第八話 勇敢と無謀の間
「グオオオオオォォォォッッッ!」
しばらくの間、上空でぴたりと静止していたマンティコアが、けたたましい咆哮を上げて動き出した。
蝙蝠のような巨大な翼を一度空打ちし、滑るように空を飛翔する。
「あっ! 生徒たちのほうへ行く!」
タチアナが指差しながら叫ぶ。
俺たちの存在をまるで無視するようにしてマンティコアが向かったのは、魔導学院の生徒たちが訓練をしている場所。
なぜだ?
何か彼らを狙う理由があるのだろうか?
「おいっ! お前たち!」
茫然自失の体から立ち直った調査隊の隊長が、大声で俺たちを呼んだ。
「我々はこれより急ぎ街へと取って返し、応援を連れて来る! だから、それまであの化物を見張っておけ!」
「はぁ!?」
「何言ってんのよ、あんた! 正気なの!?」
ありえない隊長の言い草に、デュオが声を裏返し、タチアナは信じられないという表情で噛みつく。
二人の怒りはもっともだ。
俺たちが請け負ったのは、あくまで遺物の発掘作業。
マンティコアに施されていた封印が解けたのは隊長の不注意ゆえだし、不測の事態に対処するのも当然、冒険者ギルドの役目だろう。
そもそも、俺たちのようなただの穴掘り屋が、あんな凶悪そうな魔物を見張って何の意味があるのだ。
魔術も使えない俺たちでは、対応の仕様がない。
「いいから! とにかく少しの間だけ頼む!」
デュオとタチアナの抗議は一切無視するようにして、隊長を始めとした調査隊はくるりと背を向けると、街の方角へ向けて脱兎のごとく駆け出した。
瞬く間にその後ろ姿が遠ざかり、視界から消えてしまう。
あまりにも鮮やかな逃げ足の速さだ。
「信じられねぇ……あいつら、マジで逃げだしたぞ。こんなこと、ありえるのか?」
「ほんと……冒険者ギルドって、こんなに腐ってたのね。知らなかった」
呆気に取られたように、その場に立ち尽くす二人。
気持ちは俺も同じだったが、マンティコアはすでに魔導学院の生徒達のもとへ到達しようとしている。
どう行動するか早く決めなければならない。
「ど、どうする? オグマ?」
なぜかタチアナが俺に判断を仰ぐように上目遣いを向けてきた。
しかも、デュオまでも、俺の言葉を待つようにこちらをじっと見つめている。
え?
俺が決めるのか?
なぜ?
「……」
俺たち三人よりも、「魔術」が使える魔導学院の生徒たちはずっと強いはず。
例え、駆け付けたとしても邪魔になるだけかもしれない。
「俺は……とりあえず近くまで行って、様子を見るべきだと思う。どうするかは、それから決めたらいいんじゃないか」
正直、何が正しい判断なのかは分からなかった。
本音を言えば、魔導学院の生徒たちと関わるのは御免だ。
彼らを助ける義理もなければ、何より助けられるような力もない。
俺は所詮、魔導騎士に憧れながら、「魔術」が使えなかった、しがない穴掘り屋なのだから。
「そうだな。俺たちに何かできるわけじゃないが、ここでずこずこ逃げ帰ったら、冒険者ギルドのクズどもと同列だ。それはそれで、気分が悪い」
「……そうね。このままほったらかしにするもの、魔導騎士の生徒たちが可哀そうだし。私たちにも何かできることがあるかも」
ああ。
……やっぱりだ。
俺は場違いにも思ってしまう。
この二人は、いい奴らだ。
俺にはなぜか、それが無性に嬉しかった。
「二人とも、すまない」
「なんで、お前が謝るんだよ。相変わらず変な奴だな」
「そうだよ、オグマ。きっと、何とかなるような気がする。うん」
小さく頭を下げた俺に、デュオとタチアナが気楽に言ってくる。
それだけで、不思議と胸が軽くなる。
もし、この二人を友達と呼べたらな、俺はきっと幸せ者だろう。
「ありがとう。では、急ごう」
「ああ」
「うん」
俺たち三人は頷き合うと、小高い丘から駆け下り始めた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
