第九話 謎のクラスメイト
「ねぇ――あなた」
誰かに肩を軽く触れられ、私は後ろを振り向いた。
「……ふなぁ!?」
両目が点になる。
おかしな声が口から勝手に漏れてしまった。
……は、恥ずかしい。
それもそのはず、私のすぐ隣に立っていたのは、同じクラスなのに今まで一度も会話を交わしたことがない生徒。
「えっと……なんでしょう?」
極度の緊張で、私は不自然なほどしゃちほこばってしまう。
同じクラスメイトなのだから、敬語を使うのは変だろうか。
けれど、とてもではないがタメ口を利く勇気はない。
相手の顔をまともに直視できない私は、失礼だと分かっていながらも、ちらちらと横目で盗み見てしまう。
透き通るような空色の瞳。
肩口まで流れる鮮やかな銀髪は、見る者を例外なく魅了する。
白磁のような肌にやや切れ長な目。
同性の私から見ても、思わず見惚れてしまうような美貌の持ち主。
彼女は、セントミュロンド聖王国を支える五大公家の一角――アスピリクス家の令嬢だ。
名前はフローラ・アスピリクス。
魔導騎士団の超エリート部隊 <聖十三> の現副団長は彼女の兄である。
通常、五大公家の子息ともなれば、わざわざ魔導学院に入ることはない。
彼ら、彼女らの素養は、その血筋が証明しており、一定の年齢に達すると形ばかりの審査を受け魔導騎士団に入団すると聞いたことがある。
だから、彼女が同じクラスの生徒であると知ったときには心底驚いた。
その思いは私以外の生徒たちも同じようだったけど、教師からも当の本人からも詳しい説明がないため、なぜ彼女が福音魔導学院に入学したのかは、今でも理由は不明のままだ。
私の知っている限り、彼女には友達と呼べるような人はいないようだった。
まあ……これについては人のことは言えないけど。
授業中などは、必要な会話は普通に交わしている。
けれど、それ以外で、他の生徒たちと何か話をしている場面を見たことがなかった。
たぶん、私だけでなく、クラスの生徒たちは皆、彼女にどうやって接していいか分からないのだろう。
五大公家が誇る威光はそれだけ桁違いなのだ。
決して疎外されているという訳ではないけど、彼女はクラスで浮い……孤高の存在だった。
あっ……そう言えば、一人だけいたか。
彼女に話しかける生徒が。
ターレス・ウェブスター。
「あなた――シンシアさんは、視える人なのよね?」
「え……?」
彼女が何を言おうとしているのかが分からず、私は小首を傾げた。
言葉はちゃんと耳を通って脳へ届いたけど、それが上手く意味に置き換わらない。
極度の緊張のせいで、思考回路が麻痺してしまっている。
というか、私の名前を憶えていてくれたんだ。
嬉しい。
「魔力が、視えるのよね?」
少しだけ語勢を落として、彼女はもう一度言い直した。
ああ、そういうことか。
「はい。視えます」
「そう、良かった。……私が、シンシアさんを他の生徒と勘違いしてしまったのかと思ったわ」
胸元に右手を当て、フローラさんはほっと息を吐いた。
「……」
その何気ない仕草に、私は意外さを覚えた。
これまでは、彼女を近寄り難い存在だとばかり思っていたけど、存外、同じ年頃の女の子のように身近に感じられたのだ。
「それで、私に何か聞きたいことでも?」
「ええ。あなた、あの魔物が今どういう風に視えているかしら?」
フローラさんが指差した先を追って、私は空を仰いだ。
そこには、突然、私たちの前に姿を現した魔物が浮遊している。
周りにいる生徒たちの魔術による攻撃はまだ続いていた。
炎と氷、風そして土。
次から次に放たれた魔術が、魔物へ向けて宙を疾駆する。
優秀な彼らが放つ魔術は、私の目にはどれもかなりの威力を持っているように見えた。
けれど、魔物の体表を覆った紅蓮の魔力の膜に触れるや否や、それらはすべて吸い込まれるようにして消えていく。
「彼らの魔術はまったく効いていないように私には見えるのだけど」
「……ああ」
彼女が言わんとすることがようやく理解できた私は小さく頷く。
「あの魔物の全身は赤い魔力の膜で覆われています。おそらく、みんなの魔術はあの魔力に弾かれているんじゃないかと。いえ……弾いているのではなくて、吸収しているような……すみません、私には、はっきりと分かりません」
「ありがとう。それだけ聞ければ十分よ。ねぇ、シンシアさん、あの魔物を見て。さっきより少し大きくなっていない?」
言われてみると、確かに魔物の全体の輪郭が膨張しているように見える。
どういうことなのだろう?
