地下迷宮の鼓動 ―眠れる牙の目覚め―
関所【ヌースリツ】ーー帝国と中立国との境目にある関所であるーーの裏部屋
取調室の重苦しい空気の中、ギークは椅子を壊さんばかりの勢いでふんぞり返り足を机に乗せ座り、目の前の役人を獲物を見るような目で見下ろしていた。
役人「ギーク・フォン・アルケミスト……。貴様、ジャッカルの幹部ではないか! なぜ帝国に入ろうとする、何を企んでいる!」
机を叩き、必死に威厳を保とうとする役人。だがギークは、魔法の気配すら微塵も感じさせない剥き出しの威圧感だけで、その場を支配していた。
ギーク「あぁ? お前らが招いてるから来てやってんだろうがよ。……ざけんな、クソが」
退屈そうに吐き捨てるギーク。
彼にとって、コソコソと身分を偽装して潜り込むなど性に合わない。あの日、ルシウスの前で言い放った通り、「隠れる方が裏があると言っているようなもの」なのだ。
リュドからの連絡はない。
それは「堂々と正面から踏み込め」という合図だった。
ジャック「あはは! 役人さん、そう怒らないでくださいよ。ギークさんはちょっと短気なだけですから! ね、ギークさん? 僕ら、ただ祭りを楽しみに行くだけですよね!」
ギーク「……おい、ジャック。気安く話しかけるなっつっただろ。あと、こっちに寄るな。暑苦しいんだよ、お前は」
心底嫌そうな顔を隠そうともせず、ギークは隣でニコニコしているジャックを肘で突き放す。
しかしジャックは、そんな拒絶などどこ吹く風で、むしろ距離を詰めてくる。
ジャック「えー、そんなこと言わないでくださいよ! リュドさんの指示通り、僕ら二人で正面突破なんですから、仲良くしましょうよー!」
ギーク「……チッ。一人で行けよ、なんでお前とセットなんだよ。……おい、役人。いつまで待たせるつもりだ?」
ギークがドスを利かせた声で役人を睨む。
その瞬間、背負った槍の石突きが床に触れただけで、石畳にピキリと不穏な亀裂が走った。魔法という虚飾を捨て、純粋な身体能力のみを極めた男の「重圧」が、部屋の空気を物理的に押し潰す。
ジャック「ほらほら、役人さん。これ以上ギークさんを待たせると、この建物、槍を振るうまでもなく壊れちゃいますよ? 速やかに通した方が身のためですって!」
おどけた口調ながら、ジャックの瞳の奥には冷徹な光が宿っている。
不敵な笑みを浮かべるジャックと、不機嫌を絵に描いたようなギーク。
苛立ちが沸点を超え、その拳がボロい取調机を粉砕するかと思われたその瞬間、静寂を切り裂いて鉄扉が重々しく開いた。
入ってきたのは、血相を変えた別の役人だ。彼は担当官の耳元で、震える声で何かを急ぎ足に囁く。
その内容が鼓膜に届いた瞬間、先ほどまで尊大だった役人の顔から一気に血の気が引き、まるで信じがたい怪異を目の当たりにしたかのような驚愕に染まった。
役人 「……な、何だと? 貴様ら、武闘会への招待が真実だったというのか。しかも……あの『剣聖様』から直々に指名されているだと……!?」
「剣聖」という単語が室内に響いた刹那、ギークの眉がぴくりと跳ねた。瞳の奥に一瞬だけ鋭い光が宿るが、彼は鼻で笑うと、すぐにいつもの不遜な表情を取り戻して吐き捨てる。
ギーク 「……ケッ、だから最初からそう言ってんだろうがよ。能無しに説明するのは骨が折れるぜ。わかったならさっさとそこをどけ。これ以上このカビ臭い部屋にいたら吐き気がしてくる」
ギークは役人の返答も待たず、横柄に肩をぶつけるようにして部屋を後にする。
役人 「ま、待て! まだ入国手続きが完了して……!」
慌てて引き留めようと役人が手を伸ばすが、その腕を、隣にいた少年――ジャックがひょいと遮った。
ジャック 「あーあ、役人さん。代わりに僕がやっときますから! これ以上あの人を刺激しない方が、お互い……特に『あなた』の身のためだと思いますよ?」
ジャックは人畜無害そうな、愛嬌のある笑みを浮かべている。しかし、その細い指先から伝わる圧力は異常だった。鋼鉄の万力に締め付けられているような絶対的な筋力。幼い少年の外見からは到底想像し得ないその力の格差に、役人は息を呑み、抗う気力を一瞬で喪失した。
