本能の共鳴 ー牙を研ぐ怪物たちー
闘技場を揺らしたサバイバルが幕を閉じ、選ばれし二十名は本戦のトーナメントを前に、各々に割り振られた控室へと引き上げていた。
壁に埋め込まれた魔力スクリーンには、熱狂が冷めやらぬ観客席の様子が映し出されている。
ギーク「ちっ……スッキリしねぇな~ッ!」
吐き捨てるような悪態とともに、ギークは卓上のコップに注がれた水を一息に飲み干した。叩きつけられたコップが鈍い音を立てる。
脳裏をよぎるのは、つい先刻まで繰り広げられていた乱戦の光景だ。
自分に対して無謀にも、そして異常なまでの執着を持って挑んできたガルナという男。
ジャックと分断され、予定外の魔力を引き出させられたあの不自由な立ち回り。
そして何より、注視しておくべきだった剣聖や他の伏兵たちの動向を完全に追いきれなかったこと。
全てがギークの描いた青写真から、大きく逸脱していた。
ジャック「すみません。僕も、ソウエンとかいう奴を仕留め損ないました……」
横の長椅子に腰掛けていたジャックが、低く、重い声を漏らす。普段の彼からは想像もつかないほど、その言葉には不機嫌な色が混じっていた。
ジャック「想像以上にタフな奴で……でも、次、トーナメントで当たったら確実に壊せる……」
独り言のように呟いたジャックの瞳の奥には、ドロリとした粘着質な狂気の光が宿っていた。
壊すと決めた玩具を逃した幼子のような、純粋ゆえの残酷な殺意。
ギーク「お前が壊し損ねるってのは、大概やべえ奴なのかもなぁ……。ったく、あいつら、ウェスタリア国から来たとか抜かしてるけどよぉ、俺はウェスタリアなんざ一度も足を踏み入れたことはねぇんだぜ?」
ジャック「えっ? そうなんですか?」
意外な事実に、ジャックがわずかに眉を動かす。
ギーク「誰が好き好んであんな辺境に行くかよ……」
ジャック「……じゃあ、そのガルナって人、何をもってギークさんに挑んでるんでしょうね?」
ジャックの素朴な疑問が、ギークの苛立ちに油を注いだ。
ギーク「だから! それがわかんねぇからイラつくんだって言ってんだろうがッ!」
事実は、ギークの言葉通りだ。
彼はこれまでの人生でウェスタリアの大地を踏んだことは一度もない。
それゆえに、ガルナが抱いている「プライドを蹂躙された怒り」も、自分に向けられた執拗なまでの敵意も、ギークにとっては理解不能な「言いがかり」でしかなかった。
ギーク「……ま、いい。本戦でまた俺の前に立つってんなら、今度は言い訳の暇もねぇほど跡形もなく消してやる……」
ギークはスクリーンに映るガルナの姿を睨みつけ、指の関節をポキリと鳴らした。
理解できない殺意には、圧倒的な破壊で応える。それが彼なりの、苛立ちの解消法であった。
ジャック「ふぅん。ま、いいや。ぼくは試合なんでいきますねー!」
ジャックはそれ以上ギークの苛立ちに深入りすることなく、興味を失った猫のように素っ気ない空返事をして立ち上がった。
壁の魔力モニターでは、ちょうど第一試合の決着が映し出されている。鮮やかな手際で勝ち上がりを確定させたのは、東方の異能者、シャウ・エイライ。会場のボルテージが引き上げられる中、二試合目にジャック、五試合目にギークという本戦の順番が刻々と迫っていた。
ギーク「負けんじゃねぇぞ。俺はオマエともやり合わなきゃいけねぇんだからな。」
