予期せぬ二十人目 ―牙を持たぬ羊の生還―
その後も、一回戦のトーナメントは残酷なまでの実力差を見せつける試合が続いた。
圧倒的な戦闘力で相手を文字通り「捩じ伏せる」強者たちの競演。
会場の興奮は積み重なり、そして最後のカードでその熱気はついに爆発の時を迎える。
実況『さてさてさぁーーーて!!! 一回戦最後の試合カードはあぁッ!!! 我々帝国が誇る最強の牙ッ! 帝国剣聖、唯一の紅一点!!! 深紅に咲き誇る薔薇が如き女帝! ドルネ・アシュリー様だあああっ!!!』
実況の絶叫を、数万の観客が上げる地鳴りのような咆哮が塗り潰した。
観客『うおおおおおおおおお!!!!!』
観客『ドルネ様ぁぁぁぁぁ!!!!』
観客『ああ……今日も……なんてお美しいんだ……!』
民衆の熱狂はもはや信仰に近い。
彼らは知らない。
その美しい貌の裏に、どれほど凄惨な狂気と破壊衝動が渦巻いているのかを。
ただ、帝国の頂点に立つ美しき剣聖という偶像に、盲目的に酔いしれていた。
しかし、当のドルネは、熱狂の渦を冷ややかな、あるいは忌々しげな眼差しで見据えていた。
ドルネ「ちっ……。退屈なものね……。どこの誰ともわからない有象無象と戦わされるなんて。冗談じゃないわ……。」
先刻のサバイバルから一貫して、彼女の機嫌は底知れず斜めだった。
美しく整えられた指先が、愛剣の柄を苛立たしげになぞる。対戦相手として舞台に上がる戦士など、彼女の視界には塵ほども映っていない。
ドルネが向けた鋭い視線。それは、闘技場の中心ではなく、その上――絶対的な安全圏から自分を見下ろしているであろう、ルーグが鎮座する貴賓席へと突き刺さっていた。
ドルネ(私をこんな見世物小屋の余興に駆り出したこと……後悔させてやりたいけれど。……今は、この苛立ちを目の前のゴミで掃除するしかないのかしら?)
恨みがましく、そして殺意すら孕んだ冷たい視線。
最強の剣聖が放つその重圧は、皮肉にも実況をさらに煽り、観客を熱狂のどん底へと叩き落としていく。
実況『さあ、開幕だッ! 女帝の舞を、その目に焼き付けろぉぉッ!!』
ドルネは黄金の髪を乱暴に払い、獲物を屠るためではなく、ただ自身の退屈を紛らわせるために、一歩前へと踏み出した。
実況が「女帝」の勝利を疑わず、数日万の観衆が「処刑」を期待して咆哮を上げる中――。
その対角線上に立つ男、ジャク・ウィークは、全身の毛穴から嫌な汗を噴き出させていた。
ジャク(なんでなんでなんでなんでなんで……ッ!?)
頭の中で、警報が壊れた鐘のように鳴り響いている。
そもそも、この『帝国武闘会』へのエントリー自体が間違いだった。
「書類選考で落ちるだろう」「記念受験みたいなものだ」――そんな軽い気持ちで出した一枚の紙が、彼の人生を最悪の方向へと加速させたのだ。
まさか、サバイバル予選を勝ち抜き、帝国上位二十名の英傑に数えられ、あまつさえ本戦の第一回戦で「帝国剣聖」と相対することになるなど、誰が予想しただろうか。
ジャク(絶ッッッッッ対に勝てない!! 死ぬ! 確実に死ぬ!!)
事実は残酷だ。ジャクには戦闘経験など皆無に等しい。
彼がこの場に立っている理由は、強さではなく、呪いにも似た「異常なまでの幸運」の積み重ねだった。
予選サバイバル。
彼は敵に囲まれ、恐怖のあまり足をもつれさせて転倒した。だが、その瞬間に頭上を通り抜けた斧が、背後にいた別の戦士の眉間に突き刺さり、一人が脱落。
またある時は、震える手で剣を構えた瞬間に手が滑り、あらぬ方向へ飛んでいった武器を必死に追いかけた結果、直後にその場所を襲った広範囲魔法の爆撃から間一髪で逃げ延びた。
そうして「誰も倒さず、誰にも倒されず」、たまたま最後まで砂場に残ってしまった「幸運な素人」。
それがジャク・ウィークの正体だった。
ジャク(……神様、今すぐお腹を下して棄権させてください……!)
