不遜なる勝者 ―雑魚に告ぐ絶望の鉄槌―
ジャック(なら……これならどう……!?)
引き剥がすことが困難なら、いっそ捕らえて殺すまで。ジャックは思考を瞬時に切り替え、シャウの道着の襟元を掴み取ろうと、獲物を狙う鉤爪のような鋭さで手を伸ばした。
しかし、シャウの反応は極めて冷静だった。
羽虫を払うような最小限の動きでその手を巧みにかわすと、文字通り「紙一枚」の絶妙な距離を保ったまま、ジャックの死角へと回り込む。
ジャック(へへっ、これもかわすんだ! 面白い!!)
拒絶されるほどに、ジャックの闘争本能が熱を帯びていく。空振りに終わった勢いを殺すことなく、ジャックは器用に身体を捻ると、軸足一本で独楽のように鋭く回転。そのまま大気を切り裂く多段蹴りをシャウに向けて叩き込んだ。
一撃一撃が致命。
当たれば骨の一、二本どころか、臓器ごと粉砕しかねない暴虐な威力が込められている。
その風圧が砂を巻き上げ、闘技場に鋭い風の音が鳴り響く。
これに対してシャウは「まともに受けてはなるまい」と直感し、柳のようにしなりながら後退。紙一重の差で連撃を躱し切った。
だが、主導権を渡すシャウではない。ジャックが着地し、わずかに重心が浮いたその刹那――。
シャウ「――ここ!」
先ほどよりもさらにギアを上げたシャウが、爆発的な踏み込みとともに攻勢に出る。
ドガガガガガガガ!!!!
肉体と肉体が衝突する、鈍く、激しい打撃音が連続して響き渡る。
拳、肘、膝。全身を武器に変えたシャウの多段攻撃が、豪雨のようにジャックを襲った。
徐々に、だが確実にジャックが守勢に回らされ、防戦一方へと追い込まれていく。
ジャック(まずいね……受けきれない……!)
思考が警鐘を鳴らしたその瞬間、防御の隙間を縫うようにして、シャウの重い拳がジャックの腹部を捉えた。
ジャック「……っぐ!?」
肺から空気が強制的に押し出される。シャウは一瞬の隙も見逃さず、さらに追撃の回し蹴りを叩き込む。ジャックは反射的に腕を交差させてガードするも、万全の体勢ではない。衝撃を殺しきれず、ジャックの小柄な身体は後方へと大きく吹き飛ばされた。
砂煙を上げながら地面を転がるジャック。
数万の観衆が固唾を呑んで見守る中、シャウは追撃の手を緩めることなく、その瞳に冷徹な武人の光を宿したまま構えを解かなかった。
ジャック「ははははっ!!!」
吹き飛ばされ、砂塵を上げて無様に地を転がっていたはずのジャックが、突如として現実を塗り替えた。
次の瞬間、彼はすでにシャウの目の前に「存在」していた。
シャウ「……!?」
一瞬たりとも目を離してはいなかったはずだ。にもかかわらず、その視認を越える異常な加減速。ジャックは距離を詰めるという工程を省略したかのような速度で、反撃の拳をシャウの顔面へと捩じ込んだ。
幸いにも、追撃のために構えを解いていなかったシャウは、反射的に防御の型へと転じることができた。しかし、不意を突かれた重い一撃に、今度はシャウの方が大きく後方へと後退を余儀なくされる。
ジャック「想像以上だよ! もっと……もっと……もっと!!」
ジャック「もっと楽しくさせてよ!!」
瞳の奥に宿る狂気が膨れ上がり、ジャックの全身から溢れ出す殺気が闘技場の温度を数度引き下げる。
シャウ「ははっ……壊れてしまったのかな!?」
シャウは頬をかすめた熱量に、引きつった笑いを返した。かろうじて言葉を紡ぐものの、余裕はない。
ジャックによる神速の連撃が、豪雨のごとくシャウを打ち据え始めたのだ。今度はシャウが、防御一辺倒の籠城を強いられる番だった。
シャウ(こちらの型を当てはめる間もくれない……! やりにくくなってきた……!)