役人 「……あ、ああ。……分かった。ここに出身国と名前を記せばそれでいい。……お前が代筆するなら、それで受理しよう」
ジャック 「物分かりが良くて助かります! 配慮、ありがとうございます!」
にっこりと花が咲くような笑顔を見せながら、ジャックは差し出された書類に淀みない手つきで記名していく。
その間にも、ギークの背中はすでに取調室の先、帝国の広大な領土へと繋がる光の中へと消えかかっていた。
こうして、嵐のような入国審査は終わりを告げる。
物々しい関所を背にした二人は、帝国の心臓部である帝都【ファウガスト】を目指し、長く続く街道へと足を踏み入れた。
遮るもののない荒野を歩む中、風が砂を巻き上げる音だけが響く。そんな静寂を破ったのは、常に前を見据えて歩く男の意外な一言だった。
ギーク 「……わりぃな、ジャック。面倒押し付けて」
ぶっきらぼうに、だが明確な謝辞。それは先ほどの入国審査での騒動を指していた。
ジャックは一瞬、目を丸くして意外そうな顔を浮かべたが、すぐに口角を吊り上げると、弾むような足取りでギークの顔を覗き込んだ。
ジャック 「あはは! 構いませんよ。ギークさんがああいう細かい手続き、反吐が出るほど苦手だってことくらい分かってますから。ね? 一人で行かなくて正解だったでしょ?」
ニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべ、わざとギークの視界に入り込むようにおどけて見せる少年。
常人なら苛立つような態度だが、これこそが二人の日常であり、言葉にせずとも通じ合う信頼の証だ。ギークは鬱陶しそうに鼻を鳴らすだけで、その歩みを止めることはなかった。
だが、不意にその表情が険しさを帯びる。視線は遥か彼方、帝都の影へと向けられていた。
ギーク 「それより……リュドはともかく、リヒトからも一月ぐらい連絡がねえってのは、どうにも座りが悪りぃな」
ジャック 「確かに。あのリヒトさんがこれほど長期間、拠点に音沙汰もなく戻らないなんて、珍しいこともあるもんですね」
リヒトが拠点を経ってから、すでに一月以上の月日が流れている。
普段であれば間者を介して何らかの接触があるはずだが、今はそれすらも途絶えていた。
――実際には、リヒト自身に連絡を試みるほどの時間的・精神的余裕すら奪われる事態が起きているのだが、今のジャッカルの面々にそれを知る術はない。
ギーク 「……まぁ、あいつのことだ。余計な心配はいらねぇだろうよ。あの『ルシウス』もついてるんだしな」
ジャック 「それもそうですね! なら、僕たちは僕たちに与えられた任務を全うすることに全力を出しましょう!」
ジャックの明るい声が、重苦しくなりかけた空気を霧散させる。
二人はそれ以上、答えの出ない懸念を口にすることをやめた。思考を研ぎ澄ませ、ただ一点――帝都ファウガストを目指して、力強く大地を蹴り進んでいった。
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メーガス 「……うん。魔力の流れが安定してきたわね。いいわ、そのまま集中を乱さないで」
飛鳥 「はい……っ!」
ジャッカルの拠点の片隅にある修練場。そこには、張り詰めた空気の中で向かい合う二人の女性の姿があった。
かつて、その強大すぎる魔力を一族の特殊な業によって「強制封印」され、自由を奪われてきた少女。
今、彼女はその荒れ狂う魔力の御し方を、大陸最高峰の魔導士であるメーガスから直々に教わっていた。
リヒトがジャッカルを離れてからというもの、彼女たちは一日たりともこの修練を欠かしたことはない。その成果は火を見るよりも明らかだった。今では、魔力を吸い取る枷でもある玄武を手元から五メートルほど離しても、内から溢れ出す魔力が暴走し、周囲を飲み込むようなことはなくなっていた。
体内の魔力循環を制御し、繊細な糸を紡ぐように扱う術。それを学ぶことで、飛鳥の剣技は間違いなく、以前とは比較にならない一段上の領域へと昇華しつつある。