対峙するドルネ・アシュリーの、底冷えするような美しい瞳が自分を射抜く。
彼女にとっては、目の前の男が「稀代の幸運児」なのか「実力を隠した達人」なのかなど、どうでもいいことなのだろう。
ジャクは震える膝を必死に抑え、もはや武器を構えることすら忘れ、深紅の死神が放つ圧倒的なプレッシャーの前に、涙目で立ち尽くすしかなかった。
実況『それではいくぞ!!! 本戦、一回戦、最終試合……今、スタァァーーートだあぁッ!!!!』
実況の絶叫がスタジアムの空気を切り裂いた、その刹那。
闘技場全体を、物理的な圧力を持った魔力の奔流が駆け抜けた。
それは、ドルネが溜まりに溜まった苛立ちをすべて乗せ、本気の刺突をジャクに向けて放った結果であった。
観衆はおろか、動体視力に優れた実況も、高みの見物を決め込んでいたルーグも、そして目の前で相対していたジャク自身ですら、その一撃を視認することはできなかった。
あまりにも神速。
音と衝撃波は、事象の結果よりも遥かに遅れてやってきた。
ズドーーーン!!!!
一拍置いて鳴り響いた爆音と共に、ジャクの背後にあった闘技場の分厚い外壁が、巨大なクレーターを穿たれて粉砕された。
直撃すれば、人間という形を保つことすら許されず、塵一つ残さず消し飛ばされていたであろう。
そう……「直撃すれば」の話である。
驚くべきことに、その場にいる誰一人として、この致命的な一撃の被害を受けてはいなかった。
見えぬほどの神速。
ジャクには当然見えていない。
いや、それ以前にジャクは、物理的に「前を見ることすらできない状態」に陥っていたのだ。
なぜなら、彼は開始の合図の瞬間に、あまりのプレッシャーに膝をガクガクと震わせ、派手に顔面からズッコケていたからである。
ジャク(……ひぎぃっ!? な、なんだ今の音!? 鼻打った……痛い……!)
地面に這いつくばり、鼻を押さえて涙目になっているジャク。
彼の頭上、わずか数センチの空間を、帝国の至宝である剣聖の「神速の一突き」が虚しく通り過ぎていった。
狙い過たぬ一撃だったからこそ、急激に重心を下げた(転んだ)ジャクに当たらなかったという、皮肉すぎる「幸運」の極致。
静まり返る闘技場。
放ったドルネ自身ですら、自分の剣が「ただの素人の転倒」によって回避されたという事実に、目を見開いて硬直していた。
実況『勝負ありぃ!!!!勝者は我らが剣聖、ドルネ・アシュリーさまだあぁッ!!!!』
一瞬の静寂を切り裂き、実況の絶叫がスタジアムを支配した。
その声に呼応するように、数万の観衆から爆発的な、そしてどこか狂信的なまでの歓声が降り注ぐ。
観客『うおおぉぉぉぉぉぉぉ!!!』
観客『見ろよ、あの壁の壊れ方を! これが……剣聖……!!!』
観客『ドルネ様……あまりにも美しすぎる一撃だ……!!』
人々が熱狂しているのは、壁を穿ち、砂煙を上げたその「威力」のみだ。彼らの浅薄な動体視力では、神速の突きが空を切ったことなど理解できるはずもない。砂煙の中に伏したジャクを見て、誰もが「一撃で絶命した」と思い込んでいた。
だがしかし、当のドルネの内心は、煮え繰り返るような怒りで沸騰していた。
ドルネ(ざっけんな!!! 目の前のこいつ……!!!)
