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昂ぶる戦慄 ―本物へ続く通過点―

太陽が天頂へと昇り、帝都を真上から照らし出す頃。

ドルネとジャクによる「決着」を見届けた興奮冷めやらぬ観客たちが一時退場し、闘技場は昼間の休止時間に入っていた。無人となった砂舞台では、清掃員や魔導修復士たちが忙しなく立ち働いている。

ドルネの刺突によって抉られた地面や、爆圧で吹き飛んだ外壁。それらは魔導の輝きとともに急ピッチで繋ぎ合わされ、午後の惨劇――もとい、二回戦に向けた清らかな舞台へと作り替えられていく。


一方、ジャッカルの控室でも、束の間の休息が流れていた。

ジャック「あー、楽しみだなぁーっ!」

一回戦が終わってからというもの、ジャックは落ち着きなく部屋の中を動き回っていた。その足取りは軽く、それでいて床を踏みしめる度に微かな魔力の火花が散る。

ギーク「だぁーっ! うるせぇな! ちったぁ大人しくしやがれッ!」

その落ち着きのない様子を見かねたギークが、苛立ち紛れに卓上のコップを投げつける。しかし、ジャックは背を向けたまま、吸い付くような動きでそれをキャッチすると、独楽こまのように回転させてギークへと放り返した。

ジャック「だって! 久しぶりに僕の感覚が言ってるんです! あれは『本物』ですよ、一之瀬斗真! ああ、早く戦いたいなぁ!」

ギーク「けっ! ほんとにそいつはそんなに強いのかよ?」

ギークは返ってきたコップを無造作に掴み、鼻で笑った。

ジャック「一回戦の試合内容じゃ分からなくても無理はないですけど、相対したら分かりますよ! なんというか……本気になった時のギークさんとか、リヒトさんみたいな……とにかく、肌を刺すような凄い圧なんですって!」

ジャックの瞳には、先刻のモブゥ戦では見せなかった、純粋で残酷な煌めきが宿っている。

ギーク「……そうかよ。だがなジャック、肝心なこと忘れちゃいねぇか?」


興奮のあまり周囲が見えなくなっている弟分に対し、ギークは釘を刺すように、低く、重い声で問いかけた。

ジャック「?」

ギーク「次の試合を勝ち進まなきゃ、お前がその一之瀬斗真とやらと当たるこたぁねぇんだぜ? 浮き足立って足元掬われるんじゃねぇぞ。」

ギークの言葉は、戦士としての真っ当な警告だった。二回戦を突破しなければ、三回戦で待ち構える「本物」との邂逅は叶わない。

しかし、ジャックは足を止めると、屈託のない、それでいて底知れない自信に満ちた笑みを浮かべて振り返った。

ジャック「あぁ……それなら、大丈夫だと思いますよ?」

その言葉に根拠などなかった。

だが、その瞳に宿る絶対的な確信は、二回戦の対戦相手が誰であろうと、自分を止めることは不可能だと雄弁に物語っていた。

ジャック「次の相手……シャウ・エイライ。彼の武術は大したもんだけど、一之瀬斗真みたいな『本物』の圧は感じられないんです! だから、僕には届かない。絶対にね。」

ジャックは断言した。卓越した技術を持つ者への敬意はあっても、自分の命を脅かすほどの熱量を感じない相手に敗北するイメージが湧かないのだ。

ギーク「ならいいけどなぁ。」

鼻を鳴らすギークに対し、ジャックはいつもの調子でニヤリと笑い、今度は逆側に矛先を向けた。

ジャック「そういうギークさんこそ、次の相手は一之瀬深月でしょ? 斗真が言ってましたよ、自分の妹だって。大丈夫ですかぁ~?」


語尾を伸ばして揶揄うような煽り。いつものギークなら「あぁん!?」と青筋を立てて食いつくところだが――。

ギーク「さあな……。俺の標的は剣聖の女と拳闘家のジジイだけだ。それ以外はあんま気にしちゃいねぇんだがな。」


ギークは意外なほどあっさりと、その挑発を受け流した。

ジャックがこれほど警戒を露わにする男の血縁だ。相応の警戒は必要だと、長年の修羅場で培った経験が警鐘を鳴らしている。だが、どうにも腹の底から熱が湧いてこない。サバイバルから一回戦に至るまで、ギークを本気にさせるような展開は皆無に等しく、あまりに拍子抜けな時間が続いていたからだ。