「たぶん、あれはただの魔物ではないわ。――幻獣だと思う」
「幻獣……ですか?」
予想だにしないフローラさんの言葉に、私はただオウム返しに呟く。
にわかには信じられない。
というか、信じられるわけがない。
幻獣――それは、第一級の災厄と呼ばれる魔物。
かつて、このイクスフィア大陸の北――暗黒大陸を支配していた悪魔族。
その悪魔達の盟主であった聖魔神が、自らの魂の欠片と魔石を融合させて造り出した疑似生命体、それが幻獣だ。
彼らは悪魔族の中でも、魔王と並び最高位の存在に位置付けられ、通常の魔物を遥かに凌駕する能力を有していたらしい。
第三次天地戦争終結後、幻獣の目撃談は各地でちらほら報告されているが、実際に人間が被害に遭ったという話は聞いたことがない。
つまり、今の若者――私たちにとっては半ばお伽噺の中の存在に近いのだ。
「どうして、幻獣がこんなところに?」
「ここは、かつて第三次天地戦争の主戦場の一つだったわよね」
「はい。先生からもそう聞きました」
「戦場には、今でも古代の魔導兵器の残骸が残っている」
「そうか」
フローラさんの顔をまじまじと見つめ、私は唸った。
「幻獣は魔物の上位種族の位置付けだけど、実際は生物じゃない。戦争のために生み出された疑似生命体」
「そう。その運用に魔導技術を使用している可能性は十分に考えられる。例えば――何らかの物質に封印するとか」
つまり、この戦場に残された魔導兵器に封じられていた幻獣が、何かの拍子に目覚めてしまったということ?
確かに、それなら可能性は十分にあるような気がする。
「問題は、あれをどうするか――ね」
険しい眼差しを頭上に向けたフローラさんが、腰に帯びた剣の柄にそっと手を添える。
アスピリクス家は、魔術と剣術を併用した特殊な秘技を代々受け継いでいると聞いたことがある。
実際、剣術の授業でも、魔術の授業でも、彼女の成績はほかの生徒たちを圧倒していた。
本当に、何の必要があって魔導学院に入学したのかが不思議なぐらいに。
「あの、フローラさんなら倒せるのでは?」
私は期待を込めておずおずと訊いてみたが、
「いいえ。無理ね」
と、フローラさんはあっさりと首を振った。
「私には、あなたのように魔力を視る能力はないけれど、魔力の流れや気配を感知する鍛錬は積んでいるわ。だから、分かるの。幻獣の強さは異質なもの。今の私では、到底太刀打ちできない」
「そ、そんな……」
フローラさんが敵わないのであれば、私たちの誰もあの幻獣とまともに戦えるはずがない。
何と言っても、彼女の強さはこのクラスでは群を抜いているのだから。
「幻獣はあくまで疑似生命体。その動力源は魔力のはず。あなたの話から推察すれば、あの幻獣はたぶん、彼らの魔力を吸収しているのだと思う。久しぶりに現実世界に解き放たれて、よほどお腹がすいていたのかもしれないわね」
本気なのか冗談なのかいまいち判断しにくい真顔でフローラさんが呟く。
太刀打ちできないと言いながらも、その態度はやけに落着き払っていてる。
彼女には何か考えがあるのだろうか?
もし、ないのなら、一刻も早くこの場所から逃げたほうがいいと思うけど――
「ああっ! 魔力切れだ!」
そんなことを考えていた私の耳に、クラスメイト達の悲痛な声が響いた。