剣を構えたまま、ドルネの端正な顔が怒りで微かに引きつる。
彼女だけは、はっきりと、無残なほどに鮮明に認識していたのだ。
実況の開始の合図に、目の前の情けない男が文字通りビビり散らかし、自分の足をもつれさせて無様に転倒した様を。
そして、あろうことか自身の放った全力の刺突が、その低すぎる「回避」の軌道と最悪のタイミングで噛み合い、空振りに終わったという屈辱的な事実を。
だが、回避されただけならまだいい。真にドルネを苛立たせているのは、この救いようのない「誤解」だ。
ドルネ(実況も……民衆も……お前らの目は節穴なの!? この男、ピンピンして生きてるじゃないッ!?)
砂煙が薄れていく中、そこには地面に這いつくばり、鼻を押さえながら「ふぇっ……?」と間の抜けた声を漏らしているジャクの姿があった。
死ぬどころか、かすり傷一つ負っていない。
それなのに、観衆はドルネを称え、ジャクを死者として扱い、強引に幕を引こうとしている。
完璧主義で苛烈な彼女にとって、この「たまたま命拾いをした男」を自分の手で仕留め直せないまま、不本意な勝利を押し付けられることは、いかなる敗北よりも耐え難い屈辱であった。
ドルネ(……殺す。このまま「死んだこと」にして、今すぐこの手で消し炭にしてやりたい……!)
怒りに震える彼女の刺すような視線が、幸運すぎる道化師の背中に突き刺さっていた。
ジャク(ここで起きたらやばい……確実に殺される……やばい……やばい……はやく……はこんでぇ……)
心臓の鼓動が耳元でうるさいほど鳴り響く中、ジャクは必死に「物言わぬ肉塊」になりきっていた。
肺を膨らませることすら躊躇われる極限の緊張状態。全身の力を抜き、虚空を見つめるその眼球の固定ぶりは、もはや一流の劇団員ですら裸足で逃げ出すほどの「死体役」の完成度を見せていた。
薄く開けた視界の端、深紅に染まったドルネの顔が視界に入る。その美しき容貌は怒りでこれ以上ないほどに歪み、纏う魔力は触れるものすべてを切り刻まんとするほどに打ち震えていた。
ジャク(そうですよね……そうですとも……僕如きに全力で打ってきてくれたのに……僕、ビビって転んだだけなんです……。)
情けなさと恐怖で涙が溢れそうになるが、今ここで瞬きをすれば、その瞬間に剣聖の追撃が飛んできて文字通りの死体になる。ジャクは魂を無にし、地面の砂粒の数を数えるかのように意識を飛ばし続けた。
ドルネ「……ふんっ!」
地面が微かに爆ぜるほどの鋭い足音を残し、ドルネは心底不機嫌そうに入場ゲートの闇へと消えていった。
その気配が完全に遠のいたのを見計らったかのように、白衣を着た救急班が駆け寄ってくる。
救急員「おい、しっかりしろ! 意識はあるか!?」
救急員「だめだ、完全に事切れて……いや、微かに脈が……! 急げ、運ぶぞ!」
タンカーに乗せられ、ガタガタと揺られながら闘技場の廊下へと運ばれていくジャク。
観客席からは「よくやった」「名誉ある敗北だ」といった、事情を全く知らない無責任な称賛が降り注いでいた。
こうして、帝国史上最も「幸運」で「情けない」男は、剣聖の一撃を無傷でやり過ごすという、後世に語り継がれる(本人は葬り去りたい)伝説をまた一つ更新した。
しかし、その真実を知るのは、煮え繰り返る怒りを抱えた剣聖と、高みの見物を決め込んでいたほんの一握りの観測者だけなのである
いつも読んでくださりありがとうございます!
30話目です!
武闘会編も進んで来ました!
この先、バケモノたちの饗宴が続いていきます。
戦闘描写を考える毎日…
あぁでもないこうでもない。
投稿スピード、できるだけ落とさないように頑張っていきますので今後ともよろしくです!