ギーク(この武闘会、俺らを誘い出すこと自体が目的なのは分かっちゃいるが……。それにしても、俺らへのマークが薄すぎる。)

背もたれに深く体を預け、ギークは天井を睨む。

もし帝国が「ジャッカル」を本気で根絶やしにするつもりなら、サバイバルの時点で執拗な包囲網を敷き、トーナメントの初戦から剣聖をぶつけて確実に仕留めに来るはずだ。

だが、実際はどうだ。

身に覚えのない恨みを抱く男に絡まれはしたが、それ以外はのうのうとこの平穏を享受できている。

ギーク(……何かが引っかかる。まるで見せ物として生かされているような、不気味な感覚だぜ。)

この違和感の正体は、主催者であるルーグの「嗜虐的な余裕」なのか、あるいは自分たちの想像もつかない「別の狙い」があるからなのか。

興奮冷めやらぬジャックの隣で、ギークは一人、帝都の冷たい空気の中に潜む「空白」の意図を探り続けていた。


ギーク(ま、俺があぁだこうだ考えてもわっかんねぇか……。とりあえず目の前の敵をぶっ潰して、剣聖を叩きのめしゃいいだけだな。)

思考の渦に沈み続けるのは、彼の領分ではない。

普段であれば、隣にルシウスがいれば理路整然と状況を紐解き、リヒトがいれば圧倒的な指針を示してくれただろう。だが、今この場にあの二人はいない。

ならば、己のなすべきことは一つ。自身に与えられた「暴力的役割」を完遂することだ。

あの二人であれば、ギークがこうして不器用な思考を巡らせ、最終的に「力による解決」に行き着くことすら織り込み済みで、この盤面に自分を配置したはずだ。そう思い至ると、霧が晴れたように意識が研ぎ澄まされた。

半ば強引に思考を切り替え、魔力スクリーンに目を戻すと、ちょうど清掃と修復が完了した頃合いだった。ゲートが開き、午前中以上の期待を膨らませた観客たちが、津波のようにスタンドへと戻り始めている。

ジャック「そろそろ、準備しないといけないんで僕は行きますね~!」

先刻までの落ち着きのなさが嘘のように、ジャックは軽やかな、それでいてどこか獲物を狙う獣のような鋭い足取りで控室を後にした。

その背中を見送り、ギークもまた重い腰を上げる。部屋の隅、壁に無造作に立てかけてあった無骨な鉄槍を手に取った。

掌から魔力を流し込み、芯まで浸透させるように丹念に手入れを始める。

ギーク(さすがにトーナメントともなれば、素手だけで勝ち上がるのは骨が折れるからな……。)

リヒトの言いつけは「目立ちすぎるな」だ。

愛用の得物を出すまでもない。この場に転がっているような、なんの変哲もない鉄槍。これ一本で決勝まで凌ぎ切り、帝国の喉元にその鋭利な先端を突き立ててやる。

ギークは低く笑いながら、漆黒の魔力で鉄槍をコーティングし、戦場への準備を整えていった。


ギークと別れ、薄暗い廊下を入場ゲートへと進むジャック。

はやる気持ちを抑えきれず、時折ステップを踏むように歩くその様は、新しい玩具を心待ちにしている子供のような無邪気さと、獲物を前にした獣の残虐さが同居していた。

ジャック(ギークさんの言うとおり、とりあえずはこの戦いに勝たないと一之瀬斗真とは戦えない! じゃあ、勝つしかないじゃんね!)