だが、そこには残酷な矛盾が横たわっていた。
彼女が玄武という刀を振るい続ける限り、その高みに留まることは難しい。なぜなら、玄武は魔力を喰らい、抑え込むための「蓋」であり、飛鳥が磨き上げた「循環と発散」の極意を、根底から否定してしまう性質を持っているからだ。
飛鳥 「……ふぅ。メーガスさんのおかげで、玄武がなくても暴走はしなくなりました。ようやく、自分の中の力が暴れる感覚に怯えなくて済むようになった気がします」
メーガス 「ええ、あなたの努力の賜物よ。でも……厳しいことを言うけれど。魔力の扱いも、循環も、発散の仕方も。どれだけ身体に叩き込んでも、あなたがあの刀を使い続ける限り、その全ては意味をなさなくなるわよ?」
メーガスの言葉は、静かだが鋭い。玄武という盾に守られている限り、飛鳥自身の魔力が真に「牙」として完成することはない。
その事実を、教え子である飛鳥自身も誰より理解していた。
飛鳥 「……ええ、わかっています。だから……最近、ふと思い出したことがあるんです。今日はそれを試してみようかと」
メーガス 「へぇ……。あなたが自分から進んで何かを試そうとするなんて、本当に珍しいわね。一体何を始めるつもりかしら?」
メーガスは興味深げに目を細める。指示を待つだけだったかつての少女とは違う、自らの足で高みを目指そうとする飛鳥の姿勢に、微かな頼もしさを感じていた。
飛鳥 「……あくまで幼い頃の断片的な記憶なので、何のために、どうやってやるのかも正確には不明なのですが……。兄上や父上が日々、修練の一環として行っていたことだと記憶しています」
飛鳥はそう静かに告げると、修練場の隅に置かれていた妖刀『玄武』の元へ、迷いのない足取りで歩み寄った。
飛鳥 「古来より、剣士は自らの愛刀が発する『声』を聴くことで、一つ上の高みに至ると兄上から聞き及んだことがあります。私が幼い頃、兄上たちが瞑目し、何時間も刀と向き合っていたあの修練……。今思えば、あれがそれだったのではないかと」
飛鳥は両手で『玄武』を恭しく持ち上げ、その薄橙の刀身を食い入るように見つめた。
その間も、玄武は持ち主である飛鳥から魔力を強欲に喰らい続けている。
しかし、一月ほど前なら周囲の空気が歪むほど漏れ出ていた魔力は、今や驚くほど静かに、最小限の流出に抑えられていた。
その光景を背後から見つめるメーガスの瞳に、驚嘆の色が走る。
メーガス (……この子、術理の飲み込みが異常なまでに早いわね…。義洞の家という閉鎖的な環境では決して御しきれなかったこの強大すぎる力も、ここ「ジャッカル」の自由な空気の中であれば、あるいは……)
飛鳥の成長速度は、大陸最高峰の魔導士であるメーガスの予想すら遥かに上回っていた。
内心での驚きを悟られないよう、彼女はただ静かにその推移を見守る。
飛鳥 「刀の……声を……」
消え入るような声で呟きながら、飛鳥は修練場の中央へと戻る。
板張りの床に静かに正座し、膝の上に『玄武』を横たえる。ゆっくりと瞼を閉じると、彼女の意識は外界を遮断し、自身の内側――そして、掌に触れる冷たい鉄の感触へと深く、深く潜っていった。
その瞬間、修練場を包んでいた静謐は粉々に打ち砕かれた。
――突如として、飛鳥の華奢な身体を中心に、荒れ狂う奔流のような膨大な魔力が噴出したのだ。
メーガス 「……っ!? しまった、暴走……!」
反射的に、メーガスの指先が空に幾何学模様を描き、拘束魔法の術式が展開される。飛鳥の抱える「規格外」の魔力が、ついに器を壊して溢れ出したのか。最悪の事態が脳裏をよぎる。
しかし、放たれるはずだった魔法は、メーガスの指先で止まった。
飛鳥を中心として、視界を白ませるほどの魔力の渦が巻き起こっている。
だが、それは以前の暴走のように、周囲を無差別に破壊しようとする禍々しい気配ではなかった。
何より、その渦のただ中に座す飛鳥自身に、苦悶の表情が一切ない。
膨大な魔力の中心にいたのは、飛鳥ではなく、その膝に置かれた一振りの刀――『玄武』だった。
奔流する魔力は、意志を持つかのように一点へと収束し、急速に密度を増していく。