シャウの武術は、決して奇をてらったものではない。相手の呼吸、筋肉の微細な収縮を見切り、相手の拍子に完全に同調することで、絶対的な優位間合いを維持する独自の格闘理論。
先ほどまでジャックを翻弄していた「張り付くような歩法」もその産物だった。
だが、今のジャックにはその「理」が通用しない。
人体の構造を無視したかのような超人的な身体の柔軟性。どれほど強引な体勢からでも致命威力を生み出す規格外の身体バランス。
そして、予備動作なしに突発的に解放される瞬発力。
それらすべてが、シャウの「観察と予測」という前提を破壊していく。
観察し、型を当てはめ、対応しようとするその「刹那の時間」さえ、ジャックの暴力的な本能が食い潰してしまうのだ。
ジャック「あはは! どうしたの? 止まって見えるよ!!」
狂乱の笑みと共に放たれる、軌道の読めない変幻自在の打撃。
シャウは自身の武術の根幹を揺るがすほどの異質さを前に、冷や汗を流しながらも、その瞳から闘志の火を消してはいなかった。
シャウ「なるほど……。まったく……世界は広いね……! 嫌になる!」
ジャックが放つ、物理法則を嘲笑うかのような猛攻。その嵐の只中にありながら、シャウの瞳から理知的な光は消えていなかった。
ガードを固め、肉を削られながらも、その口元には不敵な余裕さえ漂わせている。
シャウ(まったく……こんなに早く、これを出させられるとは思わなかったよ……。)
猛攻の圧力に耐えながら、シャウはジャックに悟られぬよう、細胞の一つ一つに魔力を浸透させていった。体内を駆け巡る魔力の奔流。
それは、静かに、だが確実に彼という「武具」の限界値を引き上げていく。
ジャック「ほんとだね! 僕も君みたいなのとやり合えて、本当に……楽しいよっ!!!」
弾むような声。
ジャックの表情には、激闘の痛みさえも最高のスパイスであるかのような、純粋無垢な「狂喜」が浮かんでいた。
シャウ「闘いを……楽しいと言えるのは……真の……強者のみ!」
そう言い放つと同時に、シャウの周囲の大気が爆ぜた。
体内で圧縮し、研ぎ澄ませた魔力を一気に解放。その瞬間、シャウの纏う空気の密度が劇的に変化した。
加速。
それまで防戦一方だった状況が、再び鮮やかに塗り替えられる。
視認すら困難なジャックの連撃を、シャウは紙一重の動作ですべて「捌き」切った。
いや、ただ躱すのではない。
受け流した勢いをそのまま自身の推進力へと変換し、ジャックの懐へと滑り込む。
ジャック「なっ……!?」
先ほどまで捉えていたはずの標的が、霧のように消え、死角から重い一撃が突き刺さる。
シャウ「さぁ、第二ラウンドだよ!」
その声は、もはや防戦を強いられていた者のそれではない。魔力を纏ったシャウの動きは、ジャックの「野生」と同等、あるいはそれ以上の次元へと到達していた。
ジャック「あははっ! まだまだ遊べるね!!」
反撃を受け、口角から血を流しながらも、ジャックの興奮は最高潮に達する。
互いの限界を超えた速度が、闘技場に幾十もの残像を描き出す。
「怪物」と「達人」
知性を捨てた純粋な暴力と、魔力で極限まで研ぎ澄まされた武技が、音速の壁を超えて激突し始めた。
実況『もはやここからは何がどうなっているのか、視認できない!! ただ、ただ、ものすごいことが起きているということだけはわかるぞぉ!!!』
実況の絶叫は、そのまま観客全員の代弁だった。
闘技場に集まった数万の民衆はもちろん、予選を勝ち抜いた並み居る戦士たちでさえ、二人が描き出す死の軌跡を肉眼で追うことは叶わない。
時折、空間が爆ぜるような音と共に二人の姿が虚空に現れる。
数合、火花を散らすような打ち合いを演じたかと思えば、次の瞬間にはまた視認不能な速度で場所を変え、別の地点で激突する。
その衝突の余波は、もはや肉体同士のぶつかり合いという次元を超えていた。放たれる衝撃波が闘技場の石畳を飴細工のように砕き、堅牢な壁にクモの巣のような亀裂を刻み込んでいく。
ジャック「はははははっ!!! 最っ高だよっ!!!」
この極限状態を、ジャックは心底楽しんでいた。
超人的な反応速度が要求される打ち合いの中で、なおも高揚感を隠さずに叫ぶ。その瞳は狂気と歓喜に塗り潰されていた。
一方、迎え撃つシャウは、内心で冷や汗を拭っていた。
シャウ(いやいや……この状況の僕についてくるかな、普通……あり得ないでしょ!)
