第三十話 宴
玄関口で簡単な自己紹介を終えた俺達は、フローラに案内されてグレートホールへと向かう。
途中の廊下にはハイセンスな調度品が適度に配置され、床は綺麗に磨き抜かれている。天井もかなり高い。
さすがに五大公家の一角だけあり、別宅といえども瀟洒な造りだ。
ジークさんの家の食客となって早三年。
今では、すっかり庶民の暮らしが身に染みついてる俺は、場違いな感覚に襲われてしまう。改めて貴族と庶民の暮らしぶりの違いを痛感する。
やはり、フローラたちは、俺が装着しているこの仮面にまったく違和感を覚えないらしい。
注意深く観察していたが、彼女らの視線のなかに訝しげな気配は皆無だった。あれだけ長く同じ時間を過ごしたオリヴィアでさえ同様の反応なのだから、さすがに古代魔導技術といったところか。
(初めましてか……)
目論見は見事に達せられたことになったが、何故か俺は一抹の寂しさを覚えていた。
久しぶりに会う妹から、相手が俺と分かっていないとしても他人行儀にされるのはなかなか精神的に堪えるものがある。
いや、もう二度と会えないと覚悟していたオリヴィアの成長した姿を、こうして見られたのだ。それだけでも幸せだと思わないといけない。
「どうぞ、こちらです」
通されたグレートホールも相当な広さがあった。
曇りひとつない大きな窓が並び、向こうには綺麗に手入れのされた中庭を望む。
白い壁には、流麗なタッチで描かれた大小の絵画が飾られており、暖炉の上には、おそらくアスピリクス家を描写したと思われる絵が置いてある。
眩いシャンデリアの下、テーブルの上にはすでに料理の数々が用意されていた。
「さあ、冷める前にどうぞお召し上がり下さい」
促されるまま席に着く。
俺の場所は上座だった。
「ちっ」
面白くなさそうにジュリアスが小さく舌打ちする。
気に入らないのは分かるが、せめて聞こえないようにできないものだろうか。
「それでは、ようこそいらっしゃいました。シグマ様。どうぞ、楽しいひと時をお過ごし下さい」
フローラの発声に合わせて、俺たちは葡萄酒の注がれたグラスを持ち上げた。
ついつい、オリヴィアに視線が行ってしまう。俺の右側にフローラが着席し、向かいにジュリアス、斜め向かいにオリヴィアが座っている。
オリヴィアは迷うことなく持ち上げたグラスに口をつけた。紫の液体がその細い喉をゴクリと通っていく。
(そうか……酒も飲めるようになったのか。成長したな)
この三年の間に、オリヴィアの身に何があったのか、その詳細は分からない。
けれど、きっと辛いことが多かったはずだ。
マイロード家は現在厳しい状況下にある。叔父が引退し、マイロード家が輩出している <聖十三> の魔導騎士はゼロだ。俺が放逐された今、彼女の双肩にマイロード家の未来が掛かっている。
「あの、どうかされましたか?」
「あっ……いや」
物思いに沈んでいた俺に、フローラが眉尻を下げた。
俺は慌ててグラスを傾け、葡萄酒を煽った。芳醇な香りが鼻へと抜け、程よい渋みのある濃厚な旨味が喉を潤した。
「ご馳走になります」
今はあまり余計なことを考えるのはよそう。
俺はナイフとフォークを手に取ると、目の前の豪勢な料理に意識を向けた。
それから、宴はつつがなく進んでいった。
ほとんど喋っているのはジュリアスで、それにフローラが相槌を打ち、時折俺とオリヴィアに水を向けてくる。
この仮面は声の印象も変えてくれるので、話したところでオリヴィアに気付かれることはないだろうが、そもそも俺は口下手だ。返す言葉は二、三の単語のみで、またジュリアスが喋りだす。
オリヴィアも俺と似たようなもので、黙々と食事を口に運んでいた。
昔のオリヴィアは控えめながらも家の中では明るい女の子だった。食事の時などはよく俺に話し掛けてきて、行儀が悪いと母親に怒られていたくらいだ。
「そういえば、フローラを助けた時の話が聞きたいな」
酒ですっかり赤くなった顔をジュリアスが向けてきた。
口元にはどこか不敵な笑みが浮かんでいる。
「フローラの話では、その魔物はもしかしたら幻獣だったのかもしれないんだろ? そんな強い魔物をどうやって倒したんだ? 君は魔術が得意なのかい?」
好奇心と猜疑心がない交ぜになったような視線を受けて、俺は食事の手を止めた。
考える。別に魔術が使えないことを知られるのは構わない。恥だとは思うが、今の俺はあくまで一般人の穴掘り屋だ。