光の粒子が編み上げられ、実体を持たないはずの力が、一つの「形」を成していく。
――それは、古の神話に語り継がれる四神の一角、『玄武』そのものの姿だった。
本物の四神のように山を背負うほどの巨体ではない。それはあくまで、刀身が秘めていた真の力と意志が、飛鳥の魔力を糧に具現化した姿。
飛鳥の半身ほどの大きさではあるものの、顕現したその姿は、神々しい薄橙の光を放つ霊亀そのものであった。
重厚な甲羅、鋭い眼光。そして亀に絡みつく蛇の影。
修練場を満たすのは、人を圧する恐怖ではなく、場を清めるかのような厳かな神気。
飛鳥が静かに目を開いたとき、その瞳には自分を見つめる「相棒」の真実の姿が映っていた
飛鳥は、目の前に座す神聖な霊亀を見つめ、震える唇をそっと開いた。
飛鳥 「……あなたは?」
玄武 『――我が名は、玄武。あなたに与えられた、この刀の真名……』
それは耳を震わせる音ではなく、脳を揺さぶる念波でもない。心臓の鼓動が直接言葉になったかのような、純粋な「意志」の浸透だった。
その傍らで、メーガスは驚愕に目を見開いている。彼女の耳には、玄武の声は届いていない。
ただ、飛鳥が虚空に向けて問いかけ、それに応じるように薄橙の光が脈動する、神秘的な光景を観測するのみだ。魔の極みを目指す賢者として、この未知なる事象を一片たりとも見逃すまいと、その鋭い眼光は研究者としての熱を帯びていた。
飛鳥 「玄武……。どうして、今……私の前に現れてくれたのですか?」
玄武 『我は……幾度となく、あなたを呼び続けていた。しかし、あなたの内にあるあまりに強大すぎる魔力は、濁流となって我との接触を拒み続けてきたのだ……』
霊亀の重厚な声が、飛鳥の意識に深く染み渡る。
玄武 『だが、今……ようやくあなたは、その荒ぶる力を律することを学んだ。そして今、初めて我と対話するに足る「静寂」をその身に宿したのだ』
聞けば、玄武自身もまた、この日を、この瞬間を待ちわびていたという。
かつて義洞の家において、飛鳥の才は祝福ではなく呪いとして扱われた。扱いを教わらぬまま、行き場を失い溢れ出した膨大な魔力は、ただ「蓋」である玄武へと無秩序に流し込まれるしかなかった。
玄武という存在に、受け入れる魔力の際限はない。
しかし、意志を持つ器として、ただ濁流に呑まれ続けることへの抵抗はあった。主が自らの力を御し、真の意味で手を取り合える日が来ることを、この刀は長年の孤独の中で願っていたのだ。
そうすれば、単なる「魔力のゴミ捨て場」ではなく、飛鳥の半身として、その本来の性能を振るい、共に戦場を駆けることができるのだから。
飛鳥 「……待っていて、くれたのですね。私の……わがままな力に耐えながら」
飛鳥の瞳から、一筋の涙がこぼれ落ちる。それは、孤独だったのは自分だけではなかったという、救いにも似た悟りだった。
玄武 『――左様。だが、今のあなたならば、我の力を正しく導き、少しずつ使いこなせるはずだ……。精進せよ、飛鳥』
その厳かな言葉を最後に、神々しい霊亀の姿は霧が晴れるように霧散し、再び一振りの漆黒の刀へとその身を戻した。
メーガス 「ちょっと待ちなさい!! 今の、今のは一体何なのよ!?」
玄武が姿を消すのと同時、弾かれたようにメーガスが飛鳥へと詰め寄った。
その瞳は驚愕と、それ以上の純粋な知的好奇心でらんらんと輝いている。
飛鳥 「え、ええと……。玄武の……真の姿というか、その……」
当の飛鳥自身も、起きた現象の全容を正確に把握しているわけではない。
ただ、ジャッカルに来て魔力の制御を学んだことで、自身の内なる濁流を静め、刀という「器」の奥深くに眠る意志に触れる……そんな、今までにない未知の領域に足を踏み入れたという確かな手応えだけが、掌の熱として残っていた。
メーガス 「召喚魔法……でもなければ、精霊の憑依……でもない。物体の擬態化? いや、それとも魂の具現……? んんん、私の知識のどれにも当てはまらないわ……!」
顎に手をやり、思考の渦へと深く沈んでいくメーガス。ぶつぶつと独り言を漏らしながら、大陸最高峰の魔導士としてのプライドにかけて目の前の事象を定義しようと躍起になる。