不遜。その一言に尽きる思考だった。

目の前の対戦相手であるシャウ・エイライを強敵として認めることすらなく、ただの「通過点」――三回戦の扉を開くための鍵だとしか考えていない。

ジャックの視線はすでに、その先に待つ「本物の圧」を捉えていた。

入場ゲートに到着し、重厚な扉の前で実況のアナウンスを待つ。

そのわずかな時間さえ惜しむように、ジャックは身体を最大限に、かつ滑らかに動かすための最終調整に入った。関節を一つずつ確かめるように深く身体をほぐし、肺の奥まで熱い空気を送り込む。


そして、その時がきた。


実況『待たせたな! 帝都武闘会に集まった諸君!!! ここからはノンストップだぁッ!!!! 本戦二回戦、魂の第一試合は、このカードだあっ!!!!』


地鳴りのような実況の叫びと共に、鉄のゲートがゆっくりと、だが力強く左右に分かたれた。

外界から差し込む強烈な日差しと、数万人の熱狂という名の圧力がジャックを包み込む。

反対側のゲートからも、静かな歩調でシャウ・エイライが姿を現す。

会場中央の魔力スクリーンには、対照的な空気を纏った二人の顔がデカデカと映し出された。


実況『二人とも圧倒的な武術で一回戦を勝ち抜いた猛者だぁッ! この戦いを制すれば、帝都武闘会のベスト5入りが確定するぞおっ!! 気張ってくれよなぁっ!!!』


観客『うおおおおお!!!』

観客『ジャック!! さっきみたいな瞬殺をまた見せてくれよ!!』

観客『シャウ! お前に全財産賭けてるんだからな、頼むぞぉっ!!』


期待、欲望、そして純粋な闘争への喝采。

色とりどりの歓声とヤジが闘技場の空中で渦を巻き、二人の戦士を戦いの渦中へと押し流していく。

ジャックは対面に立つシャウを視界の端に捉えながら、唇を吊り上げ、自身の指をパキリと鳴らした。

相対する二人の間を、熱を孕んだ乾いた風が吹き抜ける。

ジャックはその至近距離で、改めてシャウ・エイライという男の輪郭を捉えていた。

ジャック(へぇ……思ってるより小柄なんだね。)

眼前のシャウは、自分とそれほど変わらない体躯の持ち主だった。

背丈は150センチ台の後半。纏っている道着は皺一つなく整えられ、身体の芯が微塵もブレない立ち姿は、静謐でありながら鋼のような強靭さを予感させる。

その鋭い眼光は、無邪気な子供の面影を残すジャックとは対照的に、幾多の修羅場を越えてきた大人びた武人の気質を色濃く漂わせていた。


シャウ「きみ……強いんだね……。」


静かな、だが確信に満ちた声が唐突にジャックの鼓膜を叩いた。

ジャック「えっ? なに、急に?」

あまりにも前触れのない言葉に、ジャックは虚を突かれたように肩を揺らした。

反応に困り、苦笑いで誤魔化そうとするが、シャウの視線は外れることがない。

シャウ「先ほどの試合も見ていたけど、相対してわかるよ。構えていないけど……なんていうのかな。オーラ? とでも言うんだろうか。相当なもんだね……。」

ジャック「はははっ……。どうだろうね? 君もそれなりなんじゃないのかな?」

軽口を叩きながらも、ジャックの内心には冷たい汗が伝った。

何も、見せていないはずだ。

先ほどのモブゥ戦にしても、ただ「反射の勢いで殴った」だけ。実力の底など、欠片も露呈していない自負があった。

だが、目の前の男は、まるですべてを見透かしたかのように、ジャックの内側に眠る獣の存在を指摘している。

ジャック(はったり……? わからないけど、やり合えばわかるよね!)

