難関とされた地は、一人の裏切り者と一人の死神の手によって、音もなく攻略が完了されたのである。

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