だが、ふと我に返ると、彼女は本来の懸念を思い出し、表情を引き締めた。
メーガス 「こほん。……ともかく。さっきのが何であれ、現実的な問題は残っているわ。あなたがあの刀を使い続ける限り、あなたの魔力が際限なく吸収され、技術を磨いても『蓋』をされることに変わりはない……。そうでしょう?」
メーガスの指摘はもっともだった。飛鳥がどれほど高みに登ろうと、玄武というブラックホールが力を吸い続ける限り、彼女の剣は真の解放を迎えられない。
飛鳥 「……そのこと、なのですが」
言い淀むように、しかし確かな意志を込めて、飛鳥がメーガスの言葉を遮った。
メーガス 「え……。まさか、何か変化があったの?」
飛鳥 「たぶん……。その問題は、もう解決したんじゃないかな……って、思うんです」
メーガス 「……は? ま、まさかね。あんな強固な呪縛に近い性質が、一度の対話で消えるなんて……ははっ。……はははっ、冗談よね?」
引きつった笑いを浮かべるメーガスだったが、彼女の視線は釘付けになっていた。
飛鳥が『玄武』を握るその手元。
以前なら貪欲に魔力を喰らっていたはずの刀身が、今はまるで呼吸を合わせるかのように、飛鳥の魔力と穏やかに共鳴し、凪いでいたからだ。
「吸い取る」のではなく「共にある」。
飛鳥が手にしたのは、刀を捨てることではなく、刀と溶け合うという、全く新しい次元の答えだった。
メーガス 「え……っと……。ま、まあ、解決したならそれでいい……のかしら? あとは、実戦でその『対話』とやらがどれだけ通用するか、かしらね……」
このわずか数分の間に、自身の膨大な知識体系を二度も正面から突き破られたメーガスは、ついに考えることを放棄した。
賢者としてこれ以上の深追いは精神衛生上よろしくないと、本能が告げたのだ。
そんな、ある種タイミングの良すぎる沈黙が流れたとき、修練場の重い扉がゆっくりと音を立てて開いた。
ルシウス 「おや……取り込み中だったかな?」
現れたのはルシウスだ。彼は修練場の中を穏やかな、それでいて鋭い眼差しで見渡しながら、二人に問いかけた。
いつもなら、暴走しかける魔力を必死に抑え込んで汗だくになっている飛鳥と、それを厳しくも冷静に導くメーガスの「特訓」の光景があるはずだ。しかし今、二人はただ立ち尽くし、奇妙な熱気を帯びたまま話し込んでいる。その異質な空気に、ルシウスは少しだけ申し訳なさそうな表情を浮かべた。
メーガス 「あら、ルシウス。別に構わないわよ。ちょうど、ここ一月ほどの修練が最高の結果を結んだ、歴史的な瞬間を見届けたところだから」
ルシウス 「へぇ! それはいい報せだね。飛鳥、何か新しいことができるようになったのかな?」
メーガス 「……まあ、なんて言うのかしら。明日からの修練に、私の指導はもう必要なくなりそうね」
ルシウス 「待って。……どういうことだい?」
ルシウスが記憶している限り、飛鳥の魔力制御は上達してはいるものの、依然として綱渡りのような不安定さを孕んでいたはずだ。メーガス抜きで独り立ちできるほど、その練度は完成されてはいなかったはずだが――。
飛鳥 「えっと……メーガスさんの教えが本当に素晴らしかったおかげで、私、やっと『玄武』と向き合うことができたんです!」
飛鳥は頬を上気させ、純粋な感謝を込めて答えた。
ルシウス 「あ……え、っと……ははっ。……そっか。とにかく、成長できているみたいで本当に良かったよ」
飛鳥の口からも「答えになっていない答え」が返ってきたことで、ルシウスもまた、深い追求を止めた。
ジャッカルに集う幹部クラスは、そもそも物理法則や一般的な常識で測れるような手合いではない。
飛鳥だけは「普通」に近い感覚を持っているのではないか……という微かな期待も抱いていたが、どうやら彼女も例に漏れず、底の知れない「規格外」の住人であったようだ。
ルシウスは苦笑混じりにその結論を飲み込むと、本来の目的を果たすべく、表情を引き締めて本題を切り出した。