シャウが今纏っているのは、精密に練り上げられた魔力の鎧。
平時とは比較にならない、数倍から数十倍の反応速度と破壊力を強制的に引き出した「禁じ手」に近い強化だ。それを行使してなお、目の前の怪物は底を見せるどころか、余裕綽々といった様子でこの速度域に順応してくる。
シャウ「あまり……無理しないほうが……いいと、思うけど……っ!?」
これ以上のペースアップは互いの肉体を壊しかねない。シャウは牽制と、わずかな休息を願って言葉を投げた。だが、ジャックという「暴走特急」にブレーキをかける言葉など存在しない。
ジャック「大丈夫だよっ! いま、最高に! 楽しいんだからっ!!」
シャウ「あぁ……そうですかッ!!!」
対話に生じた、瞬きよりも短い「隙」
シャウはその刹那を見逃さなかった。言葉を飲み込み、全身のバネを爆発させて強烈な蹴りを見舞う。
ジャック「ぐっ……!」
これまでの「楽しさ」による油断か。不意の一撃をまともに喰らったジャックは、面食らった拍子にあろうことかコンマ数秒、意識を飛ばし目を閉じてしまった。
ジャック「しまっ……!」
気づいた時には、すでに手遅れだった。
シャウの瞳から「対等な対話」の光が消え、冷徹な武人の殺気が溢れ出す。
畳み掛けるような連撃。
左右からの重い拳がジャックの顔面と胴を抉り、打ち上げるようなアッパーが数発、ジャックの意識をさらに高く跳ね上げる。
そして、仕上げと言わんばかりの全力の回し蹴りが、ジャックの脇腹に深々と突き刺さった。
ーードォォォォォンッ!!!
生身の人間が放ったとは思えぬ質量を伴った衝撃。
ジャックの身体は砲弾と化して闘技場の壁目掛けて吹き飛ばされた。
激突。
轟音と共に壁と床に巨大な亀裂が走り、立ち昇る盛大な砂塵が、抵抗する間もなく飲み込まれたジャックの姿を完全に覆い隠していった。
シャウ「はぁ……はぁ……。さすがに、効いてくれると……嬉しいんだけどなぁ……」
肩を大きく上下させ、乱れた呼吸を無理やり整えながら、シャウは砂煙の奥を見据えて希望を口にした。
内心では理解している。
この程度で終わる相手ではないこと。どうせまた、泥を払って不敵に起き上がり、死神のような反撃を寄越してくるのだということを。
それでも、願わずにはいられない。あわよくば、これで沈んでほしい。せめて立ち上がれぬほどの深傷を負っていてくれれば、この先の展開を少しは自分の手中に収めることができる。
そう、願っていた。……しかし。
ジャック「いった……たた……。やるなぁ……。魔力を使わされるとは……」
砂塵の奥から、あまりにも平然とした、それでいてどこか「楽しさ」の質が変わった声が響いてきた。
シャウ(……これは……ダメかもね……。)
本能が、冷酷なまでの結末を告げていた。
シャウ自身は、すでに手札のすべてを切り、全力を出し切っている。身体を蝕むほどの魔力解放、精密な見切り、そのすべてを注ぎ込んだ。
だが、ジャックの今の発言はあまりにも残酷だ。
先ほどまでの、観客さえ置き去りにした超速戦闘。あれほどの激闘を経てなお、ジャックからすれば「これから魔力を使う」という次元の話に過ぎない。
つまり、彼にとってこれまでは単なる「肉体の慣らし(ウォーミングアップ)」であり、本当の意味での『戦闘』は、今この瞬間から始まるのだ。
立ち昇る砂煙が、内側から吹き飛ぶ。
そこに立っていたジャックの全身からは、先ほどまでとは密度も、色も、殺気も異なる異質のオーラが迸っていた。
ジャック「さて……次は、僕の番でいいよね?」
その無邪気な問いかけが、シャウには死刑宣告のように響いた。
シャウ「降参!」
ジャックがその身に宿る真の魔力を爆発させ、踏み込もうとしたまさにその刹那。シャウは両手を上げ、これ以上ないほどはっきりと宣言した。
ジャック「……えっ?」
振り上げた拳の行き場を失い、ジャックは間の抜けた声を上げた。空気を裂かんとしていた殺気が、戸惑いによって霧散していく。
