第三十二話 主従と師弟
「……ッ!?」
――躍る剣尖。
輝くような太刀筋が、互いに交差するように幾重にも閃く。
その剣閃のあまりの鮮やかさに、私はほとんど無自覚に息を飲む。
剣を握るのは三年ぶりだと、オグマ様は苦笑していた。それはすなわち、マイロード家と袂を分かってから、初めて剣を取ったということだ。
それなのにどうか。
この鬼気迫る剣技の連続は!
「…………ッ!」
余計な想念に気を取られていたせいで、死角から放たれた一撃を危うく受け損ないそうになる。
オグマ様の攻撃には一切の遠慮がない。それは、師である私に対する深い信頼の裏返し。
私ならば、全ての攻撃を難なくいなしてくれる。
そう信じているのだ。
いやはや。
もはや驚き以外の何ものでもない。
まだ、マイロード家で過ごしていた三年前の時点で、すでにオグマ様の剣の腕は私に肩を並びかけていた。かつて、<聖十三> の第五席まで登り詰めたこの私に。
三年ものブランクがありながら、その剣筋はまったく鈍っていない。
むしろ、力強さが増しているようだ。
オグマ様の成長ぶりに、思わず目頭が熱くなる。
マイロード家の執事を辞めたせいか、それもと単に年を取ったせいか、最近やたらと涙腺が緩くなっている。
かつて「黒槍鬼」と呼ばれ、恐れられた私としたことが。
「はっ!」
一転して私は攻勢に出る。
腕が鈍っているのではないかという心配は、もはや杞憂。
目の前にいるのは、私が生涯で唯一人、忠誠を誓った主。それと同時に、その力量を認めた一人の戦士なのだ。
手を抜くことなどできようはずもない。
「ハァっ!」
全身の筋肉と神経に活を入れ、鋭い呼気と共に気力を漲らせる。
「いきますよ。オグマ様!」
私が持てる最大奥義――サウザンド・ニードル。
我が家系に伝わる槍流術の秘技だ。卓越した膂力と極限まで無駄を排した所作の中で繰り出す、光速もかくやという刺突による連続攻撃。
(さあ、この攻撃をどう回避なさいますか? オグマ様?)
煌めく無数の剣閃が流星のごとき鮮やかな尾を引いて、オグマ様に襲い掛かる。
もちろん、威力は落としてある。それでも、まともに受ければダメージは免れない。
(……ッ!)
オグマ様の双眸が見開き、やにわ光が灯る。
まるで、私の剣筋を読むように。
だらりと、オグマ様が全身を脱力させる。ひどくゆっくりとした所作で、なぜかオグマ様は剣を握る右手ではなく、左手を持ち上げた。
差し出された掌が、一瞬ブレたように見えた次の瞬間――オグマ様の眼前の空気が、突如ぐにゃりと歪んだ。
ガキィンッ! カンッン! ガギイィンン! ガンッ! カンァアンッッ!
金属の打ち合う激しい音が連なり、火花が舞い散る。
私の放ったサウザンドニードルが、オグマ様に届く前――不可視の何かに阻まれる。
魔術?
いや、オグマ様は魔術が使えない。仮に、魔術を使ったとしたら絶対に気付くはずだ。
「……どのようにして防いだのですか?」
「ああ。ジークさんの剣が速すぎて、ちょっと弾き返すのは無理そうだったから。試しに魔力を圧縮して盾みたいにしてみた」
あっさりと返してきたオグマ様の言葉に、私は目を剥いた。
「オグマ様! 魔術が使えるようになったのですか!?」
「いや、違う。俺が魔術を使えないのはジークさんがよく知っているだろ。ただ、最近気付いたんだ。<錬成> と <操作> と <強化> の技能を上手く使えば、例え魔術が使えなくてとも、少しは魔力を生かせることを」
オグマ様が言わんとすることは、何となく理解はできる。できるのだが……
魔力を最も効果的に攻撃へと転化する術は、とりもなおさず魔術だ。
そして、魔術を使うにためは、絶対的に <発現> の能力が必要となる。オグマ様は、その <発現> の才能にまったく恵まれなかった。
必然的に魔術が使えないオグマ様は、それゆえ魔導騎士になれなかったのだ。
「ということは、オグマ様は <錬成> した魔力を <操作> して盾のように変化させて私の攻撃を防いだということですか?」
「ああ。ちなみに <強化> も使った。空間に一定時間魔力を留めさせるのに必要なんだ」
「……」
理解が追いつかない。私は知らないぞ。そんな魔力の使い方は。
確かに理屈の上では可能かもしれないが、魔力を盾のように使い、あまつさえ私のサウザンド・ニードルをことごとく弾くことなどできるものなのか?