ルシウス 「リヒトがここを発ってから一月以上。ギークたちも、そろそろ帝都の土を踏んでいる頃合いだね。僕たちも帝都近郊まで移動できるよう、準備を始めておかないと」
メーガス 「あら……。もうそんなタイミングなのね。案外早かったわ」
飛鳥 「いよいよ……始まるのですね」
ルシウスがこの修練場に足を運んだ真の目的。それは、来るべき帝都襲撃作戦の最終確認だった。
現在、ジャッカルの拠点で牙を研いでいるのはルシウス、メーガス、飛鳥の三名。
対して、帝国の武闘会に正面から堂々と乗り込み、敵の耳目を引きつける「陽動」にして「矛」の役割を担うのがギークとジャック。
そして、闇に紛れて帝都の急所を探り、内部からの崩壊を画策しているのが、リヒトとリュド率いる隠密部隊『零遺衆』。
三つの部隊が、それぞれの意志と役割を持って帝国という巨大な獣を取り囲むように展開されていた。
そして、他のメンバーには一切伏せられているが、リーダーであるルシウスの元にだけは、リヒトからの極秘連絡が届いていた。
『――全て予定通り』
わずか一文。
だが、それだけで十分だった。
リヒトという男が「予定通り」と断言した以上、帝都の喉元にはすでに刃が突き立てられているも同然なのだ。ルシウスはその確信を持って、メーガスたちに号令をかけに来たのである。
メーガス 「……ねえ、ルシウス。一つ聞きたいのだけれど。帝都を襲撃するのは、本当に私たちだけで足りるのかしら? 相手は泣く子も黙る帝国よ。戦力的に、少し心許ない気がするのだけれど」
大陸屈指の魔導士であるメーガスをして、そう懸念を抱かせるほどに帝国の軍事力は強大だ。正面衝突となれば、いかに規格外の集団といえど数に押し潰されかねない。
ルシウス 「ふふ、心配はいらないよ。そこも抜かりなく手配してある。……二人とも、ちょっとついてきてくれるかな」
メーガスの真っ当な疑問に対し、ルシウスは余裕を崩さない柔らかな微笑みで応えた。
その背中が向かう先は、拠点のさらに奥深く。ジャッカルという組織が隠し持つ「もう一つの牙」を披露するかのように、彼は二人を促し、静かに歩き出した。
冷たく湿った空気の流れる地下通路を、三人の足音が規則正しく刻んでいく。
「ジャッカル」の地下アジト。それは、この組織に籍を置く幹部たちでさえ、その全容を把握しきれていない迷宮だ。理由は至って単純――あまりにも「広すぎる」のである。中立国が誇る巨大な商業区、その地下一帯をほぼ丸ごと飲み込む形で構築されたこの潜伏地。
その迷宮の隅々までを知り尽くしているのは、総帥であるリヒト、実務を司るルシウス、そしてその拡張に魔法という強引な力で加担してきたメーガス……この三人をおいて他にはいない。
メーガス 「……ねえ、ルシウス。この先って、まさか……」
暗がりの中で、メーガスが不意に声を潜めて問いかける。
彼女の記憶が確かならば、この通路の先にあるのは、かつて「いつか組織が大きくなって、軍事行軍でも行うようになったら面白いわね」という、半分お遊びのようなノリで作られた広大な空洞のはずだ。
ルシウス 「しー。……見てのお楽しみだよ」
ルシウスは人差し指を唇に当て、悪戯っぽく微笑んで彼女の言葉を遮った。
その足取りには、確固たる自信と、秘められた「切り札」を披露する直前の高揚感が滲み出ている。
通路を抜けた先。そこには、巨大な石造りの扉が鎮座していた。
ルシウスがその重厚な扉に手をかけ、ゆっくりと押し開く。
ギギィ……と、歴史を動かすような重い軋み音が響き、その「広場」が露わになった瞬間。
背後にいたメーガスと飛鳥は、同時に息を呑み、言葉を失った。
飛鳥 「……っ!? これ、は……」
いつも読んでいただきありがとうございます!
今回はちょっと長めの投稿ですが…。
ようやく、ようやく次回から武闘会本編に入ります!
(本当に入りますからご安心を!)
ここまでで13.9万字になってしまってるのは書きたいことが湯水の様に溢れ出て来るからなんですけどこれでも少しだけ端折った方なんです。
なにはともあれ、二章の本編がこれから始まると思って今後ともどうぞよろしくお願いします!




