第二十九話 再会
アスピリクス家の別宅は、閑静な住宅街の一角にあった。
ひと際豪奢な三階建ての建物で、前庭の広さだけでも隣家のゆうに五倍はありそうだ。そこかしこに種々雑多な草花が植わっており、色彩豊かな光景が広がっている。維持管理だけでも、相当大変に違いない。
アスピリクス家はセントミュロンド聖王国の根幹を支える五大公家の一つだ。別宅といえども、これだけの豪壮さを備えているのは別段おかしな話ではない。
俺の実家も造りこそ質素だったが、単純な土地面積でいえばもう少し広かったかもしれない。自分がどれだけ贅沢な生活に身を浸していたのか、今更のように痛感する。
「ありがとう」
正門の前で、ジークさんが手配してくれた馬車を降りる。
ベーカリー「アトム」からここまで徒歩でも三十分と掛からない。もちろん俺は、歩いて来るつもりでいたが、ジークさんが早々に馬車を用意していたのだ。
閉ざされた正門の前に立ち、俺は自分の出で立ちを見下ろす。
深いグレーのジャケットと同色のスラックス。ピシリと折り目のついた正装に袖を通したはいつぶりだろう。違和感が凄まじい。
ちなみに、このジャケットとスラックスは俺がかつて実家で実際に着ていた服で、なぜかジークさんが持ち出して大切に保管していたのだ。
「……」
もう一つの違和感。
俺は顔面を覆う仮面に手を触れた。指先に金属の冷たい感触。
どこから調達してきたのか分からないが、言われるままジークさんから渡された仮面を俺は今、装着している。
目と口の部分は露出しており、色は鮮やかな銀色だ。
一応、姿見で確認はしてみたが、まあ、センスは悪くないように思う。高純度の銀製らしいが、重さもさほど感じない。
こんなもので正体を本当に隠せるのだろうか?
その疑問は、ジークさんが顔色一つ変えずにあっさりと杞憂に変えた。
「この仮面には古代魔導技術による細工が施されております。人の知覚を惑わす効果――言うなれば幻覚作用があるのです」
ジークさんの話によると、この仮面を付けていても相手に何の違和感も与えないのだそうだ。
むしろ、仮面を付けているのが当たり前。どうして、仮面なんか付けているのかと、まったく疑問に思わないらしい。
試しにジークさんに仮面を装着してもらったのだが、なるほど、確かに違和感がない。まるで、なくてはならない顔の一部のようにさえ見えてしまう。
しかも、相手がジークさんだと分かっていなかったら、おそらく俺は誰だか分からなかった。
この仮面からは微弱な魔力の波長が常時放射されており、それが空間を歪曲して相手の視覚に対して錯覚を起こさせる仕組みになっているらしい。
凄いな。魔力の波長を使って空間に干渉する。この手法は、もしかしたら何かの役に立つかもしれない。
しかも、この仮面を装着していると発する声にも微細な歪みを生じさせ、聴覚にも作用するという。
ともかく、この仮面さえ付けていれば、オリヴィアに俺の正体がバレることはないということだ。
正門の前にしばらく立っていると、アプローチの向こうからメイド服に身を包んだ使用人がやって来た。
「ようこそいらっしゃいました。シグマ様でいらっしゃいますか?」
「ああ。そうだ」
さすがに本名を言えばオリヴィアに怪しまれるので、フィリアと打ち合わせて偽名を使うことにしていた。
「お待ちしておりました。さあ、皆様首を長くしてお待ちです。どうぞ」
門扉が開き、俺は促されるままに庭園と呼ぶに相応しい敷地に足を踏み入れた。
長いアプローチを進み、メイドが先行して開いた重厚な黒い扉をくぐる。
「ようこそ、いらっしゃいました。シグマ様」
魔導学院の制服とは違う、清楚な青いドレスに身を包んだフローラが立っていた。
髪も綺麗にアップされており、先日、酒場で会った時とは別人のようだ。
「この度はお招きに預かり、光栄の極みにございます」
今ではしがない穴掘り屋の俺だが、かつては両親に連れられて方々の社交パーティーに参加してきた。一応、上流階級の礼儀作法は一通り身に付けている。
「丁寧な返礼をありがとうございます。しかし、今宵はシグマ様への感謝を示すための宴にございます。どうか、肩の力をお抜き下さい」
「分かりました。どうも堅苦しいのは苦手なので、そうさせてもらいます」
昔はそうでもなかったが、今では格式張った言動はどうも苦手だ。
それに変に慇懃無礼な態度でいるのも余計な不信を抱かせるかもしれない。今の俺はあくまでただの穴掘り屋なのだから、もう少しラフに対応しよう。
「今日、シグマ様をお迎えするのにあたり、二人ほど魔導学院の生徒を誘ったのですが、よろしかったでしょうか?」
「ああ、構わない」
平静を装って応える俺だが、胸の鼓動がドクンと跳ねる。
きっと、オリヴィアのことを言っているのだろう。できるだけ意識しないようにしていたが、久しぶりにオリヴィアに会うと思うと、喜びと緊張が一気に押し寄せてくる。
「よかった。私だけではつまらない思いをさせてしまうのではないかと心配だったので。早速、ご紹介いたしますね」
フローラは後ろを振り返ると、誰かを手招きするように手首を振った。
どうやら、廊下の影、俺から死角になる場所でその二人は待機しているようだ。
先にやって来たのは――オリヴィアではなかった。
二人。さっき、フローラは生徒を二人呼んだと言ったはずだ。オリヴィアではない、もう一人ということか。
逸る気持ちを抑えつつ、俺はその生徒と相対した。
「福音魔導学院中等部のジュリアス・フォーデンだ」
見るからに上等なダークスーツを見事に着こなした男は、わずかに後ろへ身を反らした。
頭を下げるのとは真逆の居丈高な態度。貴族が放つ特有の威圧感。
俺はこの男を知っていた。
あからさまな値踏みの視線が、つま先から頭の先までを撫でる。
「彼はフォーデン家の嫡男です。今は、私たちとともに魔導騎士を目指して鍛錬に励んでおります」
フローラがそう言い添えると、ジュリアスはフンと鼻を鳴らした。
「まあ、そういうことだ。同窓であり、幼馴染でもあるフローラを助けてくれたこと、僕からも一応、礼を言っておく」
「……」
返す言葉の見つからなかった俺は、とりあず軽く頭を下げた。
「もう一人は……オリヴィア、来なさい」
「はい」
フローラに呼ばれ、ジュリアスの後ろに控えていたオリヴィアが姿を見せた。
俺はすぐに顔を直視するこができずに、オリヴィアの足元から順に視線を上げていく。
フローラと同じ青いドレス。背が随分と伸びている。背中まであった長い髪は、肩口で綺麗に切り揃えらていた。
滲みかけた視界に映るその容貌は、記憶の中の妹よりずっと大人びていた。三年という時の長さを、俺は思い知らされる。
意を決して、視線を向ける。
懐かしい黒目がちな瞳が、静かに俺を見返していた。
「初めまして。福音魔導学院初等部のオリヴィア・マイロードです」