背後から投げかけられたギークの言葉に、ジャックは足を止め、肩をすくめて振り返る。
ジャック「えええ……? 普段から手合わせしてるじゃないですか!? こんな公衆の面前でまでやり合うなんて嫌ですよ……」
軽口を叩き、戯けて見せながら控室を後にするジャック。そんな彼の背中を、ギークは「現金な奴だ」とでも言いたげに苦笑しながら見送っていた。
控室から闘技場の入場ゲートへと続く長く冷たい石廊下。ジャックは周囲の喧騒を余所に、大きく伸びをしながらゆっくりと歩を進める。
その足取りに緊張感など微塵もなかった。
ジャック(ぶっちゃけ、この一回戦は何をするでもなく勝てるでしょ。問題は、次にあたるシャウ・エイライって人……。どっかで見たことがあるような動きなんだよなぁ。思い出せないなぁ……)
目の前の対戦相手を「無」と断じ、すでに視線は次の山場へと向けられている。
シャウ・エイライが見せた、あの淀みのない独特の体術。記憶の淵に引っかかるその「既視感」をなぞるように、ジャックは自身の指先を無意識に動かす。
ジャック(……まあ、いいか。壊してみれば、何かわかるかもしれないしね。)
考え事をしている間に、重厚な鉄造りの入場ゲートに到着した。
扉の向こうからは、数万の観客が放つ熱狂の咆哮が地鳴りのように響いてくる。
ジャックはその騒音を心地よい子守唄でも聴くような薄い笑みで受け流し、ただ静かに、巨大なゲートが開くその瞬間を待っていた。
実況『さぁて!興奮冷めやらねぇと思うが!トーナメント一回戦、第二試合はこのカードダァッ!!!』
実況の絶叫が鼓膜を震わせると同時に、会場中央の巨大な魔力スクリーンが激しく明滅し、二人の名と顔写真が鮮烈に浮かび上がった。
左に、不敵な幼さを残す【ジャック】
右に、筋骨隆々の巨漢【モブゥ・ナンデスゥ】
観客『どっちも頑張れヨォ!!』
観客『おいジャック!お前に賭けてんだ、ガキだからって手ぇ抜くんじゃねぇぞ!』
観客『モブゥ!!そのデカい体で捻り潰してやれッ!!』
期待と欲望が入り混じったヤジが、地鳴りのような歓声となって降り注ぐ。
数万の視線が一点に集まる中、ジャックは無造作に首を左右に鳴らし、手首の関節を緩める準備体操を続けていた。
ジャック(弱いと楽でいいねぇ……。つまんなそうだけど!)
向けられた殺気も、賭けの対象にされている屈辱も、彼にとっては春の微風ほどの重みもない。
ただ目の前の「障害物」をどう排除するか、その一点のみに思考を割いている。
その時、重厚な音を立てて入場ゲートが左右に分かたれた。
外界の暴力的な熱気が、一気にジャックの肌を撫でる。彼は薄い笑みを浮かべたまま、光が差し込む砂の舞台へと悠然と足を踏み出した。
実況『さあ、準備はいいか!? 両者、位置についたな!!』
対峙するモブゥが、威圧するように己の胸を叩き、巨剣を構える。対するジャックは武器すら持たず、だらりと両腕を下げたまま。
実況『トーナメント一回戦、第二試合!! 試合、スタートォォォォ!!!』
その合図が落ちると同時に、闘技場の空気が一瞬で弾けた。
モブゥ「おらぁ!!!いくぞ、ガキぃ!!!」