「俺は魔術が使えない。<発現> の才能がないんだ」
恥を忍んで俺が口にした瞬間、その場が一気に静まり返った。
視界の隅で、オリヴィアが息を飲むのが見えた。
私の兄と一緒だ……。そんな風に思っているのかもしれない。
隣に座っているフローラは、俺が魔術を使えないことはすでに知っている。
幾ばくかの沈黙を破ったのは、ジュリアスの高らかな哄笑だった。
「わはははははっ! 嘘だろ? 冗談だろ? 君は魔術が使えないのか? はっはっはっ……はっ、き、君。あまり、僕を笑わせないでくれ……くくっ、ははっ!」
いや、さすがにそれは笑い過ぎだろう。少し傷つくのだか。
目尻に涙さえ浮かべているジュリアス。
もしかして、本当に冗談と思っているのだろうか。
「えっ? もしかして本当に魔術が使えないのか?」
「ああ。本当だ」
「ということは、魔術も使えないような者に、フローラは助けられたのか?」
「違う。何度も言っているが、あの魔物を撃退したのはフローラさんだ。俺ではない」
何故、みんな、やたらと俺の手柄にしたがるのか解せない。
確かに、俺の魔力を餌のように吸わせて幻獣の動きを封じられたかもしれないが、最終的に止めを刺したフローラなのだ。
「まあ、いい。それにしても……本当に魔術が使えないとは……そんな人間に助けられるとは、アスピリクス家の名に泥を塗ったな」
ジュリアスが勝ち誇ったような流し目でフローラを見る。
長らく五大公家は互いの権勢を競い合っている仲だ。どれだけ優秀な魔導騎士を輩出するかで、家名に優劣が付けられる因習が今なお根強く残っている。
「……ジュリアス。私とアスピリクス家に対する侮辱は甘んじて受けましょう。ですが、大切な客人であるシグマさんを侮るような言動は厳に慎んで下さい」
「ふん。別に僕は君たちを侮辱しているつもりはない。ただ、事実を言っているまでだ」
つまらなそうにジュリアスは鼻を鳴らすと、今度はオリヴィアに視線を向けた。
「聞いたか? オリヴィア。この男は、どうやら君の兄上と同じ穴のムジナのようだぞ」
「……」
放たれたその言葉に、オリヴィアが身体をピクリと震わせる。
「でも、心配はいらないよ、オリヴィア。君と僕とが一緒になれば、マイロード家は安泰だ」
「ジュ、ジュリアス様。まだ、それは仮の話で……」
慌てたようにオリヴィアが抗議の声を上げるが、ジュリアスはまったく取り合わない。
「まあ、まだ正式に決定したわけではないが、僕達の結婚を望んでいるのは、他ならぬマイロード家だろう。君の父上たっての願いだから、僕も受け入れたんだが」
まるで上から睥睨するようにオリヴィアを眺めおろすジュリアス。
「それは……そうだけど」
オリヴィアの声は消え入りそうなほどか細かった。
項垂れるように顔を俯かせる。
知らなかった。まさか、俺の知らないところでそんな話が進んでいるとは。
没落しつつあるマイロード家を再興するために、オリヴィアをフォーデン家に嫁がせる。
確かに、あの父上ならば考えそうなやり方ではあった。
もともと、オリヴィアは魔導騎士になることさえ望んではいなかったはずだ。
彼女には、他にやりたいことがあることを兄の俺は知っている。その夢を奪われたうえに、好きかどうかもわからないジュリアスと結婚させられるなど、そんなことが許されていいのだろうか?
しかも、その元凶はすべて、マイロード家の嫡子でありながら魔術が使えない能無しの俺のせいだ。
「ああ、そうだ。もし良かったら、君も今度魔導学院主催で開催される武闘祭を見学するといいよ」
すっかりご機嫌になったジュリアスが早々と話題を変えた。
「武闘祭?」
初めて聞く。
魔導学院がそういう大会を主催しているのは知らなかった。
「魔術と剣の腕に覚えるある者を募って、トーナメント戦をやるんだ。まあ、真剣な勝負の場というより、普段の鍛錬を披露する意味合いが強いんだけどね。ただ、国王様にもご臨席いただける、由緒ある大会さ」
「今回、学院からはジュリアスとオリヴィアも出場する予定なんですよ」
微妙な空気の漂う場を取り成すように、フローラが後を引き継ぐ。
ふいにオリヴィアと視線が合った。その瞳には何の感情も宿っていない。
いや、違う。
あえて、そう装っているのだ。
俺には分かる。オリヴィアは俺の妹なのだから。
「その大会に――俺も出ることはできないか?」
気付いた時には、俺の口が勝手にそう言っていた。