シャウ「降参降参! 今から本気なんて、僕に勝ち目はないよ! 命は一つしかないんだ、負けでいいよ、負けで!」
あっけらかんと言い放ち、シャウは戦う意思を完全に放棄した。あまりにも潔すぎる、そして合理的な「幕引き」。その宣言に、対峙するジャックはもちろん、数万の観衆、実況、さらには闘技場を流れる空気そのものが、氷ついたように静止した。
実況『な、な、なんと……ッ! シャウ・エイライの降参により、二回戦・第一試合はジャックの勝利だああッ!!!!』
一拍置いて、実況が困惑を飲み込みながらも結果を絶叫した。
その報告により、辛うじて観客は勝敗を知ることとなった。だが……当然、この不完全燃焼な結末を民衆が許すはずもなかった。
観客『ふざけんなよおおおッ!!!』
観客『金返せ! 最後まで戦えよ腰抜けッ!!』
観客『シャウ! お前にどんだけ賭けたと思ってんだよ!! ぶち殺すぞ!!』
地響きのような怒号が、四方八方から降り注ぐ。
観客は、限界を超えた全力のぶつかり合いの果て、どちらかが血肉を散らして倒れる――その凄惨なカタルシスのみを信じて疑わなかったのだ。それが突然の降参という「安全な幕引き」で終わった。
ヤジのコールは瞬く間に闘技場全体へと波及し、怒りに狂った暴動寸前の熱狂へと変わっていった。
シャウ「はは、怖い怖い……。さて、僕は退場させてもらうよ。君、次はあの一之瀬とだろ? 頑張ってね。」
殺気立つスタンドをどこ吹く風と受け流し、シャウは肩をすくめてさっさと入場ゲートへと歩き出した。
後に残されたのは、不完全燃焼な熱を孕んだまま立ち尽くすジャックと、怒り狂う数万の民衆だけだった
ジャック「あれれ……こんな終わり方って……。」
砂煙の中に一人取り残されたジャックは、まさに不完全燃焼の塊だった。
加速する鼓動、沸き立つ魔力。ここからが真の愉悦、命を削り合う本気の闘いが始まると確信していた矢先での、あまりにも潔すぎる幕引き。
拍子抜けという言葉では片付けられないほどの虚脱感が彼を襲う。
ジャック「まぁ、でもいっか……。次の一之瀬斗真戦に向けて、魔力が温存できたのはありがたいしね。それにしても……。」
性格が極めて楽観的であるのが幸いし、ジャックは自身の感情を瞬時に切り替えた。だが、スタジアムを埋め尽くす、シャウへの執拗で醜悪なブーイングだけは、流石のジャックでも不愉快だった。
戦う勇気もない観客たちが、一丁前に戦士の決断を嘲笑う。その光景が、彼の逆鱗を静かに、だが確実に撫でた。
なので――。
ズドオォォォォォォーーーン!!!!!
爆発音と共に、闘技場の中央に巨大なクレーターが穿たれた。
それはジャックが驚異的な瞬発力で垂直に跳躍し、溜まった魔力を右拳に凝縮させ、全力で地面を叩き潰した音だった。
衝撃波が観客席の最前列まで届き、物理的な震動がスタジアム全体を揺らす。突如として鳴り響いた「暴力の音」に、十万の罵声が凍りつき、闘衆は深い静寂に包まれた。
静まり返ったことを確認し、ジャックは砂埃の中から立ち上がる。その瞳には、先ほどまでの無邪気さはなく、底冷えするような冷徹な光が宿っていた。
ジャック「闘いもできないような雑魚が……あんまり吠えないでよ。この地面と同じもの……味わいたいのかな?」
声量は決して大きくはなかった。
だが、静寂に包まれた闘技場において、その言葉は魔力を帯びて隅々にまで浸透した。叩き潰された石畳という「視覚的な恐怖」と、命を安売りしない戦士としての「威圧」。
それは、傲慢な民衆を黙らせる演説としては、これ以上ないほど過激で効果的なパフォーマンスだった。
観客たちは一様に喉を鳴らし、その場に立ち尽くした。
ジャックが背を向けて入場ゲートへと消えていくまで、誰一人として声を上げる者はいない。
彼が完全に姿を消したあと、ようやく戻ってきたのは、先ほどのような怒号ではなく、怪物への恐怖を孕んだ、どこか怯えの混じる元の喧騒であった。




