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偶発的・押してダメなら引いてみろ――6

 自由行動の時間が終わった。


 自然公園を後にして、俺たちはバスへの帰り道を歩いていた。


「楽しかったねー、ノリくん」

「……そうだな」

「でも、またいっぱい歩かないといけないのかぁ……気が重いよぉ」

「……ああ。本当にな」


 げんなりとした様子で望愛が溜息をつく。そんな望愛よりも、きっと俺のほうが弱っていることだろう。


 望愛に避けられていると悟ってから、俺はずっとこの調子だった。足元がフラフラと覚束ない。顔色は死人みたいになっていると思う。


 こんな状態でバスまでの五キロを歩くなんて、拷問に等しい。ただでさえメンタルが弱っているのに、肉体まで疲れたらぶっ倒れてしまうんじゃないだろうか?


 それにしても、どうして望愛に避けられてしまったんだ?


 そこが謎だった。そんな素振りは、ちっともなかったのだから。


 現に、行きのバスでの望愛は普段通りで、ポッ○ーゲームを提案してくる始末だった。にもかかわらず、自然公園までの道中で急によそよそしくなり、いまも俺から少し離れて歩いている。なぜこんなことになってしまったのか、皆目見当もつかない。


 いや、俺が気づいていないだけなのか? 知らないうちに、望愛の気に障ることをしてしまったとか?


 不安と疑問がごちゃ混ぜになって、俺を(さいな)む。ジクジクと胸が痛む。


「大丈夫、ノリくん? 元気がないみたいだけど……」


 そんな俺の様子を心配してか、望愛が訊いてきた。こちらを見上げる瞳には、俺への(いたわ)りが宿っている。


 だが、この眼差しはいずれ、侮蔑のものに変わってしまうかもしれない。想像しただけで、心臓がわしづかみにされるようだ。


 そんなの耐えられん! 望愛に避けられている原因を突き止めて、事態を解決しなければ!


 焦燥感に駆られて、俺は尋ねる。


「なあ、望愛? もしかして俺は、お前の気に障るようなことをしてしまったのか?」

「どうして?」

「なんか、望愛に避けられてるみたいだし……」

「え? 避けてなんてないけど?」

「へ?」


 尋ねられた望愛はキョトンとしていた。俺の言っていることが、心底わからないというような表情だ。


 予想外のリアクションに、俺はポカンとしてしまう。


「け、けど、今日はいつもよりよそよそしくないか? 少し離れて歩いているし、動物園で抱き寄せたとき、押し退けたりもしただろ?」

「あー……そ、それは……」


 俺の追及に、望愛が口ごもった。頬を赤らめてモジモジする様は、恥じらっているように見える。


 ためらいながらも、望愛が答えた。


「その……汗の臭いが気になって……」

「汗?」

「今日はいっぱい汗を掻いちゃったから、ノリくんに臭いって思われるんじゃないかって、心配だったんだよ」


 望愛の話を聞いて、合点がいった。


 行きの道中、よそよそしくなる直前、望愛は自分のジャージを嗅いでいた。


 昼食時、あーんしてきた望愛が箸を引っ込めたのは、俺が顔を寄せたとき。


 動物園では、抱擁から逃れるように俺を押し退けてきた。


 これらすべての行動は、『汗の臭いを気にしていたため』であり、『俺を避けていたから』ではないのだ。


「な、なんだよ。そういうことだったのか……」


 悩みが深かった分、安堵感もひとしおだった。湯船に浸かったときみたいに、体から力が抜ける。


 俺が胸を撫で下ろしていると、望愛が目をパチクリさせた。


「もしかして、元気がなかったのって、あたしに避けられてると思ってたから?」

「うっ」


 望愛の指摘が図星だったので、俺は言葉に詰まる。


 そんな俺をからかうように、それでいて嬉しがるように、望愛がニマニマと口端(くちはし)を上げた。


「ふーん? ノリくん、不安だったんだー? あたしに嫌われたって、勘違いしちゃったかなー?」

「わ、悪いかよ」

「全然悪くないよー? そうだよねー? 怖かったよねー? 寂しかったよねー? これからは、こんな思いさせないからねー?」

「ぐっ……ここぞとばかりにおちょくりやがって……!」


 恥ずかしさと悔しさに歯噛みする。


 クスクスといたずらっ子みたいに笑った望愛は、一転して、聖母のように穏やかな微笑みを向けてきた。


「大丈夫だよ? あたしがノリくんを嫌いになるなんて、世界が終わったって起こりえないんだから」


 その微笑みと言葉には、一片の嘘も潜んでいない。本心からのものだ。


 不安と緊張が解けていく。胸が温もりで満たされる。さながら、望愛の優しさに(くる)まれるかのように。


 望愛の言動で、こんなにも気分が左右されるとはな。どうやら、俺にとって望愛は、心の拠り所らしい。


 ただ、こんなことを伝えるのは照れくさすぎる。だから俺は、「……そうかよ」とぶっきらぼうに返すだけに留めた。


「でも、寂しい思いをさせたなら、慰めてあげないといけないよね?」


 これにて一件落着かと思ったが、望愛の一言で流れが変わる。


 頬を色づかせて、熱っぽい目で見上げてくる望愛。その仕草で俺は察した。


 いままでの経験から考えて、これは抱きついてくる前兆!


 しかして、予感は的中した。


「ノーリくん♪」

「やっぱりかよ!」


 両腕を広げた望愛が飛びついてきて、俺は身構える。


 しかし、俺に抱きつく直前で、望愛はピタリと動きを止めた。


「望愛?」

「や、やっぱり、やめとくね? ほら? 汗の臭いが……ね?」

「ああ……」


 どうやら、『俺を誘惑すること』よりも、『汗臭いと思われたくない気持ち』が(まさ)ったらしい。


 望愛を汗臭いと感じたことなんて、これまで一度たりともないんだが……いや、そのことを伝えるのは、次の機会にしよう。いま明かしたら、また抱きつかれかねないし。


 密かにそう考えていると、望愛が俺の手をキュッと握ってきた。


 驚いて目を丸くする俺を、先ほどよりも顔を赤くした望愛が、上目遣いに見つめてくる。


「……ぎゅってできないから、その代わり」

「そ、そうか」


 望愛の小さな手を、そっと握り返す。きっと俺の顔は、望愛に負けず劣らず赤くなっていることだろう。


 散々望愛に誘惑されてきたけど、いまほどドキドキしたことはなかった。

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