そんな魔力の使い方は、ついぞ聞いたことがない。
例えば、<錬成> した魔力を <操作> して身に纏い、それを <強化> でもって上手く肉体の強度を上げたとしても、その効果はたかが知れている。身体強化の魔によるステータスアップとは、比べ物にならないほど脆弱なのだ。
なのに、何故?
もしかして、オグマ様は未知なる能力に目覚めたということなのだろうか?
「それにしても、ジークさんのさっきの技は凄かった。あんなとっておきの隠し技がまだあったんだな」
「……そのすべてを見事にいなしたオグマ様がそれを言いますか? いいですか? オグマ様。過ぎた謙遜は却って誰かからいらぬ不興を買うことになります。そのことをゆめゆめお忘れなく」
「謙遜なんてしてないだろ。俺よりもジークさんが強いのは事実だ」
「……」
まったく。
オグマ様のこの自己評価の低さはには困りものだ。
(……そうは言っても、オグマ様が辿ったこれまでの過酷な運命を考えれば、それも仕方がないことか)
生まれながらにして、旦那様と奥方様の、ひいてはマイロード家の期待を一身に背負う運命にあったオグマ様。
まだ、未熟な身体と心には、その重責と重圧は抱えきれないほどの重荷だったに違いない。
旦那様は恐ろしいほど厳格な方だった。そして、それを私にも求めた。
血を吐くような鍛錬の日々。おそらく、オグマ様の体内の骨で折れたことのない箇所はなかったのではないだろうか。
子どもが同然享受する母親の愛情ともオグマ様は無縁だった。奥方様は貴族の妻としては確かに有能だったが、母親としての素養は備えていなかった。
あの地獄の日々を耐え続けたオグマ様の心根が歪まなかったのは、奇跡に違いない。
しかし、オグマ様は戦士として生きていくにはあまりにも優しすぎた。
貴族家の嫡男として、その清廉で真っすぐな性格はともすれば弱点になりかねない。
それでも、私はオグマ様を尊敬している。人として。戦士として。そして、主として。
それだけに私は後悔しているのだ。
<発現> の才が得られずに魔術を使うこと叶わず、魔導騎士の夢が断たれたオグマ様の、あの日の絶望は筆舌に尽くし難い。学校を追われ、家に戻られたオグマ様の憔悴しきった姿が今も目に焼き付いて離れない
私には、何かができたのだ。
いや、例え目の前の現実を変えられないとしても、私は何か行動を起こすべきだったのだ。
「魔導騎士の道が絶たれた役立たずなど、マイロード家にはいらん!」
旦那様から、けんもほろろに家からの追放されたオグマ様。
オリヴィア様が必死に慈悲を請うたが、旦那様はまったく取り合わず、マイロード家の筆頭執事といえどもただの家臣に過ぎない私には、その光景をただ見守ることしかできなかった。
オグマ様は最後に微笑を浮かべると、育ててくれた恩に感謝を述べ去っていった。
あまりにも潔い、そして悲しいほどに高潔なオグマ様の背中。
オリヴィアの泣きじゃくる声が未だに耳の底の残っている。
ほどなくして、私はマイロード家を辞した。
旦那様から深くは何も問われなかった。
もしかしたら、薄々私の目的に勘付かれていたのかもしれない。
何を思ったのか、街へ出たオグマ様は穴掘り屋になった。
古びたスコップ一本を携え、方々の鉱山で仕事に精を出す日々。
私は偶然を装い、この街で開いたベーカリーの一室にオグマ様を半ば強引に住まわせた。
もはや、私とオグマ様に主従関係は存在しないのだが、そんなことは些末に過ぎない。私が生涯をかけてお仕えするのは、オグマ様ただ一人。
嬉しいことに、実直なオグマ様の仕事ぶりは次第に鉱山ギルドに評価されるようになり、オグマ様自身の心の傷も少しずつ回復していってるようだった。
そして今朝――
「ジークさん。俺に剣の稽古をつけて欲しい」
いつにない真剣な表情をしたオグマ様が剣を手にしていた。
事情はだいたいフィリアから聞いている。
きっと、オリヴィア様の身の上話を聞いて、居ても立ってもいられなくなったのだろう。
いかにも、オグマ様らしい。
魔術が使えないオグマ様が、あの武闘祭でどのような戦いをなさるのか。私は純粋に興味がある。
オグマ様には才がある。このまま、世間の片隅に埋もれていくには、あまりにも惜しい方だ。
武闘祭。
その日は、何があっても店を閉めなければならない。
オグマ様の剣を受け止めながら、私は年甲斐もなく逸る気持ちを必死に抑えるのだった。
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