野獣のような咆哮が闘技場に響き渡ると同時に、モブゥの巨体が爆発的な踏み込みを見せた。その体格からは想像もつかない神速でジャックとの距離を詰め、身の丈ほどもある大剣を上段から一気に振り下ろす。
「死ねぇ!」という殺意が乗った一撃は、地面を両断せんばかりの破壊力を秘めていたのだが……。
ジャック「え? なに?」
空気が鳴動するほどの凄まじい剣筋に対し、ジャックは顔色一つ変えず、あくびでもするかのような軽やかさで片手を添えた。
キン、という短い金属音。
大剣の側面を叩いて弾き飛ばし、完全にガラ空きとなったモブゥの無防備な胴体へ、ジャックは無造作に正面から拳を叩き込んだ。
ーーほぼ、本能と反射による迎撃
ジャックの意識の中では、モブゥの煽り文句も、渾身の振り下ろしも、処理する必要のない「雑音」として聞き流されていた。
対するモブゥにとって、それは壁に激突したような衝撃だった。
自分が突っ込んだ勢いをそのまま数倍の力で跳ね返される形となり、巨体は木の葉のように宙を舞う。そのまま自身が意気揚々と潜り抜けてきた入場ゲートまで数十メートルを吹き飛ばされ、石壁に埋まったまま失神した。
実況『……し、勝負あり!!! 勝者は幼き拳闘士、ジャックだぁぁあああ!!!!』
一瞬の静寂の後、何が起きたか理解した実況が絶叫を上げた。
観客『うおおおおおおお!!!!』
観客『いいぞジャック!!! やっちまえ!!!』
観客『おいおい、あの体格差を片手で!? まじかよ!!!』
割れんばかりの歓声と、自分を称える勝報。それを全身に浴びて初めて、ジャックは「あ、もう終わったんだ」と自身の勝利を実感した。
ジャック「ぇ……。嘘でしょ……? 弱すぎない……?」
熱狂する観衆に対し、困惑しながら片手を上げて応えるジャック。
だが、その内心は驚きを通り越して、期待していた「遊び」が秒で終わってしまったことへの、どうしようもない気恥ずかしさでいっぱいだった。
ジャックはいまだ冷めやらぬ興奮に包まれた観客の怒号を背に、薄暗い入場ゲートの中へと消えていく。
ジャック(この回は問題ないと思ってたけど、あそこまで弱いなんて……。)
残念そうな顔を少しも隠さず、手応えのない勝利を咀嚼しながら控室へと戻る廊下。
その最中、ジャックは唐突に襲ってきた異様な気配に、弾かれたように足を止めた。
背筋を氷の刃でなぞられたような、全身の毛が逆立つ感覚。
それはこの帝都に入ってから、ルーグや他の出場者たちを前にしても味わうことのなかった――明確な『本物』の気配。
ジャック「……だれ?」
虚空に向けて問いかける。その声は、先刻の試合で見せた余裕とは打って変わり、獲物を前にした獣のような鋭さを孕んでいた。
そして、その気配の主は程なくして闇の中から音もなく現れた。
???「ほう。それなりに隠していたつもりではあったのだが……気づくか。」
そこに立っていたのは、東の国『イースリア』のさらに東方にあるとされる小国の伝統的な和装に身を包んだ男だった。
清廉な白の着物に、深い紺色の袴。腰には鈍い光を放つ二本の刀を携え、足元には乱れなく結わえた草履を履いている。
東方由来の端整な顔立ち、そして一見すれば穏やかとも取れる柔らかそうな目。
だが、そこから放たれる「圧」は、居合わせる者の精神を物理的に削り取るほどに苛烈だった。
ジャック(……どことなく……飛鳥さん……に似てる……?)
ジャックの脳裏に、かつて共に過ごした飛鳥の面影が過る。
しかし、目の前の男から漂うのは、馴染み深い親愛の情ではなく、抜けば即座に世界を断ち切らんとする絶対的な剣客の殺気。
ジャックは無意識に、先ほどモブゥに振るったのとは全く別の、本気の魔力を指先に凝縮させ始めていた。
ジャックが指先に凝縮させた殺気混じりの魔力を、男は一瞥しただけで歯牙にもかけなかった。
まるで、そよ風に吹かれた柳のように、その威圧を自然体で受け流してしまう。
???「やめておけ。今、この場で争う必要はない。それに……」
男はそこまで言うと、音もなく、それでいて確かな威圧感を伴ってゆっくりと歩み寄った。ジャックの至近距離で足を止め、その瞳を真っ直ぐに見据える。
???「焦らずとも……貴公と戦うときはくる……。」
その言葉に含まれた確信に、ジャックは知らず知らずのうちに飲み込まれていた。
喉の奥に張り付いた乾きを押し殺し、ようやく次の言葉を絞り出す。
ジャック「……名前は?」
???「これは……礼を欠いたな……。」
ジャックに問われ、男は思い出したかのように丁寧な一礼を捧げた。
その所作は、指先に至るまで無駄がなく、美しく洗練されている。東の国の礼節の高さを知らしめるには、その一挙手一投足だけで充分だった。
斗真「俺は、東の国『イースリア』よりこの大会に参じた者。『一之瀬流剣術・師範代にして当主代行』、一之瀬斗真と言う。妹の一之瀬深月も共に出ている。」
ジャック「一之瀬流……弐科流……とは別……?」
先日、飛鳥から聞いた流派の名、そして目の前の男が纏う独特の空気と装束。それらを脳内で繋ぎ合わせた結果、ジャックの口から純粋な疑問が飛び出た。
斗真「なるほど……。このあたりでは我が流派はまだ無名に近いか。弐科の方が知られている……か……。」
斗真は一人で神妙な顔つきになり、何やら納得した表情を浮かべる。
その視線は遠く、故郷の景色を追っているかのようでもあった。
斗真「弐科とは別の流派にあたる。もっとも、東の国では最大流派を誇るのが我ら一之瀬流ではあるが、大陸は広い。知られていなくても無理はないだろうな。」
その言葉には、奢りも卑下もなかった。
ただ「事実」として、自分たちの背負う看板の重みを知っている者の口調だ。
ジャック「なるほど……。なら、手合わせしないと損ってことだ!」
ジャックの唇が、凶悪な笑みに吊り上がる。
飛鳥の言っていた流派ではない。だが、目の前の男から放たれる「本物」の気配。それを「壊す」ことができたなら、どれほどの快楽が得られるか。
ジャックの戦士としての本能が、未知の強敵との遭遇に、歓喜の声を上げていた。
ジャックの向けた凶悪なまでの好戦的な笑み。それを正面から受けた斗真は、眉一つ動かすことなく、ふふっと微かに口元を緩めて見せた。
斗真「ならば勝ち進んでこい。そうすれば三回戦で、俺と貴公が相まみえることになるだろう。」
ジャック「その言葉、そっくり返すよ! まさかこれだけ含ませといて、初戦で負けるとか……ないよね?」
わざとらしく肩をすくめ、煽り文句を混ぜながら挑発を投じるジャック。相手の出方を、その心の揺らぎを、一瞬でもいいから引きずり出そうと試みる。
しかし、斗真はその安っぽい挑発に乗り、声を荒らげることはなかった。ただ、深く、静かな森のような眼差しでジャックを射抜き、悠然と言い放った。
斗真「しかと見ておけ。そして戦慄せよ。これが一之瀬である……。それを証明して見せよう。」
その言葉は予言の如く重く、廊下の空気を物理的に押し広げた。斗真はそれ以上語ることなく、背を向けて片手を軽く上げると、光の差す入場ゲートの方へと音もなく消えていった。
残されたジャックは、自分の手が微かに震えていることに気づいた。それは恐怖ではない。
ジャック(……あれはやばいね。久しぶりにゾクゾクした。)
細胞の一つ一つが、未知の強者の出現に歓喜の叫びを上げている。かつて「ジャッカル」の仲間たち以外で、これほどまでに自身の「武」への探究心を震わせる存在がいただろうか。
この胸の高鳴りをどう処理すべきか、その術も知らぬまま、ジャックは自身の控室へと戻った。
その足取りは先刻の試合前よりも遥かに軽く、それでいて内側に秘めた熱量は、闘技場の太陽よりも熱く燃え上がっていた。




