第三十一話 眠れない夜は誰のせい?
何故――俺はあんなことを言ってしまったのだろう?
月明りが差し込む部屋の中、ベッドに項垂れるように腰を掛けていた俺は頭を抱え込んだ。
時刻はもうすぐ日付を跨ごうとしている。普段ならば、とっくに眠っている時間なのだが、今夜はいつまで経っても眠りの訪いがやって来ない。
――武闘祭。
剣と魔術の腕に覚えのある者達が、国王の前で平素の鍛錬の成果を披露する場。
どうやら、今年は魔導学院で開催されるらしい。
本来ならば、魔術の使えない俺にはまったくお呼びでない場所のはずなのだが。
「わ、分かった。我がフォーデン家の名にかけて、武闘祭への君の出場を請け合おう。くくっ……せいぜい、クッ……いや、すまない。まあ……頑張ってくれたまえ。……ククっ」
笑いを必死で嚙み殺すジュリアスの目には、侮蔑の色がありありと浮かんでいた。
まあ、無理もない。
魔術のひとつも使えない俺が武闘祭に出るなど、無謀もいいところだ。
この世界には、魔術の使えない戦士も数多くいる。が、武器と己の肉体のみで勝負しなければならない彼らに比べ、魔術を使える者が得るアドバンテージは絶大だ。
例え、どれだけ剣の道を究めようとも、魔術が使えない時点で、その者の未来は事実上閉ざされる。
俺が、そうであるように。
暗がりの中、開いた両手の掌を見下ろす。
自分で、自分が分からない。
何故、あんなことを言ってしまったのか。
不思議と後悔の念は湧いてこないが、決して意図して吐いた言葉ではなかった。
ただ、オリヴィアの沈痛な表情を見ていたら、とにもかくにも居ても立ってもいられなくなったのだ。
不甲斐ない兄のせいで、苦しんでいるオリヴィアをただ見ていることが、どうしても出来なかった。
兄としての、ちっぽけな矜持なのだろうか?
放逐されたマイロード家の元嫡男としての意地なのだろうか?
何か、何か、出来ることはないだろうか?
例えば、俺が武闘祭に出場して、あのジュリアスを倒すことができたなら。それも、圧倒的な力の差を見せつける形で。
そうなれば、フォーデン家は少なからずその評判を落とすことになるだろう。
そうすれば、あの奸智に長けた父上は二人の結婚を考え直す可能性もなくはない。
父上の計略。
それは、地に墜ちつつあるマイロード家の権勢を、フォーデン家と婚姻関係を結ぶことで挽回する。きっと、そんなところなのだろう。
やや性急に過ぎるやり方だが、マイロード家がそこまで窮地に追い込まれているのは確かだ。
そして、その責任はとりもなおさず俺にある。
もし、ジュリアスとオリヴィアの結婚を破綻させたとしたら、俺はさらにマイロード家を追い込むことになる。
そうなれば、マイロード家が生き残る道は、オリヴィアが魔導騎士として功を成す他はない。
ごちゃごちゃと、浮かんでは沈んでいく想念。
今夜は、もう眠れそうになかった。
ふと視線を泳がせると、部屋の端に立て掛けた一振りの剣が視界に入った。
マイロード家を追い出された際、唯一持ち出したものだ。以来、一度も握ってはいない。
諦めた魔導騎士の夢。
「……」
本当か? 完全に諦めたと言い切れるのか?
ずっと、目を逸らし続けてきた重たい自問。
常に胸のどこかから響いてくる、もう一人の自分の声。
魔術の使えない者が、絶対に戦士として生きていけないわけではない。
魔導騎士にはなれなくても、例えば冒険者ギルドに所属する冒険者として、例えば街を守る警備兵として生きる道は残されている。
俺はやおら立ち上がると、剣の柄を手に取った。
眼前に掲げ、鞘から刀身を抜き放つ。
月明りを照り返して、鋼の表面を鋭い光が滑り抜ける。
家の蔵に置かれていた名もない剣。かなりの持ち重りがする。
思い出す。
物心ついた時から、この剣をひたすら振り続けてきた。
剣術を本格的に習い始めたのは五歳の時。それからは、地獄のような鍛錬の毎日だった。
辛くはあったが、やめることなど出来なかった。
父上と母上が、俺に望んでいることは知っていたから。
魔導騎士となり、魔導騎士団の精鋭 <聖十三> 入りすること。
俺は両親のその希望を叶えるために生まれてきたのだ。
俺が強くなればなるほど、父上は喜んでくれた。結果を出し続けることで、俺はマイロード家の人間でいられたのだ。
疑問は抱かなかった。それが、当たり前の日々だったから。
それに、俺には確信があった。魔導騎士になれるという確信が。
剣術はめきめきと上達していき、血の滲むむような鍛錬のおかげで身体能力も向上した。たまに参加する、剣だけの闘技大会では軒並み優勝することが出来た。
今となっては井の中の蛙だと思えるが、当時の俺は、剣術であれば同年代の誰にも負けない自負があったのだ。
あとは、魔術が使えれば。
魔術の素養は遺伝する。怪我のため魔導騎士を早くに引退した父上も魔術の才はあった。母上は、有名な治療魔術の使い手の家系。
その息子である俺が、まったく魔術が使えないとは、何という神の悪戯なのだろう?
多くは望んではいなかった。
わずかでも、ほんのわずかでも <発現> の才があれば、それでよかったのに。
「……」
月の光を雲が覆い隠した。
部屋の中を暗闇が支配する。
久方ぶりに握った剣の柄は、驚くほどすんなりと手に馴染んだ。
まるで遠い日に離別した自分の半身と再会したようだ。
(お前は、俺を待ってくれていたのか……?)
不思議と迷いが晴れていく。
やるだけのことをやってやろう。
自分が何を考えているのか、今でもはっきりと理解できない。でも、それでもいい。
今は、ただ俺を突き動かす衝動に身を任せるべきだ。
武闘祭まで、あと一週間。
その間に錆びついた剣の腕をとにかく戻すことだけを考えよう。
幸い、俺の剣の師はすぐ傍にいるのだから。
彼は嫌がるだろうか?
いや、きっと喜ぶはずだ。
そうと決まれば、もうウジウジと悩んでなどいられない。
音を立てずに、俺は部屋の外へと出た。
深い夜に沈み込むように、町はまだ深い眠りについている。
空を見上げる。
東の空の彼方が、微かに白んでいるように見えた。
抜き放た剣を上段に構え、無心に振り下ろす。
軽い。
穴掘りの仕事を続けたおかげで、腕力はまったく衰えていないようだ。
「はっ……はっ………はっ」
懐かしい感覚に体中の細胞が震える。
俺はひたすら剣を振り続けた。