思考を重ねるのは自分の性分ではない。

内心の動揺を悟らせまいと、ジャックは深く言葉を交わすことを断ち切った。

ゆるりと重心を落とし、獲物を引き裂くためのしなやかな構えを取る。その瞬間、ジャックの周囲の空気が、モブゥ戦とは比較にならないほど鋭く、冷たく研ぎ澄まされた。

シャウ「ほらね」

ジャックが放った鋭い殺気――隠しきれぬ強者の片鱗――を肌で感じ取り、シャウは満足げに、そしてどこか楽しげに口元を綻ばせた。

その笑みは、強敵と出会えた喜びを知る「同類」のそれだった。


実況『それじゃあいってみよう!! 本戦二回戦!!! 第一試合!!! 今、スタートだあっ!!!!』


爆音のようなドラが打ち鳴らされ、審判の右手が振り下ろされる。

数万の観衆が沸き立ち、一斉に衝撃の瞬間を待った。

しかし、闘技場を支配したのは、予想に反した重苦しい「静寂」だった。

両者、一歩も動かない。

ジャック「……突っ込んでこないんだ?」

ジャックが低く、試すような声を出す。

彼は両手をだらりと下げ、一見すれば隙だらけの構えを取っていた。だが、その足元は砂を掴むように力強く、重心は極限まで低く制御されている。

突っ込んできた相手を死角から刈り取る、カウンターを前提とした「誘い」の構え。

シャウ「ははっ……。見え見えの誘いじゃないか。乗るわけがないだろう?」

シャウは一ミリも動揺せず、ジャックの死線を見切った位置でピタリと足を止めていた。

先ほどのモブゥのように力任せに突っ込めば、その瞬間に意識を断たれる。それを本能と経験で理解しているシャウは、あえて仕掛けることをせず、蛇が獲物を観察するようにジャックの挙動を凝視していた。


実況『お、おおっとぉ!? 意外な展開だ! 両者、見合いのまま一歩も動けない! 空気が……空気が重すぎるッ!!』


実況の言葉通り、二人の間には物理的な圧力が生じていた。

不用意に動けば死ぬ。

ジャック(……なるほどね。やっぱり、一回戦の連中とはモノが違うね。)

不敵な笑みを浮かべつつも、ジャックの背筋には心地よい戦慄が走っていた。

ジャック(とはいえ、いつまでもこうして見合ってるわけにもいかないよね。)

痺れを切らしたわけではない。だが、膠着こうちゃくはジャックの好むところではなかった。

ジャックが「誘い」の姿勢を解き、自ら攻勢に転じようと重心をわずかに移動させた――その刹那。


シャウ「っせぃ!!」


空気が爆ぜた。

一瞬前まで「静」の極致にいたはずのシャウが、雷光のような踏み込みで間合いを侵食していた。小柄な体躯からは想像もつかない爆発力。

放たれたのは、ジャックの顎を狙う鋭い正拳突きだ。

ジャックは即座に反応し、最小限の動きでその拳をてのひらでいなす。

だが、シャウの攻撃は止まらない。自分とほぼ変わらない体格だからこそ、その攻撃は死角から、そして最短距離で飛んでくる。

掌底、肘打ち、そして刺すような前蹴り。

流れるような連撃。

ジャック(……重い。単調な攻撃に見えるけど……一撃一撃の芯が通り過ぎてる!)

ガードの上から叩き込まれる衝撃が、骨の髄まで響く。体格差がないからこそ、純粋な技術と練度がダイレクトに伝わってくる。

受けるたびに、ジャックの腕や脚にジリジリとした痺れが蓄積していく。これはただの牽制ではない。防御の上からでも相手の「機動力」を削り取る、徹底した実戦武術だ。


ジャック(これ、受け続けるのはマズいね……!)


不利を悟ったジャックは、シャウの回し蹴りに合わせて鋭いカウンターを突き出し、その反動を利用して後方へ大きく跳躍した。一気に数メートルの距離を取る。自分と同じ歩幅、同じ可動域を持つ相手だからこそ、この距離こそが安全圏のはずだった。

だが、影は離してくれなかった。

シャウ「身体があったまってきたんだ……逃げないでよ。」

ジャックの瞳が驚愕に見開かれる。

どういう歩法なのか。

地面を蹴る予備動作も、空気を裂く音すらない。

距離を取ったはずのジャックの目の前に、まるで鏡合わせの残像のようにシャウが張り付いていた。

精密な、あまりにも精密な――互いの呼吸さえ感じるほどの超至近距離インファイトを維持したまま、彼はそこに「いた」のだ。

ジャック(嘘でしょ……!? 同じ体格のはずなのに……離れた瞬間に、もう目の前にいる……!)

未知の歩法、そして底の見えない格闘センス。

自分と同じ「速さ」の次元にいる、あるいはそれ以上の存在。

ジャックの背筋を駆け抜ける戦慄は、もはや恐怖ではなく、極上の歓喜へと変わりつつあった。

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