偶発的・押してダメなら引いてみろ――2
一〇時過ぎにバスを降り、そこからは徒歩で自然公園を目指す。
スタートから三〇分が経過し、道のりの半分あたりまで来た頃、俺と望愛は列の最後尾にいた。
「大丈夫か、望愛?」
「だ、大丈夫じゃないぃ……」
「だろうなあ」
弱々しい望愛の返答に、俺は苦笑する。
隣を歩く望愛は、ふぅふぅ、と息を切らし、顔中を汗まみれにしていた。いかにも疲労困憊といった様子だ。
スタート時は列の前のほうにいたが、歩いていくうちに望愛がへばり、ほかの生徒に抜かれていって、付き添っている俺ともども、最後尾になってしまったわけだ。
まあ、望愛と一緒に遠足を楽しむのが俺の目的だし、全然気にしないけどな。
思い、笑み交じりの息をつく。
「やっぱり、バテちゃったかぁ」
望愛を気遣いながら歩いていると、前方からクラスメイトの女子がやって来た。
女子としてはかなり背が高く、もしかしたら俺より上かもしれない。
手足はスラリと長く、スレンダーながらも胸は大きめだ。
黒いストレートヘアは腰に届くほどで、アーモンド状の瞳は、犬走さんのようにカラコンをしているのか黄色。
白をベースに黄色のカラーストーンをあしらったつけ爪。両耳に黄色のピアス。左耳には、シルバーのイヤーカフをつけていた。
彼女は橘蓮華。先ほどの八重樫さん・犬走さんと仲がいいようで、三人でつるんでいるところをよく見かける。
相変わらずヘロヘロなまま、望愛が橘さんを見上げた。
「れ、蓮華ちゃん? どうしてここに?」
「望愛がへばってるんじゃないかって心配でね。あんた、体育の授業でいつも辛そうにしてるでしょ?」
「うう……ありがとう、蓮華ちゃん」
「いいってことよ」
しょんぼりしてお礼を口にする望愛に、橘さんがカラッとした笑顔を向ける。かなり親しげな様子だ。
むかしはいつもひとりぼっちだったのに、いまは気にかけてくれる友達ができたんだな……俺は嬉しいぞ、望愛。
望愛と橘さんのやり取りに、感動せずにいられない。人見知りだった頃の望愛を知っているだけに、感慨深さもひとしおだ。
俺が密かに打ち震えるなか、橘さんが望愛に提案した。
「無理するのはよくないし、ちょっと休憩したら? ちょうど、あそこにベンチもあるよ?」
「そうだね。蓮華ちゃんの言うとおりにする」
「先生たちにはわたしのほうから伝えておくから、ゆっくりしていきな」
優しい微笑みで望愛に気を配り、橘さんが俺に向き直る。
「柳父くんは望愛についててくれる? 女の子をひとりにするのはよくないからさ」
「ああ、任せてくれ」
「ありがと。じゃあ、頼んだよ」
元からそのつもりだった俺は、快く請け負う。
俺の返事に満足そうに頷いて、橘さんがヒラヒラと手を振りながら去っていった。
橘さんを見送った俺と望愛は、近くにあった街路樹周回ベンチに腰掛ける。
ベンチの背もたれにぐったりと身を預ける望愛の隣で、俺はリュックから水筒を取り出し、コップにお茶を注いだ。
「ほら。喉、渇いただろ?」
「ありがとう、ノリくん」
俺から受け取ったコップを一気にあおり、「はふぅ」と望愛が息をつく。
「はぁ……生き返る」
「実感がこもってるなあ」
「疲れすぎて倒れるところだったからね。それに、暑いし」
「まあ、たしかにな」
四月下旬にしては、今日はかなり気温が高い。俺も大分汗ばんでいる。
俺も望愛も、熱中症にならないように気をつけないとな。
考慮していると、暑さに耐えかねたのか、望愛がジャージのファスナーを下ろした。
「あー、涼しいー」
「っ!?」
望愛が心地よさそうに目を細めるなか、俺は慌てて顔を背ける。なにしろ、シャツが汗で濡れているせいで、望愛の下着が透けてしまっていたからだ。
肌を覆う面積が少ない、ハーフカップの赤いブラ。刺激的な色とデザインに、どうしても鼓動が速まってしまう。
「ノリくん?」
「…………」
「え? も、もしかして……」
俺の反応、および、これまでの経験から、なにが起きているのか察したらしい。恐る恐る胸元に視線を下ろした望愛が、「ぴゃうっ!?」と悲鳴を上げた。
非常に気まずいけれど、どんな対応をすればいいのか図りかねて、俺は手持ち無沙汰に頬を掻く。
望愛は紅葉するみたいに顔を赤くして、プルプルと小刻みに震え、しかし――
「ノ、ノリくんったら、照れちゃってー。別に、見てもいいんだよ?」
「ぐっ! やっぱり、こうなるのかよ……!」
胸元を隠そうとせず、むしろ、見せつけるように突き出してきた。
望愛の性格を踏まえると、こうなることは予測できた。ただ、予測できたからといって、平気になるわけではない。いつまで経っても、望愛の誘惑には慣れられそうにない。
しかめっ面をする俺に、望愛がグイグイ迫ってくる。
「ほらほらー。ノリくんの大好きなおっぱいだよー?」
「そんなこと、言った覚えがないんだが!?」
「でも、好きでしょ?」
「ノーコメントだ、バカ! とにかく、胸を隠せ! ファスナーを上げろ!」
「ヤダよ、暑いもん」
「暑いのはダメなのに、下着が透けてるのはいいのかよ!?」
望愛の好悪が理解不能だ。もしかしたら、判断基準がぶっ壊れているのかもしれない。
頭を抱えたい気分になっていると、イタズラを閃いた悪ガキみたいに、望愛が口角をつり上げる。
「じゃあ、ノリくんがファスナーを上げれば?」
「は?」
「あたしはファスナーを上げたくないけど、ノリくんがやるなら止めないよ?」
「なに言ってんの!?」
愕然とする俺に構わず、望愛がさらに胸を張り、ファスナーを上げさせようと急かしてきた。
望愛の胸はあまりにも大きいので、ファスナーを上げたら手が触れてしまう。そのことをわかったうえで、望愛は誘っているのだろう。
「ほ、ほら、ノリくん。上げていいよ?」
「ちょっ!? ま、待て、望愛!」
うろたえるなか、望愛がズイッと身を寄せてきた。いまにも胸が当たってしまいそうで、俺は慌てて後退る。
「いいんだよ、ノリくん? 遠慮することなんて……」
そんな俺の反応を見て、望愛がピタリと動きを止めた。
「望愛?」
突如として猛攻が止んだことに、安堵よりも戸惑いを感じる。疑問を抱いていると、望愛がジャージに顔を近づけて、すんすんと鼻を鳴らした。
「どうかしたのか?」
「えっ? う、ううん! なんでもないよ!」
なにかを誤魔化すように、望愛がブンブンと首を振る。
体を離した望愛は、あれだけ俺に上げさせようとしていたファスナーを、自分で上げた。
「え?」
「いやー、今日は本当に暑いねー、ノリくん」
「あ、ああ。そうだな」
あからさまに話題を逸らし、パタパタと手を団扇にする望愛。笑みを浮かべているが、どこか取り繕ったものに見える。
望愛が誘惑をやめて助かった。助かったのだが――
なんか、モヤッとするなあ……。
歯の隙間にものが挟まっているような、もどかしさを覚えた。