訓練場はにわかに騒然となっていた。
つい先程まで、澄み渡る空が広がるばかりだった頭上に、見るからに狂暴そうな恐ろしい姿をした魔物が浮かんでいる。
「グオオオォォォォッオオォッッッ!」
耳をつんざくような雄叫びを上げ、その魔物が私たちを威嚇してきた。
背筋の凍るような殺気が、辺りの空気をびりびりと震撼させる。
「な、なんなんだよ、あれ!」
「学校が用意した仮想の敵かしら?」
「それにしては、やけにリアルだ。無茶苦茶強そうだぞ!」
クラスメイトたちが激しく狼狽する中、一人の生徒が果敢に魔物と対峙した。
「みんな、落ち着け! 正体は分からないが、相手は魔物一匹だ。僕らが全員で戦えば、何も怖れることはない!」
勇ましく先頭に立ち、気迫の籠った声で私たちを鼓舞する。
ターレス・ウェブスター。
彼は有力な貴族の子息であり、クラスで三本の指に入る魔術の才能の持ち主だ。
私は彼のことが苦手なんだけど、クラスのヒエラルキーの頂点にいる者の声は何よりも大きく、そして影響力を持つ。
「そうよ! ターレス君の言う通りだわ。怯む必要は全然ないわよ!」
「俺たちはみんな魔術が使えるんだ。負けるものか!」
「ビビッて損したぜ。よくよく見たら、たいして強そうじゃないぞ。弱そうまでもある」
俄然、士気が高くなるクラスメイト達を傍目に、私は内心で「いやいやいや!」と、激しく突っ込みを入れざるを得なかった。
(強そうだから! どう見ても強そうだからね!)
私は魔術の才能は平凡なのに、魔力が視える特殊な体質をしている。
これは、かなり珍しいことらしく、才能溢れるクラスメイト達のなかで唯一私だけなのだ。
だから――
見たら分かる。
見れば分かる。
あの魔物の体躯を覆っている魔力は、とにかく危険。
燃えるような紅蓮の魔力で、触れただけ火傷してしまいそうなほどだ。
普通の魔物とは明らかに異なる、存在。
「よし! みんな一斉に魔術で攻撃するぞ!」
「「「おおおっ!」」」
ヒエラルキー頂点からの声を合図に、クラスメイト達が呪文の詠唱を始める。
彼らの目にはもはや怯えの色はなく、むしろ獲物を仕留めんとする獰猛な光が浮かんでいた。
ダメだよ、ダメ!
変に刺激したら絶対にダメだって!
下手にあの魔物に攻撃したら、きっと大変なことになる。
そう直感が訴えかけてくるのに、悲しいかな私にはクラスメイト達を止める術がない。
そうだ、先生は!
私は周囲を見回したが、なぜか先生の姿はどこにもなかった。
「刹那のアンドロマリウスよ! 炎の腕のうちにすべてを包め〉〉〉【焔烈弾】!」
「貪婪のダンダリオンよ! 生み出すは氷原に映りし斜月〉〉〉【氷結鋭槍】!」
「厭世のセエレよ! 疾く駆け抜けよ、風の光矢〉〉〉【空牙列風破】!」
「泡沫のデカラビアよ! 見上げる者を覆い尽くせ〉〉〉【岩石堕】!」
呪文の詠唱が終わり、頭上へ掲げたクラスメイト達の掌から、次々と魔術が放たれる。
燃える炎の塊が、鋭い氷の槍が、輝く風の刃が、巨大な岩石が――
それぞれに最も得意とする魔術が、空中を駆け抜け――頭上に浮遊する魔物へ一気呵成に襲い掛かる。
福音魔導学院に入学できる者は、例外なく魔術を使うための <発現> の技能に優れている。
だから、そんなクラスメイト達の使う魔術は、たぶん一般のレベルに比べて遥かに凄い。
けれど、私たちはまだ魔術を習って日が浅いのだ。
習得しているのも、まだ序列第九位の魔術のみ。
どれだけ高く見積もっても、あの魔物に通用するとはとても思えない。
そして、私の目は視た。
クラスメイト達が放った魔術が、その魔物を覆う紅蓮の魔力に触れた瞬間、あっけなく霧散するのを。
<説明>
空牙列風破――序列第九位の魔術。輝く光の刃で敵を切り裂く。
岩石堕――序列第九位の魔術。巨大な岩石群を降らして攻撃